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狼の騎士  作者: 透水
第二章「王都の勇兵達」
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配属開示

 あの貴族が言うのだから間違いないのだろうが、ゼルは未だに、対面する人間が試験官であると信じられないでいた。わずかでも気を抜いたら、眉をひそめたくなるのを我慢し、今一度その風貌を見回す。

 模擬とはいってもこれから闘うというのに、体はすっぽりと外套で包まれ、つばの広い帽子のおかげで、容姿はほとんど窺えない。唯一見えた顔の下半分も、布で包まれている。

 それらは、ゼル達新兵がまとう色となんら変わりはなかったが、得体の知れない者と向かい合っている気分になった。ゼルでなくとも、平凡に暮らす民から見たら、こんな帽子は見栄を張っているようにしか思えない。しかし、わずかに揺らいだ外套の裾に目をやれば、剣の先が覗いていた。

「二人とも、構え」

 いよいよだ。ぶれることなく掲げられた剣を追って、ゼルも右腕を上げた。直立不動の姿勢だった相手は、その動きと共に片足を一歩下げた。ゼルはやや遅れてそれに倣ったが、足も剣先も震えているのがわかった。さっき動いたのは幻だったのかと思ってしまうほど、対峙する彼は微動だにしない。

「始め」

 剣術試験の開始を知らせるにしては、ずいぶんとあっさりしたかけ声だった。だが、そこに気を取られてしまうわけにはいかない。目の前に強敵がいる。そのことが、ゼルの心の大半を占めていた。意識を自分の右手に、そして正面へと正す。

 すでに踏み込んできていると思っていた相手は、意外にも腕を傾けてすらいなかった。こちらの出方を待っているのか。目を凝らしても、彼の顔は完全に幅広のつばに隠されている。

 このまま様子を見ていても仕方がない。対する敵が動かなければ剣を振るえない、などと評されたくなかったし、何よりゼル自身、そうする性格ではなかった。

 相変わらず像のような試験官に、ゼルは先手を打った。すると彼はゼルの攻撃に応え、剣を交えて半歩引いた。村で稽古をした時とほぼ同じ感触。易々と流されてしまったものの、やっと反応を示したことに、ゼルは小さな手応えを感じていた。

 間を置いては相手に余裕を与える。そうわかっていても、ゼルは己のために一息置いた。少しでも油断すれば、自分の手から剣をからめとるなど造作もない相手のはずだ。そうなったら、試験は終了してしまう。

 試験官はというと、また同じように固まってしまっていた。今は斬り込み方でも見られているのか。それならば、とゼルは続けて剣を突き出した。先端は当然のように彼に届くことはなく、さらに彼は一歩も退かずに、ゼルの連撃をさばき切っていた。

 こちらの動きは完全に読まれているようだ。予想していたことだったが、今までの努力をあざ笑われているようで、ゼルはふつふつと怒りが沸いてくるのを感じた。どうにもやり切れない。しかし高ぶった感情のままに行動して、事がうまくいったためしなどないことは、ゼル自身がよく知っていた。それでもやはり、一歩だけでもこの相手を退かせてやりたい。ゼルは剣の感触を確かめるように柄を握り直し、試験官を睨んだ。

 意図せず漏れた裂帛の息と共に、ゼルは剣を振るった。下手に攻撃を重ねず、相手の隙を見つけ、狙うように。

 じり、と相手の靴が床を這う。少しずつ押せている。試験官はなんとかその場で耐えているようだが、ゼルとの距離はかなり狭まっていた。その気になれば、顔を覗き込めそうである。ゼルがもう一押し、と得物を振った時だった。

 痺れまで伴った衝撃が、ゼルの右手を襲った。剣を奪う動きではなかったため取り落としはしなかったものの、軽くつかんでいただけなら、剣は壁に打ち付けられていただろう。

 突然の反撃はゼルの身体だけでなく、思惑にも歯止めを与えた。そうだ、自分などが押し切れる相手のわけがない。彼は少し手を休ませていただけなんだ。どうやら今度は、おれが彼の剣をさばく側らしい。でも――

 腕の痺れが薄れてくると、それを待っていたかのように相手の猛攻が始まった。今までの動きが緩慢に見えてしまう。一歩どころか、ともすれば壁まで追い詰められそうな勢いである。

 しかし、ゼルはそうならなかった。いや、そうすることを無理やり禁じたのだ。剣を恐れて退()けば、その分隙を作ることになる。そこを突かれ、また退く。隙ができる。叔父に幾度となく教え込まれたことだ。自ら攻撃をしやすい点をつくるなど、ゼルにとっては最も許せないことだった。

 そうは言っても、まだまだ未熟な青年が、腕の立つ剣士に敵うはずもない。下がるまいと床を踏んだ足は、徐々に壁へと吸い寄せられようとしている。ここは下がらなければ苦しいか。驚くほど滑らかな動きで、ゼルの手から剣が絡め取られたのは、ちょうどそんなことが頭をよぎった瞬間であった。

 剣が薙がれ、空気が悲鳴を上げたが、それは模擬剣の落下音にかき消されていた。ゼルは剣を落とされた時の格好のまま、喉元に突き付けられた剣先によって、完全に動きを縫い止められていた。

「そこまで」

 静寂を割ったのは、あの貴族の声だ。剣が下ろされると、緊張の糸が切れたのか、どっと疲労感が押し寄せてきた。思わず膝が折れ、目を伏せてしまう。試験の空気に耐えられなかった、と見られそうだったので、ゼルはすかさず傍らに落ちた剣を拾い、立ち上がった。呼吸を整えながら、彼らからしたら、こんなものごまかしにもならないだろうな、と苦笑した。無論、顔には出さなかったが。

「試験は終わりだ。ここを出たら右に行って、五つ目の部屋で待っていたまえ。前の者が入っていったと思うが、わかるね?」

「はい」

 返した剣が、立てかけてあった場所に戻されるのを眺めてから、ゼルは男を見上げて答えた。彼がうなずくのを見て、ゼルは自分の剣を取り、外套をかぶると、「失礼致します」と一礼して、無駄な音を立てぬように部屋を後にした。



「やあ、ゼル!」

 デュレイが部屋に入ってきたのは、新兵達の山からエリオを見つけ出し、話が弾み出した頃だった。試験を終えて一安心したのか、今度の室内は待合室よりも大きな声で満たされている。

「どうだった、そっちは」

 エリオにも会釈を返して、デュレイは少し遠慮がちに聞いてきた。

「最初はいけるかなって思ったんだけど、やっぱり無理だったね。相手に失礼がないようにだけは心がけたけど、どうなるのかな」

「きみが精一杯頑張ったなら、経験豊富な人達だ。きっとわかってくれてるよ」

 デュレイが入ってきてから、数人新たな入室者があった後、なんの前兆もなしに談笑の波がすっと引いた。ゼルは扉を見たが、案内の貴族が現れた様子もない。ゼルの疑問を解いたのは、その静まり返った場所に広がった、あることを知らせる声だった。

「諸君、試験の結果が出揃った。この隣の部屋へ移動し、自分の所属を確認したのち、速やかに退出するように」

 同時に、青年達の靴が床を鳴らし始めた。別の部屋に通じる扉があり、皆そちらへ移動しているのだ。ゼルは人垣のせいで、気付くことができなかった。

 別室へと吸い込まれる行列に混じり、三人がその部屋に入った頃には、最初のほうに入室したらしい者達が、廊下との出入り口から出て行くところだった。

 隣室には、頭文字の順に名前がずらりと書き連ねられたものが掲げられており、その名前の先頭には、様々な色の判が押されている。そのほとんどには、判の下部に名前が追記されていた。

「おれの名前は……ああ、あった。ローデル卿だ」

 その身長のおかげか、真っ先に自分の所属を見つけたのはデュレイだった。ゼルも必死に名を探すが、爪先立ちしても、眼前で絶えずたくさんの頭が動くので、すぐに見つけられない。

「大丈夫かい? ゼル。ぼくも探すよ」

「ごめん、わざわざ。……あっ、見つけたよ、デュレイ」

「本当かい。で、何色だった?」

 判の下にある名は、どうやら貴族のものらしかった。色だけで判別できないのは、それが位ごとに貴族に与えられる宝石の色だからだ。一つの色、つまり一つの階位に一人しか貴族がいない、というのはまずありえない。

 ゼルは、自分の名前とその先頭に押された判の色しか確認できず、名前まで読み解くことはできなかった。しかし、デュレイに色だけでも伝えれば、どの位の貴族かわかるだろう。もちろん、階位の高低で一喜一憂することはしないが。

「色は緑だったよ」

「わかった、緑だな。……えっ、何だって!?」

 友の所属を見つけて教えてやるいという、小さな使命のようなものを感じていたのか、デュレイの目は食い入るように一覧をなめていた。その彼が突然叫んでゼルを振り返ったのだ。

「な、何って何が?」

 当然ゼルも驚いた。エリオも、何事かと名前の一覧から視線を外している。

「ゼル、本当に緑だったのか?」

「う、うん。ほら、あそこだよ」

 あるはずのない色と見間違いでもしたのだろうか。それにしてもデュレイの驚き具合、というよりも焦り具合は普通ではなかった。自分も不安になって、名前があった辺りを指差しながら、もう一度目を凝らす。

 前後に並んだ別の名前と、取り違えてしまったか。人の波に埋もれていても、今度はすぐ名前を見つけられた。頭文字の前には、やはり緑の判があった。

「本当だ……。確かに緑だな」

「どうしたんだ? そんな嫌そうな顔して。その緑色の貴族は、何か問題のある方なのか?」

 驚愕を通り越し、青ざめてさえいるような友人を見上げる。王宮のことなら一通り知っている彼が、こんな様子を見せるのだ。ゼルが不安にならないわけがなかった。

 しかしゼルの問いかけに、デュレイはそんな負の空気を拭い去るように、

「まさか! 緑と言ったら、貴族の中でも最高位の方にしか与えられないジルデリオンの色だよ」

「じゃ、つまり大貴族?」

「大貴族中の大貴族さ。今じゃたった一人の、あの色を許された方だ」

「じゃあなんでその……怖がってるんだ?」

 自分が“緑の大貴族”のところに行かされるわけではないのに、デュレイはさも己のことのように反応しているように見えた。そしてにじみ出てくる感情は、純粋な驚きから小さな嫌悪になり、今では恐怖とも取れるものになっていた。

「最初に言っておくけど、決して悪い方じゃないよ」

 やや言葉に詰まりながら、デュレイは口を開いた。

「と言っても、もちろんぼくは会ったことなんかないけどね。ただ、すごく厳しいって聞いてるんだ」

 デュレイは首を紙に向ける。ゼルもそれに続いた。

「ほら、緑の判が押されてる人を数えてみなよ。あの方のところに配属される人は、いつも少ないんだ」

 色だけなら、ゼルもざっと見ることができた。そう言われれば、黄色や白、紫がある中で緑色はよく映えていたが、その数は少ない。デュレイが話を再開させていなかったら、全部で何人いたか把握できるほどだった。

「噂じゃ人間不信だからだ、なんて言われてるけど、実際のところは本当かどうかわからないよ」

「なんだ、悪い噂もあるんじゃないか」

「大貴族にとっちゃ、その程度ならあってないようなものさ。何せ相応の力がなきゃ、その位まで上がることなんかできないんだし」

 確かにそうだな、と納得したゼルの肩を、エリオの声が叩いた。

「ゼル、きみはどこになったんだい?」

「えっと、緑の……。ところでその方はなんて言うんだい、デュレイ?」

 デュレイが言おうとした言葉は、エリオに引き取られた。

「フェルティアード卿か! ぼくもそうなんだよ。長い付き合いになりそうだね、ゼル」

 差し出された手を握り返しながら、ゼルはその名を反芻した。フェルティアード。最高位の者にしか許されない、ジルデリオンを称する大貴族。

 王都の民からしたら、名も知られぬような村から来た自分が、そんな貴族の下へ置かれるというのはなんだか畏れ多いような気がした。だからと言って、辞退したいとも思わないし、まず許可が下るわけがないだろう。

(しかし、ちょっとまずいこと聞いちゃったかな……)

 相手がどんな人間なのかは自分で判断したい、と心に決めていたせいもあって、デュレイから聞いた大貴族の人となりは、ゼルの思考の芯を揺らがせていた。

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