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第1話

 魔王も倒さない。

 世界も救わない。

 悪とも戦わない。

 何の特別な力も持たないし、誰に課された使命もない。

 何者でもないただの人間の俺が、どうしてこの世界やってきたのか。

 他の誰にも果たせない、俺だけの大切な使命。

 ただ一つの、俺がここにいる理由。


 それは、君に会うためだったんだ。



 ………………………………………



(暗い、まだ夜中か…。ん、何だ?土?草の匂い?風?あれ…?外だ。何で?)

 俺が目を覚ました時、そこは森の中だった。


 周囲に誰かがいる気配はない。外灯も家の明かりも見えない暗闇。

 わずかに月明かりだけが、木々の影を浮かび上がらせている。

 少し湿った土の斜面、硬い木の根に挟まれるように、俺は寝ていた。


(どうなってる?どこだここ?俺、家にいたよな?)

 全く理解できない状況に、呆然として起き上がる。冷えてしっとりした空気。聞き慣れない虫の声。

 暗くて見えないが、地面に着いた手にはじっとりした泥の感触。

(森の中だよな、ここ。何で?)


 俺は、昨日の記憶を手繰る。

 昨日は、20時ごろに仕事を終えて、帰り際にスーパーで総菜を買って、家に着いたらシャワー浴びて、それで、惣菜をつまみに手製ハイボールを飲みながらネットでアニメを見る、俺のゴールデンタイムを堪能していたはずだ。


 それで、そのままソファーで寝落ちしてしまったかな。それともちゃんとベッドまで行ったっけ?いや、今はそれはどうでもいいか。とにかく、家で寝たはずだ。


 俺は自分の格好を確認してみる。

 見えないが間違いない。上下とも部屋着のスウェットだ。足元は、室内履きのスリッパ。昨夜、自宅にいた時の服装のままだ。


 訳が分からないまま、とにかく立ち上がった俺は、暗闇から聞こえるかすかな物音に気付く。がさがさと木が揺れて葉っぱがこすれる音。


(何かいる…)

 俺は、音の方向に目を向けるが、暗くて何も見えない。どんなに目を凝らしても、真っ暗な空間があるだけだ。しかし、確実に何かいる。


 物音は、かすかだが着実に近づいてきているように感じる。俺の心の中は、理解不能な状況の困惑から、一気に恐怖に塗りつぶされる。

(やばい!なんだか分からんが、これはやばい!)


 危険を感じつつも、どうしてよいか分からない。分かるはずもない。

 逃げようにも、真っ暗で周りがどうなっているのかも分からない。

 立ちすくんでいると全身から汗が吹き出してくる。

 その俺の前に、月明かりに照らされた影が、ゆっくりと現れて立ち上がった。


 暗い山中、そいつの姿はただ真っ黒な影にしか見えない。

 高さは3メートル以上ある。低い息遣いがわずかに聞こえる。生臭い匂い。

 見えないが、こちらを狙っていることがはっきり感じられる。


(熊?でか…!ヒグマ?本州にヒグマはいないんじゃ?死んだふり?いや、死んだふりはダメなんだっけ?いや…、え…どうすりゃ…?)


 俺は震えながら、なんとか考えようとしたが、恐怖で何も考えられない。

 こんなところで死ぬのか、と全身の力が抜ける。


 その時、俺の後ろから強い光が照らされた。

 目の前の動物の姿があらわになる。


 そいつはオオカミの様な顔、長い銀色の毛並み、熊よりも太い体躯を持つ、見たことも無い獣だった。


 次の瞬間、後ろから男の掛け声が聞こえる。何と言ったかは聞き取れない。

 えっと思った間に、目の前の獣が燃え上がる。

 獣の全身はオレンジ色の炎に包まれる。

 唸り声が、低く重く強く轟く。

 俺はその声に腰を抜かしてへたり込む。


 俺の目の間で、炎の塊と化した獣は、苦悶の鳴き声あげたまま後じさり、飛ぶように山中へ逃げ去った。

(何だったんだ…?)


 ただただ呆気にとられている俺の前に、白い光を放つ明かりを持った男が近づいてくる。

 背の高い男だ。 


 こちらを気遣ってくれているのだろうか、柔らかい口調で何か話しかけてくるが、意味は分からない。聞いたことのない言語。


 俺は戸惑いながらも彼の方へ身体を起こす。

 そうしながら、俺の目は彼の耳に目が留まる。

 大きな耳は、人間にはあり得ない長さで伸びて、尖っていた。

(え?エルフ耳?)



 …………………………………………………



 森の中には不自然なほどの強い明かりを掲げて、男はこちらに微笑みかけてくる。

 光の中ではっきりと確認できる男の姿。


 2メートル近くはありそうな高身長で、北欧系を思わせる端正な顔立ち。高くスッと伸びた鼻、白い肌。長いまつげに飾られた瞳はグレーで、髪は金髪よりも白に近いほどの透明感でキラキラしている。


「助けていただきありがとうございます。日本語、分かりますか?」

「■■■■■■■■■」

「ええっと、どぅーゆーすぴーくいんぐりっしゅ?」

「■■■■■■■■■」


 男は少し困惑したように話しかけてくるが、何と言っているかは分からない。やはり聞いたことも無い言語だ。


 互いに言葉が通じず、あいまいな空気が漂う中、俺は彼の耳が気になってつい目がいってしまう。

 指をのばした手のひらほどの大きさで、やや後方に尖って伸びている、いわゆるエルフ耳だ。

 こんな山中でコスプレ?


 よく見ると、服装も普通の既製品には見えない。

 鮮やかな幾何学模様が編み込まれた手織り風の布地を、ざっくりと羽織るように着ている。民族衣装?何かのキャラなのか?


 男は、言葉が通じないなりに身振りで「ついてこい」と言っているようだ。

 森の中のこの状況では、ついていくしかない。

 とにかく、明かりを持つ男の後ろをついて歩いた。



 暗い山道。足元は見えないうえに舗装もされていない。

 しかも、履いているのは室内履きのスリッパ。山道を歩くのはキツイ。

 俺は何度も躓きながら男の後を歩く。


 そんな俺の様子に、しばらくして男は気づいたようだ。

 俺の前でかがんで、背中を見せて指をさす。


(え?乗れってこと?おぶってくれるのか?それは助かるけど。しかし、この人がいくら背が高くても、大人の男一人を背負って山道を歩くのはきついんじゃないかな?)


 俺は、何度か大丈夫だ、と言ったが通じない。男は背中向けてかがんだままだ。


(じゃあ、乗っちゃうよ。重かったらごめんよ)

 俺は男の背中にのしかかる。


 人におんぶされるなんて、大人になってからは初めてだ。少しどきどきしながら、男の広い背にしがみついた。

 すると、男は懐から親指ほどの大きさの黄色い宝石を取り出し、何かをつぶやく。宝石がほんの少し光ったように見える。


(何だ?)

 と思うと、俺は人生で味わったことのない感覚を全身で感じる。

 背負われて、男に背中にかけている俺の重みが、どんどん軽くなるのだ。

 身体が浮き上がっていくように。

 まるで水中でおんぶされているように。


 俺の重さはなくなった。


(なにこれ、どうゆうこと?俺だけ無重力になったのか……?)


 俺は、ほとんど浮き上がった状態で、男の背中にしがみつく。

 体重がほぼゼロになっているようで、男をつかむ手にもさほど力は必要ない。

 30代も半ばに差し掛かって、最近は太り気味だったが、そんなことは全く関係なかった。


 俺は浮き上がった状態で背負われて、小一時間ほどで山を下りた。


 その間、間近で見ることが出来た男のエルフ耳を観察できた。耳は時折、周囲の物音を警戒しているようにぴくっと動く。作り物をくっつけているのではない。本物の耳にしか見えなかった。


 言葉が通じない、ということを理解したらしい男は、俺を背負いながら話しかけてはこない。無言の間、俺もこの状況を落ち着いて考える。


 家で寝ていたはずなのに、気づけば森の中。

 見たことのない巨大な獣。

 その獣を一瞬で火だるまにした謎の現象。

 言葉が通じず、エルフ耳を持つ男。

 突然、軽くなってしまった俺の身体。


 うん。これ、あれだ。このジャンルは特別好きなわけじゃないけど、はいはい、知ってます。でもまさか、自分の身に起きるとはね。マジでびっくりだけど、どう考えても今の状況は夢ではなく、現実だし。


 異世界だ。ここ。


 決定的なのは、この軽くなった身体だな。さすがにこれは魔法でないと説明がつかない。

 他の出来事は、何とか無理やり理由を考えられるけど、身体が浮いちゃうのは、もう物理的に不可能だもんね。


 元の世界の自分と、同じ肉体のままってことは、異世界転移ってことかな。

 よくある、神様的な存在に会った記憶はない。

 ここからどうすればいいのか、今のところは分からないけど、言葉が通じないパターンていうのは、面倒そうだな。それに、自分に何か特殊能力が備わったとか、そういう感じも無いな。


 まあ、現実の異世界となると、そういうものか。ファンタジーとは違うってことね。

 現実の異世界っていうのもおかしな表現だけど、現実なんだからしょうがない。


 冷静に考えていくうちに、俺は自分でも驚くほどに落ち着きを取り戻していった。


 もともと、それほど楽しい人生を送っていた訳でもないし、異世界に来ちゃったなら来ちゃったで、まあしょうがない。

 結婚もしてなければ彼女もいないし。何か人生に目標があったわけでもない。いい年して契約社員で、年収も上がりそうになかったし、元の世界に未練も無いな。


 母親と兄貴にだけは申し訳ないけど、どうせ役にも立たなかったし。うん、異世界に来られたっていうのも悪くない。異世界転移っていうなら、きっとこの世界で俺にしかできないような役割があるんだろう。それなら、その方がずっと良い。


 この世界のことはまだよくわからないが、今は流れにまかせるしかない。でもせめて、あまり厳しい世界じゃなければいいな。

 そんなことを考えているうちに、やがて小さな集落へたどり着いた。


 そのころには、夜明けが近づき、空は白み始めていた。木造のロッジ風の家が立ち並んでいる。

 その中で、やや大きめの家の玄関を、男は叩く。


 扉が開くと、同じく長身のエルフと思われる男が出てくる。20代後半くらいの見た目だ。二人で何やら会話をした後、俺の方に向き直り、笑顔で丁寧なお辞儀をされる。

 とりあえず、親切そうな人たちだということに安心し、俺は促されるままにその家に入った。



 ……………………………………………



 ドアも床も、椅子もテーブルも木製、堅牢で艶やかで、長年使い込まれているのが感じられる室内。やや大きいサイズの椅子に、落ち着きなく座る俺の正面に、家主らしいエルフの男と、俺を助けた男が座る。


 そして彼は、深い青色をした、豆粒ほどの宝石のはまったネックレスを差し出し、首からかけるように動作で促す。

 にこやかな彼の雰囲気には、危険な感じは全くしない。俺は促されるままにネックレスに頭を通す。と、彼は人差し指をネックレスに当て、何かをつぶやく。



「どうですか。言葉は分かりますか?」

 ネックレスがほんのり光ったかと思うと、唐突に彼の言葉が理解できた。

 彼は、それまで通り謎の言語を喋っているのだが、なぜだか俺の中で、その意味が分かるのだ。翻訳されているのとも違う、不思議な感覚。一瞬にして知らない言語をマスターしてしまったようだ。


 さらに、喋ろうとすると、自然にその言語が口に出てくる。

「分かります!すごい!喋ることもできる!」

「良かった。通訳の魔法『グルンガルディール』です。使うのは150年ぶりなもので、少し不安でしたが」

「通訳の、魔法!」

 やっぱり!魔法なんだ!


「私はこの村の村長、ギムセックと申します。山中で魔獣に合われたそうで。お怪我はございませんか?」

 村長、というには若い見た目のギムセックは、やはりハリウッドの映画俳優のようにイケメンで、穏やかに話す。


「はい。大丈夫です。助けていただきありがとうございます」

「失礼ですが、見慣れない衣服を着ておられる。ドワーフ族やホビット族とも違うようですが、どちらからおいでになられたのですか?」

 うーむ。異世界から、と言ってもいいものだろうか。しかし、他に説明のしようがないな。


「えーと、ここではない世界から来たようです。あなた方が先ほどから使われている魔法などはない世界で…。どうやってこの世界に来たかは分からないのですが…」


「なんと!ここではない世界とは!?魔法が普及していない地域は無いはずですが、魔法のない世界とは……。もしや召喚魔法を使われたのですか!?」


「召喚魔法!そういうものがあるのですか?俺自身は気がついたらあの森の中にいたので…」


「あなた様をお助けした森に、パルキストス様という魔法研究者の方が住んでおられます。召喚魔法という極めて珍しい魔法の実験をされているらしいのです。昨夜は、そのパルキストス様の家の方から轟音が聞こえたゆえにトレスタンが見に行ったのです」


 トレスタンと呼ばれた、俺を助けたエルフの男は、軽くうなずいて応える。

「パルキストス様の家は、爆発でもあったかのように崩れておりました。パルキストス様は見つからず、森の中を捜索している際にあなた様を見つけました」


 そうか。やはり召喚魔法で俺は召喚されたのか。しかし、なぜ俺が召喚されたのかは不明だな。そのパルキストスとかいう魔法研究者を探さないといけないのか?


「トレスタン、すまないが引き続きパルキストス様の捜索をお願いします。魔法実験の余波で森の中に飛ばされてしまったのかもしれません」


「承知いたしました」

 俺の困惑を感じ取ったのか、ギムセックはトレスタンに指示を出し、トレスタンも立ち上がる。



「さて、あなた様はお疲れでしょう。ひとまずは当家でお休みになられてはいかがでしょうか。あ、そういえばお名前をうかがっておりませんでした」


「すいません、名乗り遅れました。松原時紀といいます」

「ええと…マトゥ…、トーキ…?」

「まつばら、ときのり、です」

「マートゥー…トー、トーキ?」


 ああ、この言語で俺の名前はかなり発音しにくいみたいだな…。

 大学生の頃、留学生に自己紹介した時も、同じような感じだった。日本人の名前は外国人には覚えにくいらしいから、それと同じことか。


 うーん、苗字は諦めて、名前だけならいけるか?

「ときのり、ときのりです。とーきーのーり」

「トーキー、ニョーウリュ?」

 く…!無理か…。


「ではトーキ、トーキと呼んでください」

「おお!トーキ、トーキ様。それでは、お部屋にご案内いたします」


 ギムセックは部屋を出る。

「おーい、リテはいるかい?お客様を客間にお泊めするから、手伝っておくれ」


 ギムセックの声に一人の女性が階段を降りてくる。

「トーキ様。ご紹介いたします。娘のリテです」

 部屋に戻ったギムセックの後ろに、彼女は控えめに立って、軽く会釈をする。


 大柄なギムセックの娘とは思えない小さな身体。164センチの俺よりも少し小さいくらいだろうか。濃い茶色の髪は緩くウェーブがかかっている。

 髪と同じ茶色の瞳。20代後半くらいの見た目で、ギムセックの娘というが外見からは年齢差が見て取れない。

 そして、耳。ギムセックやトレスタンと違い、大きくもなく、尖ってもいない。普通だ。


「リテ、と申します」


 顔を上げた彼女と目が合う。

 その瞬間、不思議な感覚を覚える。


 この人は、俺と同じだ。 


 何が、というのは分からない。でも彼女から俺と同じものを感じる。

 初めて会った、異世界の女性で、おそらくはエルフで、俺と同じところなんて何一つないだろうに、何かが同じだ。


 それは、人種や性別を超えた、人としての核の様な、その人の魂のコアの部分なのか、そんなものが似ているのだろうか。


 ほんの数秒だが、お互いの目が止まる。

 彼女も、少し驚いたように目を開き、わずかの間、見つめ合う。

 彼女が何を感じたのかは分からない。


 でも、この瞬間、二人の間には、喜びや、安堵や、懐かしさや、ときめき、それらがほんの少しずつ、淡く、本当に淡くかすかに揺蕩ったように感じた。


 次の瞬間、リテは再度すばやくお辞儀をして振り返る。

「お部屋にご案内します」

 そういって彼女は部屋を出ていった。


第2話は2/3(火)朝 6:00 更新です。

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