第三話 焦げと妹と夢の中
「ただいまー」
ガチャっと自宅の扉を開け、帰宅の挨拶。
小学生の頃から帰宅の挨拶をし続けると、クセになってしまったようで無意識の内にいつも言ってしまう。
あまり言う必要性が感じないだけにちょっと嫌な習慣かもしれない。
どうせ凛だって帰って来て――
「おかえりー」
「あぁ、ただいま。…………ん?」
何故か俺の「ただいま」という一声に対して返答が来る。
俺は数秒間硬直し、動き出す。一体誰が今俺しかいないはずの家にいると言うのか――!?
「誰だ!?」
と、リビングに潜入してみれば……
「あ、兄さん、お帰りなさい」
「凛っ!? な、なんでお前がいるんだ……!? しかも、何で料理を作ってるんだ?」
リビング奥の台所で妹の凛がトントントンと包丁でにんじんを切っていた。
もう、何がなんだか分からない。自分が混乱していると分かってはいるが、それでもその混乱を沈めることは出来なかった。
「んん? あれ? 昨日電話しなかったっけ?」
「何だと? 電話……?」
俺の脳裏に昨日の電話の内容が思い出された。
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時間は夜8時くらいだったろうか。俺は恵理菜に借りた魔術書が思いのほか面白く、ずっと読み込んでしまっていた。
そんなに面白い本だったからだ。電話がプルルルと鳴っても俺は本を握り締め、本を読みながら電話へと応答したのだった。
『あ、もしもし? 兄さん?』
「おう、久しぶりだな」(←相手が妹だと気づいていない)
『うん……久しぶりだね。元気にしてた?』
「元気、元気。それよりも急に電話してきてどうしたんだ?」
ピラリと魔術書を捲り、次のページを見た瞬間に俺は叫びだしたい衝動に駆られた。
そのページに書かれていた内容は俺の想像を絶するもので、俺の形状、属性にとてつもなくマッチした魔術であった。
これはヤバイ!!
ゴクリと喉を鳴らし、文字を目で追う。
『それなんだけど兄さん……私をそっちの家で住まわして欲しいなーなんて……』
「えっと、何々……チャラフレル・ドゥ・レ・スレチルカ……? っち、コレを日本語訳せにゃならんのか」
『兄さん? 聞いてるの?』
「あぁ聞いてる聞いてる。別に俺は良いぞ」
俺としては「どうでも良いぞ」と言ったつもりだったのだが、本を読んでいたせいか「どうでも」の部分を良い忘れてしまったようだ。
そしてそのままの意味に受け取った凛は……。
『うん、ありがとう兄さん。えっと、荷物とかは明日の午後持っていくから、よろしくね』
「あぁ」
――ガチャリ――
「そうかっ!! 今の技術をもう少し変更すればこうなるのか……ん? そういえば今誰から電話かかってきたんだ……? まぁ、いいか」
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そして時間は現代へと戻る。
「しまっっっったあぁぁぁぁああああ!!! 何俺は軽々とOKしてるんだよ!?」
「ど、どうしたの? 兄さん? まるでアニメの録画し忘れたオタクみたいな反応して……?」
「お前はアニメの録画し忘れたオタクの反応を見た事あるのか!? って、そんな事はどうでも良い!! 貴様、本当に俺と一緒にこの家に住むつもりか!?」
「う、うん。何か問題でも……?」
そんな本当に何が問題なのか分かりません的に首を傾げられても困るぞ!!
「いいか。お前がこの家に泊まるための問題点が二つある。まず一つ目、お前は生徒会長であり、俺はその生徒会の敵である魔術同好会会長だ。そんなになれなれしい事なんてしてられん!! 部下達に示しがつかんではないのか!?」
「いいじゃない。どうせ私と兄さんは兄妹なんだよ? 家族なんだから親しくても問題は無いと思うけど……?」
「それだけじゃない!! もうひとつの問題と言うのだ、お前が女で俺が―――」
…………いや、俺は一体何を気にしていると言うのだろうか。
そもそも凛が女で俺が男なんて決まりきっている事。それを言うという事は俺が凛を女として見ている……?
もしも間違いがあったらどうするのかと思っていると言うことなのか……? 何を馬鹿な。
俺と凛は兄妹だ。間違いなんてあるはずが無いし、俺が女に興味を持つはずなんて無い。そう、俺は自他共に認めるホモなのだから!!
では、一つ目の問題点が破棄された以上、俺に彼女を住まわせる事を断る理由なんてひとつもなくなってしまうのではないだろうか?
元から断るなんて変な話しだったのかもしれない。生徒会は嫌いだが、俺は妹自身がそこまで嫌いなわけではないのだから。
「ふぅぅ。分かった、俺はあまりお前が住むことに関して口は出さないが、親父やお袋はどんな反応を示してるんだ?」
「……知らないよ……あんな人達……。元々兄さんを捨てていった人達なんだもん……もう、知らない……」
暗い表情でそう語る凛を見て、俺は疑問符が浮かんだ。
確かに両親は俺を捨てた。皆で住んでいた今の俺の家を俺だけを残して彼等は何処かへと引っ越してしまったのだ。まさか学園で凛と一緒になるとは思わなかったが。
だが、俺に比べて凛はかなりの家族想いだったはずだ。なのに家族を置いて俺の家に来るなんて変なんじゃないか……?
「なぁ、凛……何があった?」
直球勝負!!
「…………ちょっとね……」
だが、球はズレてボールに!? 明確な答えなんてもらえなかった!!
それどころか凛からは「聞くな」的オーラがビンビンに溢れ出ている。これは気安く聞けるような話題ではないようだ。
「ふぅ、お前がここに泊まることは了承した。元々この家は俺だけの物ではないし、皆で住んでいた大切な場所だ。俺はお前を拒まないさ」
「うん……ありがと、兄さ―――」
「ただ問題があるとすればだ」
「えっ? も、もしかしてやっぱり何か嫌……だったかな……?」
俺は原因が分かっているのにもかかわらず少々遠まわしな表現をする。
心配そうにオロオロする妹を見ていると少しだけ楽しかった。もしかしたら俺はサドかもしれない。
ニッコリとしながらこちらを見ていて料理に身の入っていない妹に言う。
「焦げ臭いぞ♪」
「へ? あ……あぁぁぁああああ!!! わっ! ど、どうしよう!? 焦げちゃってるよぅ!?」
「そりゃあ、あれだけ喋ってたんだ。そっちの方を見てなかったら焦げるに決まってる」
「何冷静に言ってるの!? あーあ……今日は兄さんの好きなハンバーグにしようと思ったのに……焦げちゃった……」
「なん……だと……!?」
ハンバーグは俺がもっとも好きな料理である。それを焦がしただとぅ!?
「まて、凛よ!! ハンバーグを焦がしたなんて……お前、本気か!?」
「お兄ちゃんがはやく教えてくれなかったからだよ!? あぅぅ……残り一個分くらいのハンバーグを半分にして食べれば問題ないかな……?」
「どれ、見せてみろ。どれくらい焦げたんだ?」
職業柄ゆっくりと近づくのは慣れているので音も立てずに近づく。
フライパンの中を見ると焦げの臭いは確かにその物体から発せられているようだ。黒っぽいのその物体から……。
「どれくらいって……ちょ、近いよ!?」
「ん? あぁ、すまん。こちらの方が近かったから、お前を見下げるようになってしまっていたな……すまん」
凛はあまり背の高い方ではないので、少し背が高めの俺からしてみれば頭一個ほど違う。そのため、凛を中心に覗き込むように俺はフライパンを見ていた。
そこで凛が俺の方を振り返ってビックリするのは当然だろう。いきなり目の前に大きな人間が立っていれば誰だって驚く。
俺は謝罪を述べながら少し横に移動する。すると、凛は俺にフライパンの前を譲った。
「あーコレぐらいなら焦げている部分を少し削れば食えるさ」
「そ、そうかな……?」
「大丈夫だ。俺はハンバーグが好きだからな、多少焦げていたって全然気にしないさ」
「う、うん……ごめんね、兄さん」
「気にするな」
ポンポンと軽く叩くように頭を撫でてやると、猫のように目を細める凛。この子はあの時から全然変わっていないようだ。
俺は少し安堵しながら料理の全体的な進行を見る。
「……ご飯はもうちょっとかかりそうか?」
「さっきまで荷物の整理してたから、もうちょっとかかるかも……おなかすいた?」
「あぁ、もうお前を食ってしまいたいくらいには腹が空いている」
「か、カニバリズム!? それはちょっと物語にも出来ないようなドロドロっとした感じになっちゃいそうだよ!?」
「安心しろ。ネットの噂では人肉は意外と美味いらしい」
「それの何所に安心できる要素があるの!?」
「俺が美味しいと思うことがお前の幸せ……みたいな?」
「そこまで献身的じゃないからね!?」
ふむぅ……。やはり曇った表情よりもこうやって笑っている凛の方が可愛い。実際、同じ三年生なので彼女の噂をクラスメイトからたまに聞くのだが、かなり男子に人気があるそうだ。俺に対してはこうやって甘えてくれたり、時に厳しかったりする。しかし、ひとたび学校に出て生徒会長という役職に就くと人が変わったかのように感じる。完全に別人のレベル。
それほどまでに彼女は今の生徒会長という役職を真面目にやっているのだろう。
だが、生徒会長をやっているときの凛は俺の知っている凛じゃない。まるで凛が遠くに行ってしまったかのように錯覚してしまう。
そんな筈ないのに、そう感じてしまう。
「じゃあ、晩御飯が出来るまで俺は自分の部屋で待機してるよ」
「うんっ、楽しみにしててね兄さん」
「おう」
言って俺は2階に上って自分の部屋に入った。暗い、暗い、そんな自分の部屋に入り、電気をつける。
気だるい。
手足が麻痺したかのように感覚が薄れてゆく。そのままゆっくりとベッドに近づいてダイブ……はせずに倒れこむ。
体を動かしたくない。
病気なんかではなく、先ほどの凛への心労なんかでもなく、これは"反動"。魔法を使ったことによる"反動"。
「……………………」
いつもはこのまま眠ってしまうのだが、今日は寝てしまうわけには行かない。妹が……凛がご飯を作って待っていてくれているのだから。
思いとは裏腹に落ちる瞼。
そして俺は……落ちた……。
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「お兄ちゃん!!」
それはいつだったか、妹が俺の事を"お兄ちゃん"と読んでいた頃の記憶。
"俺"がまだ"僕"だった頃の記憶……。
記憶と夢が混濁する。川のように緩やかな、それでいてとても穏やかな流れの中に俺はいる……いや、僕はいる。
あぁ、混ざってゆく。僕が……俺が……記憶と夢が、混ざり、区別がつかなくなる。
「凛、ほら、はやくこないとおいてくよ?」
「まってよ~、お兄ちゃん~!!」
僕は妹の手を引いてある場所を目指していた。
そこは良くホラー扱いされる廃工場で、お父さんもお母さんも危ないから近づいちゃダメって言ってた。けど、僕は凄くここが気になったんだ。
それで妹と一緒にここに来たわけなんだけど……入ろうとした瞬間に一瞬考え直そうかなって思うくらいには不気味な工場だなぁ……ここは。
「お、お兄ちゃん……本当にはいるの……?」
「う、うん。だ、大丈夫だよ。僕がついてるから」
「うん……」
妹は心配そうにギュッと僕の手を握った。それを握り返してゆっくりと廃工場の中へと入ってゆく。
中は薄暗い。まだ日は高かったはずなのにこの中では夜のように感じてしまう。それがさらに怖さを掻き立てた。
でも、好奇心旺盛だからなのか、それとも妹がいるからなのか、さらには別の要因があるからなのか僕は怖くても道を進む。
ドラム缶。割れた窓。剥き出しの電線。鉄材。
ここが何の工場だったかは誰も知らない。ただ一言"廃工場"と呼ばれる場所。
「お、お兄ちゃん……怖いよぅ……」
「大丈夫だよ、なにもいるわけないじゃん」
僕も少し怖かったが、妹が怖がっているのにお兄ちゃんである僕が怖がるわけにはいかない。
やがて、視界が開けたとき、僕が見た――モノ――ソレハ―――
――■イ■ハ■■■■ノ■ニ■テヲ■■スル――
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「――――ッ!! …………。……………………」
「兄さん? そろそろご飯出来るけど……もしかして寝ちゃった?」
1階から響く妹の声。どうやら少しだけ眠ってしまっていたらしい。
「あぁ、少し眠っていたみたいだけど今起きた。大丈夫だ、問題ない」
「装備は多分関係ないと思うけど、じゃあすぐに盛り付けちゃうね」
凛の声を聞いて安堵。ん? 俺はなんで安堵をしたんだ?
ただ少し眠っていただけなのに何故か寝汗をビッショリとかいてしまっていた。何か嫌な夢でも見たんだろうか……?
とりあえず俺は服を着替えてリビングへと移動する。
「さぁて、今日の晩飯はハンバーグだったな! 楽しみだ!!」
「焦げちゃったけどね」
「…………そうだったな。いや、アレぐらいのこげ問題ないさ!! …………ガンで死んだら後は頼む……」
「に、兄さん!?」
焦げは発癌性物質なのだそうです。皆さんも気をつけようね、テヘッ♪
……こんな締めで良いのだろうか……