海と陸の縁 三
居間のガラス戸を開け放って、バタバタと走り回る音が響いている。
直たちの祖父母の家では、家中で埃が舞って、海からの潮風にさらわれていた。
「おばあちゃん、買っといたお野菜、古いんは漬けといたからね。 悪くならん内に食べてね」
「あらまぁ、わざわざありがとうね」
「ばあちゃん、使ってた布団干しといたから。 元の場所に戻しとくよ」
「まぁ、してくれたんな? 悪いわねぇ。 半分手伝うから……」
「あ、駄目やって! 腰悪化してしまうやろ。 大丈夫やから、ばあちゃんは座って養生しょって」
祭の晩から三日後。
一月ちょっとの入院を終えて、直たちの祖母は家に戻って来た。
それを区切りに従兄妹たちは祖父母宅を掃除して、自分の家に戻ることになったのだ。
一か月を過ごした居間は荷物が片付けられてがらんとなり、開いたガラス戸から夏の風が吹き込んでいる。
「夏ちゃーん、爺ちゃんがお小遣いくれたよー! 皆で分けろって」
「あら、お爺ちゃん太っ腹」
「一か月の御褒美やってさ。 山分けしよ、山分け」
尋之介の小遣いを囲んで盛り上がる晴真と孝介を、夏子がはいはいと宥めて台所へ追い立てる。
朝から掃除し通しで気が付かなかったが、もうそろそろ昼時だ。
「直ちゃーん、お昼ご飯しよぉ。 一旦片づけ置いといて、こっち手伝ってぇ」
「はいはーい」
二階に上がっていた直は、階下からの声にのんびりと返した。
「よっと、」
持って上がっていた布団を押入れに重ね、襖を閉めて一仕事終える。
トントンと階段を下って一階に降りた直は、居間を通って台所の暖簾をくぐった。
その時、ふっと背後から風に吹かれて、後ろを振り返った。
そこには、荷物が片付けられ、殺風景になってしまった居間が広がっている。
つい一週間ほど前まで従兄妹と、嶋と、三人の潮守が屯していた場所。
わいわいと他愛なく騒ぎ合った光景がそこに浮かぶ。
「…………」
しかし、少し前まで当たり前だったそれも、もう思い出となり、幻のように浮かんでは消えた。
あとに残るのは、何もない畳の部屋だけ。
海からの風に乗って運ばれる潮の匂いを吸い込んで、直はもう一度何もない居間を眺めた。
「直ちゃーん?」
「……はーい!」
夏子の声に、踵を返して台所へと入る。
長いようで短かった、子供たちだけの時間は終わったのだ。
***
ミーンミーン、ジージーと降り注ぐ蝉の声を、濃い陰の落ちた庇の下で聞いている。
迎山神社の拝殿に腰を下ろし、直と尋巳、夏子は強い陽の注ぐ瀬戸の海を眺めていた。
「結局、こっちに残ったんはこれだけか」
舐めていたアイスを口から離して、尋巳は月の真珠を空に翳した。
元々の濃紺の勾玉の色を引き継いだかのように、尋巳の真珠は少し紺色がかって煌いている。
それでも『月』と形容する名に恥じぬ、美しい白銀の色合いだ。
大きさもビー玉大あって、一目で価値あるものだと思える代物である。
「こんだけデカかったら、いい値になるやろうなぁ」
「売る気なんてなーいくせにぃ~」
「ハン、ぬかせ」
しゅわしゅわと泡立つサイダーを揺らしながら、夏子がくすくす笑う。
そんな夏子の膝の上にも、碧がかった真珠が乗せられている。
晴れた日の瀬戸の海色に似た、碧の色だ。
「でも、良かったんかな? この真珠、術が切れても需要あったんよね。 浮子星さんたちは何も言わんかったけど、」
向こうに返した方が使い道があったのでは。
ただでさえ、家一軒分の貴重な品だ。
うーんと真珠を睨んで夏子が唸っていると、アイスの棒を口で上下させながら尋巳が手を振った。
「あっちが何も言わんかったんやから、んなもん気にすんな。 それに、こっちは奴等の面倒、一月見たんや。 報酬や思うて取っとけ、取っとけ」
「欲深いわぁ、この人ぉ」
兄を揶揄って身を引く夏子は、そのまま横に座る直の手を覗き込む。
「直ちゃんのは、一回り大きいね。 色も白に近いし、立派やわぁ」
「そ、そう? 二人のとそんに変わらん思うよ?」
「いやぁ、違うやろぉ。 なんか大きさとかって、違いがあったんかなぁ?」
「それは気を蓄え込む器だからな。 大きさに違いが出るということは、玉が変化するときに、流れ込んだ気が大きかったということだ」
「「「!」」」
突然背後から声がかけられ、三人はばっと振り向いた。
古い拝殿の木戸が、音を立てて開け放たれる。
「「神使様!」」
現れたのは、この神社の神使である威津地彦だった。
暗い陰の下でも、その白い毛並みはきらきら輝いて見える。
一体いつから聞いていたのか、直を挟んで夏子とは反対側に腰を下ろした威津地彦は、楽しげな表情で直の真珠を見つめた。
「あの、流れ込んだ気って? どういうことですか?」
威津地彦と直の真珠を交互に見た夏子が、首を傾げて問いかける。
聞かれた神使は何故か物言いたげに直を見た後、くるんと目を回してお道化たような顔をした。
直はその意味が分からず、きょとんとする。
何か含んだところでもあるのだろうか。
疑問符を飛ばす二人へくくくっと忍び笑いを漏らした威津地彦は、宙に何かの流れを描きながら答えてくれた。
「流れ込む気が大きいということは、繋がっていたもの同士が、互いに向けた意思が大きかったということだ。 気の流れは、意識の流れでもある。 変化する時に、どれほど思い合っていたかということだな」
「へぇ??」
「ほぉん?」
「ゴッホッ……!」
夏子はぴんと来ていない様子で、尋巳は玩具を見つけたような声で、それぞれ直を見る。
直は思いがけない威津地彦の暴露に、盛大にむせた。
そのままゲホゲホと息を吐く。
威津地彦はそんな直の様子などどこ吹く風で、わははと笑うばかりだ。
「つまり、両想いやったいう訳か。 はっずいなぁ、おい」
「ばっ! なんや両想いって! そう言うんちゃうわっ」
腕を組んでにやつく尋巳に、直は仰け反って声を荒げる。
あの時。
直たちの真珠が変化した時は、緊急時だっただけだ。
直は身内の危機に高ぶっていて、名前を呼ばれたのに過剰に反応してしまっただけだし、八景は危険に陥ろうとしていた直を焦って助けようとしてくれていたから。
それで気持ちが高揚していただけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
ないったらないのだと、二人の視線に無視を決め込む。
「そうだな、危機的状況と言うのは要因としてあるのかもな」
「…………だから、心を読まんで下さいよ」
とんでもないことを言ってくれた当人に、直はジト目を向ける。
本当にこの人――――このお猿様の発言は、落ち着いて聞き流せない。
置いてきぼりの夏子を挟んで尋巳と威津地彦は大笑いしているし、直はいじけて両足を抱え込んだ。
「ええよ、ええよ、そうやって人の事笑っよれ。 もー、なんも答えてやらんから」
「あーすまん、すまん。 そう臍を曲げてくれるな」
項垂れた直の頭を撫でて威津地彦は謝ってくるが、尋巳の方はまだひーひー言っている。
その上、意地悪そうな顔で涙を拭きながら、にやにやと聞いてきた。
「けどホンマ、お前あの後、あのタコと具体的にどうなったんや? まさかそのまんまバイバイなんて、面白ぅないこと言わんやろな」
「な……ッ なんや具体的にって! なんも無いわ阿呆っ 馬鹿兄貴!」
「はぁ~? なんやおもっしょな。 なんかアクションせぇや、お兄様を楽しませろ」
なぁ、いづっち。
「そうだな、面白い話は良いものだ」
「いや、『いづっち』の方を気にしてくださいよ」
不敬罪だ、不敬罪。
気安い相手とは言え、神使相手に変な呼び名をつけるもんじゃない。
夏子に尻を叩かれる尋巳を胡乱げに見ていると、ふと真顔に戻った尋巳が、叩かれたところを摩りながら直を見返してきた。
「やけど現実問題、もう会わんじゃろうが。 良かったんか、お前」
潮守との別れは、二度と会う理由のない別れだった。
それでも良かったのかと、尋巳は従妹の目の奥を探る。
問いにある真剣さに、直はすっと目を伏せた。
「……大丈夫や。 だって、」
約束したから。
もう一度尋巳の目を見返して、直は笑う。
「直は自分の望むように、決断したものな」
背後から言う、威津地彦を振り返る。
暑い夏の日差しの中、直たちの神使は柔らかく目を細めてくれていた。
「はい。 諦めませんでしたから」
直は、晴れやかな顔で頷いた。
そうだ、また会える。
あいつは会いにくる。
自分は、それを持つのだ。
幾年月。
この土地の先祖が、御使いの帰りを待ったように。
一人の潮守が、慕わしい媛を待ち続けたように。
細い約束の糸を携えて。
吹き寄せる潮風を受けて、直は真っ直ぐに瀬戸の海を見た。
夏日を受けてきらきらと煌く穏やかな海。
その先にある、海底の京を思って。
一人の潮守のことを想って、自分は、
「待ってるんよ、きっと」
海と陸の縁が通じるその日を、陸で。
end




