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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
終章
66/73

陸へ上がる 三

 陸へ上がると、時刻は夜明け前だった。

 神官たちに孝介と晴真の術を解いてもらい、潮守たちが竜宮へ戻るのを見送ったあと。

 それじゃあ(おのれ)(やしろ)(こも)るからと、威津地彦は夏子の姿のまま神社の方に消えていった。



 それを見送った直たちはしばらくぼんやりしたあと、誰となく家路へつき始めた。

 家に近づくと、つきっぱなしの門灯が四人を出迎えてくれた。

 体全体を気怠く覆う疲労感を引き摺りながら戸に手をかければ、玄関に鍵はかかっておらず、簡単に横に引けた。

 からからと音をたてて引き戸を開けると、電気のついていた居間から、バタバタという物音が上がる。

 小さく開いていた(ふすま)が勢いよく開いて、中から髪に寝癖のついた嶋が飛び出してきた。

 ろくに寝ていないのか、その目元には薄っすらクマが浮かんでいる。

 尋巳が「たでーま」と手を上げると、ふっと力が抜けたらしく、そこに座り込んでしまった。



 しかし、夏子の姿が見えないのに気が付いたのか、嶋は一瞬顔を険しくして立ち上がろうとする。

 そんな彼を尋巳が大丈夫だと(なだ)め、全員で居間に入った。

 座卓についた尋巳が、嶋に起こったことを全て話している隙に、直は台所に入って全員分の飲み物を用意することにした。

 その時、余分に二つコップを用意しそうになって、はっと麦茶のピッチャーを傾けるのをやめる。


 もう直と尋巳の分を用意するとき、二つ余計に入れ物を出す必要はないのだ。


 行き場を失った手を下ろし、直は嘆息する。

 台所の窓は山向こうの朝日の光に少しずつ照らされ、ほんのりと明るくなっていた。

 もう向こうでは夜が明けている。

 新しい日が始まるのだ。


 それが少し寂しくて、直はコップの縁を指先でそっとなぞった。







***







 祭りの本番を、三日後に控えた日。

 補習終わりの尋巳を待って、座である天津弥彦・陸弥彦の二人は神楽の衣装合わせを行った。

 本家の奥座敷を開け放って衣装を広げ、刺繍(ししゅう)を入れた上掛けの(すそ)直しを行う。



「直、あんたちょっと背ぇ伸びた? 丁度ええくらいやわ」


「え、マジか。 やったぜ」


「ちょ、尋巳動かんのよ! 針が刺せんやろうっ」


「へいへーい」



 母たちが数か月かけて用意してくれた上掛けを身に着けて、両手を開き、直立不動のまま。

 直と尋巳は、お互いの全身をしげしげと眺め合う。



「……なんか、いよいよって感じ」


「そりゃ、あと三日やじゃし。 しかしお前、馬子にも衣装やなぁ」


「尋兄は猫に小判、豚に真珠ですけどね」



 軽口をたたき合っているうちに、母親たちに「はい、おしまい」と背をたたかれる。

 衣装を脱いだ二人は、そのまま練習用の(はかま)に着替え、稽古場に駆け込んだ。

 あと三日、何とか形になって来た舞を、もっと見栄えのするように磨きをかけていく必要がある。

 鼓役に孝介と晴真を引き連れ、格子窓から射し込む陽光の中、練習用の面を被って(ひも)で結ぶ。



「じゃぁ、いくよー」



 孝介の明るい声に小さく頷いて、さっと最初の構えをとる。

 まずは《榊舞(さかきまい)》。

 鼓がポーンポーンと音をたて始め、すうと意識を体の動きに集中させた。

 舞台に上がる所作から始まり、丁度中央で背を向け合う。

 鏡写しのように手を動かし、立ち上がって参列者全員を清める動作。



「(あれ……?)」



 動きの途中、直は小さな違和感を抱いて後ろの尋巳を見た。

 何がおかしいのだろう。

 それがはっきりと分からず、心中で首を捻りながら動きを続ける。

 神使を勧請(かんじょう)し、自らに下ろす動きを経て、いよいよ衣装を脱ぎ捨てる。

 舞台の隅に向かい合って立ち、《曲舞(きょくまい)》が始まった。

 違和感は、ずっと付きまとっている。

 神楽にしっかり集中しながらも、直はずっと、その正体を探し続けていた。







***







 一通りの練習を終え、稽古場の壁に背を預けて座りながら、直は思い切って聞いてみた。



「なぁ…… 尋兄なんか、動き大人しいなった?」



 練習をしていくにつれ、直は何となく違和感の正体に気が付いた。

 元々荒々しかった尋巳の舞の所作が、どこか慎重に、丁寧になったようなのである。

 荒っぽいのが陸弥彦の味だと豪語していたくせに、どうゆう心境の変化だろう。

 不思議に思ってじっと従兄の横顔を見つめると、



「俺だけとちゃうぞ。 お前もやろ」



と、ペットボトルに口をつけて尋巳が横目を流す。

 急に問いを打ち返されて、直はぱちりと目を瞬かせた。

 自分も?

 何処が? と、眉を寄せれば、



「必死さが、何か違う(ちゃう)。 完成だけ目指しとるんと(ちご)うて…… あれや、張り切っとる」



 何に期待しとるんやかなぁ。

 にやにやと顔を覗き込まれ、何故だか顔がかっと熱くなった。

 訳が分からずバタバタと腕を振り回した直は、()()って尋巳と距離をとる。



「んなッ なんっちゃ、ないよ! なんでもない、なんでもない!!」


「それでかよー? ざまぁねぇ」



 けらけらと笑われ、直は頬を赤くしたままむっと口を尖らせる。


 確かに尋巳の言う通りだ、自分は期待している。

 それが何をかなんて、自分でもはっきり分かっていた。

 祭りの日、本番の晩に、必ず来ると言った声。

 それが今でも、耳の奥で繰り返される。

 必死に腕を浮かんできたあの一本線の目が忘れられず、再び会うのを待ちわびているのだ。

 その当日に、今までで一番の出来の神楽を披露しようと意気込んで。

 それを見抜かれていたのにばつが悪い思いがして、直はぷいとそっぽを向きながらブツブツ言った。



「ウチのことはええやろ。 尋兄はどうしたんよ。 ちょっと踊っとる感じ、変わった理由」



 慎重、丁寧と表したが、それだけではない。

 尋巳が舞にそそぐ気配は、どこか柔らかで、慈しみに満ちたようになっていた。

 何がそうさせるのだろうかと、じっと答えを待っていると、尋巳はふんと息を吐いてペットボトルを置いた。



「色々あったしな。 前は、豪快にやっとれば神使さんらしいもんになる、思っとったが…… 案外この神楽は、単純に神使さんの事を演じるだけと(ちご)うて、残ったこの土地のご先祖さん等ぁが、神使さんのために始めたんちゃうか思うたんや」


「神使さんの、“ため”?」


「色々あったわけやろうが、あの猿も。 その慰みに、ゆうことや」



 ”慰み”に。

 尋巳の言わんとするところが分かって、直は息を詰めた。

 穢れと手傷を負って現れた大猿。

 それに付いてきたという仲山神社の巫女の一族。


 この神楽が、兄媛を助けるために再び旅立った神使を(しの)んで、始められたものだとすれば。


 この神楽の始まりは、はっきりと分かっていない。

 元々はこんなに激しいものではなかったのは確かだが、最初にあった想いとはどんなものだったのだろう。

 それを確定することなど、できはしないが……


 尋巳の言葉に、直は両足を抱えて、



「そっか……」



と、呟いた。

 従兄(あに)も従兄なりに、この一月を通して思う事があったのだ。

 それが何だか嬉しくて、直は(あご)を乗せた膝の上で小さく微笑んだ。


 なんだか、体がムズムズする。

 早く神楽を完成させたくて居ても立ってもいられず、直は肩にかけていたタオルを取って立ち上がった。



「なぁ、早う練習しよ! お神楽、まだまだ改善の余地ありなんやし」



 座っている従兄を引っ張り上げると、尋巳は「なんや、いきなりはしゃぎよって」と、呆れ交りで腰を浮かす。


 祭りまで、あと少し。

 神楽を威津地彦に披露するのも、アイツにもう一度会えるのも、もう少し。

 舞へのモチベーションをはっきり自覚した直は、跳ねるように尋巳の手を取り、面を被った。

 自分は、自分の納得できる演技を、皆に見せたい。

 そしてそれが誰かを慰め、誰かを感嘆させるものになれば。



 きっと自分は嬉しいのだ。



 あんなに来るのが怖くて遠かった祭りの日が、今はこんなにも待ち遠しい。

 直と尋巳は構えをとる。

 飽き始めたらしい孝介の代わりに、晴真が鼓を構えてくれた。

 早く来い、早く早く。

 被った面の奥で目元を緩める。


 (はや)る心を宥めながら、直はたんっと勢いよく床を蹴ったのだった。


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