お巡りさん日和・その1
転生者、百弥栄虎は思った。
異世界転生を簡単に受け入れることができるヤツというのは、それはもう前世でイヤな目に会っていた連中ばかりなのだろうと。
そうでなければ、船舶を固定するためのワイヤーぐらいの頑丈な毛が心臓に生えているか、もしくは頭のネジが宇宙ステーション開発に使えるレベルで規格外なのだろう……と。
◇◇◇
(……夢オチって、偉大だったんだな)
大層に寝ぼけた頭のまま、手のひらを何度も開閉させる。
異世界での生活にはとっくの昔に慣れているつもりでいるが、やはり心のどこかで……否、心のど真ん中その場所に日本への未練は残っている。
時間にして1分ほど。
ぼんやり暗闇を眺め終え、布団から出ては身支度を始める。
栄虎がかつて授業で習った歴史で言うところの明治の時分あたりに近いからだろうか、ふんどしだけでなくトランクスパンツがあることは素直に助かると感じていた。
そのわりに選んだ衣服は着流し袴であるあたり、彼もそれなりに世界観を楽しんでいる証拠とも言えるだろうか。
上を灰色、下は紺。
見た目こそ若者そのものであるが、中身は前世と今世で合わせて四十に届くころ。
どうしても気分的に落ち着いた色合いを選びたくなるらしい。
◇◇◇
「ご主人様ッ! おはようございますッ!!」
「おはよう虎徹。お前は朝からでも元気だねぇ……」
「はいッ! 虎徹はいつでも霊気も気力も満タンですッ!!」
「うんうん、偉いね~よしよし」
栄虎がわしわしと頭を撫でてやると、わかりやすく虎徹の尻尾が振れた。
そうしてご機嫌な守護精霊とはやや対照的に、懐中時計を取り出して時間を確認する主人の表情はいまひとつ晴れている様子が足りていない。
時刻は午前5時。
なにはともあれ早朝と言われる時間帯である。
かつてはこのような早起きの習慣はなかったのだが、この異世界の日本では娯楽が前世ほど充実しておらず、長い夜を過ごすにも退屈と眠気ばかりが募って仕方がないのだ。
そうして早く寝ればそのぶん早く目が覚める。
もっとも、少なくとも自分の周囲は平和であった日本と比べればずいぶん物騒な世界である。それに備えるのであれば、己の身体と霊気を鍛えるために早起きすることそのものは嫌いではないのだが……。
(さすがに今日は……いいかな、うん。勤務初日だし。よし、ひとまず長月通りでも散歩しようかな)
今朝の目的が決まったことで、携える代物も自然と決まる。
手に取るのは使いなれた戦刀―――ではなく、木製の杖。
世界観と立場によれば、別に刀を持ち歩いても咎められるようなことはないと知っている。
知ってはいるのだが、どうしても民衆が往来するような場所で武器となるようなモノを見せびらかすようなマネに抵抗を感じてしまうらしい。
一応、この杖も特注で護身に使えるだけの代物ではあるので、散歩の連れ合いとしては充分であった。
「虎徹。今日は少し、長月通りでも歩いてみようと思っているんだけど……お前も来るかい?」
「もちろんですッ! 主殿を御守りするのが虎徹の使命ですからッ!」
「そんな大袈裟に構えなくても大丈夫だよ。ただのお散歩だからね。それじゃ……のんびり朝日を浴びようか」
◆◆◆
「はぁッ! はぁッ! はッ! ……チクショウ、なんで、勤務初日の、朝っぱらから……こんなトレーニング、させられて、ンだよ……」
朝早くから宿舎の周りを延々と走らされていた若き軍人・乾朝永の口から何度めかもわからない悪態が流れ出る。
種族として頑丈な体に育ちやすい魔人族の彼であっても悲鳴を上げたくなるほど、彼の配属された部隊の訓練はなかなか絞りに来るモノであった。
同じ部隊の先任たちは、その様子を風物詩として微笑ましく眺めつつも、しっかりと最後まで付いてきたタフさに素直に感心していた。
「キサマら、なにも珍しい物でもないんだ。さっさと着替えて朝飯に備えておけ。アレは俺が運んでやるから心配いらんぞ」
「「ハッ!!」」
「さて……ふむ。初日からこれだけ走れるあたりは流石の俺も認めてやるところだ。褒美に多少の遅刻は大目にみてやるから、しっかりと息を整えてから朝飯を済ませろよ? でないと胃袋が驚いて逆さまになるぞ」
「ハッ……ありがとうございます、隊長殿……いや、マジで助かるッス……さすがの俺サマも、このままメシはキビしいッスから……」
「うん。だがいずれは慣れてもらうからな? 軍人だからな、食えるときには腹にギッチリ詰め込めるように鍛えるのも仕事の内というものだ」
「了解であります……はぁ、とにかく、俺サマも、水浴びしねぇと―――あれは」
朝永の視線が宿舎エリアから出ていく―――栄虎の姿に合わせられる。
彼に言わせれば少し若者らしからぬ地味な国装揃えと、それに合わせてある守護精霊の少女。
「ほぅ? アレが噂の。なるほど、ずいぶん面白いモノを散歩に持ち歩くのだな」
「面白いって……ただのアラヤマ樫木の杖ッスよ?」
「アレがただの杖? バカを言うなよ乾、あんな腹ん中に金属をまるごと飲み込んだような物騒な鈍器がただの杖であってたまるか」
「ッ! わかるんですか?」
「重心と、歩くときの肩の高さが不自然だ。なんだ? キサマの世代はあんなに危険な流行りが起こっていたのか?」
「まさか、でしょ隊長。ありゃ栄虎の特注ッスよ。まぁ、その……アイツもどうして面倒を見過ごせない性分みたいで」
「フンッ、そこも噂通りか。あの若さで、あんな影働きどもが持ち歩くような杖を頼むことになるほどとは。ならば、キサマも苦労は多かっただろうに」
「苦労か、は……どうですかねぇ。少なくとも俺サマたちは楽しく幼年学校を過ごしてましたよ? 素行不良が過ぎてみんな悪童どもと呼ばれもしましたが、俺サマは―――自分は、天輪に恥じるようなマネはただの1度も行っていないと誓えるでアリマス」
いくらか体力が回復したのか、朝永が多少は見栄えのいい敬礼を隊長に向ける。
素行不良を自称するにしては、眼に宿る強い意思の光には欠片も濁りがないことを隊長の男は見逃さなかった。
もっとも、そうでなければ望んで部隊に引き受けるようなことにそもそも至らなかったのだが。
「ならば結構だ。よし、そろそろ落ち着いてきたな? 水場まで急げ。ぼちぼち他の部隊も使い始めるだろうからな。譲り合いなんぞ期待できんぞ?」
「うへぇ。だったらもう少し水場を増やしてくれりゃいいのによぉ。―――では隊長、お先に失礼しますッ!」
………。
「ほう、あれだけバテていたクセに、駆け足ができるか。回復力はとっくに一人前だな? しかし……悪童世代、か。フンッ、手前らの監督不足を棚に上げてよくぞ下らねぇ札付きにしてくれたもんだな」
その隊長の男は知っている。
悪童世代と呼ばれる生徒たちこそが、その実は信頼に足りうる傑物が揃っていることを。
朝永が口にしたように、なにひとつ恥となるようなマネはしておらず、むしろ弱い立場の者たちを理不尽から守り―――その結果、その姿を気に入らないとする連中から疎まれるに至ったことを。
そして、彼等の中心人物こそが百弥栄虎であることを。
しかし、その隊長の男は知らない。
それほどまでに目立つ振る舞いをしている本人に、桜国軍の内部を良くも悪くも掻き乱している自覚が全く無いことを。
信念や誇り、あるいは名誉や正義のためなどという考え方は欠片どころか塵芥ほどにも持ち合わせておらず、ただ御国から俸給が出る安定した仕事程度の認識でいることを。
そして、彼が異世界からの転生者であり、この世界の女神より加護を授かっており、それを駆使してのんべんだらりとした日々を過ごそうと考えていることを。