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その7 目撃

 日が傾き、園遊会はすでに酒が入って無礼講に近い形になっていた。

 貴族の肩書きを持つ親戚筋から、なにも持たないただの近隣の知り合いまで含め、結構な人数が集まったものだ。内輪の、と言っておきながら人数が増えるのは、毎度のことだ。ただ酒が飲める機会をそうそう簡単に見逃がすものたちはこの近所にはいない。

 この機会に是非お館さまにご挨拶を、と称して集まる者たちをすげなく断るほどレオナール卿は薄情ではないのだった。

「しけた顔してるな、どうかしたのかい?」

 ふいに声をかけられ、マリオンはびくっと身体をこわばらせた。

 この間から妙な緊張感がまとわりついていて、いっこうに離れることがない。

 神経が少し過敏になっているのだろう、と自分なりに分析をしてみたのだが、感情自体は壁の向こう側にあるように鈍感になっていてなんだか自分が自分でないようなおかしな気分がずっと続いている。

 恐る恐るふりむくとやっと今日の昼間、城に到着した従兄弟のバージルだった。

 手に琥珀色の林檎酒アップルシードルの入った厚手のグラスを持っている。

「ううん、別に何でもないよ」

 薄く微笑みを浮かべてマリオンが首を振る。

「そうか? お前……」

「え?」

「魔法、使っただろう?」

 マリオンの目が大きく見開かれる。いやいやするように軽く頭を振るが、バージルはにやりと笑った。

「それじゃごまかしようもないよ。魔法の気配がぷんぷんする」

 そうだ、彼は侮れないんだった。

 ショーンと違って彼は魔法が使える。それも最近かなりの腕前になってきていた。

 あまりの急激な上達ぶりに魔術の師匠が驚くほどに。

 たぶん、と師匠は満足げに言ったものだ。

 好敵手がいると、術に入る気合が違うのだろう、と。

 もちろんこの場合の好敵手はマリオンのことだ。

 自分より年下の従兄弟がだいそれた魔術を使って、しかも自分よりまた数段、上へ行ってしまったのだ。

 少しはあせらないほうがどうかしている。

 おかげでバージルはいまや師匠の覚えもめでたい、工房で一、二を争う有望な弟子ということになっているのだ。

 マリオンはため息をついた。

 この従兄弟をだませると思うほど僕は馬鹿じゃない。

「……うん、ちょっとだけ……ね」

「ちょっと、かい?」

 バージルの眉がきゅっと不審そうに寄せられた。

 

 そう、あれから実は今日まで毎晩、マリオンは地下室へ通い詰めだった。睡眠時間を一度に大量に削るわけにもいかないので、そうせざるを得なかったのだ。何かに憑かれたようにマリオンは毎晩、人形に生気を吹き込む作業に熱中した。

 最初にまぶたを動かす。

 ゆっくりと首を振る。腕をあげる。歩く。椅子にかける。足を組む。優雅な動作でグラスを傾ける。

 にこりと笑う。その笑いがうまくいかなくて、何度も何度もやり直した。

 しかし、何度やっても彼のその笑いは、口の端をかすかに持ち上げる程度の皮肉な微笑にしかならない。

 むきになって何度か繰り返してみたが、どうやってもうまくいかないために最後にはすっかりあきらめてしまっていた。

 どうせ、どこにも出すつもりも誰にも見せるつもりもないのだ。

 多少のことには目をつぶろう、とマリオンは自分に言い聞かせた。

 一番最後は声、だった。

「君の名前はそうだな。アーサーっていうのはどうかな? 言ってごらん? 『僕の名前はアーサー』」

『僕の名前はアーサー』

 それは不思議な声だった。

 とてつもなくトーンの低い、背筋に響くような、それでいて甘い響きを持った妖しい声。

 マリオンが調整したわけではない。

 音声の魔法をかけてみたら最初からこの声が出た、という単純なことだ。

「本物もこんな声だったのかな?」

 マリオンは首をひねったが、こればかりはどうにも確かめようがない。

 この声には聞き覚えがある、という気もしたのだが、どこで聞いたのかは思い出せなかった。

「これで完成だ」

 あちこち調整をし直して、ようやく人形ができあがったのは、何時間か後に園遊会の開催を控えた日の明け方だった。

 椅子の周りをくるくる回りながらマリオンは、人形を満足げな顔で眺め回している。

 確かに客観的に見ても、彼はなかなかいい出来だった。

 どう見ても、人間、それも極上の美貌を持った一人前の男にしか思えない。

『おはよう、マリオン』

 深く低い妖しい声に、朝の挨拶をされてマリオンは苦笑した。

「君に朝は似合わないね」

 人形はそれにかすかに肩をすくめ、口の端にシニカルな微笑を浮かべて見せることで答えた。

 所詮、魔法の人形は夜の生き物なのもしれない。

「でも君の出番はないんだ。このまましばらく、たぶん次に僕がこの城へやってくるまで地下室で眠っていてもらうよ」

『おやすみ、マリオン』

「おやすみ、アーサー」

 マリオンの声に答え、人形は眠るが如くゆっくりとまぶたを閉じ、その黒い神秘の瞳を隠した。

 マリオンは人形を椅子にかけさせたまま、「秘匿ひとく」の魔法をかけた。

 これでこの地下室に誰か入ってきても、人形を見ることも触ることもできない。

 見ることが出来るのは、術者であるマリオンと同等か、彼以上の魔力を持った者でなければならない。

 つまり誰か上級の魔術師が地下室へ入らない限り、人形は誰の目にも触れないということだ。

 もうこれで、人形は半永久的にマリオン以外の人間の目に触れることはない。

 ……はずだった……。 



「ちょっとしたことを思いついていろいろやってみたんだけど」

 ほう? というようにバージルは言葉を出さずに眉を上げて、林檎酒のグラスを口に運ぶ。

「師匠のところへ帰ったら、もう一度試してみるから。話はそのときでいいかな?」

「危なくないこと?」

 心配そうに瞳を揺らしながら、バージルがマリオンの顔を覗き込んだ。

 バージルの頭には一年前の事件以来、このふたつ下の従兄弟がまたなにか危ない魔法を使うのではないかという危惧が常にあるものらしい。

 それがわかっているマリオンは、苦笑しながらうなずいた。

「全然。危なくなんてないよ。結構おもしろいこと、だと思う」

 嘘をつくつもりはない。本当にそう信じている。師匠の所へ戻ったら、また同じ人形の魔法をやってみたい、と本気で思っているのだ。

 そういえばバージルにはあの話、自分が飲み込んだ黒龍の最初の復活に祖先が絡んでいるという忌まわしい話をするべきだろうか?

 マリオンは、ちょっと迷っていた。

 まじめで正義感の強いバージルは、自分よりもっとその話に衝撃を受けるかもしれない。

 マリオンはその話を少し暖めておいて、あとでゆっくり話そうと心の中にしまいこんだ。

 あの夜、マリオンが倒れてからずっと、おじい様もヘンリー叔父もその話は避けているようだ。

 ただ二人ともマリオン本人を遠ざける形はとらなかった。

 あいかわらずヘンリーはマリオンとチェスを打ちたがったし、おじい様もそれを喜んで受け入れた。

 実は遠ざけるというやり方で彼を傷つけてしまうということの方を恐れていたのかもしれない。

 特におじい様は、いつもよりもっと魔法の話や師匠の話を聞きたがり、また自分からも進んで領地内の面白い出来事や噂話を話して聞かせるなど、マリオンがあの話を再び持ち出さないように気を使っているようだ。

 それがわかってしまうと、マリオンとしてもあの話は二度と持ち出せなかった。

 こういう時に、おじい様やヘンリー叔父がマリオンにだけやたらと話しかけるのが気に入らない、と陰で、しかもきちんと当人に聞こえるように言っているのは、もちろんマデリーンだった。

 変なところだけ妙に律儀でしかも巧妙だよね、と噂の当人はため息をつくしかない。

 そんなにおじい様のごひいきになりたければ、チェスを覚えるとか、魔法でも習いに行くとか(でも、僕と同じ師匠のところに来るのはかんべんね)、ローセングレーン家の歴史(普通のほう)に興味を持つとか方法はいくらでもあるだろうに……。

 それに服装にとても興味があるなら、バージルの妹のケイトリンみたいにレース編みとか刺繍とか、もっと建設的なことに励めばいいのに、と思わないでもない。

 おじい様はそういうことが結構好きだ。今日だってケイトリンとクリスチアーナがそれぞれ自分の編んだレースを見せ合っていると興味を惹かれたらしく、しばらく彼女たち相手に楽しそうに手仕事の話をしていたのだ。

 貴族の娘は何かを作るとかそういうことは不得手で当然、何も出来ない、何も知らないのがステータスシンボルだ、と考えるのは間違っている、というのが昔からおじい様の持論なのだが、マデリーンとジャニーンの母親でもある、嫁のキャサリン叔母は、まるで正反対の考えを持っているようだった。

 おかげでキャサリン叔母は、「貴族なのに下級身分の魔術師のところなんぞへ弟子入りしている」バージルとマリオンには用があってもろくに話し掛けもしない。

 どうやらマデリーンの持つ敵意は、その母親から施された教育、というものらしかった。

 どうにもうんざりすることではあったが、しかし、それももうあと二、三日の辛抱だ。

 園遊会は今日と明日の二日に分けて行われる。

 今日これからは、町から呼ばれた小さな楽団や芸人たちが余興を行うものらしい。

 庭中、いたるところに大きなテントが張られ、そこでは食事や酒を供している。

 みなは自由にそこへ行き、好きなものを食べ、飲み、それから中庭でその余興を見ることになるのだろう。

 明日は午後のお茶の時間からまたテントで新たな食事やお酒を振る舞い、夕方から夜中まで舞踏会の予定らしい。

 それが終われば、早々にマリオンとバージルは、魔術の師匠のところへ戻ることになる。

 ほかのみなもここに住んでいるサラ叔母とケント叔父夫婦とその子供たち、バージルの弟リチャードと妹ケイトリン以外は、それぞれ自分の領地にある各自の城へ戻ってしまうだろう。

 そうすれば、またこんな催しでもない限り、マデリーンやミレーユやクリスチアーナやセドリックとは会う機会もない。

「早く戻りたいよ、僕は」

 口をへの字に曲げてマリオンがつぶやくと、バージルが声を立てて笑った。

「どうやらいろいろあったらしいね。リックが教えてくれたよ」

 ふーん、と口をへの字に曲げたままマリオンがバージルを見上げると、バージルがひじでそっとマリオンをつついた。

「原因の一端が来た」

 バージルの視線をたどると、ちょうどマデリーンが目の前のテントからナッツケーキが大量にのせられた皿を持って出てくるところだった。

 彼女は二人を認め、そのままちょっと迷ったように視線をさまよわせていたが、やがて決然とあごをあげるようないつもの顔で二人のほうへ歩いてきた。

「こんにちは、バージル。お久しぶりね。いかがしてらして?」

 当然のごとく、マリオンのことは見事に無視している。

「やぁ、マデリーン。久しぶりだね。相変わらずだよ」

 やや苦笑を交えた笑みを浮かべ、バージルが明るくそれに答えた。

「あなたは忙しくていらしたみたいね」

 彼女の微妙な言い回しと口調に「役立たずのマリオンと違って」という言葉を裏に感じたのは、マリオンのひがみだろうか?

 バージルは明るく笑いとばした。

「うまく仕事が終わらなかったんだよ。どうも僕は要領が悪くてね」

「そう? 全然そうは見えなくてよ?」

 と、マデリーンはそこでわざわざちらりと、マリオンに視線を流してよこした。

 その台詞の後ろに「隣の誰かと違って」という言葉が、省略されているように聞こえるのもひがみだろうか?

 はいはい、どうせ僕は要領がいいだけの役立たずの馬の骨ですよ、という台詞が思わず口から出そうになってマリオンは、慌てて空を見上げてごまかした。

「ブライトン家のお嬢様がいらしてらしたわよ? マリオン」

 いきなりマデリーンに振られた話がよくわからなくて、マリオンは空からマデリーンに視線を戻すと目をぱちくりさせた。

 マデリーンのきつい目が、挑むようにマリオンを見つめていた。

「ええと? そのご令嬢って僕に何か関係あったかしら?」

 マリオンがとまどって本気で聞くと、マデリーンがちょっと驚いたように目を見開き、それから急に表情を崩し珍しく優しい笑顔を見せた。

「そう、あなた、興味がなかったんだったわね。リックと違って」

 ああ、そうかと思う。リック言うところの『すこぶるつきの美少女』か。

 一年ほど前に会ったことがあるはずなのだが、マリオンは今だに顔が思い出せなかった。

 リックの好みだったかもしれないけど、僕的にはあまり……な感じかな、とちらっと思う。

 それよりも、なんでマデリーンにそんなふうに笑いかけられたのかわからなくて、マリオンはそちらのほうに気をとられてしまった。

「ミレーユが怒ってるわ、きっと」

 再びマリオンは目をぱちくりした。話の脈絡がよくわからない。

「私、行かなくちゃ」

 マデリーンはケーキののったお皿を左手に持ちかえた。

 ああ、ケーキが届くのを待ってるのか、ミレーユは。そういう意味だよね?

「場所はどこ? そのお皿、僕が持っていってあげるよ。他にも欲しいものあったらとっておいでよ」

 相手がマデリーンなのは少なからず不本意だが、幼いころから『女の子には優しくね?』と母に躾られたせいか、そういうところは自然に振舞うことができる。

 マリオンがお皿のほうへ手を差し伸べた。

 なにしろ今日のマデリーンは、いつもより更に優雅にたっぷりとひだをとったサテンの淡いピンク色のドレスを着ている。

 外の芝がいくら綺麗に刈れていても、裾を持ちあげて歩いたほうがよさそうなデザインだった。

 履いている靴は隠れていて見えないが、きっとサテンの華奢な薄い作りのものだろう。

 片手に大量にケーキの乗った皿を持っていては、慣れていてもさすがにゆっくりとしか歩けまい。

 ちょっと驚いたようにマデリーンはマリオンの顔を見て、それから少し頬を染め、つんと顔を上に向けた。

「いいえ、結構よ。あなたに持ってもらわなくても、私にだってこれくらい」

 たぶん、マデリーンはその後に「持てるわよ」と、続けるつもりだったのだと思う。

 だが、その言葉は不自然にそこで止まり、しかもマデリーンの手から皿は見事に滑り落ち、割れなかったもののクリームのたっぶりかかったナッツケーキは芝を台無しにした。

「ああほら、言ってるそばから」

 呆れてマリオンがマデリーンを見たが、彼女の異様さにマリオンの言葉も止まった。

 マデリーンの深い藍色の目はこれ以上ないくらい大きく開かれ一点を見つめ、白い頬はうっすらと紅色に上気して、ピンク色のふっくらとした唇も軽く開かれている。

「どうしたの? マデリーン」

 そのピンク色の唇がふわふわと動き、ようやく聞き取れるくらいのかすれた声をあげた。

「……見……た?」

 マリオンが、何を?と聞こうとする前に、バージルがそれに答えた。

「……うん……見た」

 いつもと違うその口調に思わずバージルを見ると、驚いたことに彼もマデリーンと同じような顔つきになっている。

 どうやらマリオンの後ろの蔓薔薇の茂みの暗がりに二人は何か、あるいは誰かを見たものらしい。

 マリオンの後ろはちょうど庭のはずれの通路になっていて、生垣代わりの蔓薔薇がちょうどマリオンの背くらいの高さに茂っている。

 慌てて振り向いてみたが、もうそこには夕暮れの青い闇が広がるばかりで人影も見えない。

「なに? 誰がいたの? 何を見たの?」

 二人のあまりの異常さに少しあせってマリオンが早口で尋ねるが、どちらからも答えは返ってこない。

 え?とまるで熱に浮かされた人のような目でマデリーンがマリオンを見たが、その目にはマリオンの姿など入っていないようだ。

「バージル?」

 マリオンは不安げにバージルを見た。

 マリオンに名を呼ばれ、ふと我に帰ったようにバージルは頭をぶんぶんと強く左右に振った。

「見てはいけないものを見た……」

「素敵なひと……」

 こちらはぼーっと熱に浮かされたような顔のまま、マデリーンがふわふわと漂うように、ミレーユの待つであろうテントのほうへ歩き始めていた。



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