『その時』へ駆けて 六
その目は、銀の瞳。
甲兆の深い紫とは違う澄んだ色に、八景と浮子星は息を呑む。
「私は私。 甲兆様に従ってここにあるのも、私自身の意思」
罪を犯すのは、この身も同じ。
目覚めた文都甲はぶれることなく、二人の友人を見つめ返した。
「夏子さんたちをここまで運んだのも私です。 晴真君と孝介君に術をかけたのも」
そう言った文都甲の背後から、二人の神官が現れる。
その手には見慣れない色の勾玉が乗せられており、それが晴真と孝介に通じているのだと窺えた。
自分は操られているわけではない。
そう意思表示する文都甲に、四人は絶句する。
本当に?
本当にあの文都甲がこれを仕組んだというのか。
事実を突き付けられても、まだ信じきれずにいる直は、ふるふると首を振った。
寂しげにも笑ったあの繊細な微笑みを、信じていたかったのだ。
「この亀……! 上等や、そこ動くなっ 夏等ぁの代わりに、お前の中身引きずり出しちゃる!!」
文都甲の告白に、目を血走らせた尋巳が一層暴れ回った。
体に巻き付いた糸が半魚人化した皮膚に食い込み、赤い色が滲み始める。
「兄ちゃん!」
従兄の形相を目にした直は、唇を噛んだ。
この現状で信じたいなんて逃げている場合ではない。
嘘だと叫ぶ心を押さえつけて、上方の文都甲を振り返った。
「文都甲さん…… 私と晴真の話、聞いてたんですか」
ずっと気にしていたことだ。
自分がもっと気を付けていれば、彼に気取られるはずはなかっただろうと。
直の問いに、文都甲は小さく頷いて、眠っている晴真を見る。
「夢を見るというところから、目をつけてはいました。 生まれ変わりなら、『彼の御方』と同調した現象が起きると思っていましたから」
「……貴方も、晴真を疑ってるんですね」
「ええ、貴女と同じように」
直はギリッと奥歯を噛みしめた。
なら彼は、獲物として狙い定めた晴真に、あんな優しい言葉を与えたのか。
いずれ殺すつもりの相手を、あんな風に慰めたのか。
どうして、と直は絞りだす。
「どうしてですか?! あんなに優しくしてくれたのに、それでも貴方は晴を殺すんですか?」
直の悲痛な叫びにも、文都甲は動じない。
ただ真っ直ぐにどこかを見つめたまま、祈り事を口にするように呟いた。
「媛様のご快復は、水緒之杜の数百年に及ぶ悲願です。 私はそれがどんな犠牲の上に成り立とうとも、逃げるつもりはありません」
前代も、前々代も、幾代も受け継いできた願い。
永い苦痛の眠りに苦しんだ兄媛のためなら、手を汚すことをも厭わないとういう誓い。
直の脳裏に花火の夜の横顔が、去来する。
『知ったんです。 歴代の凪の長が何を思い、役目を継いできたか。 次代へ受け継ぐときに託してきた想い。 私は、それを愛おしく思えた。 だからもういいと、考えられるようになったんです』
だから自分は杜長を継ぐことを受け入れた。
火花に照らされた静謐な横顔は、きっと彼の決意だったのだ。
直は愕然と立ち尽くした。
ああ、駄目だ。
思い知ってしまった。
彼にはもう、どんな懇願も届かない。
文都甲はもう決めてしまっている。
誰かを救おうとして、それが別の誰かを犠牲にすることになったとしても、後悔はしないと。
目の奥で、あの惑いの森で見た、『彼女』の横顔が過った。
『優しかったから。 優しければ優しいほどに、凶事を行わずにいられなかった』
大切な者を救うために、畏れに触れることも、罪のない命を奪うことも引き受けた、村人の行い。
優しさが罪を犯させた、悲しい過去の記憶。
それが今の文都甲と、水緒之杜の神官たちに被さる。
知らず、涙が込み上げていた。
けれどそれは頬を伝うことなく、海に溶けていく。
文都甲の、杜の意志は固い。
言葉では止められないと悟った直は、ぐいっと目元をこすった。
いつの間にか、文都甲の目は甲兆の濃い紫色へと変じていた。
甲兆は背後の潮守から何かを受け取って、晴真の泡を自らに引き寄せた。
『『彼のお方』は、私との約束を違えました。 媛を目覚めさせると約束たのに、戻ってはこなかった』
『彼のお方』とは、穢れ払いに旅立った、迎山の神使の事だろうか。
約束を違えたのなら最早これしかありませんと、動けない直たちの目の前で、甲兆はすらりとそれを抜いた。
それは光を美しく反射する、鋭い短剣だった。
『『化け扇貝』から削りだした短刀を、流力で鍛えたものです。 これなら、貴方方陸者の柔らかな肉も、綺麗に断つことが出来ます』
「ッ、駄目!!」
「! よせッ!」
言葉が終わる前に、直は床を蹴っていた。
真っ直ぐに、甲兆へ向かって飛び込んでいく。
ここまで来て、そんなことはさせない。
しかし、浮きび上がる直に周囲の潮守たちが手を向ける。
術をかけるために同時に詠唱が始まり、それを聞いた八景が直に手を伸ばした。
「やめろッ ――――直!!」
飛び出した直は、目を見開いた。
聞き慣れた声が、初めて呼んだ、自分の名前。
詠唱の終わりと共に、術が放たれる。
八本の腕が、直を守るように包み込んだ。
初めて、名前を――――
――――キンッ!!
鋭い音とともに、目を覆うような閃光が走った。
それは文都甲や浮子星の時とは違って、見た者の目を強く刺す光だった。
あまりの眩しさに、周囲の全員が目を庇う。
体の線をなくすほどの光の中で、しかし振り返った直と八景は、互いの姿がはっきりと見てとれていた。
閃光も、何一つ眩しくない。
むしろ、温かく包まれるような光だった。
八景の腕の中、直は手中の石を目の前に捧げた。
勾玉は、その姿を月色の真珠へと変えていた。
現れた球体の大きさは、今まで見たどの真珠よりも大きく、最も美しく輝く珠だった。
月の真珠を持つ直の手を、八景が滑らかな腕でそっと包む。
その時、直は分かった気がした。
どうしてこの真珠はこんなにも立派な姿に輝いたのか。
直は泣きそうな顔で八景を見た。
八景も、柔らかく目を細めてくれた。
――――閃光が消える。
光が失せると、周囲では直たちに襲いかかろうとしていた神官たちが、目を押さえて転がり回っていた。
閃光に直接目を焼かれ、立ち上がることもできないらしい。
そしてなぜか、先ほどまで尋巳と浮子星を縛っていた糸も、力を失ったかのようにほどけ落ちていた。
「今だ、行くぞッ」
「!」
叫んだ八景に手を取られ、直は二人、台座に躍り上がった。
台座が陰になったためか、甲兆と二人の神官は目を庇いながらもなんとか立ち上がっていた。
『くっ 術が……』
何も起こせない手を睨むと、甲兆は直たちを示して叫んだ。
『あの二人を捕えなさい! 邪魔を指せないでっ』
甲兆の背後の神官二人が、ふらつきながらも直たちに襲いかかる。
「ここは任せろ! お前は三人をっ」
突っ込んでくる二人の神官を一手に受け止め、八景が叫ぶ。
八景の脇を潜り抜けた直は、甲兆に迫った。
「『近づかないで!』」
泡から引きずり出した晴真の体を引きずり出し、甲兆と文都甲の声が二重に叫ぶ。
「やめて、文都甲さん……!」
細い喉元に突き付けられた鋭い刃に、喉が干上がったように声が上ずる。
一歩でも動けば、あの刃が晴真の肉を切り裂く。
動けない直を睨み、甲兆は大きく腕を振りあげた。
狙うは秘薬の眠る、腹一点。
直は床を蹴って、甲兆に飛び掛かった。
刃を振り下ろす甲兆の顔は、泣き出しそうに歪んでいた。
『これでようやく――――』
幾星霜、待ち続けた長い年月も、終わりにできる……
「やめて――――――!!」
絶叫が響き渡った。




