陸へ上がる 二
きゃはははは。
響きわたる笑い声に、直と尋巳は、疲労顔で顔を見合わせる。
直たち従兄弟と浮子星、八景は、淡の揚屋にお邪魔していた。
この街きっての星珠に相手をしてもらい、潮守姿の孝介と晴真、夏子はご機嫌で彩街遊びに興じている。
「ついさっきまで、命取られるかどうかの騒ぎやったゆうのに……」
皿代わりだという泡に包まれた菓子をつまみながら、尋巳は気だるげに三人を眺めている。
ここに至るまで彼是、数時間。
潮守姿に変じた兄弟は、目を輝かせた下の二人に引っ張り出され、竜宮見物に駆けずり回っていたところだ。
初めて会うにもかかわらず、術の相方である神官の手を物おじせず引き、晴真と孝介は竜宮へ飛び出した。
記憶のない神官たちは現状を全く把握できていなかったが、八景と浮子星という監視付きで、一時的に孝介たちに付き従うことを許されていた。
孝介たちの『術』については、尋巳が媛の寝所で神官たちを締め上げて確認させた。
それによると、孝介たちの『水映しの術』は即興でかけられた時間の制限のないもので、解こうと思えばすぐにでも解けるらしい。
二人が陸に戻ったら開放できると説明され、直たちはほっと息を吐いていた。
一行は市中の町並みから磐座内部、果ては媛の寝所まで。
取り調べで忙しい水緒之杜を除いて、上から下まで見て回わり、それに付き合った直と尋巳は最終的にぐったりと疲労困憊することになった。
最後に訪れた淡では、白尾星珠に咲き誇らんばかりの笑みで出迎えられ(完全に浮子星目当ての笑みであったが)、こうして座敷に上げてもらっているところである。
遊びの勝ちが決まったらしく、歓声が上がる。
尋巳と同じく壁に背を預けて三人を見守っていた直は、ふと亀の潮守に変じている晴真に目を止めて視線を遠くした。
騒動が終わり、目を覚ました夏子たちは、あまり何も覚えていなかった。
最後の記憶は家で直たちの帰りを待つ話をしていたところまでだという三人に、直と八景たちは起こったことを全部説明してやった。
文都甲と水緒之杜の企み。
尋巳たちの目がないところで、三人を攫っていったこと。
誘拐に気付き、夜の海を越えて竜宮まで駆けつけて、無事自体が収束したこと。
全てを話し終わっても、聞いていた三人はぽかんとするばかりだった。
特に自分が神使の生まれ変わりだと言われた夏子は、へぇと感嘆したかと思うと、
「あたしが生まれ変わりかぁ。 何か光栄やねぇ」
と、いつもの調子ではにかんで見せて、直と尋巳を脱力させた。
孝介はいまいち状況を把握できていないのか、ふんふんと説明を聞いているだけだったし、三人を救わんと奔走していた直たちは、何とも釈然としない気持ちにさせられるのだった。
ただ、晴真だけは違った。
話を聞いて終わると直の袖を引いて、文都甲や、彼に憑りついていた甲兆の話を詳しく聞きたがった。
直は自分が知る限り、二人と二人が執着していた媛のこと、寝所で見た幻影のことも含め、語って聞かせてやった。
甲兆の恋に始まる、数百年の杜の悲願と、それを成し遂げようとした文都甲の言葉。
そして終に媛の腕の内に帰り着いた、甲兆の満足げな涙のことも。
語りながら、直は自分が少しも文都甲や甲兆の事を恨んでいないことを思い知っていた。
二人のどこをどう語ろうとしても、彼等を悪い風にあげつらうことが出来なかったのだ。
やはり兄媛に言った通り、恨む以前に、文都甲は直の中で哀しい人だった。
それに、直の言葉を聞いていた晴真も、最後には目を伏せて言ったのだ。
うん、分かったと、たったそれだけ。
直は目を見開き、自分の感情を棚に上げ、すっきりと納得したような晴真に重ねて問いかけた。
本当にそれだけか、と。
命を奪われそうになったことを、恨みはしないのか。
与えてもらった優しさと、睦まじく言葉を交わした記憶に、裏切られたと、彼を――――文都甲を責めないのかと。
途方に暮れたようになりながら言い重ねる直に、それでも晴真は寂しげに首を振ってみせた。
狙われたのが自分以外だったら、もっと他の感情もあっただろう。
でも、
『文都甲さんは、お媛様を助けたかったんやろ? その甲兆さん、ゆう人のためでもあったんやろ? やったら、』
きっとあの人も、どうしようもなかったんだろう。
『あの人、優しかったから。 仕方ないわ』
そう、大人びて笑った晴真を、直はどこかほっとした気持ちで眺めた。
惑いの森で『彼女』に言われたことを思い出す。
優しいために、凶事に手を染めずにはいられない。
それは弱さでもあったのかもしれないが、きっと文都甲と甲兆も、村人と同じだった。
そこが、彼等を責め切れない理由でもある。
こんな風に許そうとする思いを、自分の甘さというべきなのかどうか、直には分からない。
結果、二人や村人たちが行ったことは、どんな理由があっても完全に許される事ではないし、それは確かだと直も思う。
でも、恨みに溺れ切ることもできない。
この心情は、誰かに否定されるべきなのかも知れない。
しかし一方で、直はこれでいいのだろうと、どこかで自分に納得もできていた。
仕方ないと言った晴真の笑みが、同じように思う自分と重なって思えたから。
窓の外では、日出琉が昇ろうとしていた。
八景の父との約束である刻限まで、もう少し。
五人が竜宮を離れる時間が近づいていた。
***
八景の父親が用意した磐座の士官と、二人の神官。
彼らを背にして、人の姿に戻った直たち兄弟は、八景と浮子星に向き合っていた。
「陸までは、後ろの士官たちが連れて行ってくれるそうじゃ。 色々あったが、お前達にはほんに世話になったのぅ」
屈託なく言う浮子星に、尋巳が確かになというふうに肩を竦める。
夏子に手を引かれていた孝介は二人を見上げ、「浮子星さんは、一緒に行かないの?」と寂しそうな顔をした。
それに困ったように笑い、浮子星は孝介の前に屈んでその頭を撫でてやる。
「ワシ等は竜宮に残る。 この騒動の始末をせねばならんし――――文都甲のこともある」
文都甲の名前を聞いて、孝介も俯いた。
尋巳が頭を掴んで引き寄せてやると、しおらしくそれに従う。
「もうこっちには戻らんのじゃろ?」
くしゃくしゃと孝介の頭をかき混ぜながら尋巳が言うと、顔を見合わせた浮子星と八景は、何とも言えない曖昧な表情を浮かべる。
それを見て、直は誰にも気づかれぬほど微かに、指先を震わせた。
きっと、二人に会うのは、これが最後になるだろう。
もう、八景たちが陸へあがる理由はなくなった。
直たちの傍に居る制限も、もうないのだ。
「あの状態の文都甲を放っとくのも具合が悪いしのぉ。 ワシはアイツについとくわ、よしみじゃしな」
「そぉか」
あれから、文都甲は目覚めていない。
最後だからと兄媛様に挨拶に行った時、長く甲兆が表に出ていた疲労がたたったのだろうと教えてもらった。
どれほど目覚めないものなのかは、媛にも定かではないらしい。
それに、目覚めても他の神官たちのように直たちの事を覚えているかどうかも分からない。
それは少し悲しいが、彼の行いの代償として、仕方のなかった事なのかもしれない。
浮子星が尋巳と話す横で、八景は「俺は……」と言い淀んでいた。
逸らされた視線が、わずかに直を見る。
目の合った直は、さっとさり気なく、視線を落とした。
なんとなく、目が合わせられなくて、そうしてしまった。
「じゃぁ、お別れやね…… 案外、一か月ゆうても短かったなぁ」
夏子が名残惜しげに呟き、孝介と晴真の手を引いた。
孝介は顔をくしゃくしゃにして、晴真も口をへの字に曲げている。
言葉も無い二人を優しく撫で、浮子星は寂しそうに言ってくれた。
「うむ。 いろいろあったが、楽しい日々じゃった。 礼を言いきれんほど、皆には世話になったのう。 ありがとう…… 達者でな」
「そっちもな」
浮子星と尋巳が別れを言い合い、様子を窺っていた背後の士官が、蛍を呼ぶ笛に口をつける。
ふおおおん、という水を震わせる音が響き、従兄弟たちは後ろを振り返った。
海中から、帰りを導いてくれる蛍たちが集まってくる。
あれに包まれれば、竜宮とも永劫の別れだ。
最後の時だというのに、割合呆気ないものだなぁと、直は美しい光の旋回を見つめる。
いや、むしろその方が良かったのかも知れない。
名残惜しく別れが長引けば、余計な事を言ってしまいそうだったから。
直は外していた目線を、何とか浮子星たちの方へ引き戻そうとした。
いつまでも不自然に目を逸らしているのは、きっと未練になる。
最後くらい、真っ直ぐに顔を見よう。
そう思って、八景の方を見ようとする。
その時、前から伸びてきた吸盤の腕が強引に手をひいて、直は体勢を崩して正面へと倒れ込んだ。
「――――祭りの晩ッ」
声に、目を瞠る。
切羽詰った声の調子に体を固くして、手を付いた体の線を辿って、直は顔を見上げた。
目の前に、一本線の目が、緊張して直を見ている。
「術が切れる、最後だ」
だから、
「もう一度、会いに行く」
八景の腕が、きゅうと直の手を握りこむ。
「約束だろう。 神楽を、お前が舞う姿を、見ると。 だから……」
柔らかな体に手をついて、直は怯えるように体を震わせた。
ああ、どうしよう。
「おお、ええが、来とけ来とけ。 折角まだ猶予があるんやしな。 この一か月の成果、最後に見て行ったらええわ」
はやし立てる尋巳の声に、呆然と立ちすくむ。
八景、
「必ず行く。 見に行くから…… 待ってろ」
そう言って、潮守は直の手を離した。
離れていく吸盤の腕には、いつの間にか直の真珠が絡め取られている。
「あ……」
蛍が舞い降りる。
青白い光に包まれ、浮子星と八景の姿が見えなくなっていく。
最後に見た一本線の目が、脳裏に焼き付いて離れそうもない。
蛍が体を攫う。
何かを言いたいのになんの言葉も返せず、伸ばしかけた手は光にまかれて。
そうして五人は、竜宮に別れを告げた。




