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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
終章
67/73

本宮 一


 祭りの当日に向けて、迎山ではその準備に追われていた。


 掃き清めた境内と階段には、長く使い古されてきた提灯明かりを。

 開け放った本殿には、供物を連ねる祭壇を。

 拝殿前には即席の舞台が整えられ、四方に紙垂(しで)のついた注連縄(しめなわ)が張り巡らされる。



 準備には親戚中の男衆が前日の朝から駆り出され、一日がかりの大仕事になる。

 今年は前日も当日も晴れの日和に恵まれるらしく、順調に祭りの舞台は整えられていった。

 八景たちとの縛りも消え、彼等を引き連れ歩くことも無くなった直たちは、その準備に最初から参加した。

 よく顔を合わす親類から、県外から駆け付けた者まで。

 親戚連中に挨拶して回りながら、力仕事を手伝った。


 その時一緒に手伝っていた晴真は、他の従兄弟(きょうだい)たちよりも話しかけられることが多く、その度に大人びた様子で受け応えていた。



「晴真君、大きくなったなぁ! 来年はもう(はや)、中学か」


「このまま、高校大学も一気に成長してまうんやろなぁ。 晴君はしっかりしとるし、親父さんも安心やわ」


「中学も今の持ち上がりやろう? ええとこ通っとるし、きっとええ高校行くやろ」


「そうなったら、この神社も安泰やなぁ」



 気の早い小父(おじ)たちに囲まれる晴真を、直は遠目にはらはらと見守った。

 あの子がこういう空気を好んでいないことを知っていたから、暗い顔をしやしないかと気がかりだったのだ。

 けれど、晴真は浴びるように降る小父たちの褒め言葉に、顔色一つ変えず対応しきった。

 その合間に直の視線にも気づき、『全くしょうがないよね』とばかり、肩を(すく)めて苦笑してみせたりもする。


 直はその表情に、どこかほっとした気持ちになっていた。

 晴真はもう、(しがらみ)から逃げ出したい自分の思いに、顔を(そむ)けてはいない。

 ちゃんと向き合う安定感を手に入れているのだ。


 それをもたらしたのは、確かにあの花火の日。

 真っ直ぐに晴真に向き合ってくれた、文都甲のおかげなのだろう。

 あの言葉が晴真にどんな風に響いたかは当人にしか分からないが、それでも直はあの日の文都甲にありがとうと伝えたいと思うのだ。

 叶うならあの人にも、最後の夜を自分たちと過ごしてほしかったけれど。


 ここを去ってしまったあの人が残してくれたものは、裏切りだけではない。

 こんな思いも確かにあるのだと、直は笑う晴真に思うのだった。







***







 昼の蝉が、今日の終わりに鳴いている。

 迎山の境内の中心に、無垢(むく)の木材で組まれた舞台。

 その上で直は(ひたい)(ぬぐ)っていた。

 明日に備え、本番通りの練習を行っていたのだ。



「(もう戻らんと、遅れるかな……)」



 腕時計を確認すれば、夕飯の時間までもうそろそろだ。

 当番の尋巳は少しばかり先に戻っている。

 夕食前に風呂にも入りたいので、ここら辺が頃合いだろう。


 ふと、湿った風が頬を撫でる。

 その後を追うように顔を上げると、波のない瀬戸の海が西日にきらきらと輝いていた。

 ほうと溜息の漏れる光景へ誘われるように、直は舞台の端に腰かけた。




「励むのぅ」


「!」




 突然降って来た声に、直はぱっと顔を上げた。

 見上げると神社の鳥居の上に、見慣れぬ大きな猿が座り込んでこちらを見下ろしている。

 普通なら大声を上げて騒ぎ立てるところだが、直にはすぐ分かった。

 昨晩神社からけろりとした顔で戻って来た夏子が、教えてくれていたのだ。



『神使様、ちゃんと戻って来られたよ』



 夏子の、人の姿を失ったということは、つまりそういうこと。

 本来の白毛紫眼の猿の姿を得た威津地彦が、そこにいたのだ。



「あ…… えと、」



 いきなりのことに言葉を選べなくて、直は結局ぺこりと軽く頭を下げる。

 それに笑いを漏らすと、鳥居を飛び降りてきた威津地彦はのしのしと直に近づいて、直の横に同じように腰かけた。

 直と同じくらいの背丈の威津地彦が横に座ると、丁度の位置に横顔がくる。

 先ほどまでの直と同様に、威津地彦は目前の海を眺めだした。



「あの、神使様、ですよね?」


「ん? ああ、そうだな」


「その、なんというか…… こんな大っぴらに姿現して、大丈夫なんですか? 一応、神様的なものに戻ったんですよね」



 夕時とは言え、人が上がって来ないとは限らない。

 誰かに見つかったらまずいのではと直が心配すると、威津地彦はくくっと笑って首を振った。



「案ぜずとも、(おのれ)の姿はお主等兄妹にしか見えはせんよ。 今も、(はた)から見ればお主一人で(しゃべ)っておるように見えるだろうな」


「えっ」



 なんだと?

 それでは完全に変人ではないか。

 それではますます人が来ては困ると、直はきょろきょろと辺りを見回した。



「人の気配がすれば教えてやるよ。 この土地一帯の者の気は、よおく分かるからな』」


「? 何でですか?」


「己はこの土地の神社の使いだぞ? この土地に根ざす者のことが分かっておらねば、役目など(まっと)うできまいよ」


「そうゆうもんですか」


「ああ、そうゆうもんだ」



 そうなのか。

 いまいち納得しかねる話だが、直は素直に頷いておくことにした。

 不思議な存在には、そちらで通じる道理というものがあるのだろう。

 海を眺める威津地彦の横顔をちらりと見て、直は自分もそれに(なら)った。



「私、神使様の生まれ変わりは、晴真やと思ってました。 晴真だけ夢見たり、神使様の字が読めたりして……」



 生まれ変わりの兆候らしきものがあったのは、晴真だけだった。

 あの文都甲も勘違いしていたのだ。

 それが実際は違って、夏子が当の生まれ変わりだった。

 首を傾げる直に、威津地彦はうむと(あご)を撫ぜて言った。



「それはあれだ。 夢も文字も、夏子から出ていた己の気によって影響があったからなんだが…… 晴真とやら以外、お前達には強い海の気が混じり込んでいるだろう」


「海の気? ですか」


「そうだ。 持っていただろう、真珠」



 威津地彦は、直の首元を指して示す。

 そこにはつい先日まで、潮守たちと繋がった石がぶら下がっていた。



あれ(・・)のせいでお前たちの中に乱れが生じ、夏子から発せられる己の気配を感じ取ることが出来なんだのだ。 晴真にはそれが無かった。 だから一人だけ夢を見たり、文字が読めた」



 だとすれば孝介は、と言いかけて、直ははっとする。

 確か晴真が紋様を読めると言いだした直前、孝介は直たちの水映しの術とは違う、他の術を文都甲にかけてもらっていた。

 アレのせいか、と直は威津地彦を見返す。

 威津地彦はにやりと(ほほ)を歪めて、「早とちりだのぅ」と腕を組んだ。



「じゃあ真珠(いし)が無ければ、私たちも夢を見たりしたんですか」


「そうだな。 晴真のは己の気に()てられただけだから」



 ということは、直たちはとんだ勘違いをしていたということだ。

 疑われた晴真も災難である。

 呆気ない事実に直が脱力すると、威津地彦は可笑しそうに大笑する。

 そうしてしばらく笑っていたかと思うと、遠くを眺めて目元を緩めた。



「さて、しかし…… ここからの景色は、どれほど時を経ても変わらんのぅ。 海も、空も、暮れ行く陽の光も、昔と同じだ」



 対岸に霞む、緑(したた)る四国の山の峰。

 むくむくと湧き上がり、天を()く入道雲は夏の盛りを感じさせ、海は静かに波打ち、日を照り返して(またた)くように美しい。

 見晴るかす景色は緩やかに時を(たゆ)ませるようで、泰然自若とそこにあった。

 その風景へ嬉しげに顔を(ほころ)ばせる威津地彦を見て、直はでもと問いかける。



「やっぱり何年も経ってたら、変わってることの方が多いもんじゃないですか?」


「そりゃあそうだ。 人の一生など。この身に比べれば遥かに短い。 変わってゆくのは、世の必然だろう。 明日の祭だってそうだ。 己が去った後に、このような祭が執り行われていようとは思わなんだ」



 自分がいた頃には祭など無かったし、ましてや本当に猿みたいな演技をする舞ができているなんてな。

 人の考えることは面白いと、威津地彦は楽しそうに言った。

 そこにある直たちへ興味、人への親しみを見て取って、直は思った。



「――――聞いていいですか」


「ん?」


「神使様はどうして故郷の山を出て、この土地までやって来たんですか?」



 直の問いに、威津地彦はすっと表情を無くした。

 何の感情も読み取れない表情に、直はぎくりと身を引く。

 怒らせたのかと焦って言葉を重ねようとすると、威津地彦は手を上げてそれを押し(とど)めた。



「大丈夫だ、怒ったわけではないよ。 気に病まんでいい。 ――――己の里で起こったことは、当代の者に聞いたそうだな」



 どうしてそのことを、と直が目を(みは)ると、威津地彦は苦笑して言った。



「この社の(あるじ)様が教えてくれたんだ。 異界やお前達のことなら、あの方は己以上に何でもお見通しだよ」



 それで、昔の話か。

 過去を思い出すようにしながら、威津地彦は海を見つめた。



「そうさな…… 何故里を捨てたか、か。 しかし、どうしてそんなことを聞きたい?」



 先にそっちを答えてくれんとなぁと横目で見られ、直は逡巡した。

 本当に、ふと口をついて出た疑問だった。

 直は、威津地彦の過去を聞き知っている。

 その事実を鑑みると、今こうして人である直や兄弟たちに親しげにしていることが、なんだか腑に落ちなかったのだ。

 威津地彦の群れは、人にひどい目にあわされている。

 だったら人間を憎んでいてもおかしくないのに、どうしてそうしないのだろう、と。

 そこをストレートに聞くのは(はばか)られ、何故逃げたのかと聞いてしまったのだが。

 考えたことを(つまび)らかに言ってしまうべきか悩み、直は言葉が出なかった。

 すると、じっと直を待っていた威津地彦は、優しい顔を浮かべて首を左右に振った。



「答えるのが難しいなら良いよ。 ――――まぁ、大した話じゃあないが、聞きたいなら話そうか」


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