第5話 銀髪の男
時刻は朝の九時頃。今日も今日とて空虚な一日が始まる。
とある街の大通りで、背中に長刀を携えた銀髪の男が虚空を見つめている。
刀の柄には青く輝く宝石が埋め込まれており、時代遅れの型ではあるが彼にとっては今でも愛刀であることに変わりはない。
その理由はと言えば、その刀はかつて大切な人から贈ってもらった、いわば形見の様なものだからである。
「もうこんな時間か。……あの店が開く頃だな」
ふと胸ポケットから取り出した魔道具で時間を確認したその男。
精気をうっすらと取り戻し、自身の行きつけである、ここからすぐ近くの店へと足を運ぶのだった。
木製のドアを押して開け、目的の店に踏み入る。
この店の特徴を述べるのだとしたら、特筆すべきはその外観と内装のギャップだろう。
外観はどこでも見かけるような平凡な喫茶店でしかないのだが、いざ中に足を踏み入れればどこか異国風の内装が客を待ち受けている。
彼も、初めて来店したときは少しばかり驚いたものである。
「いらっしゃいませー。……って、ファイさんじゃないですかー。毎朝お一人様でのご来店、ありがとうございますー」
「『お一人様で』は余計だ」
この喫茶店が異国風なのは、何も内装だけではない。
提供されるメニューも他の店では食べられないような異国風のメニューがほとんどなのである。
その珍味にすっかりハマってしまったこの男、ファイは、毎朝この店に通うことが既にルーティーンと化していた。
「いつも通りまだお客さん来てないんで、好きな席に座っていいですよー」
「ああ」
ファイは軽く返事をし、出入り口から一番近い二人がけのテーブル席に座った。
背中の刀は座るときには邪魔になるため、横の壁に立て掛けておく。
カウンター席があれば迷わずそちらに座るのだが、なぜかこの喫茶店にはそれが存在しない。
そういう点も、やはり異国準拠なのだろうか。
「ご注文はいつものでよろしいですかー?」
「ああ、問題ない」
「かしこまりましたー」
店員の女が店の奥へと立ち去っていく。
料理が運ばれてくるのを待っている間、窓の外のまだ人通りの少ない大通りをボーッと眺める。
赤、緑、金、白……。
通りかかる人間の髪の色をなんとはなしに観察してみるが、やはり黒髪の人間は一人もいない。
「フッ……黒髪の人間、昔は割と居たものだがな」
どこか自嘲気味に独りごちるファイ。
そんな彼の元に料理が到着する。
「お待たせしましたー。『店長おすすめサンドウィッチ』と『コーヒー』です」
目の前に見慣れたいつもの料理が置かれるが、ファイには小さな疑問が生まれた。
「……どうでもいいんだが、今日はやたら料理が来るのが早いな」
「どうせ今日も来るんだろうなぁって思ったので、実は少し前に作っておいたんですよー」
「……そうか」
あっさりとファイの疑問は解消された。
しかし、今度は店員が疑問を口にする。
「それより、黒髪の人がどうかしたんですか?」
「……聞こえていたのか」
「私はファイさんの質問に答えたので、次はファイさんが私の質問に答える番ですよ?」
「別に大したことはない。黒髪の女を捜しているというだけだ」
淡々と答え、コーヒーを啜る。
口内に広がるほろ苦さは、まるで自分の今までの生を表現しているかのように感じられる。
コーヒーを飲む度に、この何とも言えない気持ち悪い感覚に陥る。
だが、それがむしろ癖になるのだ。
「黒髪の女……? どうして捜してるんです?」
「聞いても面白くないと思うが?」
「全然構わないですよ。むしろ聞きたいです。この時間はお客さんもほぼ来なくて暇ですしね」
「そうか。なら話すとしよう」
テーブルに肘をついて一度大きく息を吸うと、ファイはその口を開いた。
「端的に言えば、俺は神に逢いたいんだ」
「はい?」
この人はいきなり何を言っているのだろうか。
呆れや驚きというよりかは、単純に理解が追いつかない店員。
「えっと……神に逢いたいって、一体どういう……。あ、もしかしてファイさんもあの子と同じになっちゃったんですか?」
「あの子?」
「最近よく来るんですよねー。そういう痛々しい発言をするツインテールのお客さんが」
「それはきっと若気の至りだろう。そんな奴と同じにしないでくれ」
確かに、神などという本当に存在しているのかすらも怪しい偶像に逢いたいだなんて、変人と認識されても何の文句も言えない。
しかし、彼は知っている。神は実際に存在しているということを。
そして、彼は気にしない。例えどれだけ罵られようと、神にさえ逢えればそれでいい。
「それよりアンタも聞いたことくらいあるはずだ。この世界の秩序を守護する存在である神の名を」
「七百年前に四聖者を率いて、邪神と呼ばれていた先代の神であるガイアスを倒し、ガイアスの代わりとして新しく神の座に就いた女性……でしたっけ?」
「ああ。そして、アリアは手に入れた神の力の一部を四聖者に分け与え、更にこの世界を四つの領域に分けた」
そこまで話すと、今度はコーヒーではなくサンドウィッチに手を伸ばす。
相変わらず美味い。
「それって真紅の領域、紺碧の領域、翡翠の領域、琥珀の領域の四つですよねー」
「そうだ。四聖者のカメリア、バルナス、ローヌ、カスティールがそれぞれの領域を守護している」
「へぇー。ファイさんって歴史とか詳しいんですねー」
「まぁ、アリアが神になる以前のことはあまり知らないがな」
再びコーヒーを啜るファイ。普段はあまり話すことはないため、こうやって少しでも長話をすると喉が渇くのである。
「でー結局、アリア様の話は黒髪女性を捜してる理由とどう関係してるんですか……?」
未だに理解出来ないといった感じの店員。
「実はこの前、とある噂を耳にしてな。ここ最近になって、アリアが天界から下界に降りてきている——というものだ。神となる以前と同じ、黒髪の姿でな」
「あー、それだから黒髪の女性を捜してるんですねー。……でもその話、胡散臭すぎません?」
「まぁ、十中八九眉唾だろうな。だが万が一ということもある。……俺はこんな愚劣な噂にすら縋ってしまうほどに、神に逢いたいんだ」
「あのー、訳アリっぽいのでずっと訊いていいのか迷ってたんですけど、どうしてそんなに神様に会いたいんですか?」
「それは……」
言葉に詰まるファイ。
誤魔化す様に残っていたサンドウィッチを手に取り、口に放る。
幾らかの咀嚼の後にそれを飲み込み、ようやく言葉を発した。
「すまん、それは言えない。……今日も美味かった。金はこれで足りるな」
「え?」
唐突に紙幣を手渡され、困惑する店員。
「釣りは馬鹿な話に付き合ってもらった礼だ、受け取ってくれ。じゃあ、また来る」
「え、あ、はい、ありがとうございましたー」
席から立ち上がって立て掛けておいた刀を背中に背負うと、逃げる様に店を出たファイであった。
銀髪の男目線の物語の前編です。
時間軸は、第1話とおおよそ同じです。