#3 折鶴のいのり(2)
#2 折鶴のいのり
「武流!武流!」
蔵の外から、荒神の声が聞こえてきた。
目が覚めたら隣で寝ていたはずの武流がいなくなっていたので、驚いたのだろう。
武流は慌てて、涙を拭った。
こんなところを見られるわけにはいかない。
荒神には、おゆうのことは隠しているのだ。
だってもし知ったら、あの荒神のことだ、子供のような好奇心から、おゆうの顔を見に行きたがるに決まってる。
おゆうに荒神を会わせるわけにはいかない。
あんなバケモノを。
心の蔵が悪いおゆうの前で癇癪でも起こされたら、それこそ、おゆうの命に関わる。
もし、おゆうがいなくなったら――
想像しただけでも、足が震えて立てなくなるほどの恐怖を感じてしまう。
荒神には、おゆうのことは絶対に秘密だ。
武流は、妹からの手紙を蔵の小さな箱の中に隠そうと立ち上がった。
「こんな所にいたのか、武流」
蔵の扉が開いて、荒神が顔を覗かせた。
「何をしているんだ?」
「な、何でもありません、荒神さま」
武流は手にしていた手紙を咄嗟に、背中に隠した。
だが、その行動はかえって荒神の気を引いた。
「なんだ、それ」
荒神がすうっと手を伸ばすと、武流が背中に隠そうとした手紙がふわりと宙に浮きあがり、その指先に届いた。
「手紙?」
荒神はじっと紙面に目を落とす。
「お兄ちゃん?」
「返して!」
咄嗟に武流は荒神の腕にすがり、ひったくるように手紙を奪い取った。
荒神は目を丸くして驚いている。
それはそうだろう、武流が荒神に対してこんな態度をとったのは初めてだったから。
どんなに理不尽なことがあっても、ひたすら従順に仕える。
荒神のご機嫌を損ねないように。
それが、生贄たる武流の役目。
今までずっとその掟に従ってきたのに。
――しまった。
武流は口唇を噛んだ。
だが、今さら取り返しがつかない。
仕方なく、武流は本当のことを口にした。
「・・・これは妹からの手紙。
おれにとって、命と同じくらい大事なものだから」
武流は手紙をぎゅっと抱きしめて、荒神に頭を下げた。
「失礼なことをして、申し訳ありません」
癇癪を起こした荒神に、殺されても仕方ない。
武流はそう覚悟した。
荒神がその気になれば、武流の四肢など簡単にバラバラにできる。
「武流には妹がいたのか!」
だが、荒神は嬉々とした表情を浮かべて武流を見つめてきた。
「武流にもカゾクがいたんだな」
荒神の反応に、武流は拍子抜けした。
やけに嬉しそうな顔をしたりして、訳が分からない。
やっぱり、こいつは理解不能のバケモノだ。
「カゾクがいるのに、どうして一緒に暮らさないのだ?」
「それは・・・おゆうは重い病で・・・
村から離れられないのです」
「そうだったのか。
それじゃあ、今どうしているか、顔くらい見たいだろう」
「え?」
きょとんとした武流に構わず、荒神は、土蔵の壁に手をついた。
するとそこから陽炎が立ち、白い壁が水面のようにゆらゆらと揺れ始める。
何事かと目を凝らす武流の前で、暗い土蔵の中に、のどかな田園風景が広がった。
澄んだ空に向かって伸びる青い稲穂。
その向こうに並ぶ、小さな家々。
その景色には、確かに見覚えがあった。
武流の村だ。
農作業を終え家に戻っていく村人たちの姿が見える。
父や母の姿を見つけた子供たちがはしゃいで騒ぐ声も、聞こえてきた。
懐かしい景色。
そして、土蔵の中に映し出された一軒の家。
武流は、きゅうと胸がしめつけられる思いがした。
そここそは、病の妹が暮らしている家。
――おゆう。
武流は食い入るように、見つめた。
まるで村に戻ったように、懐かしい家が近付いてくる。
すうっと壁を通り抜け、家の中が映し出された。
何もない質素な家だけれど、きれいに片つけられている。
だが、そこには誰もいなかった。
ここで、おゆうは寝ているはずなのに。
家の中を通り過ぎ、武流の前の風景は、庭へと移っていた。
銀杏の木が、青い葉を揺らしている。
ひらり、と葉が落ちた。
落ちた先の地面が、こんもりと盛り上がっていることに、武流は気付いた。
小さな野の花が生けられている。
そして、そこには、折り鶴が供えられていた。
これでは、この土まんじゅうは、まるで――
「ん? これは墓?
武流、お前の妹は死んでるんじゃないか」
荒神は、難しい問題の正解を見つけ出した子供のような、得意げな顔で言った。
「やめろ!」
武流は怒鳴った。
こんな風に我を忘れて怒鳴ったことなど、生まれて初めてだった。
荒神もその語気の強さに驚いたらしい。壁から手が離れた。
とたん、村の景色は消え、二人は薄暗い土蔵の中に取り残された。
「武流?」
荒神は、武流の顔を怪訝そうに見つめていた。
なぜ武流が怒鳴ったのか、まるで分からないという顔をしている。
自分ではとびきりの冗談だと思っていたのに、誰も笑ってくれなくて、困惑している子供のような表情。
――おれは一体なにをしてるんだ。
そんな荒神の顔を前にして、武流は心が冷えていくのを感じた。
おれは、何をしてるんだ。
おゆうが死んだなんて・・・そんな不吉な冗談に付き合わされて。
そうまでして、なんでおれは、このバケモノと一緒にいなければならない?
体を玩ばれて。
心まで踏みにじられて。
どうして、こんなバケモノに仕えなければならないのだ?
武流は、荒神に背を向け、歩き出した。
そんな武流に、荒神は慌てて言いすがってきた。
「どこに行くのだ?武流」
「おゆうの所に帰る」
武流は、荒神を振り返った。
「おれは、おれの家族と暮らす。
バケモノなんかと一緒にいるのは、もう御免だ」
――気に入らないなら、殺せばいい。
もう、うんざりだ。
これ以上、惨めな思いを味あわされるのは。
武流はそう心を決め、土蔵の外に出た。




