本宮 三
「ちょ、尋兄! 顔動かさんといてっ 変になるやろ」
「こんな大雑把な化粧で、変もクソもあるかよ。 早よ済ませ、何か鼻がムズムズしてきた」
本家の座敷に陣取って、直と尋巳は巫姿の準備に追われていた。
夏子と母親たちに服を剥かれ、神事の衣装に着替え、頭髪は全て後ろに撫で付けて。
今はこうして向き合って、互いに化粧を施している。
化粧と言っても尋巳の言う通り、天津弥彦である直は額に、陸弥彦である尋巳は頬に、薄い白塗りの上へ弧を描くように顔料を塗るだけである。
紅に蓋をして片付けると準備は整う。
あと二人にできる事といえば、時間に呼ばれるまで部屋でしばらく待つだけだ。
しかし、やることが無くなると、頭にはどうしても本番の事が浮かんでしまう。
緊張で落ち着かなくて、直は座ったまま、もぞもぞと身動ぎした。
「なんや、うごうご、うごうご。 落ち着かんやっちゃな」
直とは打って変わって、のんべんだらりと寝そべっている尋巳が、呆れたように直を見上げる。
「やって、いよいよやん。 練習は何とか間に合ったけど…… 緊張するん、あたりまえやろ?」
神楽がなんとか形になったのは、三日前の事。
それから細かい調整を繰り返し、人前に出せると尋巳が太鼓判を押したのがつい昨日のことだ。
それから何度もイメージを固めてきたが、不安感はなかなか消え去ってくれない。
これから大勢の前に出るのだと思えば、練習とはまた違った緊張が迫ってくるようだ。
自滅パターンやな、と尋巳が小馬鹿にしてくるのに何も言い返せず、直は口を尖らせる。
「尋兄は良いよな、そんに呑気で。 ウチも見習いたいわ」
皮肉っぽく言い返しても、従兄は「おお、そうせぇ」とニヤつくばかりで堪えた様子もない。
その神経が図太いのは、本当に見習いたいかもしれない。
不毛に言い合うのはやめて、直ははぁと大きく溜息をついた。
「(ウチがこの一月、どんだけ悩んで練習してきたかも知らんと……)」
別に感謝してほしいわけでもないが、なんだか愚痴をこぼしたくなって足を抱え込む。
失敗できない大一番を控えて、随分弱気になっているらしい。
このまま口を開いていては、情けない事ばかり言ってしまいそうで、直はむっつりと口を噤んだ。
襖を締め切った座敷に、沈黙が落ちる。
すると今度は、しかめっ面の直をちらりと見た尋巳が、深く息を吐いた。
「お前なぁ、」
何故か呆れたような声音に、直は「何?」とぶっきら棒に返す。
なんだ、また小言かと身構えると、尋巳は事も無げに言った。
「どうせお前、俺に悪いとか思うとったんやろ」
「え?」
「自分に合わせて構成を簡単にするんを、自分のせいとか思うてたんやろ、言うてるんや」
「え、え? なんで分かるん?!」
尋巳の言葉に、直は驚いて声を張り上げた。
大声に顔を顰めた尋巳は、耳に指をつっこみながら指摘する。
「ほざけ、そんくらいお前見とったら分からぁ。 俺が構わん言うとるのに、やたら構成変えるん嫌がるし、できんかったらできんで、どこまでやゆうくらい落ち込むし」
「だ、だって、尋兄は長い事練習頑張って来たやん。 やのに、ウチのせいで台無しになるかもしれんかって……」
「誰が台無しや言うた。 お前が勝手に焦っただけやろうが、ああん?」
全部を自分のせいみたいに、過剰にひっくるめて考えていたのだろうと、悩んでいた通りのことを言い当てられ、直は真っ赤になって顔を覆った。
まさかそこまで筒抜けとは。
尋巳の察しがいいのか、直が分かりやすすぎるのか。
もしくは、そのどちらもだろうか。
恥ずかしすぎて、直は顔を覆ったまま畳の上へ丸くなった。
その姿を鼻で笑った尋巳は、ふと表情を緩め、後ろに手をついて口を開いた。
「ホンマ、阿呆やなぁお前は。 お前がそんに頑張らんでも、俺はなんちゃ気にせなんだわ。 全力でやりたいんなら、俺だけ目立つ構成にすれば良かったわけやし」
幾分柔らかな声に、顔を覆っていた直は手の隙間から従兄を見上げる。
「……でもウチは、それが嫌やったんよ。 力不足やから、時間不足やからで、簡単に済ますなんてしとうなかった」
結局誰のためでもない、自分のためだった。
だから、押し通しきることもできず、中途半端なところで迷っていた。
そんな直の背を、本当に行きたい方へ押してくれたのは、あの晩。
『じゃあ、諦めるな』
挑むような形相で叱咤した声。
あの後押しが無ければ、この半月、直は懸命に練習に打ち込むことが出来なかっただろう。
心の内のわだかまりを抱えたまま、暗い気持ちでこの日を迎えていたかもしれない。
今でも鮮明に思い出せる強い一本線の瞳に、直は掌の下でそっと頬を緩める。
「ま、結果としては良かったんやないか? 未練があるまま続けても完成までこぎ着けんかったかもしれんし、結局完成はした。 もうお前の技量なら、神楽としては上等や。 後は失敗だけせんかったら良い」
結果オーライ。
尋巳の言葉に、直は座り直しながらそっと目を細めた。
「うん…… 諦めんで良かった」
手元の袖をそっと抑える。
この衣装に、引け目なく袖を通せてよかった。
白の上掛けに、空色の袴が映えて美しい神事の衣装。
自分は今からこれを着て、神楽を舞うことができるのだ。
祭に出れなくなった親戚の兄に代わって、天津弥彦を務めることが出来るのだ。
今更うれしくなって、直は口元を袖で覆った。
「尋兄、」
「あん?」
「ありがと」
「けっ」
照れ隠しか、素っ気ない答えに、それでも直は満足してくすくす笑った。
話しているうちになんだか気が晴れたのか、あんなに押しつぶされそうだった緊張も、どこかに行ってしまったようだった。
大丈夫、私は神楽を完成させた。
何も心配しなくていい。
そう、素直に思えるようになっていた。
嬉しそうに何度も衣装を撫でる従妹を、尋巳はぼんやり眺める。
そうして腕の時計に目をやり、ぴんっと眉を跳ね上げた。
「そろそろ時間や、玄関出るぞ」
そう言って立ち上がり、どすどすと襖へ近寄る。
直は慌ててその後を追い、二人で暗い廊下を進んだ。
途中、尋巳は何かを思い出したかのように、
「しっかし、来るようったのに、あいつも遅いな。 何をちんたらしとるんだか」
と頭の後ろで手を組んだ。
その尋巳の言葉に、直はぴくっと肩を揺らす。
「――――約束、もう忘れとるんかもな」
「俺は誰とも言うとらん……いてっ」
余計な軽口をたたく尋巳の脇腹に一発入れて、直は自分の腕時計を見る。
もう神楽まで、そんなに時間はない。
必ず行くと約束してきたのはあっちなのに。
再会をこんなに待ち遠しく思うのは、こちらばかりか。
「(遅いわ、バカ)」
時計ばかり見る直に、尋巳はふうと息を吐くと、その頭をガシガシと撫でてやる。
「そんな顔すんな、まだ時間あるわ」
軟体動物のくせしたあのひどい石頭が、自分で言ったことを守らないはずがない。
「あいつが来るかどうかの心配するくらいなら、来た時に完っ璧なの見せてやるゆうくらいの気合でおれ」
その方が建設的だ。
尋巳はポイッと頭を放り出し、直は乱れた頭を戻しながら、その背を見つめた。
「……うん」
そうだ、アイツはきっと来る。
今はそう信じて待とう。
直は尋巳を追って、廊下を駆けた。
祭が始まる。
水無月を締めくくる祭が。
肩を並べたこの神社の巫が二人、神前へ赴くために、扉を開けた。




