迫る影 五
「こりゃまた随分と可愛らしゅうさせれしもうて、八景。 その形じゃあ、手も足も出せんかろう」
はっはっはっはっはっ。
この場にいる全員の目を集めながら、異形の仲間――――長身の男が、さも愉快と笑っている。
その敵意の無い面持ちに、直たち従兄妹は毒気を抜かれて立ち尽くした。
「浮子星、笑っている場合か! 奴等玉を扱えるのだ。 取り返さぬと、面倒な事になるのだぞっ」
苛立った様子で蛸が叱咤する。
しかし男は「面倒ならもうなっとろうが」と気にする素振りもなく、よっこらせと座り込んでしまった。
「取られたもんは仕様がない。 そもそもワシはこの謀には最初から乗り気でなかった。 幼子を贄にするなど…… 悪鬼羅刹の所業ぞ。 ワシは降りる」
お前等も諦めてしまえ。
そう言って後ろで手をつき寛ぎだした男を、「浮子星っ」とあとの二人が血相変えて咎めた。
しかし、男の方はもう一切知らぬ存ぜぬといった風情で、そっぽを向いてしまう。
一方の直たちは何事かと戸惑い、立ち尽くした。
そんな中、尋巳がわずかに警戒を解いた面持ちで、男に声をかける。
「なんや、仲間割れか、アンタ」
固い声で尋ねられた男はにっこりとし、
「そうじゃのう、ワシの方はお前さん等に仇なすつもりは無くなった。 敵をやるのは、もう止めじゃ」
そう言ってからからと笑った。
止めとはいっても、つい先ほどまで自分たちを襲ってきた相手だ。
どう対応すればよいのかと直たちが間誤ついていると、仲間の麗人が思い詰めた様子で男に近寄った。
「浮子星、いい加減にしてください。 彼らを連れて行かねば…… 私たちがしくじれば、取り返しのつかぬことになるのですよ?!」
悲壮な哀願に、男は一瞬憐れんだような目を向けるが、ふっと目を閉じて首を横に振った。
「分かっとる。 だがの、文都甲、八景もあのザマじゃ。 しかも全てはワシらの身勝手、過去の遺恨にすぎん。 それに何も知らんこの子等を巻き込むんは、非道とゆうものじゃろう」
巻き込むなら巻き込むで、事の次第を話してやるのが筋というもの。
泣き出しそうなほど儚げに立ち尽くす麗人をそう諭すと、男はくるりと座ったまま直たちの方へ向きなおり、
「此度の一件、手前等の甚だ狼藉たる振る舞い、畏まってお詫び申し上げる。 ――――若い女子も居ったのに、悪いことをした」
と、訛りのあった口調を正して、深々と頭を下げた。
その真っ直ぐな謝罪に面食らい、直たちは互いに顔を見合わせる。
襲われた経緯からくる不信感は完全には消えないが、男の誠実な態度は、それを幾分薄れさせる。
話に応じるべきか困る直たちに、男はにかっと笑った。
「まぁ、戸惑うのも無理はない。 話をしようというのもこちらの勝手じゃ。 気に病まんでくれ。 ――――取りあえず、名を名乗ろう。 ワシの名は浮子星。 《竜宮京》の楽芸座、久々螺屋の浮子星と申す」
まるで演者の台詞回しのように耳触りのよい名乗りを上げ、男――浮子星は、直の足元に蠢く軟体生物を顎でしゃくって示した。
「そこの利かん気は、ワシの古馴染みで弟分の八景。 そんでコヤツが、」
と言葉を切って、浮子星は脇で青い顔をしている麗人を見遣る。
麗人はそれを受けてくたりと目を瞑ると、悄然とした様子でその場に手をついた。
「先ほどは、ご無礼を、致しました…… 御初にお目にかかります。 私は、竜宮京、《水緒之杜》が神司、落明子・文都甲と申します」
お見知りおきくださいませ。
声はか細く、つられてこちらも静かに聞き入ってしまう。
すると、麗人――文都甲の諦めたような様子に焦りを感じたのか、蛸――八景が切羽詰った声を上げた。
「文都甲、お前まで……ッ ――――何故『法術』を使わない! お前なら一人で此奴らを捕まえることも可能だろう?!」
『法術』とは、先ほどの不思議な力の事だろうか。
確かに、あんなおかしな力を使われてはこちらに勝ち目はない。
やはり警戒を解くには早かったかと直たちが身構える中、俯いた文都甲は首を左右に振って声を落とした。
「私も、使おうと思いました…… けれど、先ほどから何故か、力が使えぬのです」
力が使えぬ以上、自分には手立てが無い。
力及ばず申し訳ないと肩を落とす返事に、八景は愕然とした様子で「そんな……」と呟いた。
「『竜宮』って……」
黙り込んだ男たちを前にして、直は尋巳と視線を交わし、ぽつりと零す。
男たちは名乗りの中で『竜宮』と口にした。
それはもしや。
「『竜宮』って、あの『竜宮』か? 乙姫様が治めとって、鯛や平目がひらひらと、つうアノ」
直の言葉尻を拾い、尋巳が男に問いかける。
そう。
それは御伽噺に出てくる、架空の地の名前。
その空想のはずの場所が、彼らのやって来た所なのだろうか。
「『アノ』言うんはよう分からんが、多分合っとるじゃろ。 正確には海神尊を祀る、大海の京じゃ。 深い深い海の底、陸の者の手が及ばぬ場所にある。 ワシ等はそこから来た」
至極当然のことといった顔で、浮子星は肯定する。
にこにことした表情の奥に嘘は見えず、尋巳以外の面々は目配せし合った。
そんな直たちに、変わらず笑みを浮かべたまま、浮子星は告げる。
「ワシ等は、『潮守』。 海の底、大海神のお膝元・竜宮京よりやって来た」