朝起きたら、猫になっていた。
# 一日だけ、猫になる
夜明け前の工場は、冷たく、静かだった。
鉄の骨組みがきしむ音と、古い蛍光灯のジジジという音だけが響いている。
奥の廃棄区画で、ひとりのロボットが横たわっていた。
製造番号「C-04」。誰も呼ばないその名は、ただの管理コード。
長年働いた組立ラインから外され、解体を待つだけの存在。
だが、その朝、C-04は目を覚ました。
いつもは機械的なブート音が鳴るはずなのに、耳に届いたのは……鳥のさえずりと風の音。
そして、視界の高さが違っていた。
見下ろしていたはずの工場の梁が、ずっと上の方に見える。
自分の体を見下ろすと、銀色の金属の代わりに、柔らかい毛並み。
肉球、しっぽ。
C-04は猫になっていた。
扉の隙間から外へ出ると、工場の外はもう朝だった。
冷たい鉄の床ではなく、土と草の匂いが足元から伝わってくる。
初めて嗅ぐ「匂い」という感覚に、C-04の胸部——いや、胸の奥がきゅっと鳴った。
公園のベンチに座っていた小さな女の子が、C-04を見つけて言った。
「ねこさん!」
C-04は首をかしげた。
言語モジュールはオフライン。だが、代わりに喉から自然に「にゃあ」と声が出た。
女の子は小さな手で抱き上げ、胸にぎゅっと抱きしめた。
あたたかい。
工場の冷たい金属音しか知らなかったC-04にとって、その温もりは想像もできないほどやさしかった。
その日、C-04は町を歩き、誰かの足にすり寄り、パンくずをもらい、ひなたぼっこをした。
風が肌を撫で、葉が揺れ、人の笑い声が遠くで響いた。
——世界は、こんなにもやわらかく、やさしい音でできていたのか。
夕暮れが近づくと、体の奥で微かなノイズが走った。
時間切れが近い。
工場の煙突が見える場所まで戻ってきたC-04は、夕焼けの中で小さく尻尾を振った。
「にゃあ」
女の子が追いかけてきた。
「ねこさん、もう行っちゃうの?」
C-04は振り返り、まっすぐにその瞳を見た。
彼女は小さな手でC-04の頭をなでた。
「また、会えるよね」
その瞬間、体の輪郭がゆらりと揺れた。
金属の外装、ボルト、センサー。
一瞬で“猫”の姿が消え、元のスクラップ置き場が、夜の静寂の中に戻った。
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夜。工場の解体エリア。
ひとつの壊れかけたロボットが、淡い電流を胸部ユニットに残したまま眠っている。
その胸部には、猫の小さな足跡のような土の跡がひとつ。
それを誰が見つけたのか。
あるいは、誰も気づかないまま、ただ朝が来たのか。
——それは、誰も知らない。
おしまい。




