第一部〈人生の敗北者、女神面接に挑む〉スマホの求人広告に表示された「勇者 緊急募集!」
小笠原由紀夫の出身大学は滋賀県の「丘の上大学」だ。
地元では「名前さえ書ければ入れる」と評されている。
就職活動は50社近くを受けたが、すべての会社で不採用だった。
それもそうだ。
由紀夫が書いた履歴書はひど過ぎた。
名前と学校の他には、まともなことが書けなかったからだ。
由紀夫が履歴書を書くうえで、もっとも苦しむのが志望動機だ。
本音をいえば由紀夫は働きたくはない。
だから会社にも行きたくない。
無職では生活できないから働くだけ。
なのに会社に入りたい理由を無理やりひねりださなくてはならない。
適当に埋めておく。
「御社の企業理念がすばらしいから」
うすっぺらい。文字にするのも恥ずかしい。
続いて、志望者の「強み」やら「長所」やらを書く項目がある。
由紀夫はこれまで生きてきた中で、自分には飛び抜けた強みも長所もないことはわかっている。
だから。
「やる気は負けません」
「とんな時も頑張れます」
などと、当たり前すぎることを書くしかない。
まだまだ埋めるべき「項目」は続く。
「特技・資格」
もちろんありません。
「アピールしたいこと」
特にありません。
「当社への質問、要望」
……ありません、以上。
苦しみながら書き上げた履歴書は、由紀夫自身も二度と読み返したくないような中身だ。
自分が読みたくないのだから、読まされる側はなおさらだろう。
結局、ネットで適当に見つけた「トリブル・シグマ社」に就職した。
彼自身も社名を聞いたことがない会社だ。
こんな自分を入社させてくれた「トリプル・シグマ社」に、由紀夫は心から感謝した。
が、それも入社式の1日限りで終わった。
翌日から新入社員のほとんどは「営業本部」に配属される。
販売するのは各企業や個人事業主をお客様とする「業務システム」。
”オフィスの業務効率化を劇的に推進します”という触れ込みのものだ。
その単価はなかなかにお高い。少なくとも10万円以上。
実際にやってみて、すぐわかる。
高額の契約なんて、そう簡単に取れるわけがないのだ。
しかし新入社員も月に1,000万円のノルマを課せされる。
その達成のため毎日、朝礼が行われている。
最初に全員が直立不動で「営業10訓」を大声で読み上げる。
続いて営業優秀者の表彰。
常に対象となっているのは原主任で、社員全員が声を合わせて、
「原さん、すばらしいです。私達も原さんに続きます」
と唱和する。
そして最後は営業成績が悪い部員たちの吊し上げだ。
前日の売上が50万円未満だった者は大声で「私の反省点」をスピーチさせられる。
言い訳がましいことを言った者。
3日連続で50万円以下だった社員。
彼らには上司からの罵倒が浴びせられる。
こうして社内では実質的な身分制度ができる。
成績優秀者は社内でちやほやされて傍若無人に振る舞う。
それに不満を持つ一般社員の不満のはけ口は、底辺社員に向かう。
ノルマの達成できない社員を見下し馬鹿にしてイジメるのだ。
由紀夫は入社後すぐに吊し上げの常連となった。
同じ立場の新入社員は次々と辞めていった。
だが代わりの社員は次々と入って来た。
なぜなら由紀夫でも入れる会社だから……。
1年後――。
由紀夫は誰もが知る日本でも有数の商社「新日本交易」に転職を果たしていた。
しかしなぜか彼の顔には元気がない。
それどころか疲れ果てた顔をしている。
それもそのはずだ、
一流企業に務めているにもかかわらず、5,000万円もの借金を抱えていたのだ。
なぜ、こうなってしまったのか。
ああ、思い出したくもない……。
そして由紀夫は、ヤミ金融の恐ろしい取り立て地獄に今日も怯えている。
暗い顔で帰りの通勤電車の駅のホームへ向かう。
ふらふらと歩きながら、由紀夫はスマホで金を工面するための方法を検索した。
画面には、闇ネットの即金仕事が出てきた。
「簡単な仕事です」と書いてあるが、おそらくどれも犯罪がらみだ。
絶望的な状況だ。
由紀夫の脚はふらついて、ホームの端にかかる、靴がすべる。
線路に落ちてしまった。
由紀夫の背後から、電車の大きな警笛が響いた。
ああ、俺はもう死ぬのだろうか。
由紀夫は、最後の瞬間を覚悟した。
そのとき、スマホの求人広告が大きく表示された。
〈異世界勇者 緊急募集!〉
成果時代で高報酬、高待遇を用意。
経験、年齢、男女問わず。
ただし魂消滅のリスクあり。
おそらく命の危険が迫った人間のギリギリの瞬間にしか表示されない人材募集なのだろう。
だとしたら、相当に趣味の悪い広告だ。
だけど。最後のチャンスともいえる。
この世から存在が消えてしまう人間にとっては……。
あまりに怪しい内容だが、迷っているヒマはない。
なにより犯罪の片棒をかつぐ仕事をするよりは、百倍ましだ。
由紀夫の指は引き寄せられるように、
〈応募する〉
をタップしていた。
大きく鳴り響き続けてる電車の警笛が、突然静かになった――。
気づいたら、由紀夫はまるで雲の上にいるかのような場所にいた。
真っ白くふわふわな感触が床に敷き詰められている。
空は水色の快晴だ。
目の前には女神様がいる。
女神?
なぜ由紀夫が女神と思ったか。
それは彼女の姿だ。
柔らかな金髪、抜けるように白い肌、大きな瞳。
白い衣装からはつややかな白い肩がのぞいている。
それだけではない、すべてが大胆だ。
胸のふくらみ豊かな谷間をつくっている。
ミニスカから見える白く柔らかそうなふともも。
その美脚は細い足首に向かってキュッと締まっていく。
すべてのルックスが女神のイメージに一致した。
ただ、顔だけはやや幼ささえ感じさせる。
若々しい肌つやだ。
「私は女神のソフィー・グレースです」
彼女が語り掛ける。
声も若々しく初々しい感じだ。
「ようこそ、小笠原ユキオさん。そして早乙女アキラさん。異世界勇者へ応募、感謝申し上げます」
もう一人いるのか。
ユキオはまわりを見渡す。
すると右のほうに、もう一人の男がいた。
高い身長、整った顔立ち、引き締まった筋肉質の体型。
ひと目で由紀夫よりはるかに高いグレードの人物であることがわかる。
女神・ソフィーが言う。
「いまセーガキャノンの世界に滅亡の危機が迫っています。それを救う勇者としての資格があるかどうか、お二人を面接させていただきます」
それに対して、最初に口を開いたのは早乙女アキラだった。
「待てよ。世界を救ったら、俺達はどうなるんだ? 何かいいことがあるのか?」
その責めるような口調に、女神は少したじろいた表情を見せたが、
「ええと……ですね、勇者として世界を救ったときには、その功績に応じて、ご希望の世界に、ご希望の待遇で送らせていただきます」
「では、元いた世界にも戻れるのかよ」
アキラがなおも、たたみかける。女神は少し瞳をうるませながら、
「ミッションが成功して、大きな功績を上げた際には、身に迫った危険を回避して元の世界に戻ることも不可能ではありません。もっとも、功績によりますが……」
アキラはよほど、元の世界に戻りたいのだろう。
ユキオは、俺はどうなのか? と考えてみる。
悪いことばかりだった元の世界に戻りたいのか?
自分でもわからない……。
「では、アキラさんから始めさせていただきますね」
女神が言う。
すると目の前の空間の中にアキラの前世が映し出された。
まるで映画のスクリーンみたいに。
アキラの前世の上映が始まった。
東京生まれで幼少から超有名私立校に通う。
25歳にしてIT企業を立ち上げて年商200億円。
今では企業グループのリーダーとして30以上の会社を束ねているという。
しかも剣道の有段者で学生時代は全国大会出場。
超ハイスペックだ。
ソフィーも驚きの表情で言う。
「超S級、これはめったにいない素材ね。文句なしに勇者の本命候補としてカラビア国の国王に推薦できるわ」
アキラは当然だろうという顔ですまして聞いている。
ソフィーが続ける。
「これだけの才能を持っていれば、十分なチート能力も授けられるわ。剣術攻撃能力、格闘攻撃能力、会話スキル、風の魔術、治癒魔術、そしてアイテムボックスも授けましょう」
それを聞いてアキラが言う。
「では、お眼鏡にかなったということでいいんだな。さっそくミッションを始めさせてもらおう。カラビア国王とやらの元に送ってくれ」
ソフィーが少しうろたえながら言う。
「でも……もう一人の応募者の面接が終わってからにしてはいかがですか? 互いに勇者として協力することができるかもしれませんし」
アキラは、由紀夫のほうに顔を向けた。
雑に見くだすように。
すると、
「あれ、あんた、どこかで見たことあるな」
とアキラが言い出した。
「思い出した。新日本交易にいただろう」とアキラ。
「えっ⁉︎」
由紀夫は自分の会社の名前を出されて驚く。
「あの夜の宴会には小西亜衣とかいった女がいたな。あの女は最高に面白かったよ」
あっ、この男、あの時の……。
由紀夫の頭の中に苦い思い出がよみがえった。
それは新日本交易の不手際が原因で起きたトラブル。
由紀夫は懸命に謝罪につとめ、取引先の怒りもなんとか収まった。
その夜、お詫びの宴席を由紀夫はセッティングした。
そこに企業グループの会長として現れたのがこの男だった。
宴席でもクライアントから罵倒される由紀夫。
それを懸命に弁護してくれたのが広報担当の小西亜衣だった。
優しくて仕事たもできる彼女に由紀夫はひそかに好意を抱いていた。
宴席の中、由紀夫をかばう亜衣にイラッときた早乙女アキラは、
「口の減らないお嬢さんだ。黙らせてやろう」
と無理やり亜衣の頭を両手で抱えて強引に唇を奪った。
凍りつく場の空気。
亜衣は顔面蒼白になり、次第に屈辱で顔が紅潮し、目が潤んでいく。
ひとり高笑いするのがアキラだ。
笑い声が不気味に響く。そして言う。
「ほら、静かになった。この俺にキスされたのだから光栄だろ」
亜衣は涙を流しながら部屋を飛び出した。
「亜衣さん!」
由紀夫は彼女を追った。
亜衣は女子トイレに駆け込んだ。
そしてすぐに水道を流す音が聞こえる。
けがされてしまった唇を一生懸命に洗っているのだろう。
由紀夫自身はキスさえ経験したことはない。
それなのに、思いを寄せていた女性が無理やりキスされて屈辱にまみれている。
そして何もすることができずにいる。
由紀夫はやりきれない気持ちで、ずっと響き続ける水が流れる音を聞いていた――。
由紀夫は当時を思い出しながら、悔しさに震えている。
それなのにこの男は亜衣さんへのひどい仕打ちを笑い話にした。
そのうえ由紀夫にこう吐き捨てる。
「あんたも謝るしか能がなかったよな。何もできない凡人だ」
由紀夫ははらわたが煮えくり返るくらい悔しい。
でもうまい言葉が出てこず、何も言い返すことができない。
うなっているだけだ。
アキラの物言いには、ソフィーもやや引いてしまっているようだ。
もう何も言おうとしない。
アキラが続ける。
「そいつはザコだよ。ひと目見ればわかる。協力どころか、いても足を引っ張られるだけだ。時間がもったいないから、早く目的地に送ってくれ」
ソフィーはため息をつき、
「わかりました。では、ご武運をお祈りします」
と言って、かたわらにあった杖を手に取り、アキラの方に手を振り下ろした。
するとアキラは光に包まれ、やがて消えた。
「アキラさん、いつもの勇者のパターンと同じね。だれもが最初は自信満々なのよね」
ソフィーが独り言のように言う――。