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第12話

 俺は白い調理用の服を着こんで、パン屋の調理場に入る。

 香ばしく焼けたパンの匂いと、お菓子の蜜やフルーツの香り。

 生地を捏ねる音が絶え間なく続き、オーブンの熱気が、肌を温める。


 カルスティの父、グローグが黙々と作業する中、俺はまずカルスティから調理場の中を案内された。

 そして、一通りの案内が済むと、カルスティは俺に紙の束を渡してくる。

「じゃあトーキさん、これがウチの商品のレシピです」


 書かれているのは、この店で作っているパンやお菓子の詳細な作り方。

 20種類くらいはあるだろうか。それぞれの材料、作る手順、焼き時間など、細かに書かれている。


「これは凄い。かなり詳しく書いてある。それじゃあ、何からやればいいかな?」

「最初は、作る商品の材料をきちんと測って、揃えて欲しいんです。営業中にも商品の売れ行きに合わせてパンやお菓子を焼いていくから、指示した商品の材料をこのレシピの通りに準備してもらえますか?」


 レシピには商品の種類ごとに、材料の分量が書かれている。

「こっちの倉庫に材料はあるから、秤で計ってそれぞれをボウルに入れて、準備してください」

「なるほど。解った」

 うん。これはそれほど難しくはなさそうだ。

 倉庫の材料にも、それぞれきちんと品名が書かれて整理されている。

 秤はアナログな天秤ばかりなので、使い方はカルスティからレクチャーしてもらう。


「分量はきっちり、正確に計ってください。それと、レシピに書いてあるのは、基本量なんだけど、実際に作るときは、その2倍量とか3倍量、2分の1や3分の1とかの分量で作るから、それぞれの材料の分量を計算して計って欲しいんです」

 ああ、売れ行きに合わせて作る量を調整するから、常にレシピ通りの基本量とは限らないんだ。うん、OK、OK。


「大丈夫そうですか? 他の人に手伝ってもらった時は、この計算がぜんぜんできなくて…。この村の生活では、そういう計算が必要になることってほとんどないので…」

「いや、大丈夫だよ。単純な掛け算、割り算だし」

「良かった! トーキさん、学校の算数も完璧にできてるから、大丈夫だと思った」


 さすがに、そのくらいの計算は出来る。というか、この世界の人の計算能力は基本的に低いんだよな。細かい計算が必要な仕事は少ないみたいだし。


 そうして、俺のパン屋での仕事はスタートした。

 小麦粉(みたいな粉。真っ白ではなくて、若干黄みがかっている)、砂糖(こちらも茶色だ)、塩なんかの材料は、元の世界とそれほど変わらない。ミルク(牛乳とは違う。何の乳だろう?)、バター、クリームなんかもある。

 驚いたのは、自家製で発酵させたらしい酵母液、さらに重曹なんかもあることだ。

 確かに、パンやお菓子を作るには必要なんだろうが、異世界にもそういうものがあるのが新鮮だった。


 カルスティの父、グローグが次に作る商品を指示してくれて、俺はレシピからその材料を計って準備する。「次は■■パン、2倍量でお願いします」と言われれば、レシピにある基本料の2倍の材料、粉や砂糖なんかを計ってボウルに入れておく、という流れだ。


 俺が、準備した材料をグローグが、混ぜたり、捏ねたりして、生地を作る。

 混ぜるのも捏ねるのも、もちろん魔法だ。

 離れたものを動かす魔法「コルティレン」を使っている。


 そうしてできた生地を丸めて、さらに俺の知らない魔法をグローグは使う。

「パルパティス」

 緑の魔石をかざしてそう唱えると、みるみる生地が膨らむ。


「珍しいでしょう、トーキさん。生地を膨らます魔法です。魔法を使わなくても時間をかければ膨らむんですけど、この魔法ならすぐ出来るんです」

 カルスティが説明してくれるが、いやこれは、発酵を促進しているのでは?


 緑の魔石は治癒魔法に使われてるらしいから、酵母菌に作用してたりするのだろうか。

 けっこう興味深い。



 そうしてしばらく作業していると、俺はその作業にも割とすぐに慣れた。

 そこまで立て込んだ仕事ではないから、余裕を持って作業できた。


「いいですね、トーキさん。まだ余裕があるようでしたら、こっちもお願いできますか?」

 カルスティから声がかかる。


「焼く準備のできた生地をオーブンに入れて、レシピ通りの時間、焼きます。ここに砂時計があるので、これで焼き時間を計ります。焼きあがったら、取り出してお店に並べる。ここまでいいですか?」

 俺の背丈ほどの大きなオーブン。中には赤い魔石があり、熱魔法で焼けるようだ。

 そのそばには、何種類もの砂時計が置かれている。


「急がなくてもいいので、レシピを確認しながら、それぞれの商品に合わせた焼き時間の砂時計をひっくり返してください」

 砂時計には番号が振ってあり、それがレシピに書かれた焼き時間に対応している。


「了解。カルスティ」

 俺は、一つ一つ綺麗に丸く整えられたパン生地の並ぶ鉄板を受け取り、その商品の焼き時間の砂時計をセットしてオーブンに入れる。

 焼いている間に、次に作る商品の材料を計る。

 砂時計が落ち切ったら、オーブンから商品を取り出して、お店に並べる。

 そんな感じの繰り返し。


 大変そうに思えた作業だが、慣れてくるとそれほどでもなかった。

 村1軒だけのパン屋と言っても、村人もそう多くないので、お客さんの数もたかが知れている。


 レシピはとても分かりやすく書かれているし、砂時計の配置や、調理場のレイアウトも、働きやすいように考えられているのがわかる。

 カルスティとグローグも、的確に指示を出してくれて、実にやりやすい職場だった。


 はっきり言って、元の世界、つまりは日本で俺が経験してきた仕事に比べれば、大した忙しさではない。日本だったら、パン屋の仕事も慌ただしいイメージだが、さすがに基本のんびりしているエルフのパン屋は落ち着いた雰囲気だ。

 俺は、この初めての異世界パン屋を楽しみながら働くことが出来た。



「お疲れ様です、トーキさん。いやぁ、やっぱりトーキさん、この仕事向いてますね。初日から完璧でした。だよね父さん」

「……そうだな」


 仕事を終えて、カルスティとグローグと共に一息つく。

 爽やかな顔で話しかけてくるカルスティと、低い声で頷くグローグ。

 グローグは仕事中も作業に関する指示以外は喋らない、寡黙な男だった。


「焼き時間を計るのとか、ほとんどの人は出来ないんですよね~。以前にメートに手伝ってもらった時なんて、焼いてる間に次の材料を準備するのが出来なくて、もうパニック状態だったし」

 そうなのか。そんなに難しい作業ではなかったと思うが。


 そういえば、この世界には「時計」がないのだった。

 つまり、詳細な時間を気にするような感覚は、普通は無いってことだ。


 朝、昼、晩、それ以上細かく時間を区切る習慣はない。

 そんな人が、10分とか20分程度の短いパンの焼き時間を意識するのは、無理なんだろう。その上、10分の焼き時間の間に別の作業をするっていうマルチタスクとなると、パニくってしまうのも当然か。


 確かにこれは、エルフには向いてない仕事なのかも。


「こういう短い時間で区切って作業をするのは、元の世界では普通のことだったからね。役に立てたのなら嬉しいよ」

「大助かりですよ! トーキさん、明日からもお願いしていいですか?」

「うん。こちらこそぜひお願いするよ」

 こうして、俺はこのパン屋で働くこととなった。

 久しぶりに「仕事」をして、心地よい疲れを感じながら、ギムセック家に帰宅する。


 帰宅後、カルスティのパン屋で働くことになったとリテに言ったら、「本当に??」と驚かれた。

「ふーん。頑張って」と、さらっと言ってリテは自室に引っ込んでいったが、その言葉に、ほんのりと嬉しそうな空気を感じたのだった。



 ………………………



 それから数日間、俺は学校の放課後にカルスティのパン屋で働いたが、その後は学校には行かず、朝からパン屋で働かせてもらった。


 早くお金を稼ぎたかったし、学校の授業の見学が、だんだん退屈になってきたせいもある。

 学校では、同じような内容の授業を何度もやるのだ。


 これ、この間も聞いたよね? ということを繰り返し聞かされると、だんだん苦痛になってくる。算数の授業なんて、難易度が変わらない授業を毎回やる。いや、難易度は上がってはいるが、そのスピードがめちゃくちゃ遅い。ほとんど同じような内容を繰り返して、ほんの少しずつしか授業が進まない。エルフの学校は、「人間」の学校では信じられないほど、授業の進度が遅いのだ。

 生徒たちは、もともとのんびりと授業を受けていたし、そういうものだと思っているので気にはしていない。リテを除いて。

 この退屈な授業に参加し続けなければならないリテに、改めて同情してしまう。



 一方、パン屋での仕事は、順調そのものだった。

 俺の覚えが早いので、グローグからさらに詳しくパンの作り方について教えてもらっている。

 パン生地を膨らませる魔法、おそらくは発酵を促進する魔法はイメージが難しかったので、酵母ではなく重曹で膨らませる簡易なパンの作り方だ。


 魔法を使ってパン生地を捏ねる、というのは最初は不思議な感覚だ。

 調理台に置かれた粉の山に向かって手をかざし、適宜に水を加えながら魔法を発動させて粉と水を混ぜていく。だんだんと粉がまとまっていって生地が出来るのは、元の世界のパンと同じだが、魔法でパンを捏ねているので、手を触れることがない。


 直接生地を触らないと、生地の柔らかさなどの加減がわからない。

 しかし何度かやっていると、捏ねるほどに生地が練られていくのが見て取れるようになってくる。直接触らなくても、だんだんと加減がつかめてくる。

 グローグにもアドバイスをもらいながら、俺は簡単なパンなら一人で作ることが出来るようになった。


 ちなみに、グローグは慣れたもので、3~4種類のパン生地を同時に捏ねることもできる。

 これは魔法ならではだ。

 ただ、調理台の上で、何種類ものパン生地の塊が、グニグニと動いているのは初見ではかなり奇妙な光景だった。



 ……………………



 俺が、パン屋での仕事に慣れていくと、カルスティはその分、店の手伝いを休めるようになった。

 そうして、時間のできた彼が何をしていたかといえば、どうやらメートを誘って二人で遊びに行っているらしい。


 あいつ、俺を働かせて女の子とデートとは。

 まあ、働きたいといったのは俺なので、全然良いが。

 しかし、思い切ってメートを誘ったんだな。若者の恋の手助けになったなら、一層よかったよ。


 父親のグローグは、息子が店の手伝いを他の人にやらせてデートに行っているとは気づいていない。しかし、今まで手伝ってくれていた息子に、自由な時間を与えてやれるようになったことは嬉しそうだ。


 店の仕事は、エルフの村人には向いている人がいなかったので、今まで人を雇えなかった。

 そのために、息子を手伝わせていたわけだが、それは申し訳ないと感じていたのだ。

 (カルスティの母、つまりグローグの妻もパン屋の仕事は向いていなかった。菜園を作り商品の材料になるハーブやフルーツを作ってお店を支えている)



 ……………………



「トーキさん。トーキさんの世界にあったパンやお菓子について、面白いものがあれば教えてもらえますか?」

 俺はグローグとも仲良くなり、店が暇な時などは話す時間も増えた。

 彼もパン職人として、違う世界のパンに興味があるようだ。


「そうですね。俺の世界のパンとこちらのパン、基本的にはけっこう似ていると思います。ああ、あれならここにある材料ですぐに出来るな……」


 俺は、サンドイッチ用の薄切りのパンにクリームをたっぷり塗り、手ごろなフルーツをいくつか挟んだ。


「フルーツサンドです。これは、俺の世界でも『日本』というところにしかないパンです」

「これは! 薄切りパンでクリームとフルーツですか。ほう……。この発想はなかったですね」


 グローグは、初めてのフルーツサンドにかぶりつく。

「うん。美味い。甘いサンドイッチというのは抵抗がありましたが、悪くないですね。中身をもっと調整して、商品に加えてみましょう!」


 グローグは、エルフの味覚にも合うように、クリームの加減やフルーツの種類をいろいろと試し、数日後にはフルーツサンドが本当に商品として店頭に並んだ。


 この村で1軒だけのパン屋の新商品は、変化の少ないエルフの村ではちょっとしたニュースとなり、村人にも受け入れられた。


 そして、それに味をしめた俺は、さらなる新商品の開発に着手する。

 といっても、別に俺は料理人でもパン職人でもなかったので、作れるものは限られる。


 そんな俺にも作り方がだいたい分かり、この異世界の食材で再現可能な物。

 元の世界の懐かしい味。

 日本人として、甘味にはなくてはならない食べ物。

 それは「あんこ」だ。



 俺はまず、この村で入手できる何種類かの豆の中から、小豆に似た食感のものを選んで、砂糖で煮てみた。

 そして、その中で味の良かったものを、さらに砂糖の量や煮る時間を変えていくつか試す。

 調理はパン屋の片隅でやらせてもらう。時間はかかるが煮るだけなので仕事中でも可能だ。


 そうした何日かの試作の末、俺はまず「ぜんざい」を作ることに成功した。色は黄緑色で、香りも小豆とはちょっと違うが、パンに付けて食べると中々いける味だ。

 そこからさらに、豆をつぶし、丁寧に煮詰めていく。弱火で焦げないように長時間加熱するのは、直火だと難しいのだろうが、魔法加熱なら簡単だった。

 時間をかけて豆を煮詰め、ついに俺は「あんこ」を作り出すことが出来た。


 この「あんこ」を何に使うか。

 これはもう決まっている。何しろこの店はパン屋だ。

 当然、「あんパン」である。

 俺は、グローグとも研究を重ねて、この異世界に「あんパン」を作り出したのだ。



「あんパン」は、パン職人グローグにとっても革新的なパンだった。

 まずこの世界に「豆」はあったが、「豆」を甘くして食べる習慣はなかった。


 この辺は、元の世界とも似てるな。

「あんこ」の様な、豆を甘くする食べ方はアジア独特で、西洋にはなかったはずだ。

 この異世界のエルフの村も、どちらかといえば西洋風。


 だから、「あんこ」という調理法自体が、想像したことのない意外な食べ物だった。


 さらに、「あんパン」のようないわゆる菓子パンも、この世界にはなかった。


 ドライフルーツや木の実などを入れて、甘めに作られたパンはあったが、パンと菓子は別物、と考えられていた。そのため、菓子パンといえるほど、がっつり甘いパンはなかったのだ。


「あんパン」の発想は、グローグには奇想天外だった。

 最初は、保守的なエルフの村人に受け入れられるか、心配していた。


 だが、この新商品「あんパン」は、エルフの村で一大ブームを巻き起こす。

 気軽に食べることが出来る甘味として、朝食としてもおやつとしても食べやすい「あんパン」は受け入れられた。

 人口の少ない村ではあるが、「あんパン」を食べたことのない村人はいない、というほどに浸透し、エルフの食生活に新たな変化を与えたのだった。


 想定外の繫盛となったグローグのパン屋は、俺に特別報酬として思っていた以上の給料を払ってくれた。

 おかげで俺は、旅の費用の心配はなくなった。



毎週月曜日、朝6:00更新です。

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