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第10話 お嬢様、戦場を記録する(そして何かが目覚める)

「食べ物を粗末にしてはいけませんと、お母様に教わりませんでしたこと!? まずはテーブルマナーの基本から、このエレーヌがみっちりとお教えしませんと!」


 エレーヌの厳しくもどこかズレたお説教は、しかし、怒り狂うオークたちの耳には届かなかったらしい。リーダーオークの咆哮を合図に、棍棒や錆びた斧を振りかざしたオークたちが、津波のように討伐隊へと襲いかかってきた!


「総員、迎撃! 村人は絶対に守れよ!」

 ヒルダの檄が飛ぶ。屈強な冒険者たちが雄叫びを上げ、オークの群れと正面から激突した。剣戟の音、怒号、悲鳴、そしてオークの獣じみた咆哮が入り混じり、クヌート村の広場は一瞬にして凄惨な戦場へと変わった。


「エレーヌ(さん)!絶対にここから出てくるなよ(くださいね)!」

 サムとミリアは、エレーヌを比較的安全そうな倒れた荷馬車の陰に押し込めると、それぞれ武器を構えてオークの群れへと飛び込んでいった。

「まあ!なんて激しいのでしょう!これが本物の戦いですのね!」

 エレーヌは、その言葉とは裏腹に、瞳をキラキラと輝かせながら、小さな手帳と羽根ペンを取り出した。戦場の喧騒も、血の匂いも、彼女の旺盛な好奇心と記録係としての使命感の前では、些細な問題でしかないらしい。


「ヒルダ様の豪快な斧の一撃!まるで雷神トールの鉄槌のようですわ!オークさんの兜が、熟れたカボチャのように割れましたわね!……あら、中から出てきた赤いジャム(脳漿です)が、少々飛び散りすぎかしら? 後でお掃除が大変そうですわ」

「サム様の剣技は、荒々しいながらも力強さに満ちていて、まるでサバンナを駆ける野生の獅子のようですわね!……あらあら、お顔が泥と汗と、それからオークさんの返り血でぐちゃぐちゃですわ。後でわたくしが、とっておきのハーブウォーターでお手入れして差し上げませんと」

「ミリア様の魔法、まるで夜空を彩る美しい花火のようですわね!……あら、あのオークさん、ちょっと焼きすぎで丸焦げになってしまって、少々可哀想ですけれど。でも、香ばしい香りが……いえ、これは失言でしたわ」


 エレーヌの呑気で的外れな実況は、戦場の喧騒にかき消されることもなく、時折、奮戦するサムやミリアの耳にも届き、彼らの集中力を微妙に削いでいた。

 興奮してくると、エレーヌは物陰からひょっこり顔を出し、

「ヒルダ様、そのオークさんは右足を引きずっておりますわ!きっと古傷ですのね!弱点を攻めるのが戦いの基本ですわよ!」

「サム様!そのオークさんは少々体幹がグラグラしておりますわ!一本足打法で攻めてみてはいかがかしら!」

 などと、どこかで聞きかじったような戦術(?)を大声でアドバイスし始める始末。敵味方双方から「うるさい黙ってろ!」という怒声が飛んでくるが、エレーヌには「あら、皆様、わたくしのアドバイスがお気に召さなかったのかしら?」としか聞こえていない。


 討伐隊は善戦していた。ヒルダの斧がオークを薙ぎ払い、サムの大剣が道を切り開く。ミリアも恐怖に震えながら、「ファイア・アロー!」「ライトニング・ボルト!」と必死に魔法を放つ。時折、明後日の方向に飛んでいき、味方のベテラン冒険者の兜を焦がしたり、地面に無意味なクレーターを作ったりもしたが、たまにオークの顔面にクリティカルヒットし、予想外の戦果を上げることもあった。


 しかし、オークの数はあまりにも多かった。討伐隊のメンバーにも徐々に疲労の色が見え始め、負傷者も出始める。

「グオオオオォォォ!!」

 その時、エレーヌのハニークッキーを踏み潰したリーダー格の巨大オークが、他のオークを数体引き連れて、ヒルダの防御の薄い箇所を突破し、村人たちが固まっている場所へと突進してきた!

 村人の中にいた一人の子供が、恐怖に泣き叫ぶ。

「させん!」

 ヒルダが駆けつけようとするが、別のオークに阻まれ動きが取れない。

「子供から離れなさい!」

 ミリアが子供を庇うようにオークの前に立ちはだかる。しかし、その足は恐怖でガクガクと震え、杖を握る手にも力が入らない。

「ミリアっ!」

 サムが助けに入ろうとするが、周囲のオークに囲まれ、身動きが取れない状況だった。


 リーダーオークが、その巨大な棍棒をミリアと子供に向かって振り上げた。絶体絶命のピンチ。

「……いけませんわ」

 その光景を、荷馬車の陰から見ていたエレーヌの口から、小さな、しかし凛とした声が漏れた。

 いつものほほんとした彼女の表情が一変し、その大きな紫色の瞳には、これまでにない強い光が宿っていた。手にしていた羽根ペンが、カランと音を立てて地面に落ちる。

 彼女は無意識のうちに立ち上がっていた。

 幼い頃、退屈な宮廷生活の中で、唯一の楽しみにしていた英雄たちの物語。お城の書庫で密かに読み漁った、剣術の指南書や、古代魔法に関する難解な文献の数々。それらが、今のこの瞬間、エレーヌの頭の中で、まるで啓示のように結びつき、形を成そうとしていた。


「わたくしの……わたくしの大切な『お友達』に……」


 リーダーオークの棍棒が、ミリアと子供の頭上へと振り下ろされようとした、まさにその刹那。

 一陣の風のように、エレーヌが二人の前に飛び出していた。

 その手には、いつの間にか、訓練場でアルトから半ば無理やり持たされた木剣が握られている。(なぜそんなものを戦場にまで持ってきていたのか、そしていつ取り出したのかは、エレーヌ自身にも分からなかった)


「無礼な振る舞いは……このエレーヌ・ド・シャルムが、決して許しませんわ!!」


 いつものおっとりとしたお嬢様口調。しかし、その声には、誰も聞いたことのないような、鋼のような強さと、月光のような冷ややかさが宿っていた。

 棍棒を振り下ろそうとしていたリーダーオークも、エレーヌの尋常ならざる気配に一瞬動きを止め、その異様な変化に目を見張る。

 サムも、ミリアも、そしてヒルダさえも、息を飲んでその光景を見つめていた。

 ただのお飾りだと思っていた世間知らずの箱入り令嬢が、今、まるで伝説の勇者のように、巨大なオークの前に立ちはだかっている。

 次の一瞬、何かが起ころうとしていた。クヌート村の戦場に、新たな伝説が生まれようとしていた――のかもしれない。

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