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獣の国  作者: 北村 宗一
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害獣駆除業者のディナー

「特盛お待ちどぅ」

 鼻腔をくすぐる香りをばら蒔きながら、藤田の目前にどんぶりが置かれた。待ってましたとばかりに、藤田は予めかき混ぜておいた生卵を牛丼に隈無く振り撒いた。次いで紅しょうがをたっぷりと乗せる。

「あー、堪らん」

 辛抱できないと言わんばかりに、藤田はどんぶりを手に取り、牛丼をかっ込み始めた。

 それを尻目に、桐島はゆっくりと牛丼を口に運んでいた。サイズも藤田の頼んだ特盛ではなく、一般的な量の並盛だ。

「よく、そんなに喰えますね……」

 積み重ねられた特盛どんぶりを見ながら、桐島が言う。毎度の事ながら、藤田の食事量には驚嘆する。藤田が今食べているのは、六杯目の特盛だった。テレビの大食い番組があれば、いい線を狙えるのでは、とも思う。

「かぁだがしふぉんだかぁよ」

 口一杯に肉と飯を頬張りながら藤田が言うが、言葉が成立していない。「身体が資本だから」と言いたいらしい事は、それとなく伝わったが。

「飯喰いながら喋るな、って躾られませんでしたか」

「ふふへー!」

 咀嚼されて原型を崩した米粒が、藤田の口から飛び散る。それがかかりそうになり、桐島は手で自らの顔を覆った。

「だから汚ぇって!」

「……っせぇな! だったら話し掛けんなカス!」

 お茶で牛肉と飯を胃袋へ流し込み、藤田はようやく日本語を発した。食事を邪魔されて怒るあたり、まるで野生児だと桐島は思った。

「身体が資本ってのも嘘じゃねぇし。それによ、好きなモンはたらふく食って置きたいじゃねぇか」

 思いの外、藤田の怒りはあっさり静まったようだった。怒気はすっかり消え失せ、真顔になっている。

「人間、いつ死ぬか分かんねぇんだ」

 らしくない発言だな、と桐島は思った。言わんとしている事は分かるが、藤田の台詞としては相応しくない。

「主任の言葉とは思えないですね」

「何でそう思うんだ?」

「いや、意味不明なくらい強いじゃないですか、主任。金槌一本でバケモノ殴り倒してるし」

 藤田は不満たっぷりな薄ら笑いを浮かべた。頬に米粒が付着していなければ、それなりに迫力のある表情だ。

「突然だが、質問だ。“害獣”ってよ、全く同じ個体って見たことあるか?」

 言われて、桐島は数少ない対峙の経験を思い起こした。

 両親を殺した害獣、藤田に同行して遭遇した害獣。前者は巨大な熊と蛇、後者は巨大な猪に近い。機会は少ないが、確かに同じような種とは思えなかった。共通するのは、巨大化した狂暴な野生生物であることくらいだ。

「少なくとも、自分が見た限りでは……」

「だろ」

 俺が見た限りでも同じだよ、と藤田は答える。

「そっくりな奴はいたよ。でも、そっくり止まりだ。全く、完全に同一な種は見たことがねえ」

 つまりだ、と藤田は続ける。

「どんなバケモンといつ鉢合わせになるか分かんねぇって事だ。とんでもなく強くて、車でも撒ききれねえくらい速ぇ奴に会ったらアウトなんだぜ?」

「主任より強い“害獣”なんていませんよ」

「だといいけどなぁー」

 店員にお茶のおかわりを要求しつつ、藤田は乾いた笑いを発した。自分を最強だと信じて疑わないであろうこの男らしからぬ態度に、桐島は違和感すら覚えた。

「まぁ、いずれ独り立ちすんだ。人類最高の戦闘力を誇る俺様のサポートなしで頑張んな、桐島ちゃん」

「何ですか、その意味深な物言い」

「害獣対策基本法ってあんだろ?」

 店員から渡された熱々のお茶に息を吹き掛けながら、藤田は短く答えた。何時になく、神妙な面持ちだった。

「この法律の中身、知ってるか?」

「そりゃあ、ざっくりとは」

「言ってみ」

 お茶の上澄みを火傷しないよう啜りながら、藤田は桐島に視線を向けた。無知を嘲笑うような、普段の藤田が持つイメージとはかけ離れた声のように聞こえた。

 害獣対策基本法。

 桐島が知る限りのそれは、そんなに難しい法律ではなかった。

 日本の各地に害獣と呼ばれる異形が突如として現れたのが二年前。非常に荒い気質で、人間を好んで襲う。若者はロールプレイングゲームになぞらえてモンスター呼ばわりしているが、日本政府は公式に害獣と呼ぶ。発生原因や生態等は一切不明。今尚学者達が解析を進めてはいるが、何も進展はない。

 一般市民が徒手空拳でどうこう出来るレベルの相手ではなく、駆除には複数の銃火器が最低限の装備とされた。場合によっては、バズーカに代表される無反動砲の類いが投入されることも珍しくはなかった。

 当初は自衛隊や警察がその駆逐に当たっていた。銃や兵器の扱いに長けた公務員は、その役目を担うに相応しいとされたためだ。交番勤務の警官は小型拳銃をライフルに持ち変え、街には自衛隊の装甲車両が常駐するようになった。

 しかし、それも長くは続かなかった。成果が悪かった訳ではない。本来の業務に支障をきたすようになってしまったためだ。

 国防の手が薄いと見るや、軍事的な挑発行為を仕掛ける近隣国。害獣の起こした混乱に便乗した窃盗、挙げ句には強盗や殺人までもが横行しはじめた。既存の機関が人手を割いて担うべき内容ではなかったのだ。

 そういった実情を鑑み、政府は対策の協議に入った。自衛隊・警察とは異なる第三の専門機関を立ち上げるという線が現実的だろうと報道機関や識者は予想し、その見込みは一般市民にもマスコミやインターネットを通じて徐々に浸透していった。当時の報道に曰く、害獣の駆除には銃など殺傷能力が高い武器が必須であり、また二十四時間何時何処で害獣による被害が発生するか予測もつかない。間違いなく公的機関が対応せざるを得ない案件で、その機関が存在しないのだから新設しなくてはならない。そういう論拠であったらしい。

 しかし、実際にそうはならなかった。異例の早さで、それも普段は論戦を繰り広げている政治家達が満場一致で可決した法律こそ、今現在施行されている害獣対策基本法だった。

 簡単に言ってしまえば、害獣の駆除を免許制とし、民間企業に委託させるというものだ。それも、定められた期間でこの金額、という形態ではない。害獣の死体を計量し、それに買い取り単価を乗じて報酬額を算出するという完全出来高払いである。

 これに伴い、害獣駆除免許を持つ企業に所属し、かつその業務に従事する者には銃刀法は適用されないことも決定された。つまり、害獣を相対するに、銃火器や刀剣類の使用が認められたということだ。無論ではあるが、人間に対しての使用は厳禁とされ、これを犯した場合には企業にとって破滅的なペナルティが課せられる事になる。

「ふーん」

 部下の説明を一通り聞いた上司の反応は、実に素っ気ないものだった。求められた答えに対して、欠けた要素があると言わんばかりの態度だ。

「間違ってますか」

 桐島は不満を隠さずに、苛立った声を出した。

「間違ってはねーよ」

 桐島の説明中に大分冷めた茶に口をつけながら、藤田は応えた。

「足りてないんだ」

「何がですか」

 勿体ぶらないで下さいよ、と付け加えながら桐島は口を開いた。

「別に隠す訳じゃねーけど」

 言いながらも、藤田の口調は決して軽々しいものではなかった。やっぱりな、という呆れに近い感情がありありと見て取れる。

「企業側、まぁ俺達みたいな実働部隊じゃなくて、経営サイドのメリットがあるんだよ。クソみたいな話だけどよ」

 メリットなんて言葉を使うのも憚られると、藤田は続けた。

「免許を持った業者が害獣と戦う。チャンバラだろうがステゴロだろうがチャカぶっ放そうが、勝てば問題ねーよ。金は入るし、危険も除去できて皆ハッピーさ」

 藤田は湯飲みのお茶を一気に飲み干すと、カウンターテーブルに中身のなくなったそれを強めに置いた。陶器と木が乾いた音を発し、店内に響く。

「問題は、こっちがやられちまった時だ。害獣相手に気張ったはいいが、大怪我をした。一生モンの障害を負った。さぁ、どうなる?」

「どうなる、って……」

 桐島には、パッと思い付かない。正確には、想像がつかなかった。今の今まで考えた事もなかったのだ。

「知らねぇって感じだな」

 高校出たくらいのガキじゃ仕方ないけどな、と藤田は言いながら続ける。

「今現在、害獣を起因とする損害に適用される保険の類はない。テレビでコマーシャル流してるような大手保険会社でさえ、害獣に関わる保険は用意してねぇ」

 つまり、この仕事に従事するものに金銭的補填は保証されていないということだ。企業側が用意すればそれは別だが、桐島はWSKサービスに勤めて以来、そんな手当てについては聞いたことがない。

「わかってるだろうが、ウチにはねーぞ、そんな気の利いた制度やら待遇やらは」

 部下の心中を見透かした言動だった。そうだろうと諦めかけていた桐島には、追い撃ちの他ならない。

「ただなー、ここがおかしいんだけどよ。」

 店員にお茶ではなく冷やを頼みつつ、藤田はぼやくように言った。口をすぼめて息を吸っているあたり、舌を火傷でもしたのだろう。

「仮に俺等が害獣にやられたとするだろ」

 やられた、とは「殺られた」という事だろうと、桐島は理解した。同時に、怖い事をさらりと言わないでくれとも思う。

「やられた俺達には一銭も入らない。さっきも言ったとおりな」

 死んでしまえば受け取りようがないのだから、当たり前の話だった。

「だけどよ、企業には国から金が入るんだよな、これが。不思議だろ?」

「へっ?」

 洩らした後に、我ながら情けなく、そして間の抜けた驚嘆の声だと桐島は思った。しかし、すぐに憤りが沸いてくる。

「俺達の遺族が仮にいたとして、そいつらにも金は行かないんですよね?」

「そーだよ」

 親指と人差し指で輪っかを作りながら、ビタ一文たりともな、と藤田は応じた。

「でも、会社には金が」

「イエスイエス。飲み込みが早いなあ、若い奴は」

 藤田は、バリボリと氷を噛み砕きながら、首をわざとらしいほど縦に振る。そんな態度に桐島は怒りを煽られ、殊更大声を上げた。

「そんなのおかしいですよ!」

「おかしいねぇ」

 俺もそう思うよ、と上司は部下の言動に理解を示した。だけどな、と上司は更に続ける。

「まともな企業なら、それを遺族に見舞金とか名前を変えて渡してやるんだろう。まともな企業ならな」

 国から個人に直接給付する事が煩雑である事から、雇用主を挟み対象者に給付する形で法整備がなされたらしい。しかし、どういう理由かは謎だが、雇用主から対象者に対しての支給は強制ではないという。企業のモラルに一任したと言えばそれまでだが、まさか遺族補償を掠め取るような会社はあるまいと考えられたのだろう。

 しかし、その期待を見事に裏切る企業が、ごく少数ではあるが現れてしまった。しかも、実に悪質な手段を用いて、である。

「ウチの会社、まともじゃないんですか……」

「まともじゃないねぇ、かなり。業界じゃ三本の指に入るくらいのブラック企業だな。えげつねぇとかド外道ってーレベル」

 ケタケタと笑いながら、藤田はタバコをくわえた。自分もそのブラック企業の社員であるにも関わらず、その態度は他人事のようだった。

「ウチの会社にはな、害獣駆除業務につく奴には、特別な採用基準があんだよ」

 分かるかな、と揶揄しながら藤田は桐島に問いかけた。それだけならまだ樣になっていたのだが、ライターを無くしたのかスーツのポケットをいそいそとまさぐる姿は、桐島の目には実に滑稽に映った。

「いつも同じポケットにでも入れておきましょうよ、ライター」

 上司を揶揄しつつ、問いかけを熟考する。特別な基準とは何か。

 採用される際の基準なのだから、桐島だけではなく藤田や佐武にも共通するものなのだろう。鬼の女課長が含まれるのだ、性別による制限という訳ではなさそうだった。

 思考を巡らせて見るも、桐島は納得のできる解答が思い付かなかった。年齢は三者三様、身長や体重もバラバラだ。強いて言えば国籍くらいだろうか。だが、こんな答では目前でニタつく主任に馬鹿にされるだけだと思い、口には出せなかった。

「わかんねぇよな。気にすんな、それで当然だから」

 言われてみれば、最低限の自己紹介しかしていなかったことを、桐島は思い出した。藤田は仕事にも動向するし、同じ寮に住んでいる都合上、話をする機会も多い。しかし、課長の佐武とはまともな会話を交わした記憶がなかった。

「答えはな、境遇だよ」

 言いながら不敵な笑顔を浮かべる藤田は、どこか自虐的ですらあった。

「俺達全員、近親者がいねぇのさ。俗にいう、天涯孤独の身って奴だ」

 それを聞いて、桐島は絶句した。同時に、自らが籍を置く企業の腹黒さ、いや性質の悪さを嫌というほど思い知らされた。ブラック企業の渾名は、伊達ではなかったのだ。

 つまり、害獣駆除に従事するものが縁故のない独り身であった場合、国から支給される見舞金は行く宛がない事になる。受取人がいないのだから、見舞金は企業に留まり、そのまま利益として貯えられるのだろう。

「それって、つまり……」

「ご明察。俺達ゃ、使い捨ての駒ってことよ。回転が良ければ良いほど、お偉方は喜ぶだろーな」

 結局ライターが見つからず、店員にガスコンロで煙草に着火してくれよと無茶苦茶な要求を突き付ける傍ら、藤田は明快かつぶっきらぼうに答えた。

 会社もおかしいがこの男の脳味噌もおかしいんじゃないか、と桐島は感じずにはいられなかった。社員の死を望む上層部が牛耳る企業に所属していて、恐ろしくはないのだろうかとさえ思う。

 ふと、自分はどうなのかと思った。藤田の事はさておき、桐島自身はこの状況をどう捉えたのか。冷静に考えるが、ろくでもない結論しか出なかった。

 他の選択肢など、なかったのだ。

 学も経験もなく、若さしか取り柄のない桐島が得られる職など限られている。加えて正社員という地位を望むとなれば、尚更だった。

「だから喰え喰え。難しい事を考えんのはいつだってできるけどよ、旨いもんは腹が減ってねぇと喰えねぇんだ」

 おかわりしても良いんだぞ、そう桐島の上司は言っていた。

 下手な慰めだ。

 それでも、桐島は息が詰まる思いがした。胸に熱いものがこみ上げてくる。

「あ、二杯目からは自腹な」

 この男は壊す天才だと、桐島は思い知らされた。害獣も、雰囲気も、掴みかけた後輩からの人望も、何もかもを叩いて壊せる天才だ。つまりは。

「人格破綻者だ、この人」

「あぁ!? なーんか言ってくれたか? き・り・し・ま・く・ん・ん・!・?」

 本日二度目となる上司の逆鱗に触れ、桐島は意識を失った。いや、失わされた。

 桐島が最後に見たのは、藤田の神速の如き握り拳だった。

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