ハナのカオリ (1)
今年は桜が咲くのが早かった。卒業式の時にはもう散りはじめちゃってたし、四月になったらほとんど花なんて残っていない。緑の葉っぱが出る前の桜の木は、赤いちょんちょんが沢山生えててなんかグロい。自分の名前だからってわけじゃないけど、ハナは、やっぱり花が咲いている桜の方が好き。
山嵜ハナ、十五歳。いよいよ高校一年生。高校生活には、実は少々期待している。その兆候はもうあったんだ。今日この日が来るのを、結構楽しみにしていた。
明るいチョコレートブラウンのショートボブ。ふふ、これ地色なんだよ。きらきらしてて、ちょっと自慢。ヘアピンは、少し悩んでポピーにした。明るいオレンジ。うーん、判りにくいかなぁ。花言葉は「恋の予感」。ハナの大事なおまじない。
制服、あんまり大きめだと中身がちんちくりんみたいで子供っぽいよね。スカートを巻いて短めに。ブラウスはこう、ふわっと着こなす感じで。全体的に柔らかさをアピール。やりすぎておでぶに見えないように。一年生なんだし、フレッシュというか、不慣れ感というか、イノセンスさ、を出していこうかと。
お化粧、はしなくてもいいか。健康さを前面に出した方がウケるかな。好みを細分化できるほど、まだ相手のことを良く知らないからな。とりあえずは、入学したてで何にも染まってませんって体で。むしろこれから徐々に変わっていくコース。よし、それだ。
鏡を覗いて、にこって笑う。大丈夫、可愛い。花が咲いたような笑顔。名前に負けてません。ヘアピンと同じ、ポピーみたいに明るくて、ぱっと周りを物理的に照らし出すぐらいの勢い。ゲームとかアニメならエフェクトが付くね。モブとの差別化はばっちりオッケー。今のハナなら、間違いなくレギュラーキャラ。小説なら一人称視点で主役コース。
高校デビューとか、少し前までは全然興味が無かった。はいはい、みんな頑張ってねーって。ハナの場合は元々目立ちすぎるくらいで、もっと遊んでるかと思ったー、とか猛烈に失礼な評価を貰ったこともあった。むしろ逆デビューというか、高校に入ったらいっそ髪を暗い色に染めて、地味目にイメチェンしようかと真面目に悩んでいたほどだ。
それが今、こんなんだ。ははは、変なの。自分でもおかしい。可愛く見られたいとか。
こんな気持ちに、またなれるとは思わなかったな。
どきどきしている。期待と不安で。妙な噂も聞いてるし、前途は多難そうなんだけど。
負けないよ。ハナは、すごいんだから。その辺でぴーちくぱーちくしている女の子なんかとは、ひと味もふた味も違う。いざとなったらこの・・・
おおっと、まずいまずい。こういうのはダメ。結局、良いことは何にもなかったでしょ、ハナ。
あるがままで、受けとめましょう。大丈夫。ハナ、しっかりして。
後は、あの人に会えますようにって。それだけがネックなんだから。ううん。
探すよ。絶対に見付ける。ハナの高校生活はそこから始まるんだ。
朝倉ハル先輩。待っていてくださいね。ハナは、きっと朝倉先輩と巡り会ってみせます。
今日はオリエンテーションの日。色々説明会。体育館に集まって、生徒が中心になって学校の説明を一通り行う予定だ。
先生から聞くだけじゃ、学校のことなんて正直半分も判らない。学校の主役は生徒だ。だって一クラス四十人、それが八クラス三学年あるんだよ?千人近い生徒がいるって、物凄い数だ。多数決なら圧倒的勝利間違いなし。
まずは生徒会の人が、学校生活についての説明をした。眠い。配られた学校生活のシオリとかいうホチキス止めの資料の中身を、ただ延々と読み合わせているだけなんだもん。もういいよ。後で読むよ。話すならこれに書いてないことを話してよ。学食のおすすめメニューとかさ、校内で静かで二人っきりになれる穴場とかさぁ。
「あー、それから最後に一つだけ」
生徒会会長だかなんだかの、キッツイ感じのロングヘアのお姉さんが、突然一年生全体を睨み付けた。お、なんだ。急に体育館全体に緊張が走る。ハナも眠気が吹き飛んじゃった。いよいよお役立ち情報をご提供、って空気じゃないよなこれは。
「高校生活といえば青春だが、別にそれを禁止するつもりは無い。ただし、節度を持って、何事もやり過ぎないように気を付けてくれ。以上だ」
一年生みんな、ぽかーん。お前は何を言っているんだ?
それ以外、周りに立っている先生方とか、生徒会のメンバーとか。あと、ぱらぱらといる上級生たちは、一斉に「ぶふぉ」って吹き出した。なるほど。
理解できていないのは一年生だけで、上級生や、先生たちにはしっかりと意味が通じている。つまり、生徒会長の言葉は一見ワケが判らないようでいて、実際にはこの学校ではかなりメジャーな何かに基づいた、比較的重要な情報であると考えられる。しかもリアクションは「ぶふぉ」だ。
なんかすっごい嫌な予感がしたけど、あえて無視することにした。学生の本分は勉強。それは建前で、やっぱり青春、それも恋愛がメインなのは当然。深く考えちゃダメだ。これ以上突っ込んだらドツボにはまるっていう警報が、頭の中でぐわんぐわん鳴り響いている。忘れよ、されば救われん。
その後はお待ちかね、部活紹介だ。やった。ハナは今日、このために頑張っておめかしして来たんだ。中学から一緒のルカが、「ハナ、気合入ってるね」って評してくれたし。クラスの男子からもちょっと視線感じちゃったりして。もうね、ガチですよ。ハナ、今日は大勝負だからね。
この学校の部活で有名なのは水泳部。屋内温水プール完備って、なかなか無い。水泳部目当てで入学してくる子もいるって話だ。壇上に水着で上がって来るのかと思ったけど、残念ながら色モノ枠では無かった。普通に制服の男女。
「大会を目指しての本気の活動以外でも、ダイエットとか、軽いエクササイズ感覚での入部も歓迎です」
あ、思ったよりも緩くていいのね。結構な人数が舞台に上がってるし、やっぱり部員数はかなり多そう。ん、なんか端っこの女の子、二年生か。ふわっとしてて、可愛いな。なんで顔が赤いんだ?あがり症か?
「みんなで青春! しましょう!」
部長さんと思しき、なんかガタイのいいベリーショートの女子が大声でそう締めくくると。
水泳部員たちがどっと笑った。ん?これそういう演出じゃないな。あ、さっきの子がわたわたしている。むむむ?
学校の目玉部活だし、なんかあるのかもね。さっきの生徒会長の話を受けてのアドリブっぽかったし。あの可愛い子が青春か。はぁ、いいなぁ。ハナも負けてられない。よし。闘志を新たに、部活紹介の続きを見て行こうじゃないか。
で。
その後はもう、睡魔との戦いでしかなかった。ハナはすごいよ。よく頑張った。こんなに強い睡魔を相手に、ここまで起きていられるなんて。ホント偉い。
だってさぁ。プログラムに、部活の紹介順序が書いてないんだもん。いつ来るのか判らなかったから、次かも知れない、いや次かも知れないって。寝るわけにはいかなかったんだよ。どっかから大きな寝息が聞こえて来てて、それがまた気持ちよさそうで。あああ、もう!
結局どうだったかって?はい、ありましたよお目当ての部活の紹介。一番最後。わお。知ってたら絶対寝てた。それまでの時間全部返してほしいくらい。予告編観終わったら本編一分で終わった、みたいな。
「次は、ハンドボール部です」
ばこーん、って。音を立てて目を見開いたね。キタ、キタ、キタ。キターッ! 大声で叫びたかったよ。
舞台に出てきた男子生徒に、熱いまなざしを送る。ああ、待ってました、朝倉先輩。ハナは、来ました。今から、朝倉先輩のところに参ります。
「えー、ハンドボール部っスー」
・・・ハァ?
壇上にいたのは、なんかじゃがいもみたいな男子だった。
いや、反動ってのは凄いね。ガッカリ感を越えて喪失感だ。いや、悪くない。ワルクナイヨー。あの先輩も知ってる。大丈夫、顔は覚えてる。そうかぁー、そっちかぁー。
え?一人?他は?思わずきょろきょろしちゃった。
ハンドボール部の紹介は、お一人様によるものでした。さよけ。左様け。もういい。じゃあ最後まで寝てて良かったんじゃん。
多分同じクラスの男子だと思われる寝息が、「んご」って睡眠時無呼吸症の兆候を示した。くそ、そのまま窒息しちゃえ。
あーあ、この後の部活勧誘のところにまで朝倉先輩が居なかったら、ハナの今日の努力は全部水の泡だよ。ヘアピンのポピーが泣いてるよ。恋の予感。当たって、お願い。
長い時間パイプ椅子に座っていたから、お尻が痛い。はぁ、疲れちゃった。いっぱい気合い入れて、沢山の一年生の中からハナを見つけてもらうっていう壮大な計画はおじゃんになってしまった。自分で言うのもナンだけど、目立ってた、とは思うんだよね。この学校女子のレベル高めだけど、ハナは埋没なんてしないんだから。
天気が良いので、説明会の後は校庭で部活勧誘合戦になる。部活に興味の無い子も、ぐるっと一周は廻って欲しいと生徒会からお願いされた。まぁ、部活も大事な学校生活の一部だよね。
ローファーに履き替えて、どっと人でごった返した校庭へ。昇降口のところにまで勧誘の先輩が押し掛けていて、生徒会の人が滅茶苦茶怒鳴っていた。激しいな。でも、活気があるのはいいことだ。一生懸命さは感じる。ハナはこういうの、嫌いじゃない。
「ハナー、頑張ってねぇー」
ルカはあっさりと脱落した。ハナみたいに明確な目的意識を持っていないと、この勧誘の海は渡っていけない。大切なのは、固くて強い意志。
「あ、もう決めてますんで」
今日のハナは無敵。普段ならティッシュとかチラシとか矢鱈受け取っちゃうけど、そんな弱気な心では朝倉先輩のところには辿り着けない。決めてるんだ。売り場の一番奥にあるバーゲン品のカゴ。それと一緒。他のものなど、もう一切目に入らない。
「家庭科部でーす。焼きたてのクッキー試食やってまーす」
目には入らないけど、嗅覚はヤバい。くそお、お昼前にそれは卑怯じゃん。すび。あ、よだれ。うああ、こんな顔で朝倉先輩に会っちゃったら、ハナ、超肉食系みたいじゃん。顔見た瞬間、いただきますとか言いそうじゃん。
や、無いけどさ。
それに、さっきの部活紹介ではじゃがいも顔の先輩が一人でしゃべっていた。朝倉先輩は、今日はここに来ていない可能性もある。うん、そうだよね。ちょっとテンションダウン。ヘアピンのポピーが萎れちゃいそう。すいません、もしいるのがじゃがいも先輩なら、頭にバター載せて齧っても良いですか?
校庭の隅っこに、飾り気のない長テーブルが一つ。賑やかな喧騒からは無縁な印象。見るからに不人気。せめてサクラでも置いとけばいいのに。
あ。
ううん、やっぱりいらない。
良かった。努力は無駄にならなかった。えへへ。現金かもしれないけど、これだけでポピーは明るく花開いた。予感は、ちゃんと的中だ。ありがとう、ハナのおまじない。
退屈そうにパイプ椅子に腰かけている男子生徒。ネクタイの学年色は二年生。座ってるけど、背は高めだよね。この前は、ハナより頭一つ大きかった。短く刈り込んだ髪。ほっそりと見えて色白なんだけど、しっかりとした体格。優しそうな眼。
朝倉ハル先輩。
ちょっと久し振り。わ、どきどきしてる。自分でびっくり。えーっと、落ち着け。自然対数の底を数えるんだ。にいてんなないちはちにいはちいち・・・
「あの、こんにちは」
声をかけると、ぐるり、と朝倉先輩の顔がハナの方を向いた。当たり前のことなんだけど、驚いてしまう。自分で声をかけておいて失礼千万だよね。うう、そうは言いましても。
「あれ?ああ、あの時の」
覚えててくれた!
ポピーの花畑、満開。うわぁ、やったぁ。第一段階クリアって感じじゃない?
「はい。新入生の山嵜ハナです」
「山嵜さんか。入学おめでとう」
朝倉先輩は、にっこりと笑ってくれた。どどど、どうしよう。写真撮ったらまずいよね。くあぁ、こんな時ハナに直観像の能力があれば。完全永久保存版なのに。朝倉先輩の笑顔、あざっす。ゴチになります。
「ありがとうございます」
「なんかすごい状態だけど、どう?部活は決めた?」
うーん、この状況の中でガッツリ閑古鳥鳴かせているハンドボール部の方が、ハナに言わせればすごい状態かな。ま、それならそれで良い。ハナは最初から決めてるんだから。
「はい、決めてます」
考えてみたら。
これからはずっと朝倉先輩と一緒なんだし。お話しする機会も、写真を撮る機会もきっといくらでもある。慌てない慌てない。今はまだ、恋の予感。ハナの青春は、ここから始まるんだ。
「ハンドボール部、マネージャー希望で参りました。よろしくお願いします、センパイ」
ちょっと前の話。
ハナは、同じ中学からこの高校に一緒に進学するルカと、書類提出に訪れていた。まだ春休みの真っ最中。本当なら、次に来るのは入学式の日だったんだけど。
書類不備がどうとかこうとか。知らないよ。中学校のミスなんだし、勝手にやっといてって。ハナだけならそう言ってやったところだ。だって面倒臭いじゃん。
ところが、ルカの方はむしろ喜んじゃった。高校、ついでだからちょっと覗いてみようよって。まぁ、入学前にほとんど人のいない学校の中を探検できるって考えは、悪くは無い。一人だと心細くても、ルカがいるなら楽しそうだし。どうせ暇なんだから良いかなって、そう思えてきた。
四月に入っていれば、一応ハナもルカもこの高校の生徒ってことになっている。部外者じゃありません。変なところに入りさえしなければ、堂々と歩き回ってて良い。
ってことで、ルカと一緒に、数日後には入学式を控えた、新たな母校の中を見て回ることにした。
誰もいないかなー、って予想していたら、実際にはそんなことは全く無かった。入学式で演奏する吹奏楽部とか、新入生向けのオリエンテーションの準備とか。主に部活関係で、学校の中はとても賑やかだった。
何だろう、先にネタバレを見てしまったような、ちょっと申し訳ない感じ。でも、その中を歩いていると、自分たちが新しく入ってきたお客さんじゃなくて、前から学校にいる仲間の一員であるみたいな気がしてきて。どきどきして、面白かった。
校舎の中はを一通り見て。校庭の隅っこにクラブハウスがあるのが判って。じゃあ、次はそこに行ってみようという話になった。
校庭では、陸上部が活動していた。背の高い、すらりとしたカッコいい女子がいるのが見えて。ハナは、しばらくその姿に見惚れてしまった。高校生って、すごいなぁ。ハナも同じ高校生なんだよなぁ。ううう、謎の敗北感。
「ハナ、危ない!」
すっかりよそ見をしていたので、ハナは自分目がけてすっ飛んできたボールに全然気付いていなかった。え?って思った時には。
「あぶねっ」
背の高い男子生徒が、ハナのすぐ近くでボールをキャッチしていた。
右手一本伸ばして。広げた身体が、とても大きくて。ハナを、包み込んでしまいそうで。
ハナは、言葉を失ってしまった。え、どうしよう。ちょっと。
「宮下、バカ、ノーコン、周り見ろ!」
ボールが来た方向に向かって、その男子生徒が乱暴に怒鳴った。すまーん、という声がして、誰かがこちらに走ってくる。ええっと、じゃがいもに目、鼻だな。あれはモブ。
でも、こっちは。
ハナは、改めて目の前の男子生徒の顔を見た。汗いっぱいで、ちょっと息が上がってて。背が高い。こんなに近いと、見上げてしまうくらい。わ、わわわ。
「ごめんね。新入生だよね。大丈夫だった?」
大丈夫です。怪我とかないです。でも新入生って、なんで判るんだろうって、ああ、スカーフの学年色か。頭の中がぐるぐるして、ハナは何を考えているのか判らなくなってきた。ど、どうしよう。何を言えばいいんだ。あああそうか、お礼か。
「あ、ありがとうございました」
「いや、悪いのはこっちだから。ホントは今日は活動日でもないし」
そう言ったところに、じゃがいもがやって来た。む、この人がハナにボール当てそうになったんだよね。なのに何でヘラッとしてるんだ?ちょっとムカチン。
「やー、ごめんごめん。溢れる力を制御できなくてさ」
なんじゃそりゃ。
不機嫌が顔に出てしまっていたのか、ボールを持った男子生徒がはぁ、と息を吐いた。
「ホントにごめん。こういうバカなんだ。許してやってくれ」
「バ、バカとはなんだ。朝倉、お前そういうところホントにムッツリだな。後で言いつけてやる」
朝倉。
朝倉先輩。
なんだかぎゃあぎゃあとうるさい。名前が判ったので、その後の会話は全部すっぽ抜けてしまった。そうか、朝倉先輩。この高校の、先輩なんだよね。
同じ学校で。これから一緒に、高校生活する人。こんな人もいるんだ。
こんな、かっこよくて、素敵な人。
うわぁ。
うわぁ、どうしよう。
ハナ、ひょっとして。
ひょっとして、好きになっちゃった?
「ごめんね邪魔して。じゃあ、これで」
朝倉先輩の言葉で、ハナはようやく我に返った。えっ?あっ、ちょっと待って。
ハナが何か言おうとしたのを察したのか。
宮下とかいうじゃがいもが、くるり、と振り返って恰好をつけた。
「ハンドボール部は、女子マネージャー募集中だぜ」
はぁ?カルビーかコイケヤにでも帰れよ。
まあ、有益な情報をくれたので感謝はしておこう。ハンドボール部。ハンドボール部の朝倉先輩。
その後ちょっと調べて、フルネームまですぐに判明した。朝倉春。朝倉ハル先輩。
ハナの、これから始まる高校生活。
なんだか、とってもどきどきして、とっても楽しそうな予感がしてきた。