第一話 悪魔の侵攻
深い森の中、武装したエルフの戦士たちは、弓や剣を構えて敵を待ち構えていた。皆緊張を顔に浮かべている。
無理もないとジークは思った。悪魔が自分たちの住む森に攻め込んで来てから、戦況は日増しに悪くなっている。悪魔を撃退しようと出ていった戦士たちは次々に負傷し、森は焼かれている。死者こそ出ていないが、このままでは遠からずエルフたちは敗北する事になる。
だからこそ、今日は大規模な反抗作戦として、里のエルフの戦士のうち精強なものたち二百人を選抜して来ていた。ジーク指揮の元、今日こそあの悪魔を撃退するつもりであった。
「ジーク、斥候に出ていたエルフからの報告です。前方から悪魔が来ます、まっすぐこちらに向かってきています」
ジークの妻であるアーシャが斥候からの報告を取りまとめて報告してくれる。
やはり来たかとジークは思う。どのような手段を使っているのかわからないが、悪魔は自分たちエルフの居場所を正確に把握して襲ってくる。特に、多くのエルフの戦士たちが集まる場所を優先して襲ってくる。
その襲撃に対して、今までは個別での対応をしていた。だが、今回はジーク指揮の元、組織だっての反抗戦である。罠もいくつも仕掛けた。ジークたちが考えられる中で最高の状態を整えている。
側に立つアーシャを見る。強いエルフの戦士であるが、その瞳は不安に揺れていた。怖いのだ。歴戦のエルフの戦士であるアーシャをして、これから立ち向かう悪魔は規格外の強さである。
ジークは夫として、また、エルフの戦士たちのまとめ役として、アーシャにそっと声をかける。
「アーシャ、不安か?」
「……はい。あの悪魔は強いです。これまでにも多くの同胞が敗れました」
アーシャが思いを吐露してくれる。ジークは静かにその思いを聞く。
「今回、私たちは出来うる限りの備えをしました。もしこの備えでも悪魔を止められなかったら、私たちにはもうなす術がありません……」
アーシャの不安をジークは正確に理解していた。今回は里のエルフの中でも精強なものを二百人連れてきている。今のエルフの里ではこれ以上に精強な戦士たちを用意する事はできない。
また、自分たちが伏せる場所を選び、多くの罠を仕掛けた。地の利も自分たちにある。
ここまで準備をして負けてしまったとしたら? 自分たちには悪魔に抵抗する術がないという事になってしまう。もしそうなってしまえば、自分たちはどうすればいいのだろうか?
アーシャはそうやって現実を突きつけられるのが怖いのだと言っていた。
その不安はジークにも当然あった。戦士のまとめ役として表には出さない。だが、心の中ではどうしたって不安を完全に払拭する事はできなかった。
「確かに君の不安はわかるよ。だが私たちはこれだけの準備をしたのだ。最後には神が味方をしてくれるよ」
この世界に生きる人たちは皆信心深い。それは魔法という奇跡が使えるからだ。説明のつかないその力を、人々は神の力と呼んだ。
そして、神は信じる者の味方であると、そう信じられていた。ジークは、自分たちの準備の十分さを説明することもできただろう。だが、不安な気持ちは、理論ではなく信じるものによって解決されると思っていた。だから、神の力を信じろと、そう伝えた。
これは決して精神論などではない。不安な気持ちというものは、信じる事によってのみ解決されるものなのだ。
ジークの言葉に、アーシャも少し元気になる。そしてニコリと笑うと、頑張りましょうとだけ言って持ち場に戻っていった。
ジークは息を吐く。ああ、神様。どうか私たちを救いたまえ。そう願いながら。
「悪魔が来たぞ!」
エルフの誰かのその声に、ジークは弾かれたように動き出す。素早く前進し、声が聞こえた方に行って悪魔の位置を確認する。そこには一人の男が立っていた。王国の騎士の装備を身に纏ったツラのいい男。ここ数日でエルフたちを絶望のどん底に落とし込んだ悪魔。
悪魔は全くの自然体で森を歩いてきていた。一見すると完全に油断しているように見える。だが、ジークは知っていた。この悪魔は備える必要がないのだ。自分たち程度は備えずとも一掃できると、そう思っているのだ。
ぎりっと、ジークは歯を食いしばる。弱気になっていてはダメだと自分を鼓舞し、備えていたエルフたちに指示を出す。
「弓隊、構えろ!」
その言葉に、エルフの戦士たちが弓を構える。エルフの里謹製の、魔力が付与された強力な弓と矢。魔獣であったとしても、当たりどころさえ良ければ一撃で倒せる強力な武器だ。人族が使う弓と矢とはものが違う。
緊張の一瞬。
悪魔が最も良い位置に入った時、ジークは大声で声をかける。
「放て!」
百本を超える矢が一斉に悪魔に向けて放たれる。魔獣すら一撃で倒せる矢が雨霰と降ってくるのだ。通常であればこれでかたがつく。
だがその瞬間、悪魔の周りに魔力が集まる。そして、巨大な火柱が発生した。その火柱は飛んできた矢を全て燃やし尽くし、矢は一本たりとも悪魔に届くことがなかった。
「っ!? 怯むな、第二射用意!」
ジークが言葉を発する。だがそれよりも悪魔が動く方が早かった。弾丸のような踏み込み。弓隊の一部が潜んでいる方に迷いなく突っ込む。続いて轟音。それだけでジークは何が起こったか理解せざるを得なかった。
ああ、神様。どうしてですかと。ジークは神に祈らざるを得なかった。
だが嘆いても何も始まらない。ジークたちの絶望的な戦いは始まってしまったのだ。
アラン・フィッシャー。
敗れた戦士たちがうわごとのように読んだ名前。それが、エルフの里を襲っている悪魔の名前だった。