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#1 神への生贄

ボーイズラブものになりますので、ご注意ください。


#1 神への生贄


ごうごうと風が唸りを上げて吹き荒れる。

普段はのどかな山間の小さな村の風景が一変した。

山あいの盆地にささやかに広がる水田。

青い稲穂は今にも吹き飛ばされそうだ。

そんな水田のそばに、寄り添いあうように並んでいる小さな茅葺き屋根の家々も、強風に耐えきれずに歪み、軋みを上げている。

それでも必死になって地面にしがみついていた。

「荒神さまがお怒りじゃ!」

村落からはずれた山の中、ぽつんと建っている小さな社に駆け込んできた村人は叫んだ。

「荒神さまのお怒りを鎮めてくだされ、神官さま――!」

小さな社の奥の御簾が上がり、一人の青年が姿を現した。


「何をそう苛立っておいでなのです、荒神あらがみさま」

神社の縁側に立った青年が天に向かって呼びかけると、それに対する返事のように、天から雷が降ってきた。

そのいかずちは、青年の立つ縁側の屋根を直撃し粉砕していった。

破片が飛び散り、青年の白い頬から血が一筋滴り落ちる。

だが青年は痛みなど感じていないかのように顔色一つ変えず、仮面のような端正な面を相変わらず天に向けたままだ。

武流たける、お前は引っ込んでいろ!死にたいのか!!」

まるで雷鳴のように、男の怒鳴り声が空に轟いた。

「お鎮まりくださいませ、荒神さま。

みな、怯えております・・・」

武流と呼ばれた青年は縁側から庭に下り、その華奢な体を天の下に晒した。

「うるさい!」

遮るもののない彼の頭上で、再び稲妻が走る。

今度雷が落ちたら、彼の命はあっけなく燃え散ってしまうだろう。

それでも、彼は怯む様子もない。

表情のない美しい顔を天に向け、呼びかけた。

「さあ、こちらにお戻りくださいませ。

荒神さまの大好きなお神酒もよく冷えておりますよ」

「・・・お前は、飲み食いさせれば、オレが機嫌を直すと思っているだろう?」

空から降ってきた黒い塊は、武流の前で人型の姿を現した。

武流も小柄な方ではなかったが、この男の背丈は頭抜けている。

武流の頭は、この男の胸ほどにしか届かない。

背中まである黒い蓬髪は、癇癪持ちの主と同様聞かん気が強いらしく、

思い思いの方向に伸びている。

筋骨隆々の偉丈夫然としたその姿の中で、その髪は、まるで獅子のたてがみのように見えた。

「そのようなこと・・・」

大男の不貞腐れた表情を前にして、武流の仮面じみた面にかすかな笑みが浮かんだ。

「でも、こうして癇癪を起こしているよりは、お社の中で冷えたお神酒をいただいた方が、ずっと心地よいと思いますが。

私もぜひ、あのお神酒を荒神さまに召し上がっていただきたいですし」

「・・・お前がそこまで言うのなら」

いかにも渋々といった様子で、大男は頷いた。

「その酒を持って参れ。肴もな」

男は、その巨躯に似合わぬ身軽さで神社の縁側に上がると、スタスタと中に入っていった。

もったいつけてはいるけれど、もう舌なめずりなどしている。

単純なものだ。

「はい」

大風が収まったのを確認して、武流は荒神の後につき従った。


『荒神』というのは、武流の村に住まう氏神だ。

神といっても、その素性は知れない。

この世界では、人と獣とあやかしとがそれぞれの論理で暮らしている。

妖は、人知を超えたその巨大な力で、災いをもたらす存在として人間から恐れられているが、人に害をなす者ばかりでもない。

中には、好奇心から人に近付いてくるものもある。

人にとって災いとなる存在を「妖」。

人のために益となる存在を「神」。

人が勝手にそう名付けているだけのことだ。

人間には理解不能の恐ろしい力を持つ存在――ということで言えば、神も妖も同じだ。

武流の村の荒神は、確かに、大嵐から村人を守ってくれたり、

どこからかやって来た恐ろしい人喰い鬼を追い払ったりしてくれるのだが、とても気まぐれな癇癪持ちなので、鎮め役が必要だった。

荒神は、気に入った者の言うことならば、それが人の頼みでも聞いてくれるのだ。

それが、山の中の小さな神社に住まう神官・武流の役目だった。


酒につられて癇癪をひっこめ、神社に戻ってきた荒神は、武流の用意した酒と肴に舌鼓を打ち、旺盛な食欲を見せていた。

武流は、そんな荒神の隣に座り、盃を空にしないよう酌をする。

荒神と生活を共にし、身の回りの世話をするのは、神官の役目である。

人を超えた力を持つ存在と、直接言葉を交わすことのできる唯一の人間――

それゆえに武流は、村人たちから「神官さま」と、神同様に崇め奉られているのだ。

盃を呷った荒神は、肴に箸を伸ばそうとはせず、その代わり、

隣に座る武流の腰に腕をまわしてきた。

武流の華奢な体は、たやすく荒神の逞しい腕の中に収められてしまった。

「・・・荒神さま、まだお食事の途中――」

武流が言いかけるのを、荒神は遮った。

「酒はもうよい。

遊ぼうぞ」

荒神はそう言って、武流の体を畳の上に押し倒した。

『神に選ばれた尊い存在』

人は武流をそう呼ぶ。

――でも、そんなのは建前の話。

己れの境遇を思うと、武流の胸には皮肉めいた笑みが込み上げる。

「武流」

荒神に押し倒され、帯を外されても、もちろん、抗うことなどない。

何が「人の言葉を神に取り次ぐ神官」か。

――やってることは、娼婦とおんなじだ。

武流は、生贄。

制御不能のバケモノに、ご機嫌をとるためにしゃぶらせる甘い飴玉。

「武流の肌はすべすべで気持ちよいの」

荒神は、子供のように無邪気に笑いながら、武流の裸の胸に指を這わせた。

武流は、荒神の求めに応じて、体を開く。

仰向けに寝転がると、縁側の先の真っ青な空が見える。

空が高い。

天高く馬肥ゆる秋。

そうか、もうそんな季節になったんだなあ・・・

武流はのんびりとそう思った。

その間も荒神は、己れの欲望を遂げることに夢中になっている。

――痛い。

武流は顔をしかめた。

自分の中に他人がいるという感覚は、何度経験しても慣れない。

男の体は、他人を受け入れるようにはできていないのだ。

気持ちいいわけない。

それでも、荒神の求めとあれば仕方ない。

受け入れるのが、神官たる武流の役目。

また癇癪でも起こされたら、田んぼの稲穂が全滅してしまう。

もう収穫は目の前だというのに。

それに、これからは台風の季節。

荒神の力で、村の畑を守ってもらわなければ・・・

荒神さまのご機嫌をとって、言うことを聞いてもらうために、武流はいるのだ。

分かってる。

だけど、いくら意識を飛ばして感じないようにしても、痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。

武流の体を夢中になってむさぼっている荒神の、武流の腕をつかむ指に力がこもる。

ぎしぎしと骨が軋む。

体中、どこもかしこも痛みで悲鳴を上げている。

――ああ、早くイけよ、この野郎・・・!


武流が神官となり、荒神に仕えるようになって早三年。

その間に負った怪我は数知れず。

手足は五、六回は骨折しているし、肋骨も二、三本は折れた。

肩の脱臼なんて二度や三度じゃないし、股関節を脱臼したこともある。

さすがに、首の骨がきしんだ時には、もうダメだと思ったが、なんとかムチ打ち程度で済んだ。

よくもまあ、今まで死なずに済んだものだ。

人間の体とは、思いのほか頑丈にできているものらしい。

武流が怪我をするたびに医者が呼ばれ、治療を受ける羽目になるのだが、

このときの恥ずかしさときたら、死にたくなるくらいだ。

医者の方も事務的に済ませようとしているのだが、時折、目が合ってしまう。

自分を見る医者の目に浮かぶ色。

それは、哀れみ。

その瞳に気付くたび、武流は自分がいかに惨めな存在なのかを思い知らされるのだ。

――でも、これは仕方のないこと。

生きていくために、自分自身が選んだ道なのだから。

おれは、人形。

心なんかない。

ただ、荒神の意に従うだけの人形なのだ。

強大な力を持つ奴にとっては、人間なんてただのオモチャ。

壊れたら、新しいのに乗り換えるだけ。

だから、容赦なく遊ぶ。

荒神は、子供と同じだ。

無邪気さゆえに、残酷なことも平気でできる。

武流にも覚えがある。

子供の頃、捕まえた蝶の羽をちぎって殺してしまったこと。

蝶が憎くてやったわけじゃない。

むしろ、愛おしいとさえ思っていた。

だけど、可愛い可愛いといじりまわしているうちに、力の加減を知らない子供は

羽をむしり、殺してしまう・・・

荒神も同じだ。

武流を殺すつもりはないのだ。

ただ、その体を面白がっていじくっているうちについ夢中になり、

その力の強大さゆえに、武流の体を痛めつけてしまうのだ。

それが証拠に、武流が尋常でない苦しみようでのたうちまわる姿を前にすると、

荒神はただオロオロとするばかり。

親に叱られるのを怯える子供のように、ふいと姿を消してしまうのだ。

そうして、ほとぼりが冷めた頃、ふらりと戻ってくる。

いっそのこと、殺してくれれば楽になれるのに。

子供が飽きずにお気に入りのオモチャで遊び続けるように、荒神もまた、暇さえあれば武流を求め、好奇心の赴くままにその体をいじりまわす。

強大な神通力を持つバケモノに体を玩ばれて、武流は怪我が耐えなかった。

大抵のことなら我慢するが、さすがに関節を外されたり骨を折られたりしては、その痛みは耐え切れるものではない。

武流が激痛にのたうちまわる姿を前にすると、荒神も「まずいことをした」という意識があるのだろう、姿を消してしまうのだが、しばらくして武流が動けるようになると、何事もなかったかのように、神社に戻ってくるのだった。

手にはおいしい果実など、武流の好物を持って。


「武流!お前の好物の葡萄だぞ。喰え」

そう言って、今回もまた荒神は、食べきれないほどたくさんの葡萄を両手に抱えて、まだ包帯の取れない武流の元に帰ってきた。

「どうだ?うまいだろう」

「はい、おいしゅうございます。ありがとうございます、荒神さま」

武流が頭を下げ、丁寧に礼を言う姿を見て、荒神は満足そうに頷いている。

「梨や甘柿もたくさんあるぞ。

好きなだけ喰え」

でかい態度は相変わらずだ。

『悪かった』『すまなかった』と一言でも詫びの言葉を口にするなら、まだ可愛げもあるのに。

体をメチャクチャにされて、こんな果物くらいでご機嫌をとれるとでも思っているのだろうか。

だが武流は、そんな腹の中などおくびにも出さず、荒神に言われた通り従順に、葡萄をほおばった。

荒神は武流の隣に座ると、一緒に梨にかじりつきながら、ちらちらと横目で武流の様子を伺っている。

相手をするのも鬱陶しいので、葡萄に夢中になっているふりをしていた武流だったが、さすがにこうまで露骨なことをされては、気付いてやらないわけにもいかない。

「・・・何か?」

武流が水を向けると、荒神は、筋骨隆々の逞しい体を縮こまらせて、子供みたいに上目遣いで武流を見つめてきた。

「・・・怒っているのか?」

「怒ってなどおりませんよ」

武流はにっこりと笑って答えた。

いちいち腹を立てていても仕方ない。

相手は人間じゃない、道理の通じぬバケモノ。

どんなに理不尽なことであろうとも、ひたすら耐え忍んで、荒神の機嫌をとるのが武流の役目。

覚悟はできている。

惨めで苦しい仕事だけれど、これも全ては妹のため――


「本当に?」

荒神は、捨てられた子犬みたいにじっと武流を見つめてくる。

「本当ですとも」

武流は、笑顔で答えた。

心にもないことを言うのには、もう慣れた。

だが、武流の言葉に荒神は、分かりやすいほどぱっと顔を輝かせた。

「よかった」

――単純。

言葉の文字通りの意味しか捉えられないこいつは、やっぱり人とは違うバケモノなのだ。

「夕飯には、鱒を食おう。取ってきてやるから、待っていろ」

荒神は上機嫌で立ち上がった。

「では、私は、煮炊きの準備をしております」

立ち上がった武流だが、ふいに背後から抱きしめられた。

先日、あばらを折られた時の悪夢がよぎって、反射的に全身が緊張する。

しかし、武流を抱いた荒神の腕にはほとんど力はこもっていなかった。

人なつこい犬みたいに、荒神は武流の首筋にぐりぐりと頬ずりすると、

「武流は柔らかくて、いい匂いがする」

うっとりと目を細めた。

――暑苦しい。

と思ったけれど、武流はされるがままに体を預けた。

荒神は、鳥の羽でも捕まえるように細心の注意を払って、武流の体を抱いている。

少しは、この前のことを反省しているらしい。

――いつまでもつことやら。

怪我を負わせた直後は力を加減するものの、そのうち慣れてくると、そんなことは忘れてしまうのだ。

いつもその繰り返し。

あと二、三ヶ月もすればまた、医者を呼ばれる羽目になるのだろう。

武流はもう諦めていた。

上機嫌で出かける荒神を、

「いってらっしゃいませ」

と、仮面のような笑顔で見送った。


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