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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
終章
64/73

陸へ上がる 一


 こうして全ては終わりを告げた。





 甲兆が消えると、神官たちは皆、()き物が落ちたかのように座り込んだ。

 どうやら甲兆や『生き肝』に関する記憶の一切を忘れてしまったようで、何を聞いても分からないと言うばかりになってしまっていた。

 憑かれていた当の文都甲は媛の腕の中で深い眠りに落ちて目を覚ますことはなかった。

 だが、その顔にはひどく満足げな表情を浮かべており、安らかな眠りに微睡(まどろ)んでいるのだった。



 騒動の後すぐ、臣海磐座(おみのいわくら)から士官たちがやって来て、事態の収束に当たった。

 気絶していた八景の父親も意識が戻ったらしく、部下たちと一緒に兄媛の前に(こうべ)を垂れると、その指示を仰いだ。

 辰の君は一時的な水緒(みお)(もり)の活動の停止を告げると、傍で見ていた直たちに向きなおり、深々と頭を下げた。


 その姿を見た直はようやく、ああ、終わったのか、と心を落ち着かせることが出来たのだった。







***







「「…………」」



 気まずい。

 とてつもなく気まずいこと、この上なかった。

 並んで立つ直と八景は、だんまりとして俯いていた。


 ここは媛の寝所へ押し入った時の部屋。

 二人の目の前には、重厚な長机。

 その向こうには、腰掛に深く座って腕を組み、恐ろしい顔でこちらを(にら)んでいる顔。


 そう、吏使庁長官・八景の父である。



「「「…………」」」



 沈黙が重苦しい。

 八景は潮守の姿だが、直は半魚人状態なので一層場違い感が否めない。


 何故この長官室に二人だけが直立不動しているのかというと、浮子星と尋巳は外の騒動の後始末に向かったからである。

 湧くように現れる星珠道中(おいらんどうちゅう)を士官たちだけで規制するのは難しかったらしく、顔の利く浮子星が引っ張り出されたのだ。

 しかし浮子星はともかく、尋巳はもう制限も無いので残っても良かったはずである。

 だが奴は持ち前の勘の良さでもって、三十六計とばかりに浮子星に付いて行ってしまった。

 残っていればこの状態なので、まったくもってよく働く勘とやらである。


 机に腕を着いた八景の父は、はぁと深く溜息を落とす。

 その息遣いに、ウニのように丸っこく縮こまった二人は、ビクビクと体を震わせた。



「…………あれほど、月若(つきわか)君と杜の動向には気を配れと申していたのにな」



 低く地を這うような声に、直は出ても溶けてしまう冷汗にすら、卑怯者と叫びたくなる。

 騒動の後、残された二人はこの部屋へ呼ばれた。

 部屋に入ってから長官は何一つ言葉を発しなかったが、長官が言いたいことは何となくわかっていた。

 それも、この一言で確定である。



「それに関しましては、一切申し開く余地もなく……」



 深々と頭を下げた八景が、押し殺した声で謝罪を口にする。

 横でそれを見ていた直は、焦って八景の父の方を振り返った。



「あの、八景は悪くないんです。 私たちがこっちの都合で文都甲さんから引き離してたからで……」



 この騒動は、直たちが文都甲と夏子たちを置いて調査に出かけたことが原因だ。

 文都甲から目を離さなければ、ここまでの大事にはならなかったかもしれないし、文都甲も下手に行動しようとはしなかっただろう。

 責任は、決して八景一人のモノではない。

 それを訴えたくて、直は必死に弁明する。



「私たちの勝手で、文都甲さんが付け入る隙を作ったも同然なんです。 だから、」


「馬鹿っ 余計なことを言わなくていい! いいんだ。 責は全て俺にある」


「余計な事ってなに、アンタ一人悪い訳ちゃうやん」


「いいや、俺が悪いんだ。 お(しか)りは一人で受ける。 お前は外に出てろ!」


「いいや、出て行かん! 出んったら出ん!」



 何故かぎゃあぎゃあと言い争い始めた二人。

 そこに大きな咳払いが響く。

 二人はぴたっと動きを止め、ギギギ…… と首を回した。

 目を瞑っていた八景の父が、腕の向こうからギロリと二人をねめつける。



「勘違いしておるようだが、此度(こたび)のこと、私は誰も罰するつもりない。 その判断は、媛様がなさるであろうしな」



 咳払いをした長官は、腕をついたまま二人を見る。



「水緒之杜の独断専行を許したのは不手際だが、結局媛様も無事お戻りになられたし、誰も被害を被らなかった」



 万事丸く収まったということで構わんだろう。

 長官の言葉に、直たちは顔を見合わせる。

 では、お(とが)めなしということか?

 それは良かった、と顔に喜色を浮かべたところで、



「――――まぁ、市井の混乱と、私自身は別としてだが」



 付け足された言葉に、直と八景はぎくうぅと飛び上がり、猛然と頭を下げるのだった。







***







『おおー 来たか、来たか』


「――――これって、平身低頭して(おが)みまくる場面でしょうか」



 磐座の制限が解かれた媛の寝所を訪れた直たち従兄弟(きょうだい)を出迎えたのは、台座に身を横たえる辰の君と、夏子の姿をした迎山の神使だった。



『真心か、疑心か、面白い事を言うのぅ』


「一応、本心ですよ。 ……初めまして、私は栗谷尋巳と言います」



 尋巳の自己紹介を皮切りに、直と孝介、晴真も神使に向かって挨拶する。

 その姿が夏子なのでおかしな気分だが、神使は鷹揚に頷くと、



『己は、威津地彦(いづちひこ)。 迎山の主に頂いた名だ』



と、腕を組んで(いたわ)しげに微笑んだ。



『此度は(おのれ)等の因縁に巻き込んでしまって()まなんだ。 随分、苦労をかけたな』



 いえ、それは、と頭を下げた尋巳が言い、後ろの直たちもどう答えればいいかわからず間誤付(まごつ)く。

 確かに、大元は目の前の神使――――威津地彦が約束の期限に間に合わなかったのが、すべての始まりだ。

 しかし、それを責める気は、直たちにはない。

 それよりも今気になるのは、



「あの…… 夏はこれから、どうなるんでしょうか。 まさかもう、このまま戻らないなんてことは、」



 そう、生まれ変わりだった夏子のことである。

 威津地彦が戻ってからというもの、夏子の意識は表へ出てきていない。

 まさか、神使の入れ物になった者は、その意識が消えてしまうなんてことがあるのだろうか。

 そんな心配が心を占め、兄弟は固唾(かたず)を呑んで答えを待った。

 しかし、問われた威津地彦はにっと笑った後、安心させるように言った。



『案ずるな若彦(わかひこ)。 この体はいわば、経過点のようなものだ。 己が現世へ戻るための、一地点。 宮へ戻り、再び神位を頂ければ、魂も()かたれる』



 だから、ほら。



「――――え、アレ……? お兄ちゃ、」


『と、まあ、こうして出たり失せたりできるしな』



 一瞬夏子の目が綾目色から焦げ茶になり、いつものぼんやりとした声に戻ったかと思うと、すぐさま威津地彦のそれに変わる。

 四人が呆気にとられるなか、威津地彦は意地悪気に口の端を引き上げた。



『大切な兄弟を消したりはせんよ。 心配するな』


「……なんか、数百年現世をアウェイしてた割には神使様、大分口調砕けてますね」



 揶揄(からか)われた、と気が付いた尋巳がばつの悪い顔をして、ふてぶてしく言い返す。

 すると威津地彦は、目をぱちくりと瞬かせて(あご)を撫でた。



『これか? これは向こう(・・・)で身についたんだ。 こっちでいう時間なんてもんは、あっちではあべこべだ。 端的に説明するが、己は帰る場所を置いてきたから、戻って来れた。 そのお陰で向こうでは、そこまでの時間がこんがらがった中を進むことになってな。 その時にこの時代の口調ゆうのも会得したのだ』



 向こう(・・・)という所がどんな所か分からないが、おそらく『惑いの森』や『海嘯(かいしょう)の道』のような異界の事であろう。

 (けが)れ払いの旅がどのような道のりだったのかは想像できないが、数百年以上も彷徨(さまよ)う旅路。

 きっと気が遠くなるほど長いモノだったはずだ。

 直たちがその長い旅程に思いを()せていると、『そんなとこより』と威津地彦が背後を顎でしゃくった。



『お前たちを呼んだのは、アレだ。 こちらの御方が、お前たちに礼を言いたいんだとよ』



 お礼?

 なんのお礼だろうと威津地彦の視線の先を追うと、竜宮の主が(たお)やかに頷いていた。





『初めまして、(おか)の子等よ。 私はこの竜宮を任せられた者。 名はありません、どうぞ、呼び良いように』





 何度見ても、美しい人だった。

 おずおずと直たちが名を名乗ると、ひっそりと笑った兄媛は、深々と頭を下げてきた。



『皆さん。 この一件、甲兆を…… 水緒之杜の者たちを止めて下さって、誠にありがとうございました。 大変な道のりを超えてまで、努めて下さったようですね』


「いえ、それは、全然…… こっちは、ウチの家族を助けたかっただけですから」


『いいえ、貴方方の行いは、杜一同をも救いました。 あのまま肝を取り出していれば、彼等は生涯を穢れに苦しめられながら生きることとなったでしょう』



 自分たちが、あの神官たちを救った?

 どうゆうことか分からず顔を見合わせると、悲しげに顔を伏せた兄媛が教えてくれた。



『どんな理由であれ、血を流すことは穢れを受けるということ。 薬を取り出すことはできても、それを行った者は、穢れにまかれることとなる。 杜に入り、清浄な魂を養ったものほど、その苦しみはとてつもないモノとなったでしょう』



 だから今回の一件を阻止したことで、文都甲たちが苦しむこともなくなった。

 それを感謝したいのだと、兄媛は微笑んだ。

 この騒動は、神官たちにとっても、命がけだったのだ。

 そうまでして事を起こそうとした彼らの決意が窺え、直はそっと俯いた。





 ――――『私はそれがどんな犠牲の上に成り立とうとも、逃げるつもりはありません』





 そう言った時の、文都甲の静かな形相。

 あれは自分の身に降りかかる代償と引き換えても構わないという、彼の覚悟だったのだ。

 生き続ける限り続く苦しみとは、いっそ死ぬことと比べると、どれほどの絶望だろう。

 それを承知したうえであの場に立っていた文都甲の胸中を思えば、やめてくれと願った自分の言葉が届かなかったことが、仕方がなかったのかもしれないとさえ思えた。


 彼がくれた優しさを裏切るのかと、直は文都甲を(なじ)った。

 けれど、やはり文都甲は優しい人だった。

 優しいために、何もかも背負おうとした、哀しい人だった。


 直は横たわる兄媛に向かって、あのっと声を上げた。



「文都甲さんは、この後どうなるんでしょうか。 罰を受けることになりますか? まさか、」



 ひどい刑に処されはしまいか。


 兄媛を救おうとしたとはいえ、磐座の士官に引っ立てられていった神官たちの姿は、まるで罪人のそれだった。

 誰がどのように彼らを処遇するのかは知らないが、あの優しい人が無残な刑に処されることが、直には恐ろしくてならなかった。

 しかし、必死な様子で問いかける直に、兄媛はどこか嬉しげな面持ちで言った。



『確かに、事を起こした彼らを、何の咎めもなく放免することはできません。 ですが甲兆が今際(いまわ)(きわ)、彼等の記憶を全て持って行ってしまいました。 あれは彼の、最後の罪滅ぼしでしょう。 罪は全て自分にある、残された者の咎もこの身に受けるという、彼の……』



 だから、ひどい刑には処しきれない。

 咎め無しにはできないが、記憶のない者に罪悪感を問うても、刑に処す本来の意味が失われてしまうだろうからと。

 兄媛の答えに、直はほっと息を吐いた。

 その横で尋巳が、何とも言えない顔つきで腕を組む。



「尋兄?」


「――――あれだけの事されて、記憶がないから許してくださいじゃぁ、こっちの憤りはどうせぃゆうんじゃか。 都合ええこってな」



 不満の(くすぶ)る、尋巳の想いも分かる。

 けれど、その言葉が文都甲の身を案じる自分を責めるように聞こえて、直は苦しげに顔を歪めた。



「…………」


「……ま、動機が分からんでもないんが、腹立つけどな」



 仕様がないゆうんか、まったく。

 ちらりと従妹(いもうと)の顔を見て尋巳が付け足した言葉に、直はばっと顔を上げた。



「兄ちゃん、」


文都甲(あのかめ)も阿呆やな。 長い事未練たらしく残っとった()も…… ホンマ、阿呆じゃわ」



 吐き捨てるような、でも仕方がないと呆れるような声に、直は泣きそうに微笑んだ。

 ありがと、許してくれて。

 そう心の中で呟いて、直は兄媛を振り仰いだ。



『強いのですね、陸の子等よ。 ありがとう、私の子等の罪を受け入れてくれて』


「いいえ、許すわけではありません」


「そんに、俺らも聖人君子ちゃうしな」


「けど、文都甲さんの優しさも、私たちは知ってしまいました。 だから、兄媛さまにお願いしたいんです」



 文都甲を罪に問うなら、あの人のしたことを、許さないこと。

 けれど、あの人の優しさを、否定しないとこ。

 それだけを理解したうえで、罰を下すことを。

 兄媛は全て承知したように頷くと、威津地彦と笑い合った。



『さあ、堅っ苦しいのはこれで(しま)いだ。 チビ共、長い話で疲れたろう。 もう好きに(しゃべ)っていいぞ』



 ぱんと手を叩いた威津地彦は、真剣な雰囲気にのまれて押し黙っていた孝介と晴真に向かって手を広げた。

 晴真ははしゃがなかったが、おしゃべり解禁宣言に、孝介は笑い声をあげて手を上げた。



「はいはーい! 質問っ 質問ある!」


『おう、威勢がいいな! 言ってみろ』


「お媛様は、どうして人の姿なんですか?」


『この姿は、昔陸へ上がった頃の名残です。 水は、如何様(いかよう)にも姿形を変えるものですから』


『融通の利かない陸に合わせてやってんだよってさ』


「へぇ~」


「「…………」」



 物怖じしない孝介は、兄媛に()われるまま、この一月の出来事を語って聞かせ始めた。

 兄媛はそれを楽しそうに聞きながら、時折威津地彦と顔を見合わせたり、興味深げに頷いたりする。

 晴真と孝介が威津地彦と話始めると、話から抜けた兄媛が、直の方を見つめてきた。

 その白目のない瞳には、よく分からない喜びが浮かんでいる。



『随分、この(みやこ)の子等と仲良くなったのですね』


「え、いやぁ…… なんというか、一月あれば遠慮も何もなくって。 なんか、すいません」



 図々しい感じで、と直がひょこひょこ頭を下げると、兄媛はゆるゆると首を振って言った。



『いいえ、私は嬉しいのですよ。 幼き子よ』



 一瞬、遠くを見つめるように目が膜を張ったようになって、竜宮の主は優しく呟いた。



『私が成し得なかった結び。 境界を超える(きずな)を通いあわせた子等がいたことが』



 絆?

 境界?

 訳も分からず疑問符を飛ばす直に、兄媛は最後まで緩やかに微笑んでいたのだった。


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