今日は少し寂しい
このドーム球場では本日、プロレスの大規模な興行がある。
そんなドーム球場の前に、一人の男が立っていた。
変装をしているが、男の正体はプロ野球選手だ。チームの本拠地は、このドーム球場である。
といっても、今はシーズンオフなので、野球の試合はない。
男の視線の先では、たくさんの人々がドーム球場の中へと興奮気味に入っていく。
彼らはプロレスファンだ。
その楽しそうな様子を見ていて、男は少し寂しい気分になった。
いつもはここで自分たちがプロ野球の試合をしている。それを目当てにお客さんたちがやって来るのだ。
しかし、今日は違う。そのことが少し寂しく感じられた。
ふと、こんなことも考える。自分がプロ野球選手を引退したあと、このドーム球場に来ると、今と同じような感情になるのだろうか。
しばらくして、チームメイトがやって来た。自分と同様、こいつも変装をしている。
「せっかくだし、今日は楽しもうぜ」
気楽に言ってくるチームメイト。
「そうだな」
二人でドーム球場の中へと入っていく。
今のところ、俺たちの正体はばれていないようだ。周囲にいる人々が騒ぎ出すことはない。
ところが、その直後だった。
「プロ野球選手が来てるぞー!」
通路の先から大声がした。
一瞬焦ったが、何のことはない。
このドーム球場はプロ野球チームの本拠地だ。それに合わせた趣向の一つとして、「プロ野球選手のそっくりさん」を、プロレス団体が手配していたらしい。
そのショーが始まったようだ。自分たちの正体がばれたわけではない。
チームメイトがにやにやしてから、
「俺たちも参加するか?」
小声で聞いてくる。
「それはまずいだろ」
ショーをやっている方へは向かわずに、売店でプロレスのグッズをいくつか買った。
他の売店では、美味しそうな食べ物を売っているが、そっちは我慢する。
そのあと俺たちは客席に向かった。
俺たちの席は、すぐ隣が通路になっていて、リングまでは二〇メートルくらい。悪くない席だと思う。
間もなくして、プロレスの試合が始まった。俺たちはいくつかの試合を観戦する。
で、今日のメインイベント、その一つ前の試合になった。
正義と悪との、チーム対抗戦だ。悪役の方が人数が多い。
そのせいで、一方的な試合展開になった。
悪役が優勢だ。正義は劣勢。さっきからピンチが途切れない。
ここでドーム球場内に、ある音楽が流れ始めた。
プロ野球チームの応援歌だ。そう、このドーム球場を本拠地にしているチームの応援歌である。
次の瞬間、俺はチームメイトと一緒に立ち上がると、変装を解いた。
そして、通路を走る。リングに向かって。
周囲の客席からは大歓声だ。まさかのサプライズ。プロ野球選手の参戦である。
俺たち二人はリングに飛び込むと、攻撃を仕掛けた。二人の悪役レスラーを相手に、次々とプロレス技を披露していく。
今日のためにプロレス団体指導のもと、密かに特訓してきたのだ。とうっ、バックドロップ!
このあと俺たちはリングの外に出て、続きは正義のレスラーたちに任せた。
しばらく一進一退の激しい攻防が続く。
が、ついに味方のレスラーが、悪役レスラーの一人から三カウントを奪った。正義側の勝利だ。
この試合を一緒に戦った正義のレスラーたちと、俺たちはリングの中央で肩を組む。
客席からは歓声と拍手だ。
俺は満足していた。プロ野球の試合後のヒーローインタビュー、そのお立ち台にいるのと同じくらい良い気分だ。
ドーム球場の前で感じていた寂しさは、いつの間にか消えていた。
次回は「卒業前」のお話です。