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その2 自動人形

「なんだろ?」

 今まで何度もここへ来て同じ本を出し入れしているが、それが目にとまったことはなかったような気がする。

 上の棚へ何度も本を出し入れしているうちに、振動でその紙が少し前へ出てきたのかもしれない。

 手を伸ばして破れないように、その紙の端っこを慎重に引いてみた。

 紙は引かれるままに本の間から抜け出てきて、素直にマリオンの手の中におさまった。

 それは便箋より一回り大きいくらいのもので、少し厚ぼったい柔らかな手触りの茶色に変色した古い紙だった。

「照らして」

 マリオンの命令とともに蒼白い灯りが揺れながら手元まで上がってきて、そっと紙を照らした。

 柔らかな灯りに目を凝らしてみると、その紙はなにかの図面のようで、黒いインクで繊細な線が複雑に引かれているのが見て取れる。

 どうやら人型のなにか、自動人形オートマタのようなものの図面のようにマリオンには思えた。

「おもしろそうだな。ショーンが喜ぶかな?」

 兄弟子のショーンならこのような細工物が大好きだ。

 作るに値するかどうかは別にして、きっと図面を眺めるだけでも楽しんでくれるだろう。

 大事にとっておいて帰る時に持っていこう、と二つにたたみかけてマリオンは、その裏にも何か文字と絵が書かれていることに気が付いた。


『誘惑の自動人形-麗しき赤き唇にて紳士淑女を惑わす魔族の如き自動人形オートマタ

 優雅な飾り文字で題が書かれ、そのそばには黒の線画で描かれた自動人形オートマタの出来上がりの図と思しき、ゴブレットを片手に椅子にくつろぐ美青年が描かれている。

 なかなか画力のある絵描きの手になるもののようで、確かに魅力的な美青年であることが一目で見て取れる。その目は悩ましげで扇情的な雰囲気を醸し出しており、少し退廃的で妖しげだった。

「誘惑とかたぶらかすとか惑わすとかって、昔から魔族ってこういう妖しげなイメージなのかなぁ?」

 どうやらマデリーンの言ってることもあながち間違いじゃなさそう、と少し自虐的な気分でマリオンは苦笑した。

 でも、待てよ、そうだとすれば、あのマデリーンだってイチコロじゃないか。

 マデリーンはどこそこの貴族の若君が美青年だとか、あの顔が好みだとか普段の言動からしてそんなことばかりだ。

「あいつに人のことなんか言えるもんか」

 不満げに唇を尖らしたマリオンは乱暴にその紙を折りたたみ、無造作に上着の胸のポケットにつっこんだ。

 これから正餐に行かなくてはならない。ということは着替えをしなくてはならないということだ。

 この簡素な木綿の服は、おじい様には受けるかもしれないが、他の叔父や叔母たちがどんな顔をするかは容易に想像がつく。

 マリオンは今そこまで冒険をする気分ではなかった。たぶんもうあまり時間はない。

 部屋までできる限り急いで戻ろうと、図書室から自分の部屋のある三階まで裏階段をこっそり二段飛ばしで駆け上がっていった。もちろん口うるさい執事や女中頭や叔父さん叔母さんに見つかれば、「なんて落ち着きのない」と、お小言を喰らうことになる。だが今日は運良く誰にも出会わずに、三階まで無事にたどり着くことができた。

 安心して自分の部屋の扉の取っ手に手をかけたちょうどその時、ななめ向い側の部屋の扉が開かれた。 中から女の子たちの嬌声が聞こえてくる。いつもこの部屋は空き部屋だったのだが、園遊会のために二階の部屋がつかえなくなり、女の子たちが移動してきていたのだ。

 ため息をつく暇もなくマリオンはすばやく自分の部屋の扉の内側へ滑り込み、音を立てないように静かに扉を閉めようとした。

 その閉まりつつある扉の微かなすき間を縫って、マリオンの耳に聞きたくもないような言葉が飛び込んでくる。


「だからってね。どこの馬の骨ともわからないんだから、あんなに贔屓することなんてないのよ」

 と、これはまぎれもなくマデリーンの声。

「お顔がお母様のほうに似ているからしょうがないんじゃなくて?」

 こまっしゃくれた口調でマデリーンのまねをしているのは妹のジャニーン。

「マディ、その馬の骨に……」

 ちょっとからかうような口調でミレーユが何か言いかけたが、その続きはすでにぴったりと閉じられた扉に邪魔されてうまく聞き取れなかった。

 もちろん今のは自分のことだ、と気づくには時間がかからない。

「馬の骨で悪かったねっ!」

 マリオンは盛大に顔をしかめると、扉に向けて拳を振り上げ、大きく舌を出した。

 それから急いで顔を洗うと、マリオンは一部のすきもないように特に念入りに身支度をした。

 シルクの白のドレスシャツに、ちょっと迷ってからショーンにもらった橄欖石かんらんせきのはまった襟止めをつける。(「これ、お前にぴったり。お貴族様にはこういうのも必要なんだろ? 遠慮しないでもっていけよ」と彼はのたまった)

 母が見立ててクローゼットに置いていてくれたたくさんの衣服の中から、銀糸の縫い取りのある蒼灰色の上下を着込んだ。

 柔らかな長い革のブーツからよく磨いた固い革の短いブーツに履き替えると、胸に白いハンカチーフと花瓶に生けてあったクリームがかった白い小さな薔薇を差し込む。

「きざかな?」

 首をひねって呟きながら、髪を結んでいたリボンをはずすと手早く梳かし、鏡を覗きこんでついでに笑顔の練習をする。

 絶対負けてなるものか。今はそんな気分だった。

 そこまで何とかこなしたとき、扉にノックの音がした。

「マリオン、いるか?」

 ちょっと控えめに扉が開き、その隙間からリチャードの黄色い頭がのぞいた。

「今いく! ちょっと待って」

 いつもと変わらぬ口調にリチャードがあからさまにほっとして中へ入ってきた。

「なんだよ、嫌にめかしてるじゃないか」

 マリオンは眉を上げて見せただけで何も答えない。

 そのマリオンの裏に隠れた不機嫌を敏感に感じ取ったリチャードが、いくぶん神妙なようすで目を伏せた。

「さっきは悪かった。そんなつもりじゃなかったんだ」

 今度は無言で首をすくめて見せる。

 リチャードはちょっと困ったように眉を八の字に寄せ、

「大丈夫だよ、僕はなんにも気にしちゃいないからさ」といった。

 それは僕の台詞じゃないの? お前が言うか? という文句とため息は胸に秘めたまま、マリオンは髪の毛を再びリボンで結びなおしながらうなずいて見せた。

「でもさ、ああいうときは適当にあしらっといたほうが身のためだよ? どうせ占いの結果なんて一年も経ったら誰も覚えちゃいないんだからさ」

 マリオンは唇の端っこをちょっとだけ上げて、シニカルに微笑んだ。

「ご忠告どうもありがとう」

 そのあんまり信用されていない雰囲気に、リチャードは少しムキになったように腕を振り回し早口でしゃべりだした。

「ほんとだって。女の子たちのああいうのに真面目につきあってたら、時間も労力も無駄なんだって。どうせ興味の対象なんて毎日どころか、瞬きして息を吸うたびにコロコロ変わっちゃうんだからさ」

 いかにもおませな妹がいる兄の実感のこもった台詞だと思って、マリオンは吹き出した。

 小さく笑みを浮かべるマリオンをみて、リチャードも安心して満面の笑みを浮かべた。

 それから眉をしかめ、早口で今まで溜め込んでいたらしい不満を述べた。どうやらいつも彼女たちがそばにいる状態では、愚痴るわけにいかなかったものらしい。

「一所懸命何かやってあげてもさ。どうせすぐ忘れちゃうんだよ。自分に都合のいいことしか覚えちゃいないんだ。冗談じゃないって。

 この前の冬にさ。ミレーユが僕の友人のマルセルってかっこいいわ、一度お話したいっていうからわざわ手紙書いてね、お茶会はいかがですか? って口きいてやったんだよ。

 マルセルから遊びに行くって返事がきたのが、五日後だったと思ってよ。僕はすぐ馬を飛ばしてミレーユに教えに行ってやったさ。

 そしたらミレーユ、なーんていったと思う?

『あぁら、私そんなこと言ったかしら。私、今ブライトン公のところに遊びにいらしているフレデリック様がとっても素敵だと思うのよ。ね、どう思って? リック』 ……って言われてもさ、僕は一体どういえばいいって言うのさ」

 マリオンは笑いをこらえるのに必死だったが、リチャードはそれにはまるで気づいていない。

「ほんとに、その後マルセルに説明するのが大変だったよ。カンベンしてほしいよね。かっこいいとか、ハンサムとかそんな外見ばっかで男がわかってたまるかっての。しかもなんでああ趣味がころころ変わるんだろ? マルセルとフレデリックって全然似てないんだぜ?」

 本気で怒りはじめているらしいリチャードに、マリオンはとうとう声をあげて笑い出した。

「でもそれってどっちもどっちでしょ。そういうリックもかなりの面食いってやつだと思うんだけど」

 ちぇっと品のない舌打ちをしながら、リックはマリオンのベッドに寝転がった。

「男はいいんだよ。だって女の子はそのために綺麗にしようとしてるんだから、そういう努力は認めてあげなきゃ、だよ」

「そういう問題かなぁ」

 マリオンが首をひねる。

「そういやブライトン家のお嬢様に会ったことあるかい? すごい美人なんだぜ?」

 ブライトン家の令嬢? とマリオンが記憶の中からその顔を捜そうとしていると、

「あれ? これなんだい?」

 リチャードがマリオンの上着の胸ポケットからベッドの上にすべり落ちたと思われる、あの自動人形オートマタの図面を手にしていた。

「ああ、図書室で見つけたんだけど、細工物とか図面とかが好きな兄弟子に見せようかと思って」

「ふーん」

 裏を返してみてリチャードが感嘆の声をあげた。

「うわー。こんなん好きそうだなー」

 誰が? とは聞かなくてもわかった。彼女たち、自分たちの従姉妹たちだ。

「女受けしそうな顔だなぁ」

 ちょっとうらやましそうな口調でリチャードが言った。

「ただの人形だよ? うらやましがってどうするんだい?」

 マリオンが笑ってリチャードの手から図面を取り上げ、

「ほら、リック。早く行かなくちゃ」

 と、まだベッドに脱力して寝転がっているリチャードを急かした。


 結局はしびれを切らした執事に扉をあわただしくノックされ、二人が大急ぎで正餐に出向いた時はすでに他の皆は席についていた。

「ほぅ。我が家の貴公子様たちは王侯時間でおでましとな?」

 おじい様であるレオナール卿が、慌てて椅子に座るリチャードと、殊更ゆっくり優雅に振舞おうとしているマリオンに面白がっているような視線を投げた。

 特にマリオンは昼に会ったときは軽装であったのに、鮮やかな色で正装したうえに胸に宝石と薔薇の花まであしらって、なにやら気合が入っているふうだ。

 女の子たちは、二人が入ってくる時にそちらをちらりとながめてこそこそ何かささやき交わしている。

「遅れてごめんなさい、おじい様。本を読みふけっていて時間を忘れてしまいました。リックは僕を待っててくれたんです」

 静かにしかしはっきりと謝罪の言葉を述べ、マリオンがおじい様であるレオナール卿に笑顔を向けた。

 卿もゆたかな白い口髭の口元をほころばせながら、マリオンに鷹揚にうなずいて見せた。卿が、この毛色の変わった孫に不機嫌な顔を向けることはほとんどない。

 卿がこの孫を特に気にかけるのはお気に入りの娘の子供、というだけではない筈なのだが、マリオンは「それはあの母の息子」だから、だと自分で理由付けていた。

 夫が魔族である、ということはマデリーンの台詞ではないが、ローセングレーン家の娘としては名誉なこととはいえない。ましてその二人の間に生まれた子供となれば、本来ならば見つかったその場で命を奪われるか、どこか他へ養子に出されるかしてもおかしくはなかった。むしろそれを行わなかったということで、不思議がられたものだ。その子供を受け入れたのは、母であるシルヴァーナと祖父であるレオナール卿だけといってもよかった。

 なぜレオナール卿は、あの母子を、特に子供を自分の庇護下においたのか。いろいろな憶測がなされいろいろな噂が飛び交った。

 しかし、人々の口の端にのぼった数ある噂のうち、当たっているものはひとつもなかった。その答えはいたって単純だったのだが……。


 そんな単純な答えに思い当たらない人々の中で育つことは、大変な忍耐を強いられるということだ。

 マリオンは常に好奇の視線に晒され、何かあればすぐに非難の対象にされた。ひねくれて育たなかったのは、ひとえに母と祖父のおかげ、そして魔術の師匠とそこにいる弟子たち、特にバージルとショーンのおかげと言えるだろう。

 マリオンの誕生に関わる一連の事態と、一族といういわば身内から受けた仕打ちは不幸なことであったが、育つ過程でそのような人々と関わることができた彼は実はこの上もなく幸運だったとしか言いようがない。

 それでも彼にはある種の気後れのようなものが、常に付きまとう。

 実直で真面目、それでいて柔軟な思考の持ち主であるバージルは、その本人自体がおじい様に好かれている、と、マリオンは思っている。

 自分には好かれる要素は、母親がシルヴァーナだという以外、何もない。魔法を使えるということが、決して名誉なことではないと思っている子供。他の者よりも頭もよく、優しく、見目麗しく育っていることを非難の理由とされる子供。今更本人の努力では決して変えることの出来ない、血筋という負い目を背負った子供。

 彼にとっても自分自身というものは、はなはだうとましく、厄介なものでしかなかった。

 だが、逆にその部分によってレオナール卿に賢くていい子、しかもその自信のなさが放っておけない危うさともろさを持った健気な子供だと思われている、ということにまだ彼は気づいていない。

 しかもその負い目ゆえに、常に頭を上げ、前を向き、背筋を伸ばしていこうとするマリオンの強さを卿は愛していた。

 そう、何故、彼ら母子をレオナール卿は自分の庇護下に置いたのか、当時、親戚一同が思いつきすらしなかった、それが答えだ。

 彼らを、シルヴァーナを、そしてマリオンをただ愛していたからだ。

 今では傍目にもそういう理由だったのかもしれないということが、判ってきている。

 レオナール卿のマリオンに接する態度や慈愛に満ちた気の配り方、彼からの便りに対する一喜一憂の仕方など、そばで見ている者からすればいっそ羨ましいくらいの偏愛ぶりだ。たぶん、マリオン本人よりも周りのほうがはっきりと気づいているだろう。

 そのことがわかったからと言って、彼らの偏見がなくなるものではないが、当時より風あたりが格段に弱くなったのは明らかだった。


 やがて食事が終わりに近づいた頃、レオナール卿がマリオンをチェスに誘った。

「これから一勝負しないか?デザートが終わったらわしの部屋でどうだ?」

 マリオンは小首をかしげる。

「僕なんかでいいんですか? ちゃんとおじい様の相手になるかしら?」

 レオナール卿は笑った。

「充分相手になるさ。ヘンリーなんぞよりよほどお前のほうが手強い」

 思いがけず名前を出された末息子のヘンリーは、苦笑いを浮かべた。

「ひどいなあ。何もそこで僕の名前を出さなくてもいいじゃないですか。そんなに僕はへぼですかね?」

 うむ、と卿は真面目くさった顔でうなずいた。

「へぼというか、まあマリオンよりは格段に下、だな」

「これだ。そこまで言われちゃ今度、僕がマリオンと一勝負するしかないな。どっちが上か決めなくちゃ」

 ヘンリーが冗談とも本気ともつかない口調で宣言し、周りの者の笑いを誘った。

「やめといたほうがいいわ、ヘンリー。恥の上塗りになるだけですからね」

 姉シルヴァーナによく似た顔立ちの次女サラがデザートのベリーパイを口に運びながら涼しい顔で追い討ちをかけた。

「おいおい、姉さんまでそんなことを言うのかい?よし、マリオン、おじい様との勝負の前に叔父さんと勝負だ」

 ヘンリーは勢い込んでさっさとナプキンを投げ捨てると、立ち上がった。

「まあ、まだマリオンはデザートの途中よ。せかすのはやめて頂戴」

 シルヴァーナよりもやや大人しめの性格でもっとおっとりしているサラは、一族の中では卿を除くと一番、マリオンに優しく、実の母よりも体調や気分に気を配ってくれることが多い。

 しかも彼女は、母親の強さをしっかり身につけていた。

 今も肉に手をつけず、パンと野菜と果物だけを口にしたマリオンの様子にちゃんと気づいていて、せめてデザートくらいは、と思ったのだろう。

 ヘンリーを睨んで再び席につかせ、マリオンには優しく微笑んだ。

「いいのよ、ヘンリー叔父さんなんかの言うことなんてほっといて、ゆっくりおあがりなさい」

「今度は"なんか"ときたか。みんな僕には冷たいなあ」

 ヘンリーが大げさな身振りでぼやいて見せ、ひとしきり笑いが起きた。

「それというのも、嫁もとらず気楽に遊んでいるから、だろうな」

 長男ジェイソンがさらにヘンリーの腐りそうなことを言い出し、さらに笑いをとる。

「マリオン、まだ食い終わらんのか? 早く終わってくれないと、僕がみんなのデザートにされてしまうよ」

 ヘンリーがマリオンのほうを向き、口をへの字に曲げ頭を抱えて見せた。

「まぁ、甥っ子にチェスでも勝てないような奴には嫁のきてもないかもしれんな」

 再びジェイソンが笑い、

「かんべんしてよ、兄さん」

 ついに我慢できなくなったヘンリーが、マリオンのデザート皿が空なのを確認してから彼の腕をひっつかんで、強引に立たせた。

「わしの部屋でやっておれ。すぐ行く」

 レオナール卿がナプキンで口を押さえ、面白がっているような口調でヘンリーに声をかけた。

「誰か他にチェスで僕に負けたい奴はいないかい?」

 ヘンリーが声をかけたが、他のいとこたちでチェスが得意な者は、この場にいないバージルだけだ。

 皆が無言でかぶりを振ると、ヘンリーは楽しそうな顔で少し迷惑そうな顔のマリオンを連れて部屋から出て行った。

 マリオンが部屋に戻ってきた時には、もう夜はだいぶ更けていた。

 途中でレオナール卿対ヘンリーの勝負が一番挟まったものの、あとはずっとマリオンとヘンリー、マリオンとレオナール卿の対戦が続いたのだ。

 特にヘンリーは負けたのが悔しいからと続けて二試合ほど挑戦してきた。

 ヘンリーはへぼだとレオナール卿は言ったが、マリオンが手を抜くことが出来ないほど力が拮抗していてほどよく負けるチャンスを失ってしまったのだ。

 かなりの接戦の後、ヘンリーとは一勝一敗、レオナール卿には一敗一引分けという結果がでた。

(ヘンリー対レオナール卿は、当然、卿の勝ちである)

 それでも全勝できなかったヘンリー叔父はどうやらチェス熱に火がついたようで、明日の夜も勝負をすること約束を強引にさせられてしまった。

 どうも、兄のジェイソンの一言が効いているようだ。十も年下の甥に負けるわけにはいかない、というところだろうか。

「疲れちゃった……」

 マリオンは服を脱ぐのもそこそこに、ぱったりとベッドに倒れこんだ。

 一日にいろんなことがありすぎた。

 何の心の整理も出来ないうちにどんどん流されるように時間が過ぎ、結局また夜が来てまた朝が来る。

 そしてまた、マデリーンの高慢ちきなあの顔を見ることになるんだ、と考えるとなんだか憂鬱な気分だった。

 あのことに関して、彼はまだこだわりを捨てた訳ではなかった。

 どうしてやろうかな、と思う。

 あの時点で、すねてわめいてやればよかったかもしれない。

 癇癪を起こしてわめいて、魔法の雨でも降らせて皆のドレスに焼け焦げでも作ってやればよかったかも……。

 その情景を想像して思い浮かべてみると、おかしくてくすくす笑えた。

 それにしてもマデリーンは、決して謝ったりしないだろうな。

 悪いなんてこれっぽっちも思ってやしないんだ。

 でもたとえば逆に謝ってこられても、僕になんて言えるんだろう?

 そんな思ってもいないようなことを口にするな、と逆に怒ってしまうかもしれない。

 あーあ、と大きな声をだしながら枕を抱き寄せようとした時、かさりとあの図面に手が触れた。

自動人形オートマタか」

 ほとんど焦点があってない目でそれをかざして眺めてみる。

「僕に作れたらいいのにな。そうしたら皆をびっくりさせて……」

 口に出した自分の言葉にはっとして、思わず起き上がった。

 それから急にベッドから降りると今度は机に移動して、熱心にその自動人形の図面を調べ始めた。


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