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そこがそうであるなんて固定はないんだよ

作者: ひいらぎ

なんの調べもなくて。

ただただ思いついたまま書いていきました。

整合性はないかもしれませんがご容赦を。

 冥土の入り口と呼ばれるほど自殺場として多用される廃墟があった。そこに今日もまたある一人の少女が安らぎを求めてやってきた。しかし、月の光に照らされて輝きを身にまとう少女により思いとどまる。


 少女こそが舞姫であり傷を治すものだった。


 また一人と増えていく。いつの間にか冥土の入り口は砦と呼ばれるようになった。傷を負うものの心の砦だと。救済と表現するものもいた。当事者たちはただの逃げ場所といっている。目を背けたい現実にいつかは向き合わなければならない。勇気の苗を作る場所であり、揺らぐことのない自己を作る場所として舞姫はその場所を作った。軽いものからどんどん光のもとへと帰っていく。なかには残り舞姫の意思にそって活動している。


 しかし舞姫は突然いなくなった。そして龍が現れた。砦は運営されつづけ光へと戻った者たちのツテを使い独自の情報網を発展。軽い悩み事や犯罪被害者の相談などもネットで行っている。そのため警察からは注視されている。一方で傷を抱えている者からは支持されている。


:       :       :


「だから、そんなことしちゃだめだよ。ね」

 闇に射した……。


 男が二人。夜の街を歩いている。

「どこにいくんですか」

 若い方が声をかけた。

「ついてくれば分かる」

 もう一人はくたびれたジャケットを羽織り、背を向けたまま答えた。


 二人がついた場所は、廃墟ビルだった。

「ようこそ。お待ちしておりました。……我らの砦へ」

 暗闇の中 少年の声が響き渡る。そして闇の中から顔を隠すようにフードをかぶった少年が現れた。

「では、参りましょう」

 ……にこやかに笑みをうかべているのだろう。少し声に表れているような気がする。影が再び闇の中へと消えていった。なんの躊躇いもなく、年配の男はついていく。訳も分からず、唖然としていた若い男はあわててあとを追いかけた。


「ここが砦です。改めまして。ようこそ」

 足を動かす音がした。地面を擦るような。仰々しいお辞儀でもしたのだろう。どれほど歩いたのか分からない。暗くて何も見えない。階段をかなり上ったが何階なのだろうか。立ち止まり先ほどの笑みをうかべているような口調。さびれた大きな鉄の扉が音をたてて開いた。


「……なんなんですか。ここは」

 再び若い男は唖然とした。目の前には廃墟とは思えないほど、綺麗で整頓された空間が広がっていた。そこには中高生がざっと三十人ほどがいた。外見とは全く違い、明るく、「場所」となっている。

「おそかったな。雅」

 部屋の中央に置かれているソファに座っている少年が声を出すと、くつろいでいた彼らは一斉に男たちの方をみた。誰一人顔をさらしていない。少し声が高いのだろうか。

「久しぶり。相変わらずの威圧感だな。龍」

 慣れたように中央に歩み寄る。

「お久しぶりです。村上さんこそ威圧感がありますよ」

 龍と呼ばれた少年は黒いパーカーをはおり、顔をフードで隠している。見えているのは口元だけだ。

「でそちらの方が相方さんですか。初めてですね。相方さんを連れてくるなんて」

 涼やかな笑みを浮かべている……のだろう。

「長谷川だ。頼むな」

 それだけ言うと若い男を龍の前に押し出した。

「こいつなら大丈夫だ。よろしく」

 その言葉に龍以外は全員フードを外した。

「ちょっと何するんですか。ていうかここ何なんですか」

 押されたことに。一斉に注目を浴びていることに慌てふためく。

「だめじゃないですか。ちゃんと説明しないと。だれだってとまどいますって」

 大人びている声が長谷川のちかくでした。妖艶に微笑んでいる。

「でもかわいいですね。ずっと、年下ばっかりだったからたまには年上もいいかな」

 ふふっと笑って、長谷川を龍と向かい合うようにイスを置き座るよう促した。

「ここは砦と呼ばれるある種の避難所です。で、私たちがそのメンバーです」

 龍の横に立つショートヘアーでメガネの少女がかわって答えた。龍と呼ばれた少年を中心に集まってくる。ちょっと怖いかもしれない。

「……いや。説明を受けても分かりません」

 立ちすくみ戸惑い続ける長谷川をよそに、横にいる妖艶な彼女はにっこりと変わらず微笑んだ。

「分からなくていいですよ。私たちの事はあなたたちに理解される必要はないですから」

 先ほどとはうってかわって厳しい一言。

「やめろ。言いすぎだ」

 こちらもまた大人びている青年がとめた。

「まあ。よろしくたのむ」

 結局何も分からないまま、長谷川は砦を出入りできる立場になった。ようだ。


 はあ はあ……。やだ。怖い。たすけて……。助けて。


「だれか来る」

 龍がソファから起きた。長谷川と顔合わせをして数日がたっていたが、あいつは一度も来ていない。

「どうしたんです?」

 雅と日向が龍を見つめる。と同時に、扉が開いた。


「……楓」

 三人以外いない砦に一人の少女が飛び込んできた。

 少女は一目散に龍に駆け寄り、抱きついた。ひどく震えている。雨のせいか濡れていた。

 そして、血で汚れていた。

「泣いているのか」

 大きな瞳いっぱいに涙を浮かべていた。強く強く抱きつく。まるで赤ん坊のように。

 龍が優しく頭をなでる。

「大丈夫だ。俺がいる」

 何度も繰り返し大丈夫と言い聞かせた。少女が落ち着くまで優しく抱きしめ、雅と日向はタオルに飲み物を準備した。

 楓という少女が落ち着くと、用意されていたメモ紙に何かを書いていく。

[いつものように寝てたら 物音がして おきてみたら]

 手が止まった。

「ゆっくりでいい。最後まで聞くから」

 隣に座った日向が肩を抱く。

[あの人たちが 血まみれで倒れてて何度も体をゆすったけど動かなくて。こわくて 走ってきたの]

 震える字が恐怖を感じさせる。

「大丈夫……。大丈夫」

 優しく日向が抱きしめた。


「調べたところ警察が楓を探しているようです。どうしますか。此処にいることは僕たち以外知らないことではありますが」

 来れるだけのメンバーを集めた緊急会議。

 楓は部屋で休ませている。雅のきりだしにこたえていく。

「かくまい続けるのはできるけど……。それだと、あの子を一人にする時間の方が多い……」

 七海が小さくつぶやいた。静かな時間になる。

「……っ楓さん……」

 最年少の聖夜が目を見開いた。

 ……部屋で寝ているはずの楓がドアから顔を出していた。

「寝れないの? ほら冷えるから部屋にもどろっか」

 日向が駆け寄り微笑みかける。ほかのメンバーを視界から消すように、楓の正面に立つ。

[私 警察に行く]

 メモ紙を差し出した。

「何言ってるの……。楓が警察に行く必要はないのよ」

 日向が抱きしめる。

[いいの。私がいって知ってること話したい。私は 皆の荷物になりたくない。ここの一員として ここに出入りできる立場として 胸を張りたいの]

 メモ紙に書いて見せた。

「楓、無理してないか」

 龍の言葉ににこやかに笑いうなづいた。


「じゃあ俺が明日、連れていくな。今日はゆっくり休む。明日から忙しくなるようやしな」

 日向の横で綾名が手を上げた。

「悪い、そうしてもらえるとありがたい。ってか、お前あっちの方は大丈夫なのか」

 愁が口を開いた。

「問題ないって。自主休講やね」

 さらっと流して。

 綾名に連れられ部屋にもどった楓が涙を浮かべていたことに気付いたのは日向だけだった。


「楓……。ごめんね」

 楓の寝顔。涙を止めることはできなくなっていた。

「日向」

 綾名の声に涙をあわててぬぐい去る。眼鏡をかけなおした。

「なに。珍しいね。こんなとこにくるなんて」

 赤くはれているだろう。目を見られないように顔を向けず声が震えないように、精いっぱいお腹に力を入れる。

「ばればれ」

 そういって頭をなでた。

「ったく。無理すんなって。お前がそうやってると楓が悲しむで。……泣きたいんなら泣けばええのに……」

 二人は屋上へと移動し、手すりにもたれ月を見上げた。 

「……泣けるわけないよ。私が、泣いていいわけない。泣きたいから泣くとか、赤ん坊と同じ」

「確かに」

 俯く綾名。

「それに……綾名がそんなこと言ったって全く説得力無いんだけど」

 日向の言葉に笑う。

「そりゃそうや。……ならこれなら説得力あるかな」

 日向の顔をまっすぐ瞳を見つめる。

「……泣くことを我慢しとったらほんまに泣きたいときに泣けんくなる。泣き方が分からようになる」

「……綾名」

 目線をそらすことができない。……そうだ。綾名はそういう人なんだ……。

「……ごめん……私」

 しゃがみ込む。涙が止まらない。……バカだ。

「どうせ、泣いたらダメとか思ってんやろうけど」

 ……。

 そうだ。綾名の言うとおりだ。私は楓と自分を重ねている。あの子を思って泣くことで、自分の心を保っているんだ。……自己満足のために、あの子を憐れんでいる。それをわかっているから。自覚しているからこそ、泣いちゃいけないんだ。自分は泣くことが出来る立場ではない……。でも……綾名からしてみれば甘えなんだ。泣くことができるのに、楓を言い訳につくって強がっているだけだ。

「……ありがと。綾名」

 ふわっと笑った。

「そうそう。日向の笑顔は頑張って咲く花にむけられるもんや。その笑顔で、俺たちの中にも救われた奴はぎょーさんおる。その笑顔で、楓は救われた」

 綾名の言葉が体にしみこむ。

「楓は日向が大好きで、日向の笑顔を見たくて、毎日、耐えてきたって。こうして会えた時、日向が笑顔で迎えてくれることが、嬉しくて、また、頑張って生きようって思うんだって」

 初めて聞いた話に驚く。にっこり笑って続けた。

「だから。思いっきり泣いて笑え。自分の事に向き合って前に行こうとする強い楓を、日向の笑顔で支えて俺たちも前に進もう。……俺らもお前が無理しとるほうがダメになるんやで」

 綾名の言葉に素直にうなづいて、素直に泣いた。


「どういうことだ。綾名君」

 驚いたように目を見開き村上が綾名をみる。顔を隠しているが村上には誰なのか声で分かるようだ。

「どういうこと、と言われても……。今回、村上刑事たちが担当している事件の被害者家族が警察署に保護を求めに来たのを付き添ってきた、ってだけなんですけど……」

 何もないかのようにさらっと言ってのける。

「……」

 何も言えない村上に、楓の背中をおした。

「ほら、大丈夫。この人は刑事さんの中でもまともな大人だから」

 二人が知り合いであることに気付いたのだろう。力強くうなずいて村上にメモを見せる

[こんにちは 田辺 楓です。よろしくお願いします]

 ペコっとおじぎをする楓にあわてて頭を下げる長谷川。

「……じゃあなんかあったらいつでも連絡して。日向がくるから」

 綾名の言葉に笑顔でうなづいた。

「……ひなたってだれですか」

「お前も話しただろ。って あの後から行ってないんだな」

 ……ばれてしまったのが罰が悪く俯いてしまう長谷川。

「ショートのメガネの子だ」

 そう言われて、思い出す。そう言えば少し説明をくれた少女。

「楓さんは日向に助けてもらったのかな」

 村上さんの言葉にこくりとうなづいた。

 見るからにか弱そうな少女がじっと二人の目を見つめるその眼は、とても澄んでいてまっすぐだった。すこしたじろいた。

 「じゃあ……話聞かせてもらえるかな」


「楓。大丈夫そうやな。村上さんおるから」

 綾名が報告した。

 それからというもの少しずつではあるが、事件に関しての情報を集め村上に提供している。独自の情報入手経路をもちいて。どうやら楓の里親が何者かに刺殺されたという事件のようだ。ぬかるんだ庭の土には男物の靴跡が残されていた。犯人は単独犯。窓が割れておらず、玄関から侵入。顔見知りと判断された。また荒らされた様子もないため物取りはなし。怨恨という考えで捜査を行っている。

 里親についてはいい噂はないようで、容疑者はいくらでも。近所でも楓のことは話題になっていたらしい。でも警察の介入や児童相談委員の聞き込みもきちんとは行われていなかった。近所の匿名の通報は受けて、報告書程度のものはあったらしいが。それを里親がうまくごまかして、楓の失語症もよくない人とつるんでしまった結果とか適当に答えていたらしい。噂の程度だか、それにより近所とは少し距離をおく形になっていたようだ。

「これってどこまでお伝えしてるんですか」

 聖夜が雅に聞く。

「すべてじゃなくていいですよ。ある程度は隠していかないと」

 にっこり笑った。

「いいのか。あんまり隠すと面倒だろ」

 パソコンに向かってまま飛んできた声に。

「全面的に信じる必要もない」

 龍が答えた。一斉に龍に集中される。

「そうだろ。向こうだってそこまで俺らの事を信じてるわけじゃないんだから。むりに絶対的に対等である必要はない。できる範囲で俺たちの思うことをすればいい」

 少しだけ空気が変わる。ほんの少しだけ緩む。

 楓の事で少しだけざわついていた空気がおだやかになっている。

 いつもそうだと思いだす綾名。

 舞姫のときもそうだった。彼女の一言で、一声で変わっていた。

「ほんま、なんでか似とるんよな」

 少し離れた場所から綾名が笑っていた。


 ……誰もいないのか。楓さんが保護されてから数日後。長谷川は村上に伝言をたのまれ、砦に来ていた。メンバーはすでに帰宅していて、誰もいないようだ。外からはわからないため階段をのぼってきたのに。かなり分厚いカーテンでもつかわれているのだろうか。……電気のついてる部屋があった。水のにおいがする。ノックをしたが返事がない。開けてみると……

「なんだ。来たのか」

 シャワーを浴びていたのかタオルを頭にかぶり、上半身裸の龍がいた。

「悪いが出てくれないか。着替えられない」

 固まる長谷川にたいして変わらず冷静な龍の言葉に、うなづき、しめた。

「……女……」

 絶句してしまった。だから声が高いと思ったんだ。

「誰も男とはいってないだろう。……何しに来たんだ」

 初めて会った時のように顔を隠しソファに座る。男だと思っていただけにショックを隠しきれず、動揺している。

 その一方で、どこか安心している長谷川がいた。

「別に隠してたわけでもねぇし」

 何もなかったかのように淡々としている。

「……いや。その……。すみません」

 頭を下げた。眼をあわせないようにして続ける。

「村上さんにとりあえずいってこい、と言われてきたんですが……。特にこれといって自分は用があるわけではなく……」

 しどろもどろになりながら小さくなる。

 龍しかいないのであれば、情報など聞き出せるはずがない。

「気にしてないからちいさくなるな。あと、用がないなら帰れ。俺ももう帰る」

 部屋を出る龍の後を追う。

「明日は全員集まる予定だから何か用があるなら、出直せ」

 暗く足元が見えにくい中、慣れた足取りで砦をあとにしようとする龍の腕をつかんだ。

 とっさのことで自分の行動に驚いた表情をしている。

「お前が驚いてどうする」

 驚いたこと以上に来た理由を思い出した。

「明日じゃだめなんだ」

 そう思い出した。長谷川は村上に伝えるようにと言われたことを。

「刑事課がお前たちの学校にあさって行って、直接話を聞くことになってるらしい」

 驚いたように振り返る。

「村上さんは、昼と夜とでは、お前たちにとって別世界みたいに隔ててる、って言ってた。俺にはよくわかんないけどお前たちにとって、困る事だってことだけは分かった」

「なぜそれを、お前が俺たちに教える」

 警戒している低い声。

「……村上さんは今マークされててここにはこれない。でも、村上さんはお前たちのことを心配していて傷つけたくないって言ってた」

 警察が砦をマークしているきっかけの事件は知っている。村上がどうして、警察内で浮いているのか。

 疑問だらけだった。

 どうして心配なのか。

 ただ、相方となって初めて村上が必死になって頼んできたことだった。長谷川がここにきた理由はそれだけだ。相方からの頼みを聞く。それだけで十分な理由だった。

「わかった。村上さんに感謝していると伝えておいてくれ」

 そういうとケータイで一斉にメンバーに連絡する。結構打つ速度が速い。

「お前も村上さんももうここに来るな。……村上さんによろしく伝えておいてくれ」

 そういうと、少し速い足取りで帰って行った。おいていかれた長谷川もあわてておりた。


 その日が来た。

 龍から連絡を受けたメンバーはいつもより早めに行動していた。どこで警察に捕まるか分からない。登下校時が気を付ける時間帯。

「今日どこ行く」

 いつものように帰りに遊びに行く計画をたてる友人に謝罪し 一人校門に向かう。……私服のいかついおじさんが何人か立っていた。

 ゆっくり深呼吸をして いつものように校門を通ると

「すみません。少しいいですか。……さん」

 男のケータイがタイミングよく鳴った。


 砦は騒々しかった。

 楓が警察の目を盗みボールペンを腕に突き刺したのだ。連絡をうけ日向が病院へ龍といき、雅は愁をつれて警察に事情を聴きに行っている。飛び出していく後ろ姿を見つめながら、残ったメンバーで出来る限りの情報収集を開始。そして、今回のメンバーの被害確認。それぞれができることを始めた。

「びっくりしました。学校を出ようとしたらいきなり声かけられて」

 メンバーの最年少の聖夜が大袈裟に驚いて見せた。

 時間的にも聖夜が一番最初に声をかけられたようだ

「でも驚いた振りするのって難しいですね」

 ふふっと笑っている。

 前もって連絡を受けていたというものあるからか、心の準備は出来ていたようだ。それぞれが話をはじめた。声をかけられて人数は少なかったようだ。

「うちもあれはなしやろ」

 他にも何人か声を掛けられていた。

「危なかったな。……だが、タイミングが良すぎないか。」

 大地の疑問に綾名はつぶやいた。

「……もしかしたら、俺らは助けられたんかもな」

 えっと驚くメンバー。手が止まる。

「今日のことを知ってるのって、俺らと警察。……わざと、あいつらが他の人間にこのことを聞かせてたとしたら……」

 綾名の言わんとしていることに気づき、 

「きたねぇ」

 思い思いに暴言を吐き、ものにあたる。

「さすがにそれは……」

 七海が目を見張る。

「なんでもありっすからね」

 隼人が眼鏡をふきながら、七海を見る。

 それぞれがそれぞれの思いのもと、現地確認に言っている四人からの連絡を待った。


 楓……。

 ごめんね。

 何度も謝っている。

 早く会いたい。会って抱きしめたい。

 はやる思いを抑えきれず、病室に飛び込んだ。

「ちょっと! あなたたち! 何なんですか!」

 付添いの婦人警官に怒鳴られ、警護の男に捕まえられたが全力でふりはらうと楓が日向の胸に飛び込んできた。

「ごめんね。怖かったでしょ……。ごめんね……」

 何度も謝り強く抱きしめる。

「許可は得ている」

 書面にしたんだろう。

 パッみせて、渡した。

 三人だけになり、少し泣きそうなのをこらえるように笑みを浮かべる楓はとてもきれいだった。

「何があったか、教えてくれるか」

 龍の言葉にうなづきメモを見せる。

 まとめていたのだろう。用意がいい。読み進めるとだんだん顔色が悪くなり険しくなっていく。

「……ありがとう。助かった」

 龍はそういうと病室を後にした。

「楓。ありがとう。楓のおかげで私たちは助かった。……でも、自分を傷つけちゃだめだよ。これ以上傷を増やしたら」

 両肩を抱きまっすぐ楓を見つめる日向の目をしっかり見つめかえし、メモ用紙を手に取った。何かを書き始めた。

[この傷は、私にとってみんなへの恩返し。あの人たちは、みんなのこと何も知らない。悪い人なんて誰もいない]

 けがれなど一つとしてない楓は、強く輝いて見えた。

「ありがとう」

 強く強く抱きしめた。


「……ああ。そういう事だ。後は頼む。今夜は日向が泊まると思う。……悪い」

 電話を切り、壁を殴る音が響いた。


 さて……。どうしましょうかね。

 愁と顔を見合わせる。完全なるアウェーだ。

「……今回のことは、内密にしたいのはこちらとしても同じです。そうしていただけたら幸いです。……ですが」

 おっさんたちが睨んでいる。

「さすがにこちらとしても何もなし。というわけにはいきません」

 雅が愁を見る。

「ふざけたまねしてくれたな おっさん。ここに来たのが俺らじゃなくて龍だったらどうなってたことか」

 愁の声は、大人の男を引かせるだけの威力がある。

「このようにメンバーもかなり怒っています。そこで……」

 と左口角とあげる。けっして対等ではない取引をするときの雅のクセだ。

「取引……。表現が悪いですね。交渉としましょう。今回のことはマスコミ各社には秘密。ということでよろしいですね。では、そちらもまだ公表していない田辺楓さんの我々との関わりについて今後何があろうとも口外しないこと。我々は今まで同様、必要とあればご協力させていただきます。そして、彼女が警察関係所内にいるかぎり、我々の方で人を送らせていただきます」

 雅の提案に怒りをあらわにする。

「ふざけているのはどっちだ。顔もろくに見せないお前たちなどと、どうして取引等出来る。そもそもこちらは誰とも取引などしない。交渉すら存在しない」

 正当な意見。

 警察側のカード。

『学校』

 砦は中高生の間で何かと話題に挙がりやすいところがある。学校側も警戒している。『はんぐれ』という扱いだ。自分たちの生徒がいると分かれば、学校側の動きは起きる。

「先程。龍から報告がありました」

 口角が上がる。ゆっくり立ち上がり刑事たちの後ろに回る。

「今回、なぜ彼女がこのようなことをしたのか……という経緯です。どうやらあまりよろしくない方法かと」

 やましいことをしているのはこちらではないというように話す。余裕を見せつけるようにゆっくりと席に戻る。

「我々のことをとやかく言うのは構いませんが、被害者である彼女にどうして脅しなどを? そういえばまだ、公表していませんでしたね。少しずつ出回っているようですし時間の問題でしょうが……。被害者家族が初動捜査の際、自宅にいなかった。どこに行っていたのか。その子は喋る事ができない。失語症はなぜ発症しているのか。事件に巻き込まれていたら……。様々な問題があるなかで我々が彼女の付添いという形で関与してきた。様々な憶測も飛び交うことになる。これはちょうどいい。こんな奴らのことなんて誰も信じていない。こいつらが助けを求めていた彼女を引きずり込んだと?」

 雅の問いかけに首をふる。

「私たちは、被害者家族であり、唯一の生き残りである彼女が、今後生活しやすいように、この事件から立ち直れるように、何があったか確認しているだけだ。そこにお前たちがいた。彼女をまもるためにも、彼女からお前たちのことをきく必要がある。それは、お前たちもだ。お前たちからも彼女について聴取をとる必要がある」

 雅が続きをとった。

「しかしなかなか書いてくれない。何度問い詰めても黙秘するばかり。……しかたない。ならば……」

 より口角があがる。

「あいつらに聴取に行くこともできるのだといえば、それだけはやめてくれというだろう。この子はあいつらに心酔しているようだ。あいつらにとって何が問題かはわかっている。なら、いかない代わりに一筆書かせればいい」

 顔がどんどん険しくなっていく。

「よく、空っぽな頭で考えましたね。本人に直接伝えるのではなくわざと聞こえるような場所で話す。そうすれば、自分たちは脅してなどいないと言い張れる。正当な手順だと言える。彼女の勝手な解釈だと。でも。彼女の方が上でしたね。接触するだろう時間帯に問題を起こせば警察は自分の方に目が行く。いかざる負えない。ましてやそれが自傷行為だったなら。そう考えたのでしょう。おかげで我々は助かりました。結果的にあなた方のしたことは我々にとってマイナスどころかプラスとなりました」

 愁は寒気がした。やっぱり雅は敵にしてはいけない。たとえ言っていることに整合性や論理性が足りなくとも、その勢い、パフォーマンスでカバーしてしまう。カバーしようとまくし立てていく。

「こちらがそのようなことをしたという証拠はない。そもそもこちらはそんなことをしていない。それこそ、そちらの勝手な解釈だ。お前たちから事情を聴くのは正しいことだ。我々は彼女を守るために、事件解決のために」

 最後の言葉に嘘はない。

「あなたがたは彼女を守りたいんですよね。それは我々も一緒です」

 雅は静かに続けた。

「我々としてはあまりことを大きくしたくありません。先程も申し上げた通り今回の件は公にはしたくありません。……そちらがどうしても条件の飲んでいただけないのであれば、こちらもしかるべき対処をさせていただくだけです」

 すっと立ち上がり優雅に一礼。部屋を出ていこうとする。

 一つ一つのしぐさが流れるように行われた。

「どういうことだ」

「マスコミにいつでもリークできるよう準備をさせています」

「妄想をか」

 口角を上げていく雅。

「むしろ妄想のほうがいろいろと脚色できますね。人というのは本当に組織の悪いことが大好きですから。ちょっとしたことでも大きくとりあげる。信じてもらえるかはわかりません。でも我々は話題性がありますから」

 ふりかえることなく足を進める。良くも悪くも目立つ存在であるからできることだ。

「聴取にも協力するつもりはあるのか。そうであればこちらも彼女の精神安定のために。……指定はさせてもらうが」

 そのなかで一番偉い出あろう男が答えた。

「ありがとうございます。交渉成立ということですね」

 再び一礼し歩き出した。

「どうしてですか!」

 若い警官の声がする。

 騒がしい部屋の音を背に聴きながら龍へと報告するためケータイを取り出した。


「聴取。あれ相手に対しての手心か」

「本来なら、彼女をつれていった時点で、こちらに対する事情聴取は行われるべきだった。でも。そうすると、立場が逆になる。僕たちが協力してやっているという形になる。また、こっちの素性の確認もしたかっただろうし。付き添いってだけだと綾名一人だけになる。それが嫌だったんだろう。これで、いちいちの貸し借りなし」

「だいぶ捻じ曲げてたけど、よかったのか?」

「ああ……。解釈の問題ですよ」

「……こわー。何が聞いたことで、何が解釈なんだろうな」


 雅から報告を受けた龍は楓の病室に戻ると既に楓は眠っていた。日向が手を握り見つめていた。

「交渉成立のようだ」

 龍の言葉を背に受け優しいまなざしで楓をみつめ小さくつぶやいた。

「絶対に守るから」

 その言葉に龍は静かにうなずいた。


 楓を見ていると自分が弱く思える。

 ……実際弱い。

 誰も助けを呼ぶこともできずただ一人で耐え続けた楓は誰よりも強い。私たちを守るために傷つけた。そうできる楓は何よりもきれい。強くりんとしている楓がまぶしくて、あの人を思い出させる。

私たちの光。支え。全て。


 病室の扉が開く音が響く。

 深夜を回り、面会時間をゆうに過ぎているのに。看護師が巡回する合間を狙い闇にまぎれてやってくる。

「……なあ。どうすれば強くなれるかな。どうすれば、お前の守りたいものが守れるのかな」

 手のひらに乗せた楓の葉のネックレスを握りしめていた。


 再び病室の扉が開いた。

「……やっぱり。今日も来てたのね。椿の人」

 巡回の看護師が照らす先には椿の花が書かれた一枚のポストカードが置かれていた。


 日向はいつもの生活をこなしながら楓のもとに毎日通いそばにいつづけた。

「お疲れ様」

 楓のもとから砦へと帰ってきた日向に対して雅がお茶をわたした。

 そこには、楓の母親発見と書かれたメモがついていた。

 驚く日向に対して雅はいつもより作った笑顔で龍が呼んでるとだけ言うとすっと奥へと消えた。他のメンバーは帰る用意をしていたのでだれもメモに気付いていない。

「ただいま。龍」

 いつものように龍の横に座る。片手で答える。

「他のやつらにはまだ伝えていない。日向が判断しろ」

 いつもより低い声。いまいち呑み込めていない日向に龍はつづけた。

「母親が今回の事件に関わっているようだ」

 龍の言葉に目を見張る。

「今まで集めてきた情報はどれもちぐはぐしている。例えば足跡。男物の靴だったが明らかに体重が合わない。地面に残っていた足跡がほとんど沈んでいなかった。靴のサイズや、メーカが被害者のものと一致した。身長、体重や歩幅を考えたが、その割には足跡が一致しない。あと、証拠隠滅が雑。指紋の消し方がどれも中途半端。このことは警察も気にしていたが、犯人の断定するものにはなっていない。来客用にコップも二つ用意されていて。二つとも空になって洗われていた」

 自分が楓のところに行っている間にメンバーは事件についてまっすぐに向き合っていたのだ。

「でも、それがどうして母親の存在がでてきたの」

「近所の情報と防犯カメラの記録から、ある女性が楓の後をつけて現場に行っていた。その女性が楓に似てるって聖夜つぶやいたんだ」

 聖夜は目がいい。

 よく観えている。

 そこから女性の事をしらべていくなかで、楓につながったようだ。

「なら楓の実の親が二人で」

「警察は女性の存在には気づいているようだけれど、そこまで」

「この人っていう特定ができてないってこと」

 警察がわからないことが自分たちにわかるんだろうか。自分は楓のそばにいることしかできていない。

 少しうつむく日向に笑いかけているのだろう。声が少し高い。

「日向が楓のそばにいてくれるから他の奴らも頑張るんだ。安心して日向に楓のことを任せられる」

 龍はときおり優しい顔をする……しているのだと思う。初めて龍にあった時違和感がなかった。まるで、ずっと前から知り合いのように龍の存在を受け入れた。それは、他のメンバーも同様だった。

 私たちにとって一番近くて遠い場所にいる。

 だからこそ、龍のことが大切に思うのかもしれない。龍は舞姫とは正反対のようなのに。なぜだろう。私たちにとってなくてはならない存在であることにみんな気づいていた。

「ありがとう。わたしはわたしのやるべきことをする」

 まっすぐ龍をみる。笑ってるのか。優しい空気が龍から感じる。

「日向は太陽の日向。楓を温かく照らせ」

 龍らしく命令口調で占める。

「了解」

 カパッと手をあげ敬礼っぽくする。

 遠くからその様子を見ていた大地と詩音。

「やっぱり龍はすごいねぇ」

 小さな子供のように話す詩音に微笑む大地。

「龍がいる限り俺たちの出番はない」

 二人は顔を見合わせてにっこりと優しく微笑んだ。


 だれかが呼んでる。だあれ。私に何を話しかけているの。……。と……りで。懐かしい。……。


「村上さん。お話いいですか」

 長谷川と村上は事件からはずされていた。

「悪いな。お前まで巻き込んで」

「村上さんが後悔してないなら俺は大丈夫です」

 正直に答えているようだった。

「わるいな」

 すこし口元がゆるんでいる。

「いえ」

 二人で組むことが決まって、初めて来た店。長谷川が話を切り出すのを待っているのだろう。黙々と酒を飲む。

「彼らは何者なんですか」

 静かに切り出した。

「お前と同じだよ」

 同じように静かに返す。

「俺と?」

 グラスをあおり息をつく村上。長谷川は続きをまつ。

「それぞれが傷を負ってる。家庭内暴力。いじめ。自殺未遂。事件被害者。あげていったらきりがない程あいつらはいろんなもの背負ってる」

 事件被害者という言葉にグラスを持つ手が震えた。

 じっと村上を見つめていた長谷川の目が揺れている。

「傷と向き合うことが出来なくて、本来の自分というものがわからなくなったそうだ。あいつらは逃げ場所がほしくて夜を徘徊し始めたモノばかり。そんなあいつらの光となったのが舞姫だ」

 知らない名前が出てきた。

「まき……とは」

「あの廃墟はもともと自殺の名所だったんだ。冥土の入口なんて呼ばれて。覚えているか。自殺者が多すぎてあの廃墟を公共機関の土地にしようってなって話題になったと思うが」

 そういえばそんなことがあったと思いだす長谷川。

「舞姫と呼ばれる少女は今はいない。だが、彼女の夢に向かってあいつらは動いている」

 村上の言葉に突っかかりを覚える長谷川だが何も言わず耳を傾ける。

「未成年者の犯罪、被害をへらす。傷ついた人を少しでも心が軽くなる手伝いをしたい。それが舞姫、そしてあいつらの夢。実際、あいつらの存在が広まりだしてから減っている。……世間はあいつらの味方をした時期もあった。だが、警察は動き出して、あいつらはただのチンピラのような扱いを受ける現状にさせた」

 唇をかみしめる村上は、何もできなかった自分を責めているようだった。

「どうして、村上さんは彼らの味方……のようなものをしているんですか」

 味方とは断言しない。正確には違うように感じているからだ。

「娘が一人いるんだが。年をとってからできた子だから、可愛くてしょうがなくてな。そんな愛娘が不良に絡まれて。……助けたのがあいつらだった」

 さびしそうに笑う。

「それがきっかけで、あいつらと知り合って。驚いたことに、絡んできた不良まで更生させてて。娘からあいつらのいろんな噂を聞いた。署内でも少しだが話題になっていたあいつらに、単独で接触したんだ。どんな奴らなのかこの目で確かめたくて。……分かったんだ。あいつらは暴走族でもチンピラでもない。……傷を負い、一人で耐えていた幼子だって」

 長谷川はこぶしを握りしめた。

 昔の自分を思い出していた。長谷川もまた、家を飛び出し、悪い奴らとつるんでいた時期もあった。その時村上と出会った。

「……あいつらにとって舞姫は、俺にとっての村上さんなんでしょうか」

 小さくつぶやいた。

 聴こえなかったように村上は反応しなかった。カラッと氷の音だけが答えた。


 何も考えずふらふらと歩いていた。村上と別れた長谷川は気が付くと砦の下にいた。

 ふと我に返る。

 乾いた笑いが響いた。

「こんなことにきて何をしているんだ。俺は」

 帰ろうと思った。実際背を向けた。

 なのに、無性に龍の顔を見たいと思った。

 自分は酔っているのだろう。だから顔を見たいなどと思うのだと、言い聞かせながらふらふらと上った。扉の前で一呼吸おいて。あけた。

「お前は何で俺しかいないときに来る」

 いやそうな顔をしているように見えた。

 帰ろうとしていたのだろうか扉の目の前に立っていた。明かりをつけようと龍が動く。

 それをとめるように、腕をつかみ長谷川は引き寄せた。想いのほか龍は小さく、長谷川の腕の中にきれいにおさまった。その拍子にフードが外れた。しばらく何も言えずにただ抱きしめられていた。

「……どうした。なにかあったのか」

 震える声。精一杯冷静であろうとしているのがわかる。

 酔った勢いだと長谷川は力を強めた。

「お前にとって舞姫はなんだ。……ここはなんだ」

 つぶやいた。

「お前は……誰なんだ」

 びくっと龍の体が反応する。耳元で長谷川はつぶやき続ける。

「なんでここにいる。……教えてくれ。俺にも分かるように」

「どうして……」

 顔を上げない。かすれた声。わずかに震える体。髪がわずかにゆれている。

 きれいだと思った。

「知りたいんだ。お前たち……お前のことを」

 さらに力を入れた。

「知りたいか」

 先程よりもはっきりとした声で答えた。ゆっくりと体がはなれ手持無沙汰だった手を長谷川の胸に当て顔を上げた。

「あ……」

 目があった。

 思わず声がでてしまった。

 フードの下に隠されていた龍の顔。美しく息をのむほどだった。吸い込まれてしまいそうなほど黒く大きく開かれた瞳は、揺らぐことを知らないかのようだった。

「知りたいなら、また明日こい。もっと早い時間にな」

 手を強く押し、体を自由にした。くるっと向きを変え、フードを深くかぶり直す。そして帰れとでもいうかのように扉へと促し、あとにした。


 翌日……というより今日。龍に言われたようにいつもより早い時間に行くと砦はにぎわっていた。

 パソコンで何かしているグループ。資料に目を通している何人か。しかし初めて来たときに比べたら少ないと感じた。

「よくお越しくださいました。こちらへどうぞ」

 にこやかに笑みを浮かべ龍のもとへと雅が案内をする。日向は楓のところだろうか。姿が見えない。

「忙しいためなかなかそろわなくて。いるメンバーで適当に巡回を行ってます」

 初めてあった時よりもやわらかい表情で接する。龍と向かい合うように座るが顔を上げない。思いだしてしまった。動揺していることが目にみえてわかる。顔が頭から離れず、一晩過ごしてしまった。女であることは事故で知ってしまっていたが、ちゃんと顔を見たのは初めてだった。

 ……めっちゃ美人だったな。

「取って食ったりなんかしない。おびえるな」

 くすっと笑った。面白がっているかのような声で続けた。

「俺たちのことを知りたいんだろ。今日は3日だから3つ、質問に答えてやる」

 雅も優しく微笑んでいる。かわいらしい容姿の少年がにこにこ笑いながら駆けてきた。

「長谷川さん。詩音です。お隣いいですか」

 目が大きく、ニッと音が出ているのかと思うほどの笑顔をむけている。そばにはメンバーの中でも大きい青年が立っていた。確か彼は初めて会ったときに止めに入った青年だった。うなづき返すだけの長谷川。

「ほんとに僕たちの事知りたいんですか。どうして知りたいんですか」

 顔を覗き込むようにして尋ねた。あどけない笑顔が毒気を抜く。

「えっ……。えっと。村上さんが個人的にお前たちとコンタクトをとって今に至るって聞いて。自分で聞いて見て知るべきだと思ったから」

 たどたどしく答える。

「世の中には知らなくてもいい事や知らない方がいいことがたくさんなのに」

 首をかくんと傾げる。

 龍たちの視線を感じながら頭の中で組み立てていく。

「確かにそうだが……。でも俺は、知らないで分からないでいる後悔よりも知って苦しむ後悔を選びたい」

 昔の自分が現実から逃げていた時期を思い出す。立ち向かう勇気がなかったせいで失ったものがある。

 もうあんな思いをしたくない。

「覚悟があるならいい」

 龍の言葉に満足そうに笑う詩音。ゆっくりと深呼吸し落ち着かせる。まっすぐ龍を見つめる。

「……砦の意味を教えてほしい」

 まずは1つ目の質問。答えたのは雅だった。

「先日お話ししたようにある種の避難所です。ちゃんと説明しますと、ここにいるメンバーは昼間から隔絶した時間を必要としている。また、ある人によりこの場所を提供され、共通の目標の下活動しているというところでしょうか」

 こうしてまじまじ見てみると雅は整った顔立ちをしている。話しかたも穏やかで歳不相応だ。なんとなくわかったようにうなづいた。

「……じゃあ。次。ある人ってどんな人だ」

 村上から聞いていた舞姫のことだと分かりながら尋ねた。

 彼らの言葉で理解したいと思ったからだ。

 次に答えたのは隼人だった。

「その人はとても優しく穏やかで、聡明で。輝いていた。俺たちにこの場所、時間をくれた。ここにいるメンバー全員が何らかの形でその人に助けられた。そういう意味では恩人であり守るべき人かな」

 眼鏡をなおし懐かしむような表情をしている。

「村上刑事から何聞いたかわからんけど、ここでのボスやな」

 綾名も答えた。

 どことなく砦内の空気が柔らかくなっている。表情もよくなっている。

「僕たちにとって特別でかけがえのない人。ねー大地」

 青年に詩音が嬉しそうに答えた。

 大地が優しく詩音の頭をなでた。和やかで落ち着いた空気。

「その人は舞姫でいいんだよな。……今はここにいないって聞いた。それでもお前たちがここにいるのはなんでだ」

 舞姫がいるから集まっているという認識をもった。

 村上の説明を受けたがわからなかった。

 共通の目標。

 かなえたいものなのだろうか。

 聞いてはいけないことかもしれないと思いながらも、龍をじっと見る。

「それが俺たちの選んだことだからだ」

 しごく当然のことのように答えた。龍の言葉にうなづくメンバー。

「俺たちがいなくなれば舞姫が戻ってきたとき、困るだろ」

 当たり前のことのように言った。

 舞姫が戻ってくると。

 そして自分たちもまた舞姫に必要とされていると。突然姿を消し、連絡もない人を待ち続けるのだ。ただの必要とされたがっているだけであり、彼らのエゴではないのか。

「……それは舞姫が恩人だからか」

「俺たちが選んだことだ。恩人だから、特別だからじゃない。俺たちがここで待ちたいと思ったからだ。そう思わなかったものはもうここから出ている」

 まっすぐな言葉。揺るがない思い。全員が動きをとめまっすぐに龍の言葉にうなづく。

「質問はここまで。また知りたくなったら来い」

 長谷川はまだ終わりたくなかった。

「お前たちという集団に対する質問はここまででいい。……個人に質問してもいいか」

 すがるような目をしていた。

 長谷川自身なぜそこまで気になるのかはっきりした理由はわかっていない。が、まだ知りたいと思った。

「それはできない」

 一変して冷たく言い放った。

「そこまで踏み込む権限はお前にはない」

 パッと身をひるがえし奥へと姿を消してしまった。雅もあとに続く。

「すまない。こればかりは答えることができない」

 大地が頭を下げる。

「……いや。俺のほうこそ。ずかずかと……」

 やりすぎてしまった。

 そう思った。パンドラの箱に触れた気分だった。

 龍に背を向けられたことがなぜか深く傷ついた。

「でも、長谷川さんが知りたい個人って龍だけですよね」

 詩音が笑って言った。その言葉にわけがわからないという顔をしている。龍のことだけが知りたい……。確かに龍のことは知りたい。でも、龍だけじゃない……はずだ。断言できないことに困惑している。

「龍のこと好きになったんだね」

 詩音の言葉に周りがざわめいた。

 そんなことはないとくりかえす長谷川。詩音の笑い声が響く。和やかでおだかやな空間だった。

 一時だけだったが、長谷川は砦のメンバーのように溶け込んでいた。


「今日も椿の人やってきていたのね。毎回毎回、どうやって私たちにばれないようにしているのかしら」


 ケガがよくなり、警察も進展がないため楓が施設にはいることがきまった。だからだろう。事件がおきた。

「警察だ。全員から事情聴取を行う。うごくな」

 十人ほどのりこんできた。

 あまりにも今更なことにメンバーはぽかんとしていた。

「聞こえなかったか」

 再度声を張り上げる。

「そんなでかい声出さんでも聞こえとるって。なんで今更来たん」

 綾名が空気を変える。

 メンバーも表情がもとに戻っていく。すでに一度聴取は受けている。

「まだ、隠していることがあるのでは」

 マスコミが砦が事件にかかわっているのでは。という記事があがった。

 虐待のことがリークされたからだ。リークに関与していると思われようだ。その場にいたメンバーはきちんと聴取に応じた。

 結論としては大した収穫はなかったのだろう。

 ただただつかれた空気だけが漂っていた。

 実際隠していることはある。

 母親の事だ。楓の母親のことを雅に頼んで調べていた。神様の思し召しか。楓の施設にその母親は職員として働いている。

「あのこと、伝えたほうがいいのかな」

 日向はつぶやいた。実の母親がそばにいる。それはきっと楓にとってとてもおおきなことだ。

 ……私ならどうする。そう伝えられて、何を思う。首を激しく横に振った。楓はそんなこと思わない。あの子は私とは違う。様々な思いがまわっていた。自分ならきっと……。

 

[日向さん、どうしたんですか。なにかあったんですか]

 心配そうに日向の様子をうかがう楓にあわてて笑顔を向ける。

「なんでもない。そういえばもうすぐここをでて、施設にいくことになったって。どんな場所か知ってる?」

 楓の表情が明るくなった。新しい場所に行ける。それがとてもうれしいようだ。

[パンフレットをみました。あさって実際に行ってみることになってます]

 とても設備が充実していて大きな施設。楽しそうに説明をする楓に、ほんの少しだけ胸が痛んだ。

「楓」

[施設に入ったらもう簡単には会えなくなるから。その前にみんなに会いたい]

 日向の言葉を遮るようにいった。

[もう私を苦しめるものはなくなったから。卒業ですね]

 にっこり笑った。

 そう楓はにっこりと、いつもと何一つ変わらない笑みをうかべたのだった。


 楓が卒業といったことを日向から聞き、砦の空気は変わった。そうなることはわかっていたにもかかわらず、楓はきっと素直な表現をしただけだろうに、その言葉を、いつもの何も変わらず、微笑みを浮かべいったことに、少しだけ、本当にほんの少しだけ、今日は寒いのかなと感じさせるように、背筋がぞっとした。


 苦しめるものがなくなったから。


 その言葉に間違いはない。確かにあの人たちは楓を苦しめ、傷つけていた。つらく逃げ出した楓を砦に連れてきたのは、日向だ。その判断は間違っていないし、だれも責めていない。ここから出ていくことができる。ここに依存することがなくすむ。私たちとは違って、元の環境に戻れる。正しい世界に生きることができる。喜ばしいこと。正しいこと。こうあるべきこと。……それなのに。それなのに、自分を苦しめていた存在がなくなったことに、人が死んだことに、笑ってそういえることが少しだけ、間違っているように思えてしまった。


 何もない時間はあっという間に過ぎていくものだ。事件もあまりとりあげられなくなった。楓も新しい施設になじんでいるようだった。直接会うことはできないが、特別に手紙をもらっている。楓からの一方通行だが。その施設であること、新しい学校が決まって楽しく過ごしているようだった。職員の中に母親がいることは告げていない。一つ、楓と近いDNAの証拠があるようだが、楓の両親、親族の特定ができていないため、難しいようだった。

「楓楽しそうですね。……あれでよかったのかな」

 日向の言葉に大地が独り言のように返した。

「なんであれ、彼女が楽しく過ごせているのなら問題ないだろう。さんざん苦しんで傷ついてきたんだ。……どんな理由であれ、一緒にいたいと望む人と過ごせるのならそれを、一般的には幸せというんだろうな」

 少し重たくのしかかる言葉だった。

「楓は賢いし、案外俺らの知らんことも知っとるんかもね。母親のこととかも」

 綾名の言葉に日向が驚いた。

「ってか、なんで楓の母親にたどり着いたの」

 日向の疑問に綾名がこたえた。

「年齢で可能性あるん探したんよ。楓母子手帳いっつも持っとったから、簡単な個人情報なら母子手帳書いてあるし。最近なんでもかんでもパソコンでのデータ保存やから、そこらへんはあのへんにまかせて」

 肝心な名前はきりとられてなかったけど。とつぶやく。パソコンに向かっているメンバーに目をむけた。

「いくらか候補がおって。そっからはこっちでさがして。そしたらヒットした。まあ、なんで楓を育てれんなったかはわからんから、楓にはいわんでよかったと思うよ。いろいろあって不安定になったのに、さらに追い打ちかけるような真似できんわ」

 綾名は神妙にうなづいている。

 少し芝居かかったしぐさを時折見せる綾名はメンバーのなかでも変人というポジションになっている。

「でも警察だって楓の母子手帳の存在……」

 日向が口をつぐんだ。

 綾名の手には手帳が。

 渡されていたようだ。

「そういうことやろね。やから、いわんでよかったんよ」

 綾名は笑っていった。

「綾名に同意されても、よかったのか不安になるけどね」

 困ったように笑う。

 楓は自分でなんとなくわかっているのだ。自分の母親を。そして、警察には隠している。

「おかげで、母親が事件に関係している可能性が出てきましたけどね」

 雅の一言に空気が変わる。

 まだわかっていない証拠はきっとその母親だろうということだ。今になってなぜ、母親が楓の近くに、被害者のもとに現れたのか、たぶんみんなは気づいていると日向は考えている。

 自分の母親が現れるとしたら、たぶん、同じ理由だろうから。

 詩音の楽しそうな声が突然響き、われに返った。

「今日は13日だからたくさん質問できると思ってきてるよ」

 窓から下を覗いていた。

「長谷川さんがきたようだ」

 大地の声に龍が奥からでてきた。

「一人ではないみたいだけど」

 黒いワゴン車が一台ついてきている。

「問題ない。書類の用意を」

 愁が指示をだす。

 いわれる前からできてましたよと言わんばかりにニコニコ笑顔で用意されていく。


「龍。今回は、そちらが隠している情報を渡してほしい」

 長谷川の声がかすかにふるえている。

 龍は以前同様正面にすわりしっかりと見据えている。

「酒でも入っているのか。声がふるえている」

 龍は笑った声。

「これでいいですか」

 書類を渡す。その場で簡単に目を通している。

「隠しているといっても大した情報ではないだろ。そっちも持っているものばかりだ」

 龍のいうようにめぼしい情報は見当たらなかった。たった一つを除いて。

「これは本当なのか」

 目を見開く。

「裏取りはそっちの仕事でしょ。我々はあくまで情報を提供するまでです。どうするかはそちらが判断することです」

 にっこりと雅が笑った。


「自分の仕事はこれで終わりでしょうか」

 長谷川はワゴンにいる上司に問う。

「終わりだ」

 一言だけ返された。

 長谷川は、砦に戻った。

 こんなことを彼らにしたくなかった。

 謝りたいと思いながらいつもより速足になっていた。


「なんで教えたの……」

 扉の隙間から日向の声がした。

 息を切らして戻ってきた長谷川は、表情の硬い声の日向に気づき、動きを止めた。

「伝えるべきことだったから。それだけだ」

 龍の言葉に黙る。

「日向もこうすることがいいってわかってるでしょ」

 雅の言葉にかみついた。

「わかってる。……わかってるからこそ、舞姫みたいになれないよ」

 まきという名前に空気が変わる。

 長谷川は空気が読めない人のように勢いよく扉を開け、ずかずかと入っていく。

「さっきはすまなかった。仕事とはいえ、子ども相手にすることではなかったと思っている」

 長谷川の言葉に一同笑った。

 わけがわからないが空気は変わった。

 おかしなことは言っていないはずだと、意味が分からないときょろきょろして見せる。

「子ども相手か。その子ども相手だったら歓迎やわ」

 綾名がニッと笑った。

 長谷川の登場で、各々が動きはじめ、なかったことのように空気がかわった。日向はほっとしてしまった。正直、吐き出してしまった自分の言葉に、驚いていた。

「ひーなーた」

 詩音が覗き込む。

「日向の考えわかるよ。舞姫みたくなりたくてもなれない。どんなにあの人の考えや理想を理解していても、それをあの人以外が実現することなんてできないよ」

 詩音の言葉にとっさにかえした。

「理解なんてできてないですよ。……なんにもわかってない」

 唇をかみしめる。

「日向は舞姫になにを言われたかはわかんないけど。日向はそれぞれにちゃんとまっすぐ言葉をくれたと思う。楓ちゃんにも」

 その言葉に、送られた言葉を思い出した。

 大好きな声で、優しい声で、強い声で言われた言葉。


 やっぱり日向は、温かい。


 日向の様子をみて満面の笑みを浮かべる。


 安心した。張りつめていた空気が、体感したことのある穏やかなものに戻り、自分の知っているものになり、ゆっくり階段を降りる。

「ありがとうございました。おかげで助かりましたわ」

 この声は。と振り返る。

「あやな君」

 にっこりと笑っている。

「正解。すみませんね。空気をぶち壊してくれて。さっきみたいなことやったら、いくらでもどうぞって感じですわ」

 階段の手すりから身を乗り出している。

「俺には、君たちのことはわからないから何も言えないが、これで事件は解決する。協力に感謝する」

あくまで自分は警察官。立場を明確にしなくてはといった意思が現れていた。

「いまさらでしょ。謝りにきた時点であんたもこっち側。共犯者や」

 にやりと笑う。

 こんな笑い方をするキャラクターがいたような気がするが出てこない。どこか不敵で楽しんでいるような……。

「……共犯者……」

 小さく繰り返す。

 はっと気づき、綾名を見上げようとしたとき、すでにだれもいなかった。


「これで、貸し借りはなしやで」

 パソコンに残っていた母子手帳のデータをゴミ箱に入れた。


 新しい情報を入手してからははやかった。中途半端な証拠の隠滅。証拠は拭かれていたり、水がかかっていたりと不完全な状態になっていたにもかかわらず、現場に残されていたコップに、ぎりぎり採取できるほどの唾液。あまりに少量だった。きっかけさえあれば、物事は意外とすぐに動く。その通りだった。

「よかったのか。母親が犯人の可能性があったのに」

 村上の言葉に日向がかえした。

「楓が気づいていたから。犯人は母親だって」

 施設で逮捕される母親の姿を陰から見ていた。

「それに、それが一番いいんだってことに、気づかされたから」

 ちいさくつぶやいた。

 そうだ。私たちの。舞姫の望み。

 私たちがしていることはそういうことだ。

 心を救うこと。

 望む自分であれること。

 きっとこれが正解なんだ。

 連れていかれる母親のあとを追いかける楓の姿があった。

「か……て……。まっ……」

 一生懸命話そうとしている。

 声にならない声で。

 必死に伝えようとしている。

 泣き崩れながら楓をだきしめた。何かいっていのだろうか。日向たちのところまで届いていない。

「少し前に母親が職員として勤めていることに気づいたそうです。楓は、いくつかの施設に出入りして、子供たちの遊び相手をするボランティアに参加していて」

 いつか話していた。自分と同じように本当の家族と一緒に入れない子どもたちも、その子たちなりに幸せになる権利がある。笑っていられる時間を作れるなら、その手伝いがしたい。それが楓の考えだった。

「自分が施設にいくとしたらここがいいと楓が志願したと聞いています」

 母親を乗せた車が見えなくなり、楓が日向のほうに駆けよってきた。

[ありがとうございます。これで、ちゃんとお母さんって呼べる。待ってるって。帰ってくるの待ってるからって伝えられた。ずっと迷ってた。あの人たちがいなくなって、お母さんと暮らせるって思ったけど、このままだとお母さんって呼べない気がした。実際呼べなかった]

 打ち込んだ文章を見せる。

 今まで見たことのない笑顔で楓は頭をさげて日向に飛びついた。

「ありがとう」

 口がそう動いた。

 そして日向には、はっきりと聞いたことのない楓の声で、そう聞こえた。


 しばらくして、報告として村上と長谷川が書類をもって訪れた。

 楓の母親は、ボランティア活動をしている楓の姿をみて、楓の問題を知ったようだった。それからあの二人のことを知り、居ても立っても居られなくなり、あの日、あの家に言った。

「今更母親だと名乗り出て、一緒に暮らすなんてことはできないってわかってたんです。それでも、あの子が笑って過ごせるならって」

 楓を施設にあずけることを進めた。

 彼らの答えは、楓のことを人と思っていない答えだった。

「楓を引き取ったのは、ストレス発散のためって。ちょうどそういう子どもがいたからって。しゃべらないからちょうどいいって……。あの子がしゃべれなくなったのはあの人達のせいなのに」

 施設にいた楓を引きっとった理由。

 我慢できず……。ということだった。

 テレビで報道されているものと大きく変わりはなかった。

 ただ、証拠隠滅行為に関してはあいまいな供述をしていたようだった。その真相は砦のメンバーならすぐにわかるだろうと村上は考えていた。

「中途半端な隠滅行為でも、共犯であることには変わりない。どうして」

「簡単ですよ」

 村上の言葉に、にっこり笑って日向が答えた。

「私も犯人だよって言いたいんですよあの子は。共犯になれば一緒に背負うことができるし、自分も同じだといえるから」

 母親と一緒になりたいという考えだと。

「日向も同じようにするのかな」

「しませんよ。たとえどれだけ慕っている相手であっても。その人はそんなこときっと望まないと思うし、私だったらしてほしくないです」

 母親の気持ちなんてわからないけどと続けた。晴れやかな笑みを向けていった。

「そうしようと思って、自分の意思でしたわけですから。それがどんなに重い荷物になったとしても、誰かに一緒に背負ってもらったり、肩代わりされちゃったら、それに甘えて何にもできなくなっちゃいますよ」

 まぶしすぎる笑顔に長谷川は目をそらした。

「まあ、ちょっとこれ、受け売りではあるんですけどねこの考え方」

 この事件を通して日向が変わったように感じていた。

 以前に増して、その名にふさわしい温かさを感じる。心なしか、砦全体の空気も明るくなっている。

少し浮かれているという風にもとれる。

「なにかいいことでもあったのか。それとも何かあるのか」

 長谷川の問にまってましたといわんばかりに詩音が飛び出してきた。

「舞姫が返ってくるんだよ。やっと連絡がきて、雅が迎えにいってるんだ」

 こちらも弾けんばかりの笑顔をうかべている。後ろで扉のひらく音が響いた。

「噂をすればなんのそのってか。きたで」

 綾名が声を張り上げた。一斉に一列になった。

「ごめんなさい。みんな」

 杖の音と同時に優しい涼やかな声がした。

 それでいて凛とひびき、身にしみるような不思議と落ち着く声だった。

「ただいま」

 その一言で日向が駆け出した。



 舞姫が戻ってきたという話はすぐにひろまった。

 より活動が精力的になるだろうと懸念していた警察であったが、実際は規模の縮小だった。

 理由は単純にそれぞれの昼間の生活が大変な時期になっていたということだった。

 高校受験、大学受験、就職活動などの人生の分岐点だ。

 主なメンバーがそういった事情で出入りできなくなり、集団として、砦としての活動は自然消滅することになったようだった。

 個々人の活動、といっても地域のパトロール隊のようなものになるが、彼らは働き続けていくことを決めていた。

 舞姫の願いを、自分の願いを少しでも実現できるように。


 「あなたは、強い人」

 そう聞こえた気がして、振り返る。

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