第九話 エルフの姫の決意
神隠しの真相を明らかにし、より大きな問題が発覚したその日、アランたちはエルフの里を後にし屋敷に帰ってきた。
エルフの戦士たちに対して、帝国の手のものがエルフを襲っていることについては伝えてある。助けた女――エリーというのは後で聞いた――にも証言してもらい、戦士たちに警戒を強化するように伝えておいた。
戦士たちからは帝国の横暴に対する怒りの声が上がり、エリーを助けたことに対しては感謝を受けた。アランにとってエルフたちとの関係構築は急務であったため、今回のことは良い方に転がったと言える。
また、エリーという戦士ではないエルフとの関係を構築できたことも大きいだろう。戦士たちとは交流する機会も多く、関係を構築できつつあるが、戦士ではないその他のエルフたちとの関係はうまく作れていなかったためだ。アランとしては、エリーを足がかりとして、エルフ全体との関係を構築していきたいと考えている。
ゲストハウスに連れていった三人からは、思っていた通りそれほど多くの情報は取れなかった。外套を三着手に入れたことがいちばんの収穫である。ひとまず王子宛に手紙を書き、外套一着とともにその日の夕方に王都に発送した。
それら一通りの公務を終えて夕食の席、アランはいつも通りに山鳥を焼いた肉をナイフで適当な大きさに切り分けると、次々に口に運んでいた。一仕事をした後の夕食はやはり良い。そう思って味わっている。
その正面にはいつも通りフレデリカが座っている。ただ、フレデリカの様子は昼見た時と変わらず、どこか陰鬱な表情である。アランとしては面倒であるが気にしないわけにもいかない。
「そんな辛気臭い顔をしてるんじゃねえよ、飯が不味くなるだろう」
「……すみません」
「それで? 里長は何を企んでいる?」
突然のアランから言葉、昼に里長と話した内容が頭に残っていただけに、フレデリカは自分が動揺するのを感じた。動揺した後にしまったと感じるがもう遅い。その姿を見てアランは鼻を鳴らす。
「は、図星か、しかもその様子じゃあ何もしないように説得することもできなかった感じだな」
フォークとナイフを置くと、アランは腕を組みそう指摘する。こうなってしまっては抵抗の意味もないだろうと、フレデリカは諦め言葉を返す。
「里長……私の母はアラン殿のことを随分と恨んでいます。そんな母に賛同するものも多いようなのです……」
「当然だな、そうなるようなやり方だった。できるだけ禍根は残らないように気をつけたんだが……やはり人間とエルフだと勝手が違うな」
エルフは排他的な種族である。しかもフレデリカの里のエルフたちは、森に守られ自給自足をしていたため、他の種族と全く関わりがなかった。
そんな中で無理やり関係を持とうとしたのはアランだ。帝国からの干渉があり、それを調査しなければならなかったとはいえ、乱暴なやり方であったことには当然気付いていた。いくら死者を出さないようなやり方であり、アランに必要な部分については対価を払って協力してもらっている形にしているとはいえ、エルフ側に不満を持つものがいる事は避けられないだろう。
「里長たちは何かをするつもりです。それはアラン殿に敵対する行為になるでしょう。そうなったとき、アラン殿はどのように対処されるのですか?」
フレデリカとしてはできれば穏当な対応であって欲しいと願っている。それができるならばどんな協力でもするつもりだ。フレデリカはどうすればアランとの関係を壊さずに、かつ、里長たちの暴発を抑えられるかを必死に考えていた。
だが、アランからすれば、フレデリカのそんな心情は考慮の対象足りえない。
「聞かれるまでもないな。適切に対処するだけだ。場合によっては処刑する」
処刑という言葉を聞いてフレデリカは絶句する。いや、そういった対応をとることはわかっていた。ただ、言葉にされるとショックが大きかったということである。
その顔を見て、アランが付け足す。
「そう早とちりするな。別に処刑をしたいというわけではない。エルフの土地の管理はエルフに任せたいと思っている」
アランにとってエルフの土地は帝国との前線基地として掌握しておきたいというだけのことである。エルフたちを自身の領民として管理したり、税を取りたいというわけではない。
またエルフを根絶やしにして誰も住んでいない森にするという選択肢もない。誰も住んでいない森というのは管理が難しく、敵の侵入を拒みにくくなるためだ。それならばエルフに居座ってもらって、帝国の侵入者に対して対応をしてもらったり、警告を発してもらった方がやりやすい。
「以前にどうして俺が領主を継いだかと聞いたな?」
それは以前の夕食の席で、アランに対してフレデリカがした質問だった。
「理由は簡単だ、帝国が王国に対して干渉を始めている。その時に戦場となる最初の候補がエルフの森だからだ。エルフの森を抑えると、王国に対する攻撃の前哨基地となり得る」
それが戦略に長けた腹黒王子の見立てだった。だからエルフの里は急いで抑える必要があった。そのためには武力がいる。そこで、王子の手近にいる手駒のうち、この辺境伯領と関係性が深く、武力が高いアランに白羽の矢が立った。その経緯をアランはフレデリカに説明する。
「だがエルフの森に人間の兵士を常駐させることは現実的じゃない。だから、森はお前らエルフに管理してもらった上で、里長やエルフと友好関係が築ければ、俺はそれでいい」
それはフレデリカにとっては希望の言葉だった。アランには領土的野心も、エルフたちを領民として支配する野心もないということが知れたのだ。
「だが現里長は交代させる。里長は、エルフ全体をまとめることができ、俺に協力するやつでないと困る」
現里長が反抗的な態度を取るのは当然であるとアランは考えていた。里長の統治を破壊したのはアランだからだ。だが、もしその反抗がアランの利害と抵触するのであれば、頭はすげ替える必要があった。だからこそ、人質として次期里長を抑え、今後の布石を作ってもいるのだ。
だが、もし次期里長、フレデリカも現里長側につくというのであれば、アランとしては対応を考える必要が出てくる。
「お前はどうなんだ? フレデリカ?」
その問いは次期エルフの里長として、自分たちと協力する気があるのかという問いだ。アランとしてはできれば協力してもらいたいと考えている。エルフの土地の管理は人族には面倒が多すぎる。ノウハウがない巨大な仕事であり、トラブルが頻発することが予想されるためだ。
であれば現場の管理はエルフ自身にやらせ、アランの仕事は管理者との対話のみにとどめたい。その点で、次期里長であり、まだ年齢をそれほど重ねていない目の前の姫は都合が良かった。
その問いを前に、フレデリカは目を閉じ、心を落ち着かせる。アランはエルフたちを根絶やしにしたいわけではない。また、奴隷として酷い扱いをしたいわけでもない。少なくとも、エルフに対しては自治を与えるつもりであることは明確である。
逆らったとして勝てる見込みもない。フレデリカの母親がどのような策謀を練っているのかはわからないが、人族の寝物語にあるような勇者が突如現れて、自分たちの窮地を救ってくれるというようなこともない。
そうやって考えていくと、フレデリカは自分たちエルフの置かれている現状が非常に窮屈であることを改めて認識せざるを得なかった。いや、選択肢など無いも同然だろう。
母親たちと組んで無謀な反抗作戦を行い処刑されるか、恭順を示すか。その二つしか選択肢はない。
どうしてこうなってしまったのか。フレデリカは自問する。そして、母親を説得できなかったことを後悔する。もしあの時説得できていれば、イレーヌとアランの間を取り持つこともできただろう。アランと直接会話すれば、イレーヌも考え方を変えたかもしれない。
アランが森に来る前、フレデリカは自分がなんでもできると思っていた。次期里長として武も知も鍛えてきたのだ。だが、現実の問題の前には、自身がまだまだ矮小な存在であると自覚せざるを得ない。
「私は自分がもっと強いエルフだと思っていました、幼少の頃より様々なことを学び、次期里長として研鑽を積んできたつもりです」
ポツリと弱音のような言葉が自分の口から漏れる。強いエルフであると思っていた。どんなことでも対応できると思っていた。それが経験不足の小娘の甘い幻想であったことは、アランが来てから翻弄されるばかりの自分の境遇が如実に示していた。
「私は思い上がっていたのです……自分ならエルフたちを導き、里を発展させることができると、そう思い込んでいたのです……ですが、私は同族一人守ることができませんでした」
アランが来なければこうはならなかったのか? 否、そうではない。自分たちは気付かないうちに帝国からの攻撃を受けていた。神隠しなどといって真相を追わず、同族たちが連れ去られるのを座して見ていたのだ。
もしアランが来ていなければ、神隠しは今も続いていただろう。今日助けたエリーも連れ去られていたに違いない。連れ去られたことにも気付かずに現状を受け入れ緩慢な死を遂げていただろう。
いつしかフレデリカの目には涙が浮かんでいた。自分がアランとうまく交渉をまとめ母親を安心させられていれば良かったのだろうか? あるいは力をつけ、神隠しもアランの襲撃も撃退できていれば良かったのだろうか? 今となってはわからない。
自分の不甲斐なさを直視するのは辛いことである。だが、不甲斐ない自分を直視しなければ選択を誤ってしまう。
目の前の悪魔は何も自分に情をかけて問いかけているのではない。最初に本人が言った通り、この男はフレデリカが役に立たず、自分に害をなすと思えば、躊躇なくフレデリカのことを処刑するだろう。この問いは、フレデリカがまだアランの役に立つのか、立つ気があるのか、その意思確認なのだ。
できることなどほとんどない。自暴自棄になって逆らってもいけない。後悔も多い。わからないことも多い。だが、だからどうした。自分たちはすでに負けてどん底に落ちたのだ。あとは上を向いて這い上がればいい。
フレデリカは前を向く。アランを直視する。この男は悪魔で、自分たちの秩序を破壊した男だ。だが、交渉ができる相手でもある。自分が有能であれば便宜も図ってくれるだろう。
「私は……今の私には次期里長たる資格などなかったのかもしれません。ですが、私は必ず里長になります。そしてエルフたちをまとめてみせます」
その言葉を聞いて、アランは笑う。
「確かにお前は現時点ではただの世間知らずのお姫様だな、はっきりいえば俺は今のお前に何も期待してはいない」
言葉は強くフレデリカを打つ。だが、先ほどまでの陰鬱とした表情ではない覚悟を決めた表情でアランを見る。
そうだ。プライドが邪魔をして認められなかったが、自分にはまだ何もないのだ。強くならなければならないのだ。エルフたちを安心させ、まとめあげ、そしてこの目の前の悪魔がフレデリカに価値を見出すほど強くならなければならないのだ。
自分にはまだ何もないことさえ認められてしまえば、アランの言葉も受け入れられる。何しろ今の自分が期待されていないだけなのだ。この男は将来のフレデリカについては何も言っていないのだ。
「俺は辺境伯だ。この広大な地を統治する義務がある。だから俺は処刑も戦争もしなければならない。民を見殺しにすることもある。お前やエルフたちだって、利用価値がなければ切り捨てる」
だがとアランは続ける。
「お前たちに利用価値がある限り、俺はお前たちを切り捨てることはしない」
フレデリカが聞きたかった言葉だ。アランは、自分たちに利用価値があれば、切り捨てることはない。便宜も図ってくれる。
「強くなってみせろ、フレデリカ、俺を失望させるなよ?」
その言葉はアランからの期待の言葉である。自分たちの秩序を壊した憎き相手である。だがそれだけではない。神隠しのような自分たちに降り注ぐ災いから保護してくれる相手でもある。
フレデリカは覚悟を決める。自分は、自分が、次期エルフの里長として、エルフをまとめ上げてみせると。
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「ローズ」
「? フレデリカ様、いかがなさいましたか?」
その日の夜、廊下で見かけたローズにフレデリカは声をかけた。
「先日私に稽古をつけてくださるとおっしゃってくださいました。あれを正式にお願いしたくて参りました」
「それは構いませんが……どういった風の吹き回しですか? 先日はそれほど乗り気ではなかったように思ったのですが」
しっかり見ている。フレデリカはそう感じた。最初にローズから提案を受けた時、考えておくと返事をした。だが、内心ではそれほどやる気がなかったのである。
「稽古をつけて欲しいと言いました。ですがそれはアラン殿に抗うためではありません。私自信が次期里長として成長するためです」
だが、今日のアランとの会話の中で覚悟が決まった。このままではエルフの里は危機に瀕するだろう。現里長である自分の母親が何を考えているのかはわからない。だが、帝国からも干渉されている中で、アランと争おうとするのは無謀だ。
だから、自分は最短で里長になれるほどの力を身につけ、里のエルフに自分を認めさせなければならない。そして、里を導き、アランと交渉しなければならない。
「今日、私は様々な経験をしました。里長とは意見を違え、里の大切な民であるエリーは危うく攫われそうになりました。今の私ではこれらの問題は解決できません、私は変わらなければならない。成長しなければならないのです」
それはアランに反抗するためではない。アランは今日、エルフの里の少女を守ったのだ。アランにしてみれば片手間だったのかもしれない。エルフからの心象を良くするための行動だったのかもしれない。
ただ、確かにアランは自分たちの同胞を救ったのだ。そして、それをなすべきだったエルフの姫たる自分は、それをなすための力がなかった。
だから、自分は力をつける。そのためであれば何でもやってやるという覚悟を決めた。
そんなフレデリカを見るローズの表情は変わらない。フレデリカにはまだ感情は読めなかった。だが、ローズはぺこりとお辞儀をする。
「よろしいでしょう。あなたは強くなります」
アランの従者であるローズに認められたのだと、フレデリカはその日感じる事ができた。