第一話『ワイバーンの肉』
「ふぅ……腹ァ減ったな。飯にすっか」
俺が実家の肉屋を飛び出し、ついでに街も飛び出して、今日で三日目。
つまり俺の冒険者生活は三日目に突入したことになる。
いやあ、やってみれば出来るモンだ。
そんなことを思いながら、俺は道端に埋まっている岩へ腰を下ろす。
今俺が居るのは、森の中に拓かれた街道。そのどこかだ。
どこか、というのは、俺も俺がいる場所がわかっていないからである。
地図? ねえよ、ンなもん。
冒険者ってのは気の向くまま心の赴くままに、自らの好奇心を満たしてくれる場所に行く。
昔、冒険者にまつわる話でそんなことを聞いた……気がする。
だから地図を持ってこなかったことに間違いはない。そう信じたい。
まあ街道なんてのは、道沿いに進めばどっかの街に着くようになってるモンさ。
俺は難しく考えず、背負ったリュックと"バカでかいブツ"を地面に下ろした。
「えっと、確かまだ干し肉が残ってたはず……」
ガサゴソ、と俺がリュックの中を漁っていると――
『キュイイイィィィ!』
そんな、甲高い鳴き声が頭上から響いた。
「お、お出ましか」
俺は呑気に上を見上げる。
するとそこには――大きな翼を広げ、大空を飛翔する翼竜の姿。
【ワイバーン】。それがあの【ドラゴン】の名称だ。
街の外に一歩出れば、どこでも目にする小型の【ドラゴン】である。
見た目はほぼ巨大な有隣目で、その前足に翼が生えている。
飛行に特化しているために身体は細身のガリガリだが、全長が2m近くもあり、翼を広げた全幅は3mはあろうかという姿は中々に迫力がある。
女子供から見れば十分過ぎるほどのモンスターっぷりと言えるだろう。
『キュイイイィィィ!』
そんな【ワイバーン】は、俺目掛けて急降下してくる。俺を餌とでも思っているんだろう。
俺はすかさず地面に置いた"バカでかいブツ"を拾い上げる。
そのブツとは――"包丁"だ。
それもただの包丁ではない。
柄の部分まで含めれば俺の身長と変わらない程の大きさを誇る、超巨大な"肉切り包丁"である。
分厚い長方形の刀身には切っ先がなく、文字通り肉をぶった斬るためだけの形状をしている。
そう! これぞ名付けて『竜斬包丁』!
冒険者兼肉屋である俺が【ドラゴン】を倒して調理するための、理想の武器!
……まあ実際は、実家にあった一番デカい包丁を持ってきただけなんだけどよ。
俺はそんな大剣の如き『竜斬包丁』を振りかぶると、
「よっ、と」
【ワイバーン】が襲い来る瞬間を見計らって、振り下ろす。
ズダン!と、まるでまな板の上に包丁を立てたような斬撃音。
それと共に、包丁は【ワイバーン】の片翼を切り落とした。
『ギギュゥイイイイィ!』
片翼を落とされた【ワイバーン】は勢いをよく墜落し、地面の上を転げ回る。
空から急降下してくる攻撃は確かに恐ろしいが、よく見ればその動きは一直線に突っ込んでくるだけの突進に過ぎない。
しかも決して図体が小さいワケじゃないから、タイミングよくカウンターを入れるのは簡単なのだ。
【ドラゴン】の中でも【ワイバーン】はもっとも人里付近に出没するので、男子なら子供の頃から対処法を教わる。
「さあて……悪く思うなよ。南無南無」
俺はそう言って合掌すると――ズダン!と、包丁で【ワイバーン】の首を落とした。
肉屋は"命"を扱う。
牛でも豚でも鶏でも【ドラゴン】でも、俺達は"命"を喰って生きてるんだ。
だからそんな"命"に、感謝を忘れちゃならない。
トドメを刺した【ワイバーン】を食材へと変えるため、俺は素早く下ごしらえを始める。
とはいえ……ぶっちゃけ【ワイバーン】、いや【ドラゴン】を捌くのはコレが初めてだ。
なにせ『ドラゴンの肉』なんて、普通は食品市場に出回らない。
需要がないのだ。
そもそも各街や村々で牛、豚、鶏などを食用に畜産しているのに、わざわざ『ドラゴンの肉』を喰う必要がない。
根本的に美味そうに見えないのもあるが、危険を冒してまで食用に狩るにはリスクが大き過ぎる。
大型種ともなれば全長が20mを超えることもあるため、立ち向かえる冒険者だって限られる。
明らかに効率が悪いのだ。
故に【ドラゴン】の部位で金銭の取引対象になるのは、主に皮、鱗、翼、牙などである。
それらは、武器や防具、または生活用具の立派な素材となる。
"肉"は……遺棄されてるんだろうな、常識的に考えて。
……今更ながらに思えば、"【ドラゴン】喰えばいいじゃん"と思い付いた冒険者なんて、世界にどれほどいるんだろう……
俺って異端……?
いや、それでも喰うけどさ……
――コホン。
とにかく、目の前の【ワイバーン】だ。
別に今すぐ喰うワケじゃないけど、持ち運びやすいようにしておくか。
そう思った俺は残ったもう片方の翼も切り落とし、それから長い尻尾も切り落とす。
血抜きはまあ、首を落とした時点で考えることもないだろう。
さて、【ワイバーン】の肉だが、正直コイツは喰える部分が少ない。
空を飛ぶために極限まで身体を細く軽くしているので、余分な肉が全然ないのだ。
喰える部分といえば、もも肉・胸肉・ささみ・手羽元・せせり・ぼんじり、それから内臓系や軟骨くらいか。
基本的に鶏と似ているけど、大きさから考えれば一匹辺りから取れる肉の量は少ない感じだ。
皮には鱗がびっしりと張り付いていて、鶏のように厚くもないので、食用には適さない。
その肉質は空飛ぶ爬虫類と呼べるだけあって淡泊な白身で、やはり鶏肉に近い。
基本的に料理するには鶏肉料理レシピを参考にできるだろう。
そんなことを考えながら下ごしらえを終えた俺は、切り分けた『ワイバーンの肉』を束ねてロープで結ぶ。
料理に使わない翼や頭部は置いていく。狼などの野生動物の餌になるからだ。
「これで今夜の晩飯も確保できたなっと……。ところで……」
俺は、ふと空を見上げる。
「なーんか、今日はやけに【ワイバーン】が多い気がすンなぁ。変な感じだ」
そう、森の街道に入ってからというもの、心なしか【ワイバーン】が増えた気がするのだ。
頭上を見れば、飛んでいる【ワイバーン】の数は一匹や二匹ではない。
けれどもそいつらは、俺を襲ってくる気配がない。
しかも――なんとなく、同じ方向に向かって飛んで行っている、ように見えた。
「……もしかして、なにかあんのか? だとしたら――行ってみるっきゃねえな!」
俺の冒険心に火がついてしまった。
冒険者ってのは気の向くまま心の赴くままに、自らの好奇心を満たしてくれる場所に行く。
なら、危険な場所に飛び込んでみるのも、悪くねえ!
そう、これぞ冒険の醍醐味!
「しゃあ! 行くか!」
俺は束ねられた『ワイバーンの肉』をズルズルと引きずりながら、街道の中を走っていった。