『その時』へ駆けて 三
「「わぁああああ!」」
叫び声と共に、二人は海中へ放り出された。
轟音は止み、世界が静寂に包まれる。
先に伸ばしていた腕は、固い地に触れていた。
周囲を見回す。
闇に包まれているのは同じだが、今度の暗さは、海底のそれだった。
でた…… 出れた!
直は勢いよく体を起こし、八景を見た。
結んだ紐の先では潮守姿の八景が、同じように辺りを見回している。
「ここは、」
八景は海嘯の道を抜けた喜びより先に、たどり着いた場所が分からず戸惑っていた。
直も気勢がそがれて、自分のいる場所を確認する。
目につくものは何もないが、海底の岩地であることは確かだ。
しかし、道の中で見た光はどこにも見当たらない。
一体、竜宮はどこにある?
「あれ、ここ、もしかして……」
周囲の様子を探っていた直はきょとんと声を上げた。
それと同時に、
「おやおや、」
のんびりとした老いた声が背後から聴こえ、二人は文字通り飛び上がった。
ゆっくりと振り返ると、滑らかな岩肌の間に大きな影が浮かぶ。
「「浪師!」」
二人は揃って叫んだ。
見覚えがあるのは当然である。
道を抜け出した先は、瑚亡の庵がある火山帯だった。
瑚亡の背後には、遠くに住まいの穴倉も見える。
「ほっほっほっ、こんなに短い間にまた顔が見れるとは、やれ嬉しきかな」
住処を抜け出していた瑚亡は、喜色を浮かべて二人に近づいてくる。
「浪師! 竜宮は、京は! 今どこにありますか?!」
「んん?」
浮き上がった八景は、必死の様相で師に詰め寄った。
弟子の勢いに、瑚亡は目を丸くして首を竦める。
「どうしたんだね、一体。 落ち着きなさい。 しかし、竜宮かい? たしかアレはこの時期の頃、この近くを通るはずだよ」
近くを通る?
瑚亡の言葉に、二人はすとんと力が抜ける。
では、まだ間に合うのか。
よかった。
岩の上にへたりこんで息を吐いていると、
「直、直! 道は出たんか? だったら出せ!」
首のポシェットが激しく暴れ始めた。
直がファスナ―を開いてやると、中から小さいハリセンボンが飛び出してくる。
ハリセンボンはクルっと回ると、「何やここ! アッツ! 目ぇ痛っ」と体をくねらせてもがきだした。
「紐の中に戻れ! ここは生身では体に毒だ」
八景の指示に、直は慌てて尋巳を掴んで体の近くに引き寄せた。
直の手の中で目をこすった尋巳は、調子を取り戻したのか、
「ちゃんと抜けたか! でかした直! で、竜宮はどこや――――ぅわ、」
辺りを見回して、瑚亡に目を止めた。
そうしてその大きな図体に呆気にとられ、珍しく目を瞠っている。
「おやぁ、八景の新しい友人かい? 今日は随分賑やかで、嬉しいのぅ」
老いた潮守は楽しげにほっほっほと笑う。
それを遮って、八景がもう一度師に近づいた。
「浪師、時間が無いんです。 俺たちは早く竜宮に行かなければ…… 京はどの方角ですか」
「ふむ、随分逸るのだのぅ」
先に訳を話せないのか?
瑚亡の戸惑う表情に、八景は逡巡した。
すると八景のポシェットから「それが老師、」、と浮子星が声を上げる。
八景がファスナーを開けてやると、小魚の浮子星が飛び出してきて、くるっと身を翻した。
浮子星は、実に手短に今までの経緯を語った。
肝の経緯。
居なくなった子供たち。
それを追って、竜宮に向かわなければならないこと。
話を聞いていた瑚亡はさっと顔色を変え、それはまずいと四人を順繰りに眺めた。
「八景、今の話本当だとすれば、お前たちが行くべきはおそらく水緒之杜ではない。 辰の君の寝所だ」
「はい、俺もそう思います」
頷きあう二人に、直は首を傾げて聞く。
「文都甲さんの居る所なら、水緒之杜じゃないん?」
「今の時点なら、そうだろうのぅ」
「だが、これからのことを考えると、寝所の方が目指す目的としては確実だ」
「なんで?」
「この前来たとき調べた文献に、生き肝についての記述があった。 そこには、生き肝は新鮮であればあるほど効力があると記されていた。 となれば水緒之杜の連中は、姫の寝所でそれを取り出すはずだからだ」
「警備のある上、閉鎖的で八景たちには内部の構造の分からん水緒之杜に侵入するよりも、必ず連中がくる寝所でぶつかるほうがよいのじゃ」
二人の主張に、しかし、尋巳は異を唱える。
「そんなことゆうて、もし、その前にあいつらが殺されてしもうたらどうするんや」
竜宮の主の寝所なんて神聖な場所で、殺生など行うのか。
その前に殺してしまう可能性の方が高いのではないか。
尋巳の懸念に、八景は静かに首を振った。
「船上では言及しなかったが、俺はまだ、文都甲は晴真たちを殺していないと思っている。 先に殺して肝を取り出すなら、陸で三人を襲い、お前達二人も殺して肝を持って帰たほうが確実だからだ。 それをせず三人を連れ、お前たちを置いて行ったのは、生きたままの、薬効の最も高い状態の肝を持ち帰りたい思惑があったからだろう」
だから寝所の、媛に捧げる直前まで、三人は殺されない。
八景の推察に、尋巳も黙り込む。
それに、時間もない。
瑚亡が考え込むように目を落とした。
「辰の君のご寝所は、一日に二度しか開かぬ。 それは《出琉》が最も高く昇り切る二つの時間帯じゃ」
竜宮の二つの太陽、《日出琉と夜出琉》。
日出琉は黒都――――磐座の都、夜出琉は白都――――水緒之杜の都を照らすもの。
日出琉はすでに昇り切ったあと。
夜出琉が昇るまでには、もう少し時間がある。
「出琉が昇り切るのって? あとどれくらいですか?」
「待ちなさい、――――ええと…… あと二刻ほどじゃな」
瑚亡は竜宮をミニチュアにしたような砂時計のようなモノを懐から取り出して言った。
「二刻って……」
「そちらで言えば、二時間くらいだ」
自分も砂時計を取り出し、八景が直の腕辺りを指し示す。
なんだ? と疑問府を飛ばしてから、はっと気が付く。
直は人の姿に戻って腕を見ると、そこにある腕時計を確認した。
針は午後十時前を示している。
では、媛の寝所が開くのは午前零時か。
「精霊の道を塞いでいたなら、文都甲はお前や浮子星に割り込んで来て欲しくはないはずじゃ。 京の門番に帰京が知れると、杜にも報告が行くやもしれぬ。 少し遠いが、黒都の底から密かに忍び込みなさい。 『水映しの術』を身に受けているなら、浮子星のような属身の姿になることもできるはずだね」
浮子星と八景に瑚亡が言い含め、二人は揃って頷いた。
「では、『網取』に乗じて、中に入り込みなさい。 あとは頼むよ、浮子星。 彩街の事なら、お前の方が詳しい」
彩街?
直が八景を見ると、八景は「黒都の底とは、遊楽街のことだ」と教えてくれた。
「前に言ったろう、浮子星は遊楽街の芸事屋の出なんだ」
彩街を通り、民に紛れて真っ直ぐ向かうのは、臣海磐座。
瑚亡は「磐座に着いたら、吏使庁長官の部屋に行きなさい」と、一つの古めかしい鍵を渡してきた。
吏使庁長官?
なにか聞き覚えがあると思ったら、それは八景の父の部屋だ。
「吏使庁長官の部屋には、喫緊の用の為に、媛の寝所への抜け道がある」
これはわしが現役の頃に持っていた寝所の鍵だ。
珊瑚を削って出来たような鍵を、八景が受け取る。
抜け道は、机の裏の垂れ幕の中。
それを抜ければ、寝所へ直接着く。
「竜宮は今、この方角だ」と、瑚亡が何もない海の先を指す――――いや、闇の中に、微かな発光が見える。
「ありがとうございます、浪師」
深々と礼をし、八景は直を振り返った。
「では、いくぞ。 夜出琉が天頂に達するに乗じて、媛君の寝所へ忍び込むんだ」
***
深海の闇はまるで宇宙だ。
下手をすれば上も下も分からなくなりそうなのを、ただ一点、京の光を目指してひたすら泳ぐ。
泳ぐにはまだ慣れない潮守の体に苦労しながら、直は八景に聞いた。
「なぁ、属身って、小さい格好になれゆう事よね? それで『網取』って、何?」
「行けば分かる。 竜宮に近づいたら全員で属身に変じて、花街へ行くんだ」
急いているためか八景は素っ気ない。
それでも、泳ぎ遅れる直の腕を絡め取って引いてくれている。
あんまり直が泳ぎ慣れないので、途中から手を取ってくれたのだ。
「おい、見えてきたぞ」
先を泳ぐ潮守姿の尋巳が、二人を振り返る。
見れば、あの大きな砂時計の形が、光の中に浮かび始めていた。
やはり、潮守の体で泳げば速い。
もう潮守姿に慣れたのだろうかと先をすいすい行く従兄を見ると、ハリセンボン姿の尋巳は「しっかしこれは、」と自分の体を見下ろして言った。
「何? どしたん」
「――――泳ぐんが速いんはええが、この格好何とかならんのか」
「何とかって何?」
「体の動かし方。 勝手が違いすぎて、違和感ありまくり」
「あー……」
瑚亡に借りた大きな衣装を織り込んで身に纏っている尋巳は、尾鰭をぎこちなく振って顔を顰めた。
なんだ、やはり尋巳も慣れていなかったのかと、直は間延びした声を上げる。
潮守の体は、自分の体だという自覚はあるが、動きの神経回路が違ってしまったかのような不思議な感覚があるのだ。
よく分かると直が深く頷くと、八景は呆れたような様子で「我慢しろ。 俺たちだって最初、陸の体に慣れなかったんだ」と先を見るよう二人に促す。
その時、先を行く浮子星が三人を振り返って合図した。
これ以上近づけば巡邏に気が付かれる。
属身に変化する頃合いだ。
勾玉を持っている直と尋巳が、全員を変身させる。
属身の小さな姿になると、潮守の姿より泳ぐのが遅くなるが、直たちは懸命に竜宮を目指した。
しばらく泳いでいると、
「!」
直は、脇をいくらかの影が過ぎ去っていくのに気が付いた。
なんだ、と辺りを見回すと、影はそれだけではなかった。
塊になって泳ぐ直たちを囲い込むように、上下左右、無数に海中に浮かぶ群れの姿。
多種多様な魚や海洋生物、それらが大挙して竜宮を目指しているのだ。
その壮大な光景に、直は唖然とした。
「何? なんなん、コレ。 どうしてこんな……」
「怯えるな。 ほら、アレだ」
困惑して身を寄せる直に、八景は砂時計の一方の端を示してみせた。
魚影から目を話し、示された方角を直は目を凝らしてみる。
飛び込んできたものに、はっと目を細めた。
「(なん、やろ…… なんであそこだけ、)」
あんなに光っているのか。
八景が示した砂時計の底。
『出琉』が照らす京の中心とは違う、閃光のような光が群れ成している。
まるで花火のようだ、と直が光に見惚れていると、
「さて、急がねば。 『網取』に取り残されてしまう」
速度を上げた浮子星が三人を急かす。
四人は群れ集う魚たちに紛れて、竜宮の底を目指した。
段々と近づいてくる光景に、直はようやく合点がいった。
直が花火のようだと思ったのは、存外間違いではなかった。
幾筋も煌いていた光は竜宮の底から打ち上げられており、海中でしばらく漂って、眩しいほどの輝きを発していたのだ。
しかもその光は、誘蛾灯のごとくこの大群の魚たちを惹きつけているらしい。
近づくほどに、光に照らされた砂時計の底の町並みがはっきりしてきた。
前に見た市中の様子とは打って変わって、煌びやかな街灯と珊瑚の装飾に溢れた華やかな家々。
そこを泳ぐ市井の者の活気に、美しく着飾った女性らしき潮守たちの姿。
部外者の直にも分かるほど、常とは違う夢のような世界に、ほぅとため息が出る。
このまま海中から見ていたいと思っていた、その時、
「来るぞぉ!!」
浮子星の叫びに、はっと我に返った。
行く先を見れば、こちらに向かって迫り来る大量の魚群。
その群れの中に、全員が飲み込まれる。
直は訳も分からず、繋いだ八景の腕を強く握った。
上も下も魚の鱗、鱗、鱗。
半ばパニックになりながら、大声で叫んだ。
「尋兄ぃ、浮子星さん。八景!! 大丈夫!?」
するとすぐさま、腕の先と少し離れたところからくぐもった返事がある。
よかった、離れてかったかとほっとした途端、
「!?」
ぐいっと、辺りの魚群ごと強い力に引きずられるような感覚に襲われる。
なんとか八景の腕だけでも離さぬよう堪えていると、いきなり勢いは収まり、魚の向こう側から誰かが歓声を上げるのが聞こえてきた。
外で何が起こっているのだろう。
じっと耳を澄ませると、「入れろー」と何事か合図する声。
それ待ってたかのように、
「今じゃ! 姿を戻せ!」
「潮守の姿になるんだッ」
浮子星と八景の鋭い声に、直は目の前に漂っていた勾玉を蛸足で絡めとった。
ぽんっ!
軽い音とともに、体が大きくなる。
おかげで周囲の魚たちに押しつぶされ、「ぐぇ、」と変な声が出た。
潰れるっと、魚の中でもがいていると、
「なんだぁ?!」
外側で素っ頓狂な声が上がり、続いて「出してくれ! 出してくれ!」と助けを求める浮子星の声。
どよめくような気配がしたかと思うと、ふっと圧迫感が無くなり、直は八景の腕を辿った。
「な、んやったん、これは……」
魚を押しのけて八景を探すと、ぐいっと反対方向から腕を取られて強い力で引っ張られた。
お陰で、腕を繋いでいた八景も一緒に魚の群れから飛び出す。
狭苦しさから解放され、直はけほけほと咳をした。
そうして顔を上げ、
「わ!」
ぐるっと覗き込んできていた沢山の目に、ぎょっと身を引いた。
魚の群れから出てきてそこにいたのは、それ以上に大きな魚――――ではなく、たくさんの潮守たちだった。
「浮子星! 浮子星じゃないか?」
「どうして網の中なんかに…… お前、水緒之杜のお役目があったんでないのかい?」
「魚の群れなんかに紛れて、どうしたってんだ」
口々に疑問を口にする潮守たち。
網? 何のこと?
不思議に思った直が今出てきた背後を振り返る。
「(なん、じゃ、これ!)」
直は呆然とそれを見上げた。
そこには、一杯に魚や海洋生物を抱え込んだ、大きな網袋が漂っていた。
直たちはここから引っ張り出されたのだ。
「(網取って、『漁』のことか!)」
自分たちは、光に寄り集まって来た魚と一緒に、投げ網で砂時計の中に引きずり込まれたのだ。
随分荒っぽい方法で侵入したものだと直が呆れかえっていると、
「皆の衆!」
潮守たちの疑問を遮るように、浮子星が大きく声を張り上げた。
「緊急じゃ、手を貸してほしい! ワシ等はこれから、磐座へ忍び込まねばならん。 それで……」
集まっていた漁師らしき潮守たちに何事か話始めた浮子星。
そこで直は尋巳の姿が無いのに気がついた。
一緒に出てきたと思ったのにどこへ行ったのか。
姿を探して辺りを見回していると、網の中に人の手が見えた。
「尋兄!」
直と八景が慌てて手を引っ張り出すと、ずるッと出てきた姿に仰天する。
「うわ、何そのハイブリット!」
何と尋巳は、人の姿にハリセンボンの肌を纏たような、人とも異形ともつかない姿になっていた。
体の造形は人のままだが、ハリセンボンのような針の鬣と、魚のまだら模様の肌が所々散っている。
手には水かきと、目元には浮子星と同じような紋が色づいていた。
「何とかならんか思うて握ったら、こうなったぞ」
「リアル魚人やん」
「こんな変化の仕方もあるのか…… やはり得体の知れん術だな全く」
「あと、コレな」
そう言って尋巳が取り出したのは、
「月の真珠!」
「おー 俺のも変わったわ」
月色に輝く大玉の真珠を見せびらかし、半魚人のような姿の尋巳はにやりと笑う。
まさか、さっきの網の中で?
直と八景が目を丸くして口を開こうとして、
「なんじゃ、そこのお前。 なんだか珍妙な――――」
背後からの不思議がる声に、直と八景は尋巳へ飛び掛かった。
人だか魚だか、潮守よりよっぽど魚人らしい姿を上から抑え込み、『戻れ!』『早く!』とせっつく。
こんな姿を見られては大騒ぎになるのは確実だ。
尋巳を背後に隠しながら、二人は引き攣った笑いを浮かべて振り返る。
潮守たちが不思議そうにしている中、後ろでポンと変化の音がして、白煙の後には半眼のハリセンボン(潮守)が二人背を睨んでいた。
「ありゃ? おかしな奴が居ったと思うたのに…… 気のせいだったかのぉ?」
「ええ、ええ、もちろん! 気のせいですよ、気のせい」
あはははは。
二人が笑いで誤魔化していると、潮守たちの向こう側で、浮子星が「よしッ」と気合の入った声を上げた。
話にケリがついたのか、輪の中から飛び出して、こちらに向かってくる。
「浮子星、どうするん――――「話はついた、彩街に降りるぞ!」
急いた様子で三人を引っ張り、浮子星が彩街を指し示す。
磐座へ向かわなければならないのに、どうして?
戸惑う三人をよそに、浮子星は先に泳ぎ出す。
急ぐその背を、取り残された直たちは顔を見合わせながら追うのだった。




