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その6 黒瞳(こくどう)

 ひたひたと軽い足音が真夜中の階段を下りていく。

 ともしている灯りは、普通の蝋燭ではない。

 一フィートほどの蒼白い魔法の灯りがふたつ、仔犬のように少年の足元に絡みつきながら先を争うようにしてついてくる。

 階段は地下室に続いていた。

「本当にお前たちは、落ち着きがないね」

 呆れたようなささやき声は、どうやら蒼白い灯りに対してかけられたもののようだ。

 恐縮したように灯りが一瞬だけふるっと揺れ、今度は大人しく少年の前後に並んでついてきた。

 やがて階段をおりきると、少年は開錠の呪文を唱え、ためらうことなく地下室の扉を引きあけた。

 **..**..**..**..**..**..**..**..**..**


 おじい様の部屋で気を失ってしまってからの記憶はマリオンにはない。

 意識が戻ったときにはすでに、自分の部屋に寝かされ、そばに心配そうなサラがついていた。

 彼が目を開けるとベッド脇の椅子にかけて見守っていたらしいサラは、心底ほっとしたような顔をした。

「おじい様が心配なさってたわ。もうだいぶ顔色はいいようだけど、具合はどう?」

「ごめんなさい、サラ叔母さま。心配をおかけしました」

 起き上がろうとするマリオンを押しとどめて、サラが母とよく似た優しい笑みを浮かべた。

「お勉強するのもいいけれど、程々にしておかないといけないわ。夜はちゃんと眠るものよ。おじい様には私が報告しておきますから、このまま寝ておしまいなさい」

 どうやら卿とヘンリーはマリオンの具合の悪いのを自分たちのしていた話のせいではなく、夜更かしということにしたらしい。

 あながちそれも間違い、というわけではないのだが、理由の大半はそれではない、ということは自分が一番よく知っていた。

「ごめんなさい、叔母さま」

 マリオンがもう一度あやまると、サラは立ち上がりながら今度は悪戯っぽく笑った。

「そういうときはね、マリオン。謝るのではなくお礼を言うものよ」

「ありがとうございます、叔母様」

 素直にお礼を述べると、彼女はためらわずマリオンの左目を隠している金色の髪を右手で払いのけ、現れた彼の額に軽く口づけた。

「どういたしまして。さぁゆっくりお休みなさい」

 燭台の灯りを一つだけつけたまま残し、サラがでてゆくとマリオンは深いため息をついた。

「まいったな」

 あんなところであんなふうに気を失うなんて、僕はいったいどうしちゃったんだろう。

 確かに、おじい様の話にはかなりの衝撃を受けた。

 あの黒龍を蘇らせたのが、まさか自分の先祖だったかもしれないとは思ってもみなかった。

 フリーディアにひどい仕打ちをして冷酷に血のいけにえとし、なおかつそれによって蘇った人食い黒龍をフォートワースの町に解き放った男。

 おろかなる殺人者と呼ばれていたが、おろかというよりも極悪非道で残虐なといった形容詞のほうがよさそうだ。

 なぜなら彼はきっと自分のしたことの結果がわかっていたから。

 きっとフリーディアはそのためにのみ連れ去られたに違いないから。

 あんなひどいことが計算づくで普通の人にできるなんて思えない。

 黒龍をわが身に取り込んだときの穢れた黒い記憶が、マリオンの頭の中でおぞましい再現を遂げていく。

 黒龍の記憶の中に黒髪のあの男はいなかっただろうか?

 そう思いつつ、吐き気をこらえながら再現を続けるが、蘇った黒龍の最初の記憶は、血まみれのフリーディア・クロスの恐怖に大きく見開かれた青い目だった。

「でもひとつだけわかったかな」

 穢れた記憶の再現に疲れきったマリオンは、目をつぶって羽根枕に深くもたれた。

 地下室の頭蓋骨は、黒髪のあの男のものじゃない。

 この城は百五十年程前にできたのだ。

 三百五十年ほど前にはここよりもっと北にもう少し大きな城があった、と文献には書かれていたはずだ。

 もちろん、城の引越しのときに、誰かがわざわざあれを隠し持ってきたのかもしれない。

 肖像画だってあったくらいだ。

 彼のことを忘れたくなかった誰かがこっそりと持ち出したことは充分に考えられる。

 しかし、それにはもうひとつ無理があった。

 フリーディア殺害および黒龍の復活事件のあと、黒髪の男がローセングレーン家に二度と戻れたはずがない。

 この近くに立ち寄ることすらためらわれたはずだ。

 並外れた美貌はかなり目立ったと思うし、見つかったらただではすまないことも承知だったろう。

 だから、あれはあの男ではない。絶対、違う。

 そう考えるとなぜか安心できた。

 そこまで考えて、マリオンはかけられていた毛布の端をぎゅっと握った。

 何故僕は、こんなことで「安心」しなくてはならないのだろう?

 あんな昔話で気を失うほど、僕は一体何が不安だったんだ?

 もうやめてしまおう。

 マデリーンの言ったことなんか気にしなきゃいいじゃないか。

 今までだって陰で散々言われてきたことだ。

 たった一度、堂々と正面切って言われたからって、気にすることなんかまるでありゃしない。

 マデリーンは正直なだけだ。

 仮面を被った親切ごかしの偽の笑顔より、彼女はまだずうっと正直だ。

 マデリーンのこともあんな人形のことも、全部、綺麗に忘れたほうがいいに決まってる。


「寝てしまおう!」

 マリオンは毛布をすっぽりと頭から被って眠りにつこうとしてみた。

 だが、一旦目覚めてしまった神経は容易に静まろうとはしてくれなかった。

 眠いはずなのに神経だけがきんと研ぎ澄まされた感じで、目の前に黒い記憶の断片が延々と再現を繰り返す。

 うんざりしながらそのまましばらく眠れぬベッドの上で転々とするうちに思い当たったのは、

「人形にかけた魔法をといて元に戻しておかなくちゃ」

 と、いうことだった。

 今度自分がいつここに来られるか、わからない。

 きまぐれな誰かがあの地下室をあけないとも限らない。おじい様が肖像画を全部入れ替えると言い出すかもしれない。

 そのときあれが見つかったら、ちょっとした騒ぎになるだろう。

 誰がやったのかといえば、魔法が使えるバージルかマリオンしか考えられない。

「何とかしてこなくちゃ」

 毛布を勢いよくはいで起き上がると、マリオンは気を失っている間に着替えさせられていた寝巻きを普段着に着替えてブーツを履き、こっそりと後片付けをしに地下室へ向かった。

 地下室の扉を開け、中へ続く数段の短い階段を降りる。

 もちろん中には誰もいない。

 結界は誰にも破られていないようだ。

 だが、たとえようのない何かの気配、微かだが無視できない存在感が人形の置いてある奥の小部屋から威圧する。

 自分のかけた魔法のせいだけではない、何か、がマリオンの肌をちりちりと刺激し、鳥肌をたてさせた。

「なんだろ、こんなの初めてだ」

 小さくつぶやきながら、あわ立つ自分の腕をさすりつつ奥の部屋へ入っていく。

 人形はマリオンが置いていったときそのままに、椅子にかけた姿勢でじっとうつむいていた。

「よくできたよね。初めてにしてはなかなか上出来だ」

 人形のあごに手をかけて上を向かせてみる。

 やはり、あの顔だ、と思う。

 髪の毛をつけて目を開けてみたらきっともっと……。

 まるでそのマリオンの心の声に答えたかのように、人形のまぶたがゆっくりとゆれたように見えた。

 ぎくりとマリオンの手が震えた。

 何故? 何故この人形はこんなにも存在感があるのだろう?

 マリオン自身はあの男の性格すら知らなかった。

 ただあの絵の男の顔を最終形に選んでみただけだ。

 それなのに何故こんなにも出来がよかったのか? まるで、顔立ちどころか性格まですべてあの男そっくりに写しとれたように……。

「自分で作った人形なんか怖くないぞ?そんなに目を開けたいなら開けてあげるよ」

 マリオンはゆっくりと右手を彼のまぶたの上にあてた。

 ゆっくりと手をどかすと、その動きにつれて人形の目が、ゆっくりと開いていく。

 やがて人形がその瞼をあけきると、少し切れ長の黒い瞳が、じっとマリオンの顔を見つめてきた。

 漆黒の深い底のないような視線がマリオンの緑の視線とぶつかり、じっとりと絡み付いてくる。

 そこにあるのは怖さというよりも言い知れぬ焦燥感とでも言うべきものか。

 気分を高揚させるものなのか。

 どうにも落ち着かないもの、言葉に言い表せないなにかがマリオンの背中をじわじわと這い登ってくるようだ。

「その黒い瞳でのぞき込まれると男も女も例外なく……」

 おじい様の言葉がふと、脳裏をよぎった。

「冗談じゃない。僕にはそんな趣味はないよ」

 それに惑わされないようにと、マリオンは軽く左右に頭を振った。

 いつのまにか掌と額にうっすらと汗をかいていた。

「魔法を解いちゃうの、もったいないよ、ね?」

 だが、さっきまで思ってもいなかった言葉を、いつのまにかマリオンは口に出していた。

「ここまで出来てるんだし……。せっかくだから作るだけは作ってしまおうかな。悪戯に使わなきゃいいんだよね」

 本当はいい男の人形を作って、園遊会の最後の夜のダンスのときにマデリーンをだまして笑ってやろうと思っていたのだけど。

 マデリーンやミレーユたちが人形に見惚れてボーっとしてくれたら、それで満足だったのだけど。

「作るだけにして誰にも見せずにここに置いておこうかな」

 それがいいよね、誰にともなく小さな声でつぶやく。

 そうだな、それがいい、そうしよう。

 低いトーンの深く甘い誘惑の響きを持った男の声が、頭のどこかで聞こえたような気がした。

 そうと決まれば、作業を進めるだけだ。

 マリオンは迷わず次の段階へ進んでいく。

 本人もそれと意識しないうちに、前の計画どおりにことは進んでいく。

 もはや不安も疲れも眠気も何も感じなかった。

 まずは衣服を着せてしまおう。

 そうすれば、もっと人間らしくなるだろう。

 もう一度、全体に安定の魔法をかけ、前に探し出しておいたおじい様の若い頃の衣服を着せていく作業をはじめた。

 白いドレスシャツと金糸の刺繍がついたスタンドカラーの黒の上下は、布地が少し古くなってはいるが、今でも充分通用しそうなおしゃれな型のものだった。

「おじい様もこんなものを着ていたんだな」

 両手で目の前に上着を掲げて見ながら、それを着ていた若いおじい様を思い浮かべてみた。

「もしかしてヘンリー叔父さんみたいな感じだったのかな?」

 口元に小さく笑みを浮かべながら、マリオンはその衣服を人形に着せていく。

 仕上げに釦で留める形の黒のブーツを履かせると、どうやらシルエットだけは何とか人間に見えるようになった。

 次は顔をもっと人間に近くしていく。

 あの肖像画を人形のそばに運び、転写の魔法をかける。

 元々似ている、というより原型自体が彼そのものだったので、顔の形は微妙な隆起が起こっただけでほとんど変わらない。

 彼が呪文を唱え終わると、見る見るうちに肌色の塊でしかない人形の頭部に、漆黒の髪や眉毛、睫毛、血のように赤い唇等が鮮やかな色合いで描き加えられていった。

 黒く細く量の多い髪の毛は柔らかくうねりながら妖しく首筋を這い、形の良い眉は男らしさを顔に加えていく。

 長い睫毛は底のない黒瞳こくどうに更に深い影を落とし、優雅な曲線を描く赤い唇はその端に少し皮肉な笑みを浮かべた。

 だが、マリオンはまだ、気づいていない。

 転写の魔法をかけていない段階ではすべてが肌色の塊のはずの人形の目が、何故開いたときにすでに黒かったのか、ということに……。

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