迫る影 三
白煙に浮かび上がる影に、直は目を見張る。
影は三つ。
立ち姿は全て、人の形をしていた。
「何が起こったんや」
嘔吐く夏子を支え、尋巳は人影を睨みつけた。
煙が徐々に立ち消える。
その向こうから、声は聞こえた。
「書で読んだきりの古い術でしたから、――――成功して本当に良かった」
「やれやれ、危うく死にかけたわい…… やはり陸は恐ろしいところじゃのう」
最初の声に応えるように、返事が二つ。
化物の姿はどこにもなく、見知らぬ男が三人、直たちの目の前に佇んでいた。
「なに、一体…… 誰?」
思わず零れた疑問を聞き拾ったか、直の向かいに立つ青年が目を細める。
青年は直と同じような年回りに見えた。
白熱灯に照らされる頭髪は砂色。
目鼻立ちは日本人のようだが、肌は青白くすらあり、目元には朱の塗り物が施されている。
こちらを睨みつける目に、直はハッとする。
鋭く光る金の虹彩の中央には、まるで筆で引いたような墨の一本線。
「た、こ……?」
小さな呟きに、青年がにやり、冷たく笑った。
「ほう、見抜いたか。 猿とはいえ、多少の能はあるらしいな」
高飛車な物言い。
だがその態度よりも、肯定の言葉に気を取られる。
化物は消えた。
消えた場所に、男が三人。
あの青年は、自分を蛸だとのたまった。
「人になった、ゆうんか」
戸惑いながら立ち上がる尋巳に、一番背の高い男が前へ出る。
「まぁ、そうゆうことじゃ。 お前さんらぁには苦しい思いをさせたが、おかげでこちらは陸で生きれるようになった」
感謝じゃのうと呑気に笑う彼は、直たちよりも年嵩に思えた。
喋る言葉には癖があり、すらりと背高く引き締まった体と、目元には青年と同じ濃紺の塗り物。
頭はターバンらしき布で包まれていて、その隙間からは黒い頭髪がのぞいていた。
「浮子星、あまり気安い態度でいないで。 目的を忘れたのですか」
笑顔で話す男を窘めるように、最後の一人が後ろから釘を刺す。
その人は一瞬、女性のように見えた。
長く滑らかな銀の髪に、美女と見紛うばかりの美しい顔。
その容貌には不釣り合いとも思える低い声は落ち着いていて、楚々とした所作が、白い着物の身なりにふさわしく優美である。
三者三様、この国ではとんと見かけない身なりに頭髪だ。
これがテレビの企画だと言われても不信が拭えぬくらい、男たちは異様だった。
「目的? 何のことや? 何の目的があって、俺等を襲ったんや」
夏子と直を背に回し、返答次第ではただじゃ置かないと、尋巳が低く声を上げた。
驚きに呆けている場合ではない。
男たちの言を信じるなら、あれは先ほどまで自分たちを襲っていた化物だ。
まだ危険が去ったわけではないのである。
一番非力な従姉を庇わねばと、直も尋巳と同様に前へ出る。
威嚇する二人に、青年が口を開こうとする。
それをすっと制し、女顔の麗人が一歩踏み出でた。
「突然危害を加えた事、申し訳なく思います。 しかし、こちらにもあまり猶予はないのです。 訳は後々お話ししますゆえ、今は大人しく私共に従ってくださいませ」
丁寧な物言いだが、その内容はあまりにも身勝手である。
納得できるかとばかり、尋巳が噛みついた。
「いきなり襲いかかって来よって、勝手な事ばぁ抜かすな! 正体も分からん奴らにほいほい付いて行くほど、こっちも暇やないんや」
失せろッ、と吐き捨てられた言葉に、麗人の横で青年が気色ばむ。
怒りのためなのか、髪がぞわりと戦ぎ、赤黒く色を変えた。
「猿が…… 話など無駄だ、文都甲。 力づくでも連れ帰るぞ」
怒声を受け、今度は尋巳が熱り立つ。
一色触発の中、尋巳が勢いよく立ち上がった――――しかし。
「浮子星っ」と青年が口走り、背の高い男がそれに応えて拳の右手を前に掲げ、何かをぎゅっと握りしめた。
直はその動きを目で追う。
一体何を?
困惑して男を見つめると、その指の合間から青く澄んだ光が滲み出始めた。
不思議な光に直たちが目を奪われると、
「なん、や、――――ッ!?」
光を見たと思った途端、突然尋巳が喉を押さえて苦しみだした。
ズサッと倒れ込む体に、尋兄っ、尋ちゃんっ、と直と夏子は飛びつく。
何が起こっている?
直は男の青く光る手を見遣り、従兄を背に庇った。
そんな姿を気の毒そうに見つめ、男は手から力を抜く。
すると光が消え、尋巳がゴホゴホと息を吹き返した。
混乱する直を嘲笑うように、青年が口元を歪める。
「悪足掻きはやめておけ。 これがある以上、貴様らを生かすも殺すも、我等次第。 ここまでの命と観念することだな」
そう言って、青年は翳した手を開いた。
暗闇に、何かが光る。
目をすがめてみれば、それは空色に澄んだ『勾玉』であった。
「これは『荒渦の玉』。 元は『流力』の固まりのような石だが、先の術で貴様等の気の廻り、つまり命を思うままにできる力を宿したものだ。 流力のある者がこれを握って命じれば、簡単に息の根を止めることが出来る」
命を思うままに? 息の根を止める?
青年の言葉に、直は荒く息つく尋巳を振り返る。
あの男が握りしめた拳から光が漏れ出た途端、尋巳は苦しみだした。
まさか青年の言う通り、あの勾玉は自分たちの命を握っているのか。
そんな。
直は息を呑んで、青年の手の中にある石を見上げた。
「大人しくついてくるなら、ただの石のままにしておいてやろう。 しかし、逆らうなら――――」
青年がゆっくりと勾玉を握り込む。
「(まずいっ)」
来る。
その手から溢れる光が、自分たちの命を掴まんとする予感に、直は全身を硬直させて息を呑んだ。