第6話 黒髪の少女
行きつけの店を出たファイは、気ままに街を散策していた。
特に何かをするでもなく、ただただ時間を浪費する。それが彼の毎日である。
それとは対照的に、この街の人々のほとんどは各々の仕事にやり甲斐を見出したり、家族と和やかな時を過ごしたりと、充実した日々を送っている。
自分だけが周りから孤立した存在。今の自分にあるのは虚無のみ。ファイにはそう感じることしか出来なかった。
「今日は傭兵団の本部に顔を出してみるか……」
たった今すれ違ったスペクトル傭兵団員の証である腕章をした男を見て、今日の暇つぶし材料が決まった。
とは言え、ファイはスペクトル傭兵団に所属している訳ではない。傭兵団の本部へと赴けば誰でも依頼を受けることができるため、特に問題は無いのである。
向かうべき場所が決まり、踵を返して歩みを進めるファイであったが、ポケットに入れていた魔道具の振動に気が付いた。
この魔道具は、遠く離れた相手との会話を可能にするというもので、ヒロキやマナミの世界で言うところの携帯電話に近いものである。
ファイは歩みを止めることなく、その魔道具をポケットから取り出して右耳に当てた。
『あーもしもし? ファイさん?』
「何の用だ」
『ファイさんが捜してると言っていた黒髪の女を見つけたんですよ』
「何だと?」
通話相手の男の発言に耳を疑うファイ。
『偶然見かけただけなんですけど、取り敢えず連絡を入れておこうと思いまして』
「おい、その女はどこで見たんだ!」
『スペクトル傭兵団の本部ですよ。心配しなくても僕が今もその女を見張ってますから、大丈夫ですよ』
「そ、そうか……分かった。傭兵団の本部には丁度向かおうとしていたところだ、すぐに行く」
『了解です。ファイさんが来るまでしっかり見張っておきます』
「ああ、俺が行くまで手は出すなよ……」
『それは勿論。——あ、それともう一つ……』
通話相手の男が何かを言いかけたところで、ファイに声がかけられる。
「あのー、すみません」
その声のした方を一瞥すると、これまた信じ難い容姿の人物が立っていた。
黒髪の少年だ。服装も珍しいが、そちらは些事に過ぎない。
女性ではないとはいえ、黒髪の人間を目にするのは久しいのである。
ファイは黒髪の少年に「ちょっと待て」と小声で呟くと、
「悪い、一回切る。また後でな」
通話相手の男にそう伝え、手に持っていたその携帯電話のような魔道具をポケットに突っ込んだ。
「で、何の用だ、少年」
「あ、話しかけるタイミング悪かったですよね? ……すみません」
「構わん。それより早く用件を言え」
ファイからすれば一刻も早く傭兵団の本拠地に向かいたいがために気持ちも焦る。
しかし、この少年に僅かな興味があるのも事実。無視して立ち去るのも寝覚めが悪い。
「……えっと、黒髪でロングヘアーの女の子を捜してるんですけど、心当たりないですかね?」
「………………」
思わず黙り込んでしまうファイ。まさかこの少年も黒髪の女を捜しているとは思いもしなかった。
そして恐らく、ファイとこの少年とが捜し求めている人物は同一であろう。何せ黒髪の女など数える程もいないのだから。
「あの、俺と同じくらいの年齢の子なんですけど……」
「……そいつとお前はどういう関係なんだ?」
例の胡散臭い噂が真実だとすれば、ファイとこの少年が捜し求めている黒髪の女はアリア、すなわち神なのである。
この少年が何故黒髪の女を捜しているのかを探っておく必要があると、ファイは思った。
「え? えーっと、大切な友人……ですかね?」
「そうか。少年、お前の名は?」
「ほ、星屋宏樹です……」
問答を繰り返すファイとヒロキ。
黒髪の女と友人関係にあるとは一体どういうことなのだろうか。
ヒロキに対する興味が俄然湧いてきたファイ。
「……悪いが見てないな。ただ、これから先その女を見かけることがあれば、お前のことは伝えておいてやる」
「……! ありがとうございます!」
嘘はついていない。
ヒロキが捜している黒髪の女の居場所をファイは掴んでいる。しかし、自分の目でその姿を確認したわけではないのだから『見てない』という発言は嘘にはならない。
言葉の綾というものだ。
ヒロキが深々と頭を下げているのを尻目に、ファイはその場を立ち去った。
そのまま数十メートルほど歩いたところで振り返ってみると、まだヒロキは視界に入るところにいた。
そんな彼の背中目掛けて、ファイは右手を伸ばし、
「ロクス」
とだけ呟いた。
その一言と共に淡い光の弾がその右の掌から放たれ、関係ない人間や障害物を躱しつつヒロキの元に辿り着き、彼のブレザーに着弾した。
一瞬だけブレザーが薄らと光を放ったのだが、ヒロキは気付く由もなかった。
「野放しにしておくのは愚策だろうからな」
ヒロキのブレザーの発光を確認したファイは再び踵を返し、当初の目的地であったスペクトル傭兵団の本部へと急いで向かうのだった。
スペクトル傭兵団の本部は、仕事や依頼の為にかなりの人数が出入りする場所である。
そのためか、厳つい装飾や建物自体の大きさなどが色々と仰々しい。
そんな本部の建物の前に、黒フレームの眼鏡を掛けた若い男が立っていた。
その男はこちらへと歩いてくる銀髪の男にに気がつくと、右手を上げて自分の存在を知らせた。
「ファイさん! 待ってましたよ!」
「ああ。待たせたな」
ファイも軽く右手を上げる。
「それでテオ。黒髪の女は?」
「この中にいますよ」
本部の入口の方に視線をやりながら、そう言うテオ。
中指で眼鏡の位置を直しつつ、したり顔を見せる。
「『しっかり見張っておく』と言っていたはずだが?」
「それに関してはご心配なく。さっきも言おうとしたんですけど、その黒髪の女が少々厄介事に巻き込まれてまして」
「どういうことだ」
「まあ見てもらう方が早いです。中に入りましょう」
「あ、ああ……」
テオの後ろに続いて、建物の中に足を踏み入れるファイ。
それからすぐに、黒髪の女がファイの視界へと飛び込んできた。
と言うのも、彼女の出で立ちが、魔物討伐用の装備で身を固めた傭兵達や困り事解決の依頼に来た街の人々の服装とはかけ離れていたからである。
先程出会った黒髪の少年と似たような服装をしているのだ。
そして、そんな彼女を囲うようにして立っている二人の大男の姿も確認できた。
二人ともスペクトル傭兵団の腕章を付けており、正式な傭兵団員だということが窺える。
「ほらファイさん、ああやってあの人達が例の黒髪の少女にずっと絡んでいるんですよ」
「なるほどな……」
俗に言うナンパである。
いい歳したおっさん二人が少女相手に何をやっているのか。
明らかに少女の方は困り果てているが、二人の大男の容姿が厳つすぎて周りの誰も助けに入れずにいた。
しかしファイは違った。臆することなど微塵もなかった。
「……あれ? て、ちょ、ファイさん!?」
テオが気付いた頃には、ファイは既に黒髪の少女と大男達の前に立っていたのだ。
「何だぁアンちゃん」
「今この娘口説くのに忙しいんだけど?」
「……貴様らのような愚物が神を口説くだと? 冗談はその薄汚い顔だけで充分だ」
「グブツとか神とか何言ってっか分かんねぇぞアンちゃん!」
「ブチ殺されてぇのか!」
突然介入してきたファイに煽られ、怒りを露わにする大男達。
黒髪の少女はその様子を黙って見ていることしかできない。
「俺の邪魔をするな」
そう言ってファイは大男達を鋭い眼光で睨みつけた。
その美しい碧眼は妖しく蒼い光で満ちて、異様な雰囲気を醸し出している。
「あ、ハ、ハイ。何かスンマセンした……」
「その瞳……ほ、本当にスンマセン!!」
大男達はファイの異様さに気圧されたのか、態度を軟化させて足早に立ち去っていった。
その様子を遠巻きに眺めていたテオがファイの元へと歩いてくる。
「いやー、身体の大きさに反して中々の小心者でしたね」
「ああ。……それより——」
ファイが黒髪の少女の方へと視線をやる。
それに気付いた少女は深く頭を下げ、
「助けていただきありがとうございました……!」
ファイに礼の言葉を述べたのだった。
「礼には及ばん。それより、俺についてきてくれないか?」
「え? えっと、それは……」
少女の表情が曇った。
それもそのはずであろう。ファイの言っていることは先ほどの大男達と同じ、『自分についてきてほしい』ということなのだから。
その理由が『一緒にお茶したいから』なのかそうではないかの違いでしかない。
「……ホシヤヒロキという少年がお前を捜している」
「え、星屋君が!?」
驚きを隠せないといった感じの少女。
先程手に入れたばかりの餌に、獲物が予想以上の食いつきを見せてきた。
「あの、星屋君はどこに居るんでしょうか……?」
「今みたいに不埒な輩に絡まれる可能性も無きにしもあらずだ。お前が安全にその少年のもとへと辿り着けるよう、俺が彼の居所まで案内してやる」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。俺はその少年にそう依頼されたからな。請けた仕事はしっかりとこなすさ」
「そ、そうなんですか? じゃあお言葉に甘えさせていただきますね……」
「ああ。信頼してくれて構わない」
その後、ファイは黒髪の少女とテオと共に傭兵団本部を発ち、とある場所へと向かうのだった。
その『とある場所』というのが、星屋宏樹の居所ではないということだけは確かである。
ファイ目線の物語の後編です。
時間軸は、第1話とおおよそ同じです。