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狼の騎士  作者: 透水
第四章「激情の闘士」
12/21

敗者の刻印

 鋭い光はそのままに、フェルティアードの目が見開かれた。そこに映る青年は、青年自身にしか感じられない小さな震えに包まれている。

 デュレイは後悔していた。憤りに呑まれ口走ったその内容は、失礼どころか呆れられても当然のものだ。

 煮えたぎる激情が急速に冷めていく。最後に残ったのは、戦慄という名の巨大な岩石だ。恐れが生じなかったわけではない。それは単に、怒りの裏返しだった。熱を逃がすまいと両手を握っていたはずが、いつの間にか震える体に耐えるための行為になっていた。

 だが、熱いものは完全に消え去ったわけではなかった。じりじりとくすぶりながらわだかまっている。それが残っていなければ、デュレイは浮かんでいた言葉の羅列を、フェルティアードに言い渡すことはできなかっただろう。

「あなたは、ゼレセアンを甚だしく侮辱された。彼の友として、(わたくし)はあなたの言葉を黙って聞き流すわけにはまいりません」

 そこまで言ったところで、デュレイは口をつぐんだ。再び向きを変えたフェルティアードの腰元から、かちゃりと音がしたのだ。紛れもなく、その正体は剣。彼自身は腕もかすっていないのに、デュレイにはそれだけで、彼がすぐにでも剣を抜いてくるように思えた。

 フェルティアード卿のこの動きが、自分の意思に同意したからではないことぐらい、察しがついた。そして彼が発するであろう言葉も、容易に想像できていた。

「決闘には立会人を置くのが義務だ。それは知っているだろうな」

 第三者がいなければ、勝手に決闘を行ってはならない。それを破れば、たとえ貴族であっても罰を免れることはできないのだ。

「時と場所を改めろ。立会人はおまえが連れて来ればいい。それに――」

 抜き身の剣が鞘を滑った。その高音は静寂もろとも、やや声量の落ちていたフェルティアードの声までも裂いている。

 おれは何をしている? 大した考えもまとまらぬまま、デュレイは衝動的に得物を抜き放っていた。フェルティアードが、決闘を受けてくれる姿勢をとっているというのに。

 今は気持ちがたかぶっているんだ。フェルティアード卿の言うように日を改めれば、それまでに心を落ち着かせられる。ゼルのために剣を交えるのは、それからでいいんだ。

 デュレイはしかし、そうなることを恐れていた。平常心を取り戻したら、この大貴族と面と向かうことに臆するのではないか。こんな事態を引き起こした原動力が静まった状態で、剥き出しになるであろう恐怖に押しつぶされずに、闘うことができるのか。

「何の真似だ」

 たっぷりと時間を置いて聞こえたのは、感情の欠片も窺えない低音だ。

 柄を握り締める。これが規則に反することもわかっている。だが、後戻りは許さないと言わんばかりの強大な焦燥感に、デュレイは襲われていた。

 剣を納めたくない。そうしたら、一時の感情に流されて暴走するような男と見なされてしまう。

「今この場で、真剣でやるつもりか?」

 何を今さら、当然のことを。出かかった嘲りともとれる言葉を、デュレイは歯を食いしばってこらえた。試験の時のように模擬の剣でも使えというのか。そんな決闘は聞いたことがない。

「あなたの侮辱行為は、木剣の馴れ合いごときでかたがつくような問題ではありません」

 これは本気の決闘なのだ。かと言って、大貴族を相手に勝利をもぎ取れるなど、最初から考えてはいなかった。

 ゼルはきっと、偽物の剣のような軽い意志で自分を助けたんじゃないはずだ。だからおれも、真剣を使わないで闘うなんて逃げるような真似なんかしたくない。

 男の眉間に、また皺が刻まれる。

「もう一度聞こう。規則に反してまで、わたしとの決闘を望むのか。今考え直すのなら聞き入れるぞ」

 自分から闘いを申し出ることになるとは思わなかったデュレイは、違反行為をした場合どんな処遇があるのかなど、当然詳しく記憶していなかった。さすがに死罪なんてことはないだろうが、ベレンズ兵の身分は剥奪されるだろう。そうなったら、どんな顔をしてリクレアに戻ればいいのやら。とぼとぼと町に帰り着く自分を想像して、フェルティアードに見咎められないよう、デュレイは喉だけで笑った。

「私の決意は変わりません。受けていただけますか」

 微動だにしなかったフェルティアードの顔に、一筋の線が走った。

「いいだろう」

 彼は笑っていた。歯が覗かないのが不思議なくらいに、引き伸ばされた口角は上がっている。だがデュレイにとっては、今しがた自分で選んだ道は果たして正しかったのだろうか、と逡巡させるような冷笑であった。

 来い、と有無を言わせぬ声で告げ、フェルティアードは数歩戻ってデュレイの前を通り過ぎ、王宮と第二書庫の隙間に入っていった。その先は道の幅はあるものの、整えられた植え込みが辺りを飾っている。王宮の隅に近いこの場所は、廊下に並ぶ窓からも見えにくい。

 大貴族の後について行っていたデュレイは、前を歩く彼が突然振り返ったので、危うく握ったままだった剣を落としそうになった。当の相手は何も言わず、鞘から剣を抜く。

 柄の上部と刀身の根元には、細い金属が螺旋や渦を連想させる複雑さで絡み合っており、それが貴族にしか持ち得ないものであることを証明していた。刀身に巻きつく飾りの中でも一回り太いそれに埋め込まれた石は赤く、地平線に消える太陽を閉じ込め、血潮を混ぜ込み固められながらも、光を忘れぬ塊のようだった。

 構えの姿勢をとるフェルティアードに倣い、緩慢な動きで剣を相手に向ける。その先にあるのは、深みを湛えながらも決して暗に染まることはない緑石だ。

「どうした。この期に及んで怖気づいたか」

 闘いを申し出た側が踏み込んでこないのを揶揄するように、フェルティアードはまた薄い微笑を貼り付けた。

「いいえ、まさか」

 言うやいなや、デュレイは得物を打ち付けた。剣の重なるそれとは全く別の音が耳に入ってきたのは、ほぼ同時だった。

「フェルティアード卿! 一体何をなさっておいでなのですか!」

 二人が歩いたものと同じ通路を駆けてきたのは、すらりとした体躯の女だった。視界の端に映った彼女の髪は意外にも短く、デュレイはよそ見をしそうになったが、その一瞬は剣を払ってきたフェルティアードの動きに向けられる。力の強さには自信のある腕に痺れが走った。

「立会人不在での決闘が禁止されているのは、(けい)もご存知でしょう」

「いいところへ来たな、ティエナ」

 会話をするためか、デュレイから目を離さないままフェルティアードは手を止めた。その隙に、ティエナと呼ばれた女性をちらりと確認する。草木の生い茂った川辺を思わせる色合いのドレスは、美しいと思ったが飾り気はなかった。瞳は大貴族を前にしているというのに動じず、腰が引けている様子はない。それどころか、この試合を今にも止めようとせんばかりに、置いていた()を詰めようとさえしていた。

 このひとは何者だろう。フェルティアード卿も見知った人物らしいけれど。自分より幾分か年上に見える彼女は、フェルティアードの台詞に眉をしかめ、割り入れようとしていた腕を泳がせた。

「おまえがこの決闘の立会人になれ。おまえがここに来た時に始まったのだからな」

 フェルティアードの両目がティエナを捉える。ティエナは困惑したように、

「な、何をおっしゃるのです。(わたくし)が声をかけた時には、お二人とももう剣を……」

 最後まで聞かず、闘いを再開させたのはフェルティアードだった。構えを解いていなかったデュレイは攻撃を受け止め、だが少し後ずさる。

 ティエナはそれ以上言うのは諦めたらしい。邪魔にならないようにと気を遣ったのか、数歩後ろに下がった。大貴族と青年を見守りつつ、時折裏口や窓のほうを見ているのは、人目を気にしてのことだろう。

 デュレイといえば、このままではかすり傷の一つもつけられないだろう、と観念し始めてもいた。途中で気を抜いて、やすやすと剣を奪われるつもりもないが、こちらの突きはかわされ、あるいは止められてばかりだ。

 長期戦になれば、不利になるのは確実におれだ。戦争をくぐり抜けたであろう彼と自分とでは、剣の腕はもちろん戦いの慣れも桁違いだろう。次第に息が上がってきたデュレイに対し、フェルティアードは表情一つ変えていない。

 体力には自信はあったが、そこにこんなにも緊張感がのしかかったことはなかった。右腕が重くなっていく。突いた剣先に速さはなく、それは簡単に弾かれ胸の前が空になる。

(まずい)

 とっさに身をよじり、予想通り真っ直ぐ向かってきた追撃をかわす。反動で勢いをつけたはずの反撃は、気持ち悪いほどにゆったりとしていた。

「……っ!」

 大貴族の剣が、青年の喉を刺し貫いた。そう見えてしまったのだろう、ティエナの口から声になりきらない音が漏れた。その口元をふさごうとしていたらしい両手は、彼女の持つ気丈さに負けたか、胸の上で留まっている。

 実際には、フェルティアードの剣はデュレイの首に傷こそつけたが、薄皮一枚程度のものだった。しかし少しでも動けば、不用意に傷を深くしてしまう。フェルティアードの冷たいままの目を凝視していると、ぴりぴりとした痛みが少しずつ広がっていった。

「勝敗はついたぞ、フロヴァンス」

 フェルティアードは得物を首から離すと、その先端をデュレイの鼻先に突き付けた。デュレイは一旦目を伏せ、己の意見を口にする。

「いいえ。これでは、他人の目にはどちらが勝者か判断がつきません。真の決闘であれば、敗者には敗者たる証が必要でしょう」

 負けた者には、勝者により刀傷という烙印が刻まれる。すぐにその行動に移らなかったところを見ると、フェルティアードはやはり形だけの決闘と位置づけていたらしい。

「そこまでこだわるつもりか、おまえは」

「はい」

 フェルティアードにぶつけぬよう、デュレイは右腕を下げると剣を逆手に持ち替え、鞘に納めた。両腕をだらりと下げ、戦意のないことを示す。

「潔い男だな。よかろう、おまえの望み通りにしてやる」

「お待ちください、フェルティアード卿!」

 ティエナが割り込んできたのは、フェルティアードが剣を引いた瞬間だった。

「この決闘、私は内密とする所存でございます。しかしそれ以上手をお出しになるならば、陛下にこのことをご報告して頂かなければなりません」

 毅然とした口調に、懇願するような音色がにじむ。

「敵兵と戦うことはないといえど、あなた様は戦地に行かれる身なのですよ。どうか、今一度お考え直しを」

 敗者に対し手傷を負わせなければ、決闘をなかったことにもできる。だが決闘沙汰を起こすのは、白黒はっきりさせなければ満足しない者が多い。よって彼女の進言は、ほとんど意味を成さなかった。

「ティエナ。おまえはこの男の申し出を踏みにじれというのか? 負けを恥じて背を向けず、自ら敗者たる証を求める勇気を」

 勇気か。デュレイは心の中で苦笑した。おれには“無謀”としか聞こえなかったな。

「で、ですが」

 なお続けようとするティエナを遮るように、フェルティアードは剣を左手に移し、空いた右手で彼女の肩をそっと押しやった。手が下ろされると、その後を追ってデュレイの前で刃が踊った。

「フェルティアード卿!」

 悲鳴にも似た声が聴覚を刺激する。それと一緒に、左腕を鋭い痛みが走った。思わずもう片方の手で押さえ込むが、疼くのは一ヶ所ではない。見れば、服は二の腕の中ほどから皮手袋のふちまで切り裂かれ、その合間からは鮮血を流す肌が見えた。

 血を見るのが怖いわけではなかった。今目の当たりにしている光景が、自分自身に起きているものだと思いたくない節があったのだ。だが、脈打つ鈍痛の大元は、確かにこの裂傷である。

「いけません、そんな汚れた手で触れては」

 奥歯を食いしばるのと共に、手にも力を込めていた。先の仕事で黒ずんでいた手袋に気付いたらしいティエナが、草に膝をつき右手をどけさせる。傷口に目立った汚れが付着していないのを確認すると、彼女は息をつき、体を支えるように、立ち上がりながらデュレイの右肩に手を添えた。

 ――女の人にしては、結構背の高い人なんだな。それに、大貴族相手にこんな話し方ができるなんて。

 ずいぶんとどうでもいいことを考えている、と思っていた。しかし、こうでもして気を紛らわさないと、すぐにあの痛みが強くなってくる。腕を曲げることも叶わないので、手袋を取って素手を押し当てもできなかった。

「……では、フェルティアード卿。私は彼を医務室まで送り届けます。そののちに、私とご同行願いたい。よろしいですね」

「ああ、構わん」

 機械的なフェルティアードの返答に、デュレイは傍らの女性が、決闘の経緯を何一つ知らないことに気付いた。

 立会人とは、負けた側の言い分を伝えるための存在だ。無理やりも同然だったが、立会人になってくれた彼女には、自分が決闘を願い出たことを言っておかなければ。

「あの、ティエナ……様」

 どう声をかけていいかわからず、デュレイはおそるおそる彼女の名前を口にした。初対面で、しかもどう解釈しても自分より上の身分の人に対し、姓でなく名を呼ぶのは抵抗があったのだ。

 ティエナはそんなデュレイに煩わしげな目を向けることもなく、むしろいたわるように碧眼を覗いた。

「どうしました」

「その、立会人を拒んだのは私なのです。フェルティアード卿は日時を改めるよう言ってくれたのですが」

 するとティエナは厳しい顔つきになり、

「決闘については、あとで詳しく話を聞きます。今は傷の手当てをすることを一番に考えなさい」

 まるで母親が子どもに言いつけてるみたいだ。命令というには一歩届かない言い草は、デュレイにそんな印象を与えた。

「失礼致します、フェルティアード卿。医務室にてお待ちしております」

 素早く頭を下げ、ティエナはデュレイの肩を抱いたまま、早足で王宮への戸口に向かった。その場に佇んでいたフェルティアードがどこへ行こうとしていたのかは、デュレイには見えなかった。

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