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第9話 お嬢様、オークとご対面する(そしてやっぱりお説教を始める)

 夜明け前の薄闇が、クヌート村を不気味に包み込んでいる。討伐隊のメンバーは息を殺し、リーダーであるヒルダの合図を待っていた。その中で一人、エレーヌ・ド・シャルムだけは、まるでこれから始まる園遊会にでも参加するかのような、妙な期待感に胸をときめかせていた。

「サム様、ミリア様。オークさんへの最初のご挨拶は、やはり笑顔と、わたくし特製の焼き菓子が基本ですわよね? 手紙も用意してまいりましたの!」

 小声でそう囁くエレーヌに、サムは「頼むからその菓子と手紙は腹の中にでも隠しとけ…いや、いっそ食っちまえ」と力なく応え、ミリアは「エレーヌさん、オークさんは筆不精かもしれませんし……」と苦しいフォローを入れた。


 ヒルダの鋭い手змахが夜空を切り、潜入部隊が音もなく闇に溶けていく。サムとミリアはエレーヌに「いいか、ここで一歩も動くんじゃねえぞ!記録はここからでも取れるだろ!」と厳命し、他の準備のために一瞬だけその場を離れた。

「まあ、お二人ったら心配性ですこと。わたくしだって、記録のためには現場の臨場感というものが何よりも大切だと、ちゃんと心得ておりますもの!」

 次の瞬間、エレーヌはまるでバレリーナのように軽やかな(つもりの)ステップで、あっという間に潜入部隊の後を追いかけていた。その手には、しっかりと羽根ペンと手帳、そしてオークへの「友好のしるし」である小さな包みが握られている。


 当然ながら、そのお嬢様仕込みの隠密行動(?)はすぐにサムとミリアに発見された。

「「エレーヌ(さん)!!」」

 無言の形相で迫る二人に両脇を固められ、エレーヌは「あらあら、そんなに慌てなくても、わたくし、ちゃんとついて行けますわよ?」と微笑みながら、半ば引きずられるようにして潜入作戦に「同行」することになった。道中、木の枝にレースの袖(動きやすい冒険服に着替えたはずが、なぜか袖だけはフリル付きだった)を引っ掛けたり、落ち葉を踏んで盛大な音を立てたりするたびに、サムの眉間の皺は深まり、ミリアの胃は悲鳴を上げた。


 やがて一行は、村の外れにある薄汚れた家畜小屋のような建物にたどり着いた。中からは、か細い人の声と、時折オークの唸り声が聞こえてくる。やつれた顔の村人たちが、家畜のように押し込められていたのだ。

「まぁ、なんて可哀想な……。あのような狭い場所に大勢で……まるで、わたくしのお屋敷で催される窮屈な夜会(ただし雰囲気は真逆で、香りも酷いですけれど)」

 エレーヌが不謹慎極まりない感想を小声で漏らした瞬間、サムの大きな手が彼女の口を力強く塞いだ。


 ヒルダの合図で、救出作戦が静かに始まった。手練れの冒険者たちが、影のように動き、オークの見張りを次々と音もなく無力化していく。村人たちもそれに気づき、静かに解放の時を待っていた。

 しかし、その静寂を破ったのは、一人の幼い子供だった。オークの恐ろしい姿を思い出したのか、恐怖に引きつった小さな嗚咽を漏らし始めたのだ。それに気づいた別のオークが、怪訝な顔で小屋に近づいてくる!

 万事休すかと思われたその時、エレーヌがサムの手を振り払い、子供に向かって叫んだ。

「坊や、泣いてはいけませんわ! ほら、わたくしが面白いお顔をして差し上げますわよ! にーらめっこしましょう、あっぷっぷ!」

 よりにもよって、オークの注意を全力で引きつけるような大声である。サムとミリアは顔面蒼白になり、ヒルダは額に青筋を浮かべた。


「グガァッ!?(なんだ貴様は!)」

 エレーヌの声に気づいたオークたちが、わらわらと小屋の周りに集まってきてしまった。潜入作戦は完全に失敗。絶体絶命のピンチである。

 ヒルダが苦々しく叫ぶ。「総員、戦闘準備!こうなったら力ずくだ!」

 冒険者たちが武器を構え、村人たちが恐怖に顔を歪める中、エレーヌはなぜか晴れやかな表情で一歩前に進み出た。

「皆様、お待ちなさいまし! 今こそ、わたくしの出番ですわ!」

 そして、棍棒や錆びた剣を振り回すオークたちの群れの前に、まるで舞台女優のように優雅に飛び出したのだ。


「オークの皆様、はじめまして!わたくし、エレーヌ・ド・シャルムと申します!本日は、皆様との友好のシルシとして、わたくしが心を込めて焼き上げました特製のハニークッキーを、お持ちいたしましたの!ささ、どうぞ遠慮なくお召し上がりになってくださいませ!」

 エレーヌはにっこりと微笑み、例の小さな包みをオークたちに差し出した。

 オークたちは一瞬、その場違いな光景にきょとんとした顔を見せた。森の静寂が戻ったかのような、奇妙な間。

 次の瞬間、ひときわ大きな体躯をしたリーダー格のオークが、エレーヌの手からクッキーの包みをひったくった。そして、それを匂いも嗅がずに地面に叩きつけ、巨大な足でグシャリと踏み潰したのだ!

「グルルルルルルァァァァァ!!!(こんな甘ったるいモン食えるか!それより、こいつ自身が美味そうだ!)」

 リーダーオークが、血走った目でエレーヌを睨みつけ、他のオークたちも一斉に獰猛な雄叫びを上げた。


 踏み潰され、泥にまみれた無残なクッキーの残骸。それを見て、エレーヌはショックで言葉を失う……かと思いきや、彼女は柳眉を逆立て、小さな拳を握りしめた。

「あらあらあら! なんてお行儀がよろしくないのでしょう!」

 その声は、いつものおっとりとしたものではなく、侍女頭のマチルダが礼儀作法を叩き込む時のように、厳しく鋭いものだった。

「食べ物をそのような形で粗末にするなど、言語道断ですわ! お母様に、感謝の心を込めていただくよう、教わりませんでしたこと!? まずはテーブルマナーの基本から、このエレーレーヌがみっちりとお教えしませんと!」


 そのあまりにも予想外な反応と、なぜか妙な威圧感を放つお嬢様の剣幕に、オークたちさえも一瞬たじろいだ。

 しかし、その背後で、ヒルダとサムは同時に額に手を当て、天を仰いだ。

「「もうダメだこりゃ(こいつ)!!」」

 ヒルダは斧を、サムは大剣を握り直し、ミリアも震える手で杖を構える。

 エレーヌのお説教が本格的に始まる前に、オークたちの怒りのボルテージが再び頂点に達し、凄まじい咆哮と共に襲いかかってきた!

 大乱戦の火蓋が、今まさに、エレーヌの的外れなお説教をBGMにして、盛大に切って落とされたのであった!

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