第9話 アリア神話
ラタフィが人差し指をチョコチョコと左右に振りながら、どこか得意げに『アリア神話』なるものの説明を始めた。
「いいかい? まず、この世界は四つの領域に分けられている」
「四つの領域?」
四つの領域とは何なのか。ヒロキの元いた世界で言うところの国みたいなものだろうか。
「真紅の領域、紺碧の領域、翡翠の領域、琥珀の領域だ。まあ簡単に言えば、赤、青、緑、黄だな」
「テレビのリモコンによくある四色か……」
ヒロキがボソリと呟くが、噴水の音のせいかラタフィの耳には届いていない。
指振りを続けたままヒロキの周りをうろちょろし始めたラタフィは、なおも説明を続ける。
「そしてそれぞれの領域を守護しているのは、四聖者と謳われ、かつてアリアという女性と共に巨悪を打ち倒した者たちだ。順に、カメリア、バルナス、ローヌ、カスティール」
「ん? カスティールってラタフィが何回か言ってた……?」
ヒロキのその疑問に、待ってましたと言わんばかりにラタフィが食いついた。
それはもう目を爛々に輝かせて。
「その台詞、待ってたぞヒロキ!」
急に声の調子が変化した。
「琥珀の領域の主であるカスティール・シュバルデンは、四聖者の中で最も魔法に秀でた男なのさ! 故に? あ、その末裔である僕が? 魔法のエキスパートであるというのは? あ、必然だということだね! ハハハハハハ!!」
ヒロキを含めた周囲の人間をドン引きさせるほどの高笑いをしてみせたラタフィ。
噴水から少し離れた位置からそれを見ていた黄緑色の髪の少年が、
「ねぇママ見て見てー、あのお姉ちゃん頭おかしいのかなー?」
ラタフィを真っ直ぐ指差して、そう言った。
すると、その子の母親であると思われる女性がすかさず、
「シッ! ああいうのは見ちゃいけません!」
その少年を叱りつけたのだった。どこかで見たやり取りである。
それはしっかりとラタフィの耳にも届いたようだ。
「ヒロキ、あの黄緑頭を灼いていいか? 僕が魔法のエキスパートだってこと、証明してあげよう」
ヒロキはそう言ったラタフィの目を何とはなしに見てみる。
瞬時、ヒロキは悟った。
『あ、これ、マジの目だ……』と。
「おいラタフィ落ち着けって。相手はまだ子供だろ? 子供には優しくしなくちゃ。な?」
「ヒ、ヒロキがそう言うなら仕方ないな……。今回は許してやる。——まあ、確かに心の寛容さは大事だよな!」
「そうそう。短気は損気だ」
ラタフィから溢れ出ていた殺気は徐々に緩和されていき、事態は丸く収まった。……かのように思われたが。
再び遠くから少年が、今度はヒロキを指差して、
「あ! よく見たら午前の頭おかしいお兄ちゃんだー! 頭おかしい人の午前バージョンと午後バージョンが揃い踏みだー!」
爆弾を投下した。
「シッ! 聞こえたらどうするんですか!?」
母親は少年の手を引いてそそくさと立ち去っていく。
「よしキャベツキッズ、また俺に喧嘩売ったな? 一度目は許してやったが二度目はない! いいか? お前なんか切り刻んでロールキャベツにしてやるよ!!」
早口でよくわからない暴言を吐くヒロキ。
キャベツを切り刻んではロールキャベツは作れない。
子供に対してだけでなく、キャベツにも優しくしなくてはいけないのだ。
「ヒロキ、子供に優しくしようって言ったのは君だぞ?」
ヒロキはラタフィに指摘されたことで自身の言動の矛盾に気が付いたのだった。
「あ、ああゴメン、俺としたことが。ついつい料理しちゃうとこだったぜ……」
「で、話を戻すけど、この噴水は紺碧の領域の主であるバルナスが、えーと……。あれ? 何だったっけかな」
ラタフィが言葉に詰まった。
あれだけ意気揚々と説明し始めた割には、案外アリア神話に対する知識はあやふやなのかもしれない。
しかしそんなとき、ヒロキとラタフィに声がかけられた。
「その話の続きなら私がしましょう」
女声である。
その声の主は、薄い水色の長い髪を後ろで一本に纏めており、その身体には鎧を纏っていた。
腰には剣も携えていて、『女騎士』と言うに相応しい出で立ちである。
「えっと、ど、どちら様でしょうか?」
ヒロキの口調も自然と不自然な敬語になる。
長刀を背負った銀髪の男に話しかけたときもそうだが、刀や剣といった物騒な物を携行している相手に対しては特に遜るように心がけている。
理由は至極単純に、怖いからである。
下手な言動を取って相手の怒りを買い、その場で真っ二つに斬られでもしたら一溜りもない。一瞬でお陀仏である。
そんないきなり斬り刻んでくるような人間が本当にいるのかは甚だ疑問だが、ここは異世界。ヒロキの中の常識が通用しないことは明白なので、過度な用心くらいが丁度良い。
「おっと、これは失礼しました。私は紺碧国王直属騎士団第四部隊隊長、シアン・ライトリアです」
物腰柔らかく自己紹介をした女騎士。
あまりにも長いその肩書きを噛まずに言うだけでも大変そうだが、シアンは流暢に口上してみせた。
日頃から言い慣れているのだろう。
その丁寧な言葉使いに誠意の感じられる女騎士である。
しかし、相手が誰であろうと、自分の話に割り込まれて黙っていられない女がここには居る。
「国王直属の騎士が何でこんな街に居るのさ。騎士団なんて、いつも王都にしか居ないイメージなんだけど?」
少しムッとした感じでシアンに疑問及び不快感を呈すラタフィ。
彼女にとって、自身の知識を人にひけらかす時間はとても楽しいものなのだろう。
「いえ、まあ、緊急で調査しなければならないことがありまして。——それより、バルナス様の話をしましょう」
物腰が柔らかいのは確かだが、有無は言わさない感じである。
ヒロキは頷き、ラタフィも仕方なく口を閉じた。
「この『バルナスの大噴水』は、我が国の出身である聖者バルナス様を讃えるために大昔に造られたものです。バルナス様は大変偉大な剣士でした。私はそんなバルナス様に憧れて、騎士を志したのです!」
「まあ、カスティールの方がバルナスよりも偉大で素晴らしい人間だけどね」
やはり結局は黙っていられないラタフィ。
宗派の違い的な感じだろうか。対抗心がバチバチと感じられる。
「そして知っての通り、バルナス様は我が国、つまりは紺碧の領域の守護者です! バルナス様無くして、今のこの国は無いんですよ!!」
段々ノッてきたのか、シアンの言葉尻が次第に大きい声になってきた。
もはやただのバルナス大好きお姉さんである。
「カスティールも同じさ。カスティールが存在しなければ、琥珀の領域も存在しない!」
お互いに目線で火花を散らしているシアンとラタフィは置いておくとして、ヒロキはヒロキなりにシアンの話を聴いていた。
シアンの発言から素直に推測するなら、自分が今居るのは『紺碧の領域』だろう。
ラタフィが先程言っていた、四つの領域の内の一つである。
ヒロキが新しい情報を得たところで、ある男が三人の元に駆け寄ってきた。正確には、シアンの元に。
「シアン隊長!!」
「どうした」
その男はシアンと似たような出で立ちをしていることから、騎士であるのは間違いない。
シアンの部下といったところだろう。
「報告です。黒髪の少女を発見しました!」
ヒロキとラタフィは顔を見合わせた。
「そうか! よし、私もすぐに向かおう」
「ですが、傭兵と思われる男二人が一緒にいまして……」
「報告の続きは道中で聞こう、すぐに私を案内してくれ」
「わ、わかりました!」
シアンは二人の方へと向き直ると、
「というわけで私はこれで失礼します」
頭を軽く下げた。
しかし、せっかくのチャンスを無駄にするヒロキ達ではない。
「あの、俺たちも付いていっていいですか」
「……?」
シアンは不思議そうな顔をした。
自身に付いてきたいと言ったヒロキの意図が読めなかったからである。
その様子を見兼ねたラタフィが口を開いた。
「僕たちも黒髪の少女を捜し」
しかし、事実を言いかけたラタフィをヒロキが制止する。
「いや、えっと、俺、実は騎士に憧れてまして! 騎士の仕事を間近で見てみたいなぁ……なんて」
「……そういうことなら、まあ、構いません。ですが、少し走りますよ?」
シアンさん、憧れと言われて満更でもないようである。
「むしろ俺たちもそのつもりです」
「良い心構えです」
シアン、ヒロキ、ラタフィの三人は駆け足で男騎士の後を付いていくのだった。
高瀬さんが心配で心配で仕方がない。
そんなものは建前で、本心では自分が高瀬さんに会いたいだけなのかもしれない。
どちらが本当の気持ちかは分からないが、どちらも本当の気持ちなんだろう。
いずれにせよ、ようやく高瀬さんに会える。
ヒロキは走る。否、走らなければならない。
走れヒロス。