第五話 里長の策謀
「よく無事に帰ってきました」
里長であり、フレデリカの母親でもある老齢のエルフ、イレーヌは、そうフレデリカに声をかけた。
ただ、老齢とはいえエルフである。その見た目は若いエルフとなんら遜色なかった。
「はい。お母様もお元気そうで何よりです」
場所は森の中の里長の家だった。フレデリカの生家でもある。イレーヌとフレデリカの他には誰もいない。里に一緒に来たアランとローズは、里の視察と、戦士たちの様子を見てくると言って別行動中だ。
せっかくの帰省だから里長に顔を見せてこいとアランに言われていたため、手紙で来訪を知らせる際に面会を取り付けたのだ。客人待遇になったとはいえ、人質として一人娘を取られた里長への配慮もあるのだろう。言葉遣いは乱暴でサディスティックなクソ野郎であるが、細かいところで気の利く男でもあった。
「あの悪魔の屋敷での暮らしはどうですか?」
「アラン殿の屋敷での暮らしは、今のところ不自由がありません。アラン殿は多少お戯れが過ぎるところはありますが……」
フレデリカはイレーヌにそう報告する。それを聞いて頷くイレーヌはほっとしたような顔をしていた。里長として、皆の前では威厳を保つ必要がある。フレデリカが自らアランの元に行くと宣言した時も、表情を崩さなかったほどである。だが、内心では一人娘が人質になることを心配していたのだろう。
心配をかけてしまったことをフレデリカは内心反省する。
「報告をありがとうフレデリカ。里は今のところ大きな問題は起きていません。悪魔に壊された守りの魔法は張り直しているし、戦士たちも皆戦えるようになっています」
戦士たちを再び戦えるようにしたのが、自分たちが悪魔と呼んでいる男であることが気に入らないのか、イレーヌの表情が曇る。
イレーヌからしてみれば、突如として自分が収める里が襲われ、多くの戦士が負傷したのである。それをなかったことにしたからといって、アランに対する悪感情がそう簡単に取り除かれるかといえば、そういうわけにもいかなかった。
フレデリカと異なり、イレーヌがアランと直接相対した機会もそれほど多くはない。フレデリカはそこに一抹の不安を覚えた。
フレデリカはアランと話す機会が多く、多少なりともアランの考えに触れる機会に恵まれた。そして、フレデリカはアランがエルフに対して何の理由もなく理不尽な行動を起こすとは思えなくなってきている。だが、今、里を収めている自分の母親であり、里長である、イレーヌはどうなのだろうか?
そのフレデリカの心配は、イレーヌの次の言葉でより大きくなる。
「ただ……里のエルフたちが、あの悪魔に取り込まれていっているような気がします。だから、フレデリカ、あの悪魔がどれだけ酷い人間なのか、あなたから里のみんなに一言言ってあげてくれないかしら?」
確かにアランが行っているのは典型的な人気取りの動きである。マッチポンプとはいえ、怪我を治療され優しい言葉をかけられれば、心情的に相手を恨み続けることは難しくなる。
フレデリカもそういったことを知識として知っていた。それを警戒するように伝えるという話ならばわかる。だが、イレーヌのそれは少々言葉が強過ぎるのでは無いかとも思った。
アランは確かにエルフの里を攻撃した。だが、エルフを誰も殺しはしなかった。今は、戦士たちを治療し、戦士たちに仕事を与えてもいる。そこに、あの男は悪魔だから警戒しろと言い切るのは言い過ぎだと感じた。
「お母様、先ほども申し上げましたが、私はお屋敷でよくしていただいております。それに、アラン殿は私たちエルフの命を一人も奪ってはいないのです」
フレデリカとしてはもちろんアランを許したわけではない。だが、許していないからといって、では、アランと対立する道が良いのかと言われれば答えは違うだろう。
「確かに警戒することは重要かもしれません。ですが、いたずらに悪魔であることを強調するのは、無用な混乱を引き起こすのではないでしょうか?」
フレデリカはあくまでもエルフの混乱を避けたいという意味で反論する。その反論にイレーヌは悲しそうな顔をする。フレデリカは心が痛む。しかし伝えないといけないことは伝えないといけない。
里長なのだ。統治者なのだ。感情だけで動いてしまってはダメだ。もちろん、一人一人のエルフの気持ちを蔑ろにするのは論外だが、今は比較的に安定した状態になっている。無用な混乱は引き起こすべきではない。フレデリカはそう信じていた。
「そうですか……あなたもまた悪魔に魅了されてしまっているのですね」
イレーヌはそう呟く。その呟きにフレデリカは嫌な感じを覚える。咄嗟に反論しようとするが、その前にイレーヌはフレデリカにさっと近づいてきた。そしてフレデリカの耳元に自分の口を寄せ、小さく囁く。
「悪魔への対応については心配いりません。私たちに考えがあります。あなたは悪魔がおかしな動きをしないか見張っておいてください」
はっとしてフレデリカは実の母親の顔を見る。そこには厳しい顔をした里長がいた。そこでフレデリカは気づく。確かにアランとローズはエルフの戦士の命を一人も奪ってはいなかった。降伏後には全ての戦士たちを回復させてまわっても見せた。森の監視業務に従事した者には給料も支払われている。
フレデリカとて、アランに気を許したわけではない。初対面の印象は最悪であったし、今もサディスティックな面が覗く事は多々ある。しかし、幾度となく夕食を共にし話をする中で、その見識の広さ、考えの深さを感じる場面が幾度となくあった。
次の里長として、俯瞰的なものの見方を幼少の頃から教えられてきたフレデリカにとって、アランがむやみやたらに自分たちの森を攻撃し、また人質を要求したとは思えないようになっていた。
それを籠絡されたといえばそう言えるのかもしれない。アランのことを知る機会があったフレデリカや、回復魔法をかけてもらった戦士たちの多くはアランに対して気を許すまでは行かないとしても、アランという人間への評価を改め始めている。一方で、里に住んでいる多くのエルフにとっては、アランは自分たちの生活を脅かした悪魔のままなのだ。
これはまずいとフレデリカは直感する。この誤解は要らぬ諍いを起こす。場合によってはアランがエルフを粛清するという事態にもなりかねないと感じていた。
アランは確かにむやみやたらに人を殺すような人間ではない。見識が広く物事を俯瞰的に見える人間だ。曲がり間違っても感情に任せて動き回るようには見えなかった。フレデリカはアランのサディスティックな毒牙にかかっているが、それでも一線は超えていない。
だが逆にいえば、必要があれば殺人に一切の躊躇がないようにも思えた。良くも悪くもアランは領主であり、善悪ではなく領地にとってそれが良いかどうかで動く。
今は共同関係にあるような状態だが、何かがあればこの関係は容易く崩れ去ってしまう。その危機感がフレデリカに忠言をさせようとする。
「お母様! 確かにアラン殿は我々の森を攻撃しました。恨まれるのも当然だと思います。ですが今は里の復興に力を注ぐべき時のはずです!」
フレデリカがそう叫ぶ。だがイレーヌはただ静かに首を振るだけだった。
「もう話すことはありません」
イレーヌがそういうと、後ろの扉から数名のエルフの戦士たちが入ってくる。里長の親衛隊である。アランとは直に矛を交えたことはないものたち。そしておそらくアランとは会話をしたことがないものたち。
「フレデリカを外へ」
それは対話の拒絶だった。フレデリカは悔しそうに自分の母親であり里長であるイレーヌを見る。イレーヌは優しい笑顔を浮かべているだけであった。
イレーヌから見れば愚かな娘に見えることだろう。自分たちの里を燃やして平穏を奪った相手に籠絡されたように見えるのだから。そんな相手に怒鳴りつけず、優しく接することができるイレーヌは優しい母親である。
だが、それではダメだとフレデリカは考える。里のエルフの生死を扱う里長は、感情ではなく理性で動かなければならない。いくらアランが憎いからといって、対立する道を安易に選んではダメなのだ。
戦士に囲まれ外に連れ出されるフレデリカは、状況の不味さを適切に理解していた。なんとかしなければならない。
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