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獣の国  作者: 北村 宗一
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害獣駆除業者の事務

「報告は以上です」

 幅広の机の前に、藤田と桐島は並んで立っていた。目の前には、二人の上司が座っている。その手には、桐島が作成した業務報告書があった。

「また買い取り価格が下がったか」

「何でも、予算枠の問題とかで」

 耳を小指で掻きながら、藤田は上司に答えた。相手が上司だけあって、藤田の言葉使いの悪さも若干はそのなりを潜めているようだった。

「国の方針には逆らえんな」

 上司はため息をつきながら、報告書から目を外した。解っているとは思うが、と前置きして上司は言葉を続ける。

「ノルマはあくまで金額だ。単価が下がった分は数で稼いでこい」

 上司は、眼鏡越しに部下二人を睨み付けながらそう言った。切れ長の目から放たれる視線に、桐島は威圧感すら覚える。

「とは言いますけどね」

「運の良さでも鍛えろ。もしくはたっぷりと時間をかけて探せばいい。残業代は出さん」

 意図的に害獣と遭遇する方法がない、と言おうとした藤田の言葉を遮り、上司は解決案を提言した。しかし、そのどちらもが無茶苦茶だ。

 運の良さなど鍛えようがない。桐島と藤田は、ロールプレイングゲームのキャラクターではないのだ。時間を費やして探せというが、その分の労働対価を払う気はないという。二案とも、桐島には到底受け入られるものではなかった。

「りょーかいしました、努力します」

「ちょっ、主任」

 返事をしてしまった藤田の顔を、桐島は思わず見てしまった。その表情からは、諦観と倦怠感が滲み出ている。

「桐島は?」

「は、はいっ!」

 首を戻しながら、反射的に返事をしていた。二人の上司であるこの課長には、他者に有無を言わせない迫力があった。藤田はともかく、入社したての新米である桐島には、とても逆らえそうにない。

「分かったのか?」

 冷ややかに微笑む女課長・佐武を前に、桐島は肯定の返事以外をする事ができなかった。


「いやー、今日も相変わらずだわ麻紀ちゃん。朝っぱらからキッツイな」

 桐島の左隣に腰を降ろした藤田が、パソコンの電源を入れながら言った。あっけらかんとした口調からは、堪えた様子はまるでない。片や桐島は、既に起動したディスプレイを眺めながら、顔を青くしていた。

「……誰ですか、麻紀ちゃんって」

「んん? 桐島君、君は自分の上司の名前も知らんのかね?」

 藤田は下手な貴族かぶれの真似事をしながら、煙草で桐島を指した。軽い苛立ちを覚えながらも、桐島は確かにそうだ、と思った。苗字や役職は知っているが、名前は知らない。

「歓迎会どころか、ろくな自己紹介だってしてないじゃないですか」

「まぁーな。歓迎会なんてものは存在しねぇし、この会社」

 俺もやってもらってねぇよ、と藤田は煙を吐き出しながら笑った。

「麻紀ちゃん、ってのは課長だよ。佐武麻紀ちゃん。名前と顔は可愛いが、実物はご存知とおりの鬼課長よ」

 鬼、という点については否定の余地はないと桐島も思った。

 言われれば確かに、佐武は一般的に可愛いという部類なのかもしれない。しかし、人の顔を見て話す事が苦手な桐島は、まともに佐武の顔を見た事がなかった。あの威圧的な口調を前にすると、顔を直視するどころか俯いてしまう。

「ちなみに俺は藤田広明な」

「聞いてないですよ 」

「いい名前だろ? 同じ名前に改名したっていいんだぜ、桐島隆二君?」

 桐島の言うことなど聞かず、藤田は陶酔したように言った。仮に息子を設ける事が出来たとしてもその名前は使うまいと桐島は心に誓う。

「後、出来てない書類はー?」

「運転日報だけです。藤田主任が書いてくださいよ」

「何でだよ。運転してたのお前だろ」

「俺の責任じゃないですから」

 桐島が運転日報を書かないのは、例の事故があったからだ。桐島の口が招いたものとはいえ、物理的に問題がある行動を取ったのは藤田だった。

「オメーが上司様の逆鱗に触れなけりゃなかった事故だろ」

「だからって視界を塞ぐ事はないでしょう」

 藤田のくわえた煙草から、灰が溢れ落ちた。無茶苦茶に足が生えて歩いているような男だが、一端の罪悪感は持ち合わせているようだった。

「そ、そりゃそうかも知れないが。だけどハンドル握ってたのはお前……」

 藤田の言葉からみるみる内に力が抜けていくのが、桐島には分かった。状況を見れば藤田に非があるのは明らかだ。

「目隠しして、初めて通る道路で事故らずに済む方法があるとでも? 藤田主任なら出来るんですか?」

「……書くよ。書けばいいんだろ、運転日報」

 起動したばかりのパソコンに、藤田はすっかり意気消沈した様子でパスワードを入力し始めた。

 藤田はその後、暫くキーボードを叩いていた。画面に表示された罫線の上に、次々文字が打ち込まれていく。入力に際して手元を見ていないあたり、パソコンには慣れているらしかった。

 桐島は特に片付けるべき仕事もなくなったので、コーヒーを買いに席を立った。勿論、本格的なカフェのお持ち帰りといった高級品ではなく、自販機の缶コーヒーだ。狭いながらも三階建自社ビルを持つWSKサービス社の一階ロビーには、この国の人間ならば誰もが知っている有名メーカーの自動販売機が設置されている。

 階段を降り、自動販売機に硬貨を入れる。社員への配慮として通常よりも安価な価格設定、といった配慮は一切ない。外へ買いに出るのが面倒だから使われるだけだ。

「その癖、お偉方は経費で高級珈琲だもんな」

 呟きながら、自動販売機から缶コーヒーを取り出した。藤田から聞いた話によると、この会社の役員はグラムあたり何千円もする珈琲を好むそうだ。

 WSKサービス株式会社には、社長の佐藤、専務の勝又の他、もう一人役員がいる。佐藤がSで勝又がKと来ているから、残りの一人はワタナベとかワダとかそんな苗字なんだろう、と藤田が言っていたことを思い出す。そうかもしれない、と桐島も思っていた。トラックに書かれた社名に、Wだけが手書きのペンキで書かれていたのは、Wの役員が最後に加わったからだろう。

 元々、この会社はSKサービスという清掃業を営む企業だった。害獣の出没と、それに対する政策に活路を見い出し、害獣の“清掃”へと手を伸ばしたという経緯がある。最後のWが加わったのも、この時期らしい。新規事業の開始を契機に、出資を募った結果らしかった。

 そんな事をぼんやり思い出しながら、缶コーヒーの蓋を開けた。周囲に独特の金切り音が小気味よく響く。

「まだ帰っていなかったのか」

 階段から降りてきた佐武に、そう声を掛けられた。佐武は、タイトスカートのスーツ姿に身を包んでいる。靴に至ってはハイヒールときている。

「課長は、今から出発ですか」

「そんなところだ」

 運任せだがな、と佐武は付け加えた。桐島は、未だに佐武や藤田がこんな正装で害獣と相対しているのか、全く理解出来なかった。転んだり返り血を浴びたり、服が汚れる理由を挙げればきりがない。事実、そういった考えから、桐島は作業着を身に付けていた。

「ああ、そうだ桐島」

 改まった上司の口調に、桐島は少なからず緊張を覚えた。トラックで起こした事故を、桐島が席を外した隙に、藤田が桐島に責任を押し付けでもしたのだろうか。

「な、な、何でしょうか」

「弾丸を使いすぎだ、早く打撃戦に慣れろ。いつまでもこの調子で弾を使われたら敵わん」

 思わず「無理です」と即答しそうになるのを、桐島は何とか自制した。

 藤田は鉄槌だけで、佐武は鉄製のナックルだけで害獣を制圧する。それは良く知っていた。しかし、そんな真似が誰にでも易々と出来る訳がない。

「努力します」

 桐島には、そう答えるのがやっとだった。佐武は小さく頷き、期待しているぞとだけ言い残すと、ビルの外に消えた。

 藤田と桐島が夜番、佐武が一人で昼番を担当するのが業務分担だった。桐島が一人立ちすれば、それが三交代制になるのかもしれない。もっとも、それはずっと先の話だろうと、当の桐島は思っていた。

 コーヒーを一口啜り、桐島は自身が所属する「清掃部害獣駆除課」のある二階へと足を向けた。

 所々剥げたリノリウムの床を見る度に、ああこの会社は修理費すらケチっているのだなと思う。その癖、役員達が使う部屋には高名な国外産カーペットが敷かれている。調度品も、安物は一切ないらしい。

 駆け出しとはいえ、命を掛けた仕事をしている自負が、桐島にはあった。しかし、そんな自分達が優遇とは言い難い扱いをされ、安全な場所でヘラヘラと座っているだけの人間が厚遇されている。桐島は反発を覚えると同時に、人の事は言えないな、とも思う。

「不登校で引き籠り、ついでに脛かじりか」

 桐島は、つい数ヵ月前の自分の状態を指折り数えていた。後二つも指が折れれば駄目人間の満貫だな、とインターネットゲームで覚えた麻雀を思い出していた。

 高校に入学と同時に、桐島は部屋に引き籠っていた。苛めなどの人間関係が問題ではない。単純に、外へ出る事の意味が見い出せなかった。

 部屋のパソコン一台で、娯楽のほぼ全てが事足りた。食事は親が黙っていても用意してくれる。勉強にしても、それが何の役に立つのかまるで想像もつかず、費やす時間の無駄としか思えなかった。

 もっとも、そんな桐島の蜜月も長くは続かなかった。十八の冬に、害獣により両親を、その際の火の不始末から部屋どころか家を失った。桐島は社会という荒波に、裸一貫で挑まねばならなくなった。三年も外界との接触がなければ、頼れる相手などいるはずもない。唯一会話を交わした佐武と藤田を頼って、WSKサービスへと就職を果たした。

「ラッキーっちゃラッキーだよな」

 階段を登りながら、ぼんやりと呟いていた。

 パソコンが与えてくれた情報では、世間は就職難だの就職氷河期だので大騒ぎをしていたはずだった。景気を回復させて雇用を増大すると、どの政治家が口を開いても同じフレーズを吐き出していたのが印象に残っている。

 そんな情勢に、桐島は正社員として採用された。一社受けて一社合格なのだから、合格率は百パーセントだ。人間、やればできるなと桐島は思っていた。

 桐島が事務室に戻ると、藤田が帰り支度をしていた。パソコンの電源は既に落としているようだった。

「おー、いたいた。帰ろうぜ。もう八時じゃんか」

 壁の時計を見ながら、藤田は大きく伸びをした。

「あれ、運転日報は」

「出したよ」

 藤田はそれが当たり前だろう、と言わんばかりの返事をした。先程、桐島が佐武と会った際には、その事について触れることはなかった。金額的損失は、トラック破損の方が大きそうなものだが。

「佐武課長、何も言ってませんでしたよ」

「だろうなぁ」

 藤田は椅子から立ち上がり、佐武のデスクを指差した。綺麗に整理整頓された机の上に、小汚ない資料箋に留められた書類が投げ捨てられている。

「課長の机に出したの、たった今だしな」

 勝ち誇った顔の藤田を、桐島は呆れた表情で見た。何の解決にもなっていない。これでは、問題の先送りだ。

「明日、どうなっても知りませんよ」

「別にいーさ。明日どころか一時間後だって生きてるか分からねー世の中だぞ」

 そんなことよりも、と藤田は桐島を食事に誘った。世間は朝でも、夜勤の二人にして見ればディナータイムの時間帯だ。彼等は丸々十二時間、一般人とズレた生活を送っている。

「いえ、今日は帰ります」

 既に、桐島は帰宅してからの行動に想いを募らせていた。買ったばかりの新作アクションゲームをやりこむ予定だ。有給休暇は佐武に却下されてしまったため、その分を取り戻さねばと意気込んでいた。

「奢るぞ? いつもの牛丼だけどよ。卵もつける」

「行きましょう」

 “奢り”という甘美な響きに、桐島は反射的に返事をしていた。安月給に加えゲームを購入したばかりで、財布の中身は限りなくゼロに近い。更に言えば、藤田のお気に入りである牛丼チェーン店は、桐島も贔屓にしている店だ。上司と味の嗜好が一致するに越した事はない、と桐島は思う。

「さっすが桐島ちゃん、そーこなくっちゃな」

 藤田は颯爽とタイムカードを打刻し、桐島もそれに続いた。間違いなく本日一番の足の軽やかさを、二人は感じていた。

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