第四話 サディスティックなクソ野郎
辺境伯アラン・フィッシャーの屋敷。その一室に朝日がカーテンの隙間から差し込んでくる。フレデリカはその光の眩しさによって目覚めた。
この部屋はフレデリカがアランから与えられた南向きの部屋である。調度品はそれほど多くはないが、大きなベッドと机が設置されている。部屋も広く窓も大きい。メイドでもあるローズが整えてくれているため清潔でもある。
人族であればおそらく喜ぶだろう部屋であるが、エルフであるフレデリカにとっては不便もある。まず窓が大きすぎる。エルフは深い森の中で過ごす。そのため、明るい場所は人間ほどには得意ではない。この屋敷に来てすでに一ヶ月経つが、フレデリカにとって、朝日での目覚めはいまだに慣れないものである。眩しすぎるのだ。
また森と共に生きるエルフにとって椅子に座るという行為はなかなか慣れないものであった。もちろんエルフも腰を下ろして休むことはある。だが、それは木の枝だったり、切り株だったり、地面だったりする。椅子に座って机に向かうというのはどうにも慣れないものであった。
だがこれらの環境にフレデリカは慣れなければいけなかった。フレデリカは人質としてアランの屋敷に滞在している。いつ帰ることができるとも知れない身なのだ。今滞在している場所に合わせなければならない。
フレデリカがベッドから体を起こすと、部屋の扉が上品にノックされる。フレデリカがどうぞと声を掛ければ、ローズが部屋に入ってきて一礼する。
「おはようございますフレデリカ様。お召し物をお持ちしました」
「ああ、ありがとうございます。毎朝ご苦労様です」
ローズから着替えを受け取り、身支度を整える。エルフの里にはメイドという文化はなかった。里長であろうとも自分の身の回りのことは自分でやるのが常であった。そのため、ローズのこの行動もフレデリカにとってあまり落ち着くものではない。
ただ、これも慣れなければいけないことの一つである。内心では落ち着かなさを感じつつも、フレデリカから渡された櫛で髪を梳かす。これも初日はローズがやろうとしたのだが、エルフであるフレデリカにとって、そこまでやってもらうのはプライドが許さず自分でやるようにしていた。
エルフは森と共に生きる。そして森は危険が多い。だからこそ、自身の感覚を研ぎ済ませるために、自分のことは自分でやる。髪の毛一本であったとしても、狩りの最中に髪が枝に引っかかり動きが阻害されれば、森の中では命にかかわりかねない。
髪を梳かしながら、フレデリカはこの屋敷の主人であるアランのことを考える。アランは、初日以降は思いのほか紳士的であった。屋敷で出会えば優雅な一礼をしてくれる。時折、困った事はないかと声もかけてくれる。夕食の共をする時には、愉快な経験談や、なるほどと思うような深い知識・洞察を披露して場を盛り上げてくれる。
また、降伏して以降、フレデリカの故郷であるエルフの里に対して酷いことをしているわけではないようだった。
フレデリカを客人として迎え入れたあと、アランはローズと共に何度かエルフの里を訪れていた。そこで、傷ついた戦士たちに回復魔法をかけてまわった。
回復魔法は非常に希少な魔法であり、使い手が少ない。エルフの里には回復魔法を使えるものはいなかったため、マッチポンプとはいえ、アランたちは歓迎されずとも邪険にされなかった。その中で、エルフの戦士たちと交流したようである。
アランは手心を加えていたのか、戦士に命を落としたものがいなかったことも、この訪問が受け入れられた要因だったろう。もし一人でも死人が出ていれば、誇り高き戦士たちである。たとえそれが、自分たちが使えない回復魔法をかけてくれるというチャンスであろうとも、アランたちを拒絶しただろうことは容易に想像がついた。
そして、アランは治療した里の戦士たちに呼びかけ、アランの主導で、森の監視業務を担わせる組織を構築したようだった。森の監視はエルフたち自身も普段から行っていることではある。だが、組織立って行われているものではなかった。アランは、自身の強烈なリーダーシップのもと、明確に組織化された監視体制を構築したようだ。
給金もしくは欲しいものの現物支給も行われるということで、戦士の間では人気がある仕事になっている。給金があれども買うものがなければ意味がないため、アランは里の近くの商人に声をかけ、行商を行わせるようにしていた。ただ、現時点ではほとんどの戦士たちは現物支給を好んでいるようである。そもそも行商人が来る機会もまだ少ない。給金よりも現物の方がありがたいのは当たり前であった。
そういったことを総合した時の、フレデリカから見たアランの現時点での印象は、領主として模倣的であるというものであった。自分でも意外に思うところだったが、アランに対してそれほど悪い印象を抱いていなかった。もし初日のことや自分たちの里が攻撃されたことがなければ、おそらくフレデリカはアランのことを領主として尊敬しただろう。
ただ、個人としては隠しきれない嗜虐癖がある。特に屋敷の中では顕著だった。夕食を共にするために食堂に行ってみると、なぜかフレデリカの座る椅子の周りに鎖が置かれていたり、拷問用の椅子が置かれていたりした。アラン自身はニヤニヤとフレデリカの方を見るだけで特に何もしてこなかったが、明らかにこちらが動揺するのを見て楽しんでいるのがわかった。
そのため、フレデリカの中でのアランは、領主として模倣的であるが、その人格は破綻したサディスティックなクソ野郎というものになっていた。
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「ローズ、アラン殿のあの嗜虐癖はなんとかなりませんか?」
ある日、フレデリカはローズにそんな相談をしてみることにした。この日は食事をしていると、いつの間にか足が椅子に拘束されてしまっていた。アランは椅子に座っていたため油断していたのだが、どうやら風の魔法を使って拘束用の紐を飛ばしたようだった。小用に行きたかったフレデリカは、それをアランに申告せねばならず、非常に恥ずかしい思いをすることになった。
「アラン様のあの癖は治りません。あれは生来のものです」
「そうですか……」
それに対するローズの返答は、考え得る中で最悪のものだった。フレデリカはゲンナリとした気分になる。人質として甘んじてこの境遇を受け入れるしかないのか。そうフレデリカが諦めようとした時に、ですがとローズは続けた。
「アラン様は、変わりは致しません。ですが、フレデリカ様自信が変わりアラン様の癖に対抗する方法はあります」
「ほっほんとうですか? それは一体どのような方法ですか?」
あまり期待をしていなかっただけに、フレデリカは驚く。サディスティックな男にどのように対応すればいいのか。それを知れればここでの暮らしが、もう少し快適になるだろう。期待を込めてローズを見るフレデリカ。ローズはフレデリカをまっすぐ見て答える。
「力をつけるのです」
「ちっ力ですか?」
「その通りです。圧倒的な力です。アラン様の攻撃に対応できる圧倒的な力があればいいのです」
まさかの脳筋な解決方法にフレデリカはめまいがする。フレデリカのイメージとしては、もう少し穏やかな解決方法を望んでいたのだ。何か苦手なものを教えてもらい、それを使って牽制するなどである。
そう思うフレデリカを放ってローズは止まらない
「そしてアラン様の攻撃を全て捌くのです。圧倒的な力の前にアラン様はなすすべなくあなたに組み伏せられてしまうのです。そうして驚くアラン様を力で征服し、アラン様のお洋服を……」
「わ、わかりましたから。そこまでで結構です」
話している途中からローズの口調が段々と熱を帯びてくる。相変わらず無表情だが、恍惚とした危ない雰囲気を感じたフレデリカは、慌ててローズの話を止めた。
普段は無表情なこのメイド兼従者だが、アランの話を始めると止まらなくなる。見ている限りは、ローズがアランのことを相当に好意的に見ているというのは間違いなさそうだった。
フレデリカも年頃の女性である。この二人の関係性に興味はあった。だが、その興味はひとまず置いておき話を続ける。
「つまり私に力をつけろということでしょうか? 正直、アラン殿に勝てるような力というのは難しいと思うのですが……」
「アラン様に勝てるほどは難しいでしょう。ですが、弱ければ搾取されるのみです。それに力といっても、それは武力だけではありません。例えば知略もその一つです。よろしければ私が稽古をおつけ致しますが」
フレデリカはローズの話を最初聞いた時に、何を言っているのだと思った。フレデリカも多少の武の心得はある。だがそれは里の戦士たちとは比べ物にならない。そんな里の戦士たちを一蹴したアランに対抗できるはずはないと思ったからだ。
だが、ローズの言うことにも一理あると思った。自信を鍛えずに現状を嘆くだけでは何も変わりはしない。それに、力とは武力だけにとどまらない。例えば、アランをやり込めるだけの知力と話術があれば、それはアランに対するいい牽制になるかも知れない。
里はアランの攻撃を受けて、これまでの暮らしは難しくなってしまった。だが、それを嘆くだけでは何も始まらない。現状を認識し、それを跳ね返すのか、それとも受け入れるのか、いずれにせよその選択をするのは自分たちである。
選択をする際に自分たちの力は何であってもあった方が良い。であれば、次期里長であるフレデリカ自信がまず変わり、里のものたちに方針を示すべきだろう。エルフたちを守るためには、フレデリカ自身が、まず方針を考える必要があるのだ。
それに、根が負けず嫌いなフレデリカは、不思議と闘争心が湧いてくるのを感じた。圧倒的な力の差があるとはいえ、確かにやられっぱなしというのは自分の性格に合っていない。
「そうですね……考えておきます」
そう伝えてローズに一礼し、フレデリカは自室に帰っていくのだった。
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フレデリカは客人待遇の人質である。そのためやらなければならないことは多くはない。だが次期里長として責任感が強い彼女は積極的に動いていた。例えば、アランが集めているという書籍を読み人族のこと、アランの収めるフィッシャー領のこと、フィッシャー領が所属する王国のこと、隣接する帝国のこと、王国と帝国の関係性について知ろうとしていた。
人族とは今後交流していかなければならない。だが、フレデリカの住んでいたエルフの里は人との交流が少なく、人族の風習や生活様式というものに全く馴染みがなかった。
また、自分たちが引きこもっていたため、自分たちがどのような国に囲まれているのかについても、最低限の自衛のために必要な知識以上のものがなかった。
だが、アランによって強制的に交流を再開した今、そういった知識はつけておかないと問題が起こる可能性があった。現時点で、アランからは自分たちエルフの立場については明確には言及されてはいない。
今後、アランの領地の領民となる必要があるのか、それとも自治を認められることになるのか、そういったことについてアランは何も教えてくれなかった。
そのため、フレデリカの直近の目標は、自治権の獲得であり、あくまでも対等の立場としてアランと接することができる立場になることであった。そのためにはアランが所属する王国のことや、人族の仕組みにおける領地について明るくなっておいて損はないはずである。
得られた知識を使ってアランに対しての提言も行おうとしていた。自分たちエルフの地位についての提言である。フレデリカとしては、エルフの立場を少しでも良くしたいという思いがあった。
だが、アランは忙しいようで屋敷を空けている事が多く、また、会えたとしても提言は一蹴される事が多かった。話にならないとだけ言われる事が多く、何がダメなのかを自分自身で考える必要があった。
エルフの里長としての教育は、エルフをまとめ上げることについては詳しかった。だが、人族との交流や、こういった外交に関わることについては一切存在しなかった。そのため、フレデリカはそういった知識も一から身につける必要があった。
やがて太陽が沈み夕刻となると、フレデリカはローズに呼ばれ、アランと夕食を共にする。これがフレデリカの現在の一日の過ごし方であった。
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フレデリカは、今日も夕食に招待された。内容は近くで取れた鳥を焼いたもの、野菜のスープ、パンだった。フレデリカとしては慣れ親しんだ地元の味という感じだ。
アランは暖炉の火を、火打石を使って器用につけていた。魔法を使えば楽なのではと聞くと、こういった無駄な作業が面白いんだと答えてくれる。
その後、二人揃ってテーブルにつき、神への感謝を捧げた後に食事が開始される。
アランはナイフで鳥を適当な大きさに切り分けると、どんどんと口に運んでいく。決して汚らしくはないが、上品とは言い難い。アランは辺境とはいえ領主である。ただ、その食べ方は、どちらかというと里の戦士の食べ方に似ているとフレデリカは思っていた。
「いつも思うのですが、アラン殿の食べ方は豪快なんですね」
「もっと直接に下品だと言ってくれてかまわん。そもそも俺は領主になる気はなかったからな」
「下品などとは思ってはいませんが、そうなのですか?」
「ああ、色々と事情があってな、領主を継ぐことになった」
アランは苦々しそうにそう言う。言い方としてもアランは渋々領主になったようである。理由を聞いてみるが、それはまだ話す気がないと淡白に返されてしまった。
アランは領主になってすぐにエルフの里に攻め込んだ。なので、アランが領主になったことと、エルフの里を攻めたことは無関係ではないはずだ。だが、フレデリカは客人とはいえ立場が弱い。無理に聞き出すことはできなかった。
仕方がないのでいつもの話題に入る。
「それで……今日は何の話をすればいいのでしょうか?」
フレデリカが夕食に招待される時、アランは決まってエルフの里や森のことについて色々と質問をしてきた。本人曰く、エルフの里やその周辺情報について知る必要があるということだった。
フレデリカ自身は複雑な心境ではあるが、嘘を言ってアランとの関係を拗らせたくはなかった。現時点でアランは里の降伏時の条件をきっちりと守っている。エルフに対して酷いことをしている様子もない。こちらから嘘をついて関係を悪化させることは避けたかった。
これ以上里に被害を出さないためにも、アランの質問にはできる限り正確に答えるようにフレデリカはしていた。
アランは、フレデリカの問いかけに食べる手を止め、顔をあげる。
「そうだな、フレデリカ……昨日の夕食時に聞ききれなかったのだが、エルフの里の神隠しについてもう少し聞かせてもらおうか」
アランが話題に出したのは昨晩の夕食時の最後に出た話題であった。エルフの里では、時折エルフが失踪することがあった。もちろん自然と共に生きるエルフである。魔獣に襲われるなどの不慮の事故はいつだって起こり得る。また、外の世界に憧れを持ったエルフが里を飛び出すこともないわけではなかった。
エルフたちはそういった原因不明の失踪を神隠しと呼んでいた。ただ、最近この頻度が増しているとして問題になっているのだ。元々は十年に一人程度の割合だったものが、この一年に限っては、毎月のように発生していた。
フレデリカがその事情を説明する。フレデリカの話を一通り聞くと、アランは顎に手を当てて唸る。
「どうかしたのでしょうか? 今の話に何か引っ掛かるところが?」
「いや。どうにもきな臭い感じだと思ってな。割合の増加が急すぎる。何か理由があると見て間違い無いだろう」
フレデリカも最近の神隠しの発生数の多さは気になっていた。十年に一度だったものが、毎月一度発生するようになったのではあからさますぎる。里の中でも話題にあがっており、皆が頭を悩ませている内容だった。エルフの出生数の低さを考えると、この速度でエルフがいなくなるというのは、看過できないというのもある。
アランは顎に手を当てたまま、考えを深めている様子だった。こうなった時、声をかけたり、不用意に近づくのは厳禁だ。アランは考え事をしている時に、それを邪魔されることを嫌う。
考え込むアランの周りでは、当然のような顔をしてローズが世話を焼いている。空いた皿を片付け、グラスに飲み物を注ぎ、暖炉に薪をくべている。この一ヶ月で見慣れた光景だった。ローズだけは、アランの機嫌を損ねることなく、アランの周りを動き回ることができた。
そんなことをフレデリカが考えていると、アランはついに決心したようで、顔を上げフレデリカに呼びかける。
「よし、フレデリカ、少しエルフの里に帰らせてやろう。エルフの里を訪問するぞ」
そのアランの言葉で、アランたち一行全員でのエルフの里訪問が決定した。フレデリカとしては一ヶ月ぶりの帰省となる。