害獣駆除業者の収入
闇の支配する時間は去り、陽はその姿を完全に現していた。雲の一つもない、快晴という言葉が相応しい天気だった。太陽の光はビル群に降り注ぎ、溢れたものがアスファルトを黒々と照している。
「そこの信号を右な」
藤田の指示に従い、桐島は交差点を右折した。
陽が昇ったとはいえ、時計の針は五時三十分を回ったばかりだ。都心といえど交通量はそう多くない。運転技術が拙い桐島にとっては、有難いことこの上ない時間帯だった。
「ほれ、見えてきたぞ」
藤田が指差す先を見て、桐島は言葉を失った。身体から力が抜け、思わずエンストしそうになる。
視界に映ったそれは、看板だった。遠くから見ても分かるように巨大な造りなのはいい。だが、派手派手しい電飾で彩られ、書いてある文字がファンシーなひらがななのはいただけない。まるで、男女が情事を交わすホテルのそれだな、と桐島は思った。しかも書かれた文字が“がいじゅうしゅうせきじょ☆あだちしぶ”ときている。
「おー、おー。新米がハイセンスな足立支部に感動してやがるな」
こうなる事は予測済みだったのか、藤田は悪びれることなく笑っている。
「……ここ、本当に集積所ですよね?」
「あんなにバカでかく書いてあるだろ、集積所だって」
「いや、あれじゃあまるでラブホ……」
「ほう、詳しいな? 結構遊んでるのか、未成年」
思わず上司を睨み付けそうになるが、同時に先程の拳骨が脳裏に浮かんだ。我ながら情けないと、桐島はため息が洩れる思いがした。
「外っ面でその調子じゃあ、先が思いやられるな」
「……これより濃いんですか、中身は」
「序ノ口だよ。こんな看板程度はな」
バンドルを握る桐島の視野に足立集積所の門が見えてくる。高いコンクリートの壁は、刑務所を連想させた。重厚な門扉も、そのイメージに拍車をかける。桐島は、こういう所の世話にはなりたくないなと思った。
門の上に掲げられた「☆ウェルカム☆」の電飾看板が、その最たる元凶だったが。
場違いと断言して良さそうな看板の下を、桐島の操るトラックが潜り抜けた。運送業のトラックターミナルよろしく、地面より一段高い位置に足場が設けられた建物が目前に見えた。早朝だが桐島達の他にも同業者がいるのだろう、疎らにではあるがその姿は見て取れた。
「お、手前が空いてるな。あそこにつけろ」
藤田が指差す先には、十五という番号の電光看板があった。その上には青いライトが灯り、その区画が利用可能である事を示しているらしかった。
「ん、顔色が良くないなぁ、桐島君?」
わざとらしい演技をしながら、藤田が桐島の顔を覗きこんだ。桐島のその表情は、限界に近いと言っても過言ではないくらいにひきつっている。
桐島の眼が捉えたものは、ランニング一枚で闊歩する筋骨隆々の男達だ。着衣の色は禍々しいショッキングピンク、更には角刈りの頭には同色の巨大なリボンが絡み付いている。
運転席で固まりついた部下を尻目に、藤田はウィンドウを下げ、男の一人に声をかけていた。桐島を凍り付かせた男は、この足立害獣集積所の係官であるらしかった。
「ども、はよーございます。買い取り頼みますよ、免許番号“に99-う0108”のWSKサービスね」
「はい、お疲れ様です。“害獣”を回収・計量させていただきます。お待ちください」
外見からはまるで想像もつかない、爽やかで丁寧な言葉使いだった。
その事が、更に桐島の心を疲労させる。意味がまるで分からない。公共の施設に務める係官が、何故こんなミスマッチな装いなのだろうか。
「池袋の集積所はまともだったもんなぁ」
懐中から煙草を取り出しながら、藤田が他人事のようにぼやいた。言葉を失っていた桐島だったが、ようやくその口が動いた。
「……まともっていうか、あれが普通でしょうよ」
桐島の脳裏に、数日前に訪れた池袋集積所の記憶が蘇る。当たり障りのない作業着を着た男性係官が、黙々と計量をこなして“害獣始末証明書”という書類を発行してくれた。書類は後日国家が換金してくれる有価証券の一種とも言えるもので、桐島や藤田はそうやって売上を計上する企業の社員だった。
初めて害獣始末証明書を得た時、こうやって金を稼ぐものなのかと桐島は達成感を覚えたものだった。
しかし、この状況に於いては、達成感は微塵たりともない。虚無感や喪失感の方が多大な割合を占めている。
「そう言うなよ。慣れてくると楽しいぞ?」
「理解できないですよ」
不貞腐れる後輩にそうかい、と返事をしながら、藤田は紫煙を楽しんでいた。子供扱いされたような気がして、桐島は一層機嫌が悪くなっていくのを自覚する。
「WSKサービスさん、お待たせ致しました」
トラックの荷台から金属音が響くと同時に、藤田の側から係官が声を掛けてきた。藤田が害獣に打ち込んだ鉄の杭を、荷台に載せてくれているようだった。バックミラーに映ったその男達は、等しくショッキングピンクのシャツ姿だ。リボンも当たり前のように着用している。
「害獣始末証明書です。どうぞ」
「毎度」
藤田は煙草をくわえたまま、係官から証明書を受け取った。書類には引き渡した害獣の重量と、単位重量あたりの買い取り価格が記載されている。
「まーた買い取り単価下げたのかい?」
右手に煙草、左手に書類を持った状態で、藤田は係官に問い掛けた。係官は顔色一つ変えずに真顔で応じた。
「予算の都合で」
ふぅん、とだけ藤田は吐き捨てると、ウィンドウを閉めた。言葉だけ聞いていれば至ってまともなやりとりのはずが、窓越しに映るリボン男の姿が何もかもを台無しにしていた。服装に気を配らない性質の桐島でさえ、外見は大切だなと痛感する。
「1938kgかー。まぁまぁかなー」
桐島に車を出すよう指示をしながら、藤田は害獣始末証明書を眺めていた。読み上げた数字は、先程引き渡した肉塊の重量だろう。
「じゃあ、今月のノルマは余裕ですか」
「馬っ鹿、話聞いてたろ」
子供みたいに頬を膨らませながら、藤田は害獣始末証明書を桐島に突き付けた。藤田から聞いた数字の他、「単価」と「総額」の二項目が書かれている。
「キロ単価が50円も下げられてやがる。1938かける50だからいくらだ……えーと」
「96900円減額ですか」
「計算早っ。ソロバンでもやってたのか、お前」
驚きながら、藤田は携帯電話に伸ばす手を止めた。計算機能を選択して使う間もなく、部下が計算結果を叩き出してしまったからだ。
「一応は」
「へー。事務方の方が向いてそうだな、桐島。ま、人事異動なんてあり得ねぇけどさ」
そういう会社だろうな、と入社一月に満たない桐島でも納得した。社員なんてものは、経営者からすれば使い捨ての駒に過ぎない。
話を戻すが、と前置きして藤田は口を開いた。
「大雑把で十万ダウンだろ? いつもより働かなきゃなんねーって事だ。害獣なんて狙って遭遇できるモンじゃねぇってのによ」
桐島は、そうですね、としか答えられなかった。遭いたいと思って遭える存在ではない。だが、そういう存在は遭いたくない時には逢ってしまうものだ、とも思う。かつての自分が、まさにそれだ。
害獣とは、突如として現れた異形の事だ。生態はまるで不明。前触れもなく出現し、人間を手当たり次第に襲う獣だ。
かつて、桐島は自宅にいるところを二匹の害獣に襲われた。害獣共は家に乱入し、まずは両親が犠牲になった。遺骨はない。恐らく、害獣共が喰らい尽くしたのだろう。自らも襲われ命を失う寸前だったが、たまたま通りかかった害獣駆除業者に助けられた。
それが、隣に座っている藤田と、その上司だった。二人に救われてから、まだ二ヶ月と経っていない。
「今月は、あとどれくらい必要なんですか? ノルマ達成まで」
桐島は忌まわしい記憶を振り払うため、無理矢理話を繋いだ。敢えて害獣そのものについては触れずにいた。詳しく考える必要はない、ただ打倒するだけの存在だ。
「そーだなー、後……」
後輩の問いに、上司は言葉を紡げなかった。部下はその様を見て「ああ、この人は数字に弱いんだ」と認識する。
「まぁ、たくさんだ。たくさん」
藤田のこういう大雑把なところに、桐島は安堵を覚える。戦闘では文字通り人間離れした身体能力を発揮するこの男から、人間味を感じられるからかもしれない。
「単純に馬鹿なだけかも知れない」
「あぁ!? なーんか言ってくれたか? き・り・し・ま・く・ん・ん・!・?」
思わず漏れた部下の小声を、上司の耳はあざとく拾い上げた。桐島が不意に漏らした一言は藤田の逆鱗を多分に刺激し、その怒りは暴力という手段で具現化された。
桐島は視界に突如として現れた藤田の手を避けられず、こめかみに親指と小指をかける形で鷲掴みにされてしまった。程無く込められた藤田の握力は、桐島に頭が割れんばかりの激痛をもたらした。
「農耕歴六十年の爺さん直伝のアイアンクローだ、とくと味わいやがれ!」
藤田の握力ならば、頭蓋骨骨折もありえると恐怖を覚えた桐島だったが、それよりも現状を理解しなくてはならなった。
尋常ではない力によって締め上げられる自らの肉体は確かに大切だ。止めさせなければならない。
だが、それ以前に。
桐島は、ハンドルを握っている。
アイアンクローをかけられてしまえば、痛みは勿論のこと、何よりも視界が失われてしまう。
「ま゛え゛!ま゛え゛ええぇ!」
「あぁん!? 上司を虚仮にした挙げ句に『待て』だぁ!? 命令してんじゃねーぞコラァ!!」
左手に込める力を強めながら、藤田はなお猛った。後輩が「前」と言っているなどとは微塵も思ってはいない。
数秒後、ごくごく当たり前の結果として、WSKサービス所有のトラックはガードレールに衝突した。




