第8話 お嬢様、作戦会議に参加する(そしてやっぱりズレている)
討伐隊リーダー・ヒルダの号令一下、斥候部隊がクヌート村へと潜入していった。残されたエレーヌは、記録係としての使命感に燃え、「わたくしも最前線の生々しい記録をこの目に焼き付けなければ!」と、こっそり斥候の後を追おうとした。もちろん、出発して十歩も行かないうちに、サムとミリアによって両脇をがっちり確保され、強制送還されたのは言うまでもない。
「もう!サム様もミリア様も、わたくしの崇高なジャーナリズム精神を理解してくださいませんのね!」
ぷんすかと頬を膨らませるエレーヌに、ヒルダは巨大な斧の柄で地面をドンと突き、厳かに言い渡した。
「記録係。お前さんはここで、オークの巣穴じゃなくて、アリの巣穴でも観察してな。それか、そこの珍しい苔のスケッチでもしてろ。ただし、大声で『この苔はオークさんの食料になるかもしれませんわ!』などと叫んで、敵にこちらの位置を知らせるような真似をしたら……この斧の錆にするからな」
ヒルダの目は本気だった。エレーヌはちょっぴりしょんぼりしたが、すぐに気を取り直す。
「まあ、苔の観察も、奥が深そうですわね!ミクロの世界の冒険ですわ!」
こうして、サムとミリアの厳重な(そして疲労困憊の)監視のもと、エレーヌの珍妙な「後方記録活動」が始まった。
「ご覧なさいまし、ミリア様!この木の皮の複雑な模様は、まるで古代エルダリア王国の失われた財宝のありかを示す暗号地図のようですわ!もしかしたら、オークさんたちの隠し通路に繋がっているかもしれません!」
ミリアが覗き込むと、それはただの虫が這った跡だった。
「あら、可愛らしいリスさんが木の実を運んでいますわ!きっと、オークさんたちの秘密の食糧庫へ向かう間者ですわね!わたくしがお菓子を差し上げて、こっそり情報を引き出しましょう!」
サムがため息をつく。「……エレーヌ、それはただのリスだ。お前が昨日あげたビスケットの味が忘れられなくて、また来ただけかもしれんがな」
「まあ!わたくしのビスケットの虜になった、食いしん坊な間者さんですのね!」
エレーヌの脳内では、全ての事象が壮大な冒険ファンタジーに変換されるらしい。そのポジティブさは、もはや一種の才能と言えた。
数時間後、斥候部隊が緊張した面持ちで帰還した。持ち帰られた情報は深刻だった。オークの数は予想以上に多く、村の入り口には見張りが立ち、村人たちは鞭打たれながら何かの建設作業に従事させられているという。重苦しい雰囲気の中、焚き火を囲んで緊急作戦会議が始まった。
エレーヌは「記録のためですわ!」と、当然のようにその輪に加わり、小さな手帳に羽根ペンを走らせている。(「本日、斥候の方々がご帰還。皆様、お顔の色が少々土気色で、まるで上質なゴーストのようでしたわ」などと書いている)
ヒルダが険しい顔で切り出した。
「斥候の報告通りなら、正面突破は自殺行為だ。オークの数はこちらの三倍以上。村人も人質に取られている。……夜陰に紛れて少数精鋭で潜入し、まず村人を解放。その後、可能な限り混乱を引き起こし、その隙に全員で脱出する。これしかないだろう」
ベテラン冒 hommes たちが頷く中、エレーヌがぱっと手を挙げた。
「お待ちくださいまし、ヒルダ様!わたくしに、それはそれは素晴らしい妙案がございますの!」
全員の視線がエレーヌに集まる。ヒルダは嫌な予感を顔に滲ませながらも、「……言ってみろ、記録係」と促した。
「はい!オークさんたちをですね、わたくし主催の『友情と和解の仮面舞踏会』にご招待するのです!美味しいお料理と、楽しい音楽、そして優雅なダンスがあれば、きっと頑ななオークさんたちも心を開いてくださいますわ!ドレスコードは『森の仲間たち』。オークさんには力強いイノシシの仮面、わたくしは可憐な花の精の仮装を……」
しーん……。
森の静寂が、痛いほどにその場を支配した。歴戦の冒険者たちの顔からは表情が消え、サムは頭を抱え、ミリアは小さな悲鳴を飲み込んだ。
ヒルダは数秒間、虚空を見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……記録係。お前のその、常人には到達不可能な発想力だけは……買っておこう。万が一、オークがワルツをこよなく愛し、仮面舞踏会に目が無い種族だったという奇跡が起きた時のために、その案は『プランZ』として記憶の片隅に留めておく」
そして、「却下だ」と付け加えるのも忘れなかった。
作戦会議の後、エレーヌは少し不満そうだったが、すぐに次の行動に移った。こっそり荷物から取り出したのは、『オークさんの生態と不思議な習性』という、明らかに児童向けの絵本だった。
「ふむふむ……オークさんは、キラキラと光るものがお好き……とありますわね。それならば、わたくしのお祖母様から譲り受けた、あのルビーのネックレスを差し上げれば、きっと喜んで村人を解放してくださるに違いありませんわ!」
そんな危険極まりないことを真顔で呟き始めるエレーヌ。ミリアが慌てて「エレーヌさん、それはあまりにも危険すぎます! オークさんは、あの、そういうものを力ずくで奪い取ることも……!」と全力で阻止にかかる。
サムはそんな二人を横目に、「おい、ミリア。あいつの荷物、もう一回全部ひっくり返せ。ティーカップの代わりに攻城槌でも仕込んでいやしねえだろうな」と、本気で警戒を強めていた。
村への潜入および救出作戦は、翌日の夜明け前と正式に決定された。討伐隊のメンバーたちは、それぞれ武具の手入れをしたり、仮眠を取ったりと、静かな緊張感の中で最後の準備を進めている。
そんな中、エレーヌは小さなランプの灯りの下で、一際真剣な面持ちで羽根ペンを走らせていた。その手元にあるのは、上質な羊皮紙。
『親愛なるオークの皆様へ。
はじめまして、わたくし、エレーヌ・ド・シャルムと申します。この度、皆様と心温まる文化交流を深め、相互理解の一助となれますことを心より願っております。
つきましては、近々、ささやかながらティーパーティーを催したく存じます。わたくし特製のスコーンとサンドイッチをご用意し、皆様のお越しをお待ち申し上げております。
追伸。スコーンには、クロテッドクリームと自家製イチゴジャム、どちらを添えるのがお好みでいらっしゃいますでしょうか?』
その手紙を(エレーヌが席を外した隙に)こっそり覗き見たサムとミリアは、言葉もなく顔を見合わせ、そして二人同時に、森の奥深くに響き渡るかのような、長ーーーーーーいため息をついた。
「明日は、いよいよオークさんたちとの歴史的なご対面ですわね! きっと、心に残る素敵な出会いになりますわ!」
エレーヌは期待に胸を膨らませ、うっとりとした表情で夜空を見上げている。
サムは自分のこめかみをグリグリと押さえながら呟いた。
「素敵な出会い(物理的な衝突)で、俺たちがミンチになる未来しか見えねえ……誰か、あいつの頭の中にお花畑以外のものを植え付けてくれ……」
果たして、エレーヌ・ド・シャルムの真心(と大量の砂糖)を込めたティーパーティー外交は、凶暴なオークたちに通じるのだろうか?
……いや、通じるわけがない。討伐隊の、そしてエレーヌの運命やいかに。