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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
五章
61/73

『その時』へ駆けて 五

 目の前にあったのは、巨大な台座だった。

 白亜の石で作られた台座は、床から生えるように伸びたあと平たく広がり、その上にある大きな球体を包み込んでいた。

 魚の卵のようなその球体は、中から仄かに発光しており、何かの影をそこに浮かび上がらせている。

 もしや、これが目的の寝所か。

 繭のような美しい球体に目を奪われていた直は、その前に(たたず)む影に気が付くのが遅れた。





『――――やはり来ましたか』





 水を震わせるような厳かな声。

 耳の中を叩くそれに、はっと我に返る。

 光を背にして立つ姿は、白の布地に緑の縁取りの衣。

 大きな瞳に、滑らかな嘴。

 久しぶりに見たその姿は、




「文都甲さんッ」


「文都甲!」




 直と八景は同時に呼び慣れた名を叫んだ。

 けれど、相手は呼びかけに微動だにせず、静かな目で二人を見下ろしてくる。



「文都甲さん、夏ちゃんは…… 孝と晴はどこですか?!」


「文都甲お前、三人を兄媛様に捧げるつもりか?」



 ()れた二人が近づこうとすると、背後の浮子星が「危ないっ」と声を飛ばす。

 声に引き留められ身を引けば、足を踏み出したところへ白い糸の渦が発生した。

 獲物を捕え損ねた糸の渦はそのまま霧散し、直は驚いてもう二、三歩後退る。


 糸の消えた床を凝視した時、そこに沢山の影が落ちているのに気が付いた。


 ばっと頭上を振り仰ぐ。



「!!」



『不用意に動けば、捕らえさせていただきます』



 感情のない平坦な声で文都甲が示したのは、いつの間に現れたのか、文都甲と同じような衣装を纏った潮守たちだった。

 神官らしき潮守たちは、直と八景の頭上を円形に囲み、一様に片手をこちらへ向けている。

 その様子はまるで、銃を突きつけられているかのような威圧感があった。

 おそらく先ほどの糸は、彼らが術で放ったものだろう。

 直と八景はじりじりと後退した。

 こう囲われていては、下手に身動きできない。

 直は包囲している潮守たちを見上げて、息詰まる思いで文都甲を振り仰いだ。



「ッ 文都甲さん、なんで? どうして、こんなことを……」



 あんなに優しい人だったのに。

 孝介に術をかけ、一緒に微笑んでいた。

 家のことで苦悩する晴を、優しく諭してくれた。

 そんな人が何故、夏子たちの命を奪おうとするのか。

 直の問いかけに、文都甲は顔色一つ変えない。

 しかしふっと目を伏せると、ゆっくりと首を振った。





『娘さん、私は文都甲ではありません。 文都甲はこの体につけられた名。 本来の私の名は、――――六蓬子・甲兆』





 え?

 文都甲の声が発する名に、直と八景は硬直する。

 耳が捉えた名を、理解するのに時間がかかった。

 その二人の目の前で、文都甲の体からずるりと、炎のように揺らめく影が湧き上がる。

 影は唯一形ある目を紫紺色に煌かせ、二人を睥睨(へいげい)した。







『その昔、肝を求めて陸へ上がった、最初の潮守です』







 直と八景は驚愕して、まじまじと文都甲を見た。



「甲兆……? だって、その名前は、」


「数十代前の『月若』君の名のはずだ。 まさか、」



 そう、そのまさか。

 文都甲の姿をした、文都甲ではないモノが、首肯する。



『私は代々の杜長に憑りついて命を繋いできた、妄執に囚われた亡霊。 今は当代・月若の、この文都甲に宿り、今日という日を待ち望んできました』



 文都甲――――甲兆は右手をふるい、何事かを唱えた。

 すると、台座の影に隠れていた何か(・・)が浮き上がり、その背後へ姿を現す。

 それは大きなシャボン玉のような泡で、その中には――――



「夏ちゃん! 考、晴!!」



 泡に囚われて眠っていたのは、行方知れずになっていた三人だった。

 まだ危害を加えられている様子は無いが、眠っているのか、呼びかけても反応がない。

 尋巳は三人を目にした途端、床に縫い留められた糸を引きちぎろうと暴れ出した。



「いかん、尋っ それは流力で編んだ捕縛糸、力でなんとか引きちぎれるものではない!」


「じゃあどうせいゆうんじゃっ このまま指くわえて見とれるか!!」


「尋兄、落ち着いて!」



 直は従兄(あに)を振り返って何とか(なだ)めようとする。

 仮に糸を抜けたとしても、今のように囲まれた状態では、再び囚われてしまうのがオチだ。

 何の力もない自分たちでは立ち向かえない。

 直は強く唇を噛んだ。

 何か、何か方法はないのか。

 三人を救い出す方法は。

 そうして直が素早く頭を巡らせていた時、横にいた八景がずいっと一歩前に出た。



「甲兆殿! 本当にあなたがあの甲兆殿だとして、その体に宿っているのなら、文都甲は…… 文都甲はどこへ行ったのです。 まさか、あいつを消してしまったのですか?」



 友の身を案じる八景に、直も甲兆を再び見た。

 確かに古い亡霊が文都甲の体に宿っているなら、当の文都甲はどこに行った?

 まさかと青ざめる四人に、甲兆は静かに言った。



『心配しなくても、あの子と私は、生れ落ちた頃から共にある。 今は体を借りているに過ぎません』



 意識は体の中で眠っていますよ。

 胸のあたりを手で覆い、甲兆は顔を伏せた。

 まるで、そこに眠っている文都甲を抱きしめるかのように。

 明かされた友の無事に、八景と浮子星はほっと息を吐く。

 直も詰めていた息を解いた。


 アレが文都甲ではないのなら、夏子たちの命を奪おうとしているのも、文都甲ではないのかもしれない。



「なら、文都甲さんは、操られているだけ……?」



 直の呟きに、聞いていいた八景も目の色を変える。

 裏切られていたという傷心を埋める閃きに、必死の形相で甲兆を振り仰いだ。



「文都甲ッ、文都甲、聴こえるか?! そこにいるなら目を覚ましてくれ!」



 この一月、ともに過ごした三人の命が危うい。

 そこにいるなら、甲兆を止めてくれ。

 浮子星も八景と同じように文都甲の名を呼ぶ。

 手遅れになる前に、あの優しい男に、届いてほしい。

 意識が違うとはいえ、その手を血で汚させたくはない。

 痛切に、声を振り絞る。



「操られているだけなんじゃろう?!」


「目を覚ましてくれ、頼む、文都甲――――ッ」







「――――いいえ、それは違います」








***







 一番幼い頃の記憶は、初めてあの方に会った日の事だった。


 前代から離れ、自分と共に再び生れ落ちたあの方を、最初私はひどくおそれた。

 それは得体の知れない存在への恐れだったかもしれないし、周りの大人たちが自分の知らない顔をして、自分とあの方を(まつ)り上げる異様な雰囲気への畏れだったのかもしれない。

 少なくともその日から、自分はあの方の入れ物として、水緒之杜へとその身を捧げなければならなかった。


 子供の私は、生まれた時からある、あの方と同じ紋様を憎みもしたし、勝手に与えられた役目を(うと)んだりもした。

 けれど長じるにつれ、いつの間にか拒絶する心は、あの方を現世へと縛る切な望みへと寄り添うようになった。


 あの方は、夜闇を恐れて泣いたとき、夜通し昔語りをして慰めてくれた。

 務めの為に学ばなければならない学問に行き詰ったとき、不甲斐ない自分を励ましてくれた。

 あの方のやさしさに触れる度、私は自分の心が強く固まっていくのを知った。

 数百年に及ぶ、あの方の願い。

 その宿願の達成を、この目でともに見たいと思うようになった。

 そのためには自分は何でも犠牲にできると、心に決められるまでに。



 だから、どうかもうお一人で待とうとしないで。

 私が傍に居ります。

 あなたの願いが叶うまで、この身を全て捧げて。



 ――――どうか、どうかもう……


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