禁令
「殿、ご決断を!」
家臣たちに詰め寄られて、殿は思わず返答に窮した。
「う、うむ、お前たちの言いたいことはわかった」
とりあえず、そう言って時間を稼ごうとする。
殿は家臣たちの様子を急いで観察した。
どうやら、後ろの方にいる者たちは「強硬派」ではないようだ。
とはいえ、この状況で彼らに期待するのは無意味だろう。
前の方で詰め寄ってきているのは、この藩の重職に就いている者たちばかり。「日和見派」とは政治力が違う。
ここにいない有力家臣たちをすべて味方につけたとしても、勝てるかどうか。いや、無理だな。すでにそちら方面への根回しも、ある程度は済ませているはず。
本当に頼もしい家臣たちだ、と心の中で皮肉をつぶやいてみる。
「しかし、『禁球令』を出すのは、さすがにやりすぎではないか?」
家臣たちは『キンキュウレイ』と言っていたが、あえて二文字目を訓読みで言ってみる。
しかし、彼らは動じない。同じ主張を繰り返すばかりである。
「藩の財政が逼迫しております」
要するに、金がない。
いや、厳密に言うと、金はあるのだ。
ただし、その使い道は決まっている。教育への投資だ。
寺子屋のいくつかに資金を出して、藩校に昇格させる、そんな計画を進めている。
他にも、藩の財政基盤を強化するために、たとえば工芸品の大型工房を建設するなど、複数の計画を同時に進めているのだが・・・・・・。
それらの計画が成果を出すには、まだまだ年月がかかりそうだ。
で、藩の財政が圧迫されたために、無駄がないかを見直すことになったのである。
その槍玉に挙がったのが、
「殿、十年ほど『野球』を我慢していただきたい!」
「嫌じゃ!」
「殿、十年ほど『野球』を我慢していただきたい!」
「嫌じゃ! 嫌じゃ!」
「殿、十年ほど『野球』を我慢していただきたい!」
「・・・・・・」
同じ言葉を繰り返してくる家臣たち。
殿は察した。こいつら、一歩も退く気はないらしい。こちらが賛成するまで、このやり取りを延々と続けることになるだろう。
こうなっては、妥協するしかないか。
たしかに、自分でも感じている。この藩の予算のおよそ三割を、『野球』関係に使っているのは、少しやりすぎだったかも。
「・・・・・・ほんの少しだけなら」
妥協の言葉を口にした途端、家臣たちが目を輝かせた。
「殿、よくぞご決断くださいました。あとは拙者たちにお任せください」
その翌日だ。
殿は衝撃の事実を知ることになる。
城下町の立て札に、次のように記してあったのだ。
――当分の間、野球を全面禁止とする。殿。
この立て札を、お忍び中に見つけた。
思わず絶叫しそうになる。少しだけ予算を減らすとか、そんな話じゃなかったのか。
まさかの全面禁止である。そこまでは聞いていない。
しかし、あの家臣たちに口で勝てる自信はないし・・・・・・。
しばらく歩き回って、町人たちの噂話に聞き耳を立ててみる。
どうやら、藩のあちらこちらにある野球場が現在進行形で、次々と閉鎖されているらしい。
本当に頼もしい家臣たちだ、と心の中で皮肉をつぶやいてみる。敵に回すと、こんなに恐ろしい奴らだとは。
ああ、どうしよう。野球が見たい。野球が見たいよぉぉぉぉぉ!
殿は頭を抱える。当分の間って、いつまでだよ!
こうして始まった『禁球令』。
だったが、殿の我慢は、それほど長くは続かなかった。
三か月後の夜、こっそりお城を抜け出すと、これまたこっそり雇った忍者たちと、野球場の一つに侵入した。
今から野球の試合をするのだ。『闇野球』である。
とはいえ、全員が黒い忍び装束だと、二つのチームの区別がつかない。
なので急遽、金色チームと銀色チームにする。
知り合いの店を叩き起こして、染料を買ってくると、金色の忍び装束と銀色の忍び装束をつくった。
さらに、審判には赤い忍び装束を着てもらう。
金や銀や赤に染める費用がかかってしまったものの、うん、これで見やすくなった。
本当は、もっとたくさんの「かがり火」を使いたいところだが、さすがに懐事情が苦しい。そこは我慢する。
ところが、試合を始めて一刻と経たない内に、家臣たちに見つかってしまった。
「殿っ、いけませんぞ!」
「ああ、嘆かわしい!」
「立派な殿さまなら、こんなことはしません!」
すぐさま試合は中止になり、忍者たちは全員逃走した。殿だけが家臣たちに怒られてしまう。
ところが、翌日。このことが城下町で話題になっていた。
「殿さまが昨日の夜に、こっそり野球の試合を開催していたらしいぞ」
「えっ、『禁球令』が出ているのに?」
「もしかして、いつの間にか、『禁球令』が撤回されたのかな?」
「それだ! そうに違いない!」
町中からのそんな声を耳にして、家臣たちは慌てた。
野球を禁止した本人が、『闇野球』を楽しんでいたのだ。これでは他の者たちに示しがつかない。「殿さまもやっているんだから」と、『闇野球』をする者たちが増えるかも・・・・・・。
「『禁球令』を撤回するしかありませんな」
反対の声は、そこまで多くなかった。
こうなっては仕方がない、というのもあるが、実は工芸品の大型工房が、予定よりもかなり早く完成したのだ。
で、その工房の新商品が現在、予想以上に売れまくっている。生産が追いつかないほどの勢いだ。近隣の藩から、注文が止まらない。
だったら、野球については大目に見ても・・・・・・。そんな空気が家臣たちの間に芽生えていた。
他にもう一つ、『禁球令』を撤回した方がいい、そう考える理由があった。
実は『禁球令』が出たあと、藩内の活気が大きく損なわれたのだ。笑い声が激減した。
それほど野球の存在は大きかったということ。これを元に戻すためには、『禁球令』を撤回するしかないだろう。やはり娯楽は必要だ。
その日の内に、城下町に新しい立て札が二つ出現した。
――野球を許可する。殿。
――ただし、夜にやるのは危ないので、そっちは禁止。我慢するように。
こうして藩内のあちらこちらで、野球を楽しむ声が復活した。
そういう声に混ざって、城下町の人々は噂し合う。
「さすが、わしらの殿さまじゃ」
町人たちはちゃんと気づいていた。
殿さまがわざと『闇野球』をやったのを。
そして、わざと家臣たちに見つかったのを。
「これでまた、野球ができる!」
「野球を見ることができる!」
「さすが、わしらの殿さまじゃ!」
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