『その時』へ駆けて 二
日の暮れた夜の海を、一隻の船舶が疾走している。
船灯に照らされ舵を取っているのは、祖父の尋ノ介。
白波を切って走る船にしがみついているのは、直と尋巳、嶋と潮守の二人だ。
「それで、入り口はこの半島の裏で間違いないんだね?」
エンジンの轟音に負けぬよう声を張り上げ、嶋が浮子星に確認する。
その手の中にある地図を覗き込み、浮子星は大きく首を振った。
「陸の地形はよう知らんが、大きく張り出した土地の裏なのは確かじゃ。 これを見る限り、それはここで間違いない」
直の住む県の海を挟んだ向かいの県まで、直線で行っても、船で四十分ほど。
しかし浮子星の示した目的地は、向かいの県の西の端。
着くまでは更に一時間弱かかるだろう。
「だけど、夏子ちゃんはいいにしても、晴真君と孝介君は、どうやって海に連れて行ったんだろう? 術にかかってないなら、生きたまま海中には入れないわけだし」
尋ノ介に目的地を確認して、嶋が戻ってくる。
直は竜宮から帰った時、嶋や尋巳に水映しの術のもう一つの目的を話しておいた。
薬は『生き肝』。
水死していては、薬効は発揮されない可能性もある。
だとすると、文都甲は生きたまま孝介と晴真を連れていった可能性が高い。
まさか、もうすでに二人が死んでいるなんてことは考えたくは無いが……
厳しい顔をする嶋に、浮子星は腕を組んで宙を睨んだ。
「これは推測じゃが…… 文都甲の奴、考と晴の二人にも、術をかけたんではなかろうか。 奴は今朝、玉の制限がなくなった。 何らかの術で仲間を呼び寄せ、隠しておった『荒渦の玉』で二人も潮守と繋げたんじゃ」
『水映しの術』を新たに二人にかければ、水中での移動は問題なくなる。
「なるほど、そう考えると合点がいくね」
でも、『荒渦の玉』は希少なものなんでしょう?
そんなにホイホイと用意できるのなのかと嶋が顎を撫でると、浮子星は難しい顔で答えた。
「水緒之杜は閉鎖的で、術具を持っとる数などは向こうが申告しない限りはっきりと分からんのが実情じゃからのう。 実はまだありましたと言われても、おかしくはない話だろうな」
「じゃあ、三人だけで、俺と直を置いて行ったのはなんでや」
二人の会話に割って入り、尋巳が怖い顔で叫ぶ。
予備とするなら、残りの生まれ変わりの候補者である直と尋巳も連れて行った方が、無駄が無くていいはずだ。
それがどうして、三人なんて半端な数を連れていたのか。
指摘に頭を叩いた浮子星は、「そこはワシも分からん。 単に今日残っとった者んだけ、連れ去ったんか。 他に理由があるんか……」と額を手で撫でおろす。
理由か。
浮子星の言葉に、直はある事を思い浮かべる。
孝介は別として、晴真だ。
あの子の紋様を読む力、それに夢の話。
だから、晴真自身が生まれ変われりであることを危惧していた事。
直は尋巳を見る。
向こうも同じ事を考えたのか、じっとこちらを見ていた。
そうして決断したのか、晴真について、浮子星たちに黙っていたことを全て話しだした。
話を聞いていた浮子星たちは、厄介だなと口を覆う。
「夢か…… そりゃ、晴が怪しいとなるんも頷ける。 だが、晴が夢を見ることは、文都甲も気づいておらんはずだろう?」
生まれ変わりの候補者として怪しんではいないはずでは?
浮子星の疑問に、尋巳は首を振る。
「分からん。 紋様を読めることは全員知っとる。 それで怪しんだんかもしれん」と。
直は一つ思い出して手を上げた。
「あの…… 実は花火の日に、晴と夢見について話してて。 その時気付かんうちに文都甲さんが近くにいたことが……」
その時に、もしかしたら話を聞かれたかもしれない。
だとすると、確信的に晴真を攫ったのか。
嶋が頭を捻った。
「もし察しているとすれば、孝介君と夏子ちゃんは? ついでに連れて行ったってこと?」
尋巳の目がない今日、拐かしやすい三人を攫った?
ここで、黙っていた八景がエンジン音に逆らって大きく口を開いた。
「こんな言い方はしたくないが、万が一晴真が違った場合の控えだろう。 精霊の道を閉じたのは、俺や浮子星に邪魔をされたくなかったから。 俺が磐座に、浮子星が市井に水緒之杜の独断を告発して、邪魔されてはかなわないと思った」
そして、三人が駄目だった場合、残りの二人を連れ去りに来る可能性もある。
本命は晴真。
後の二人は補完目的。
直と尋巳は一時切り捨としても、三人が駄目なら攫いに来るはず。
この推測に、尋巳は激しく船に拳を叩き付けた。
「ええわ。 後から来るなんぞまどるっこしい真似せんでも、こっちから今すぐ乗り込んでっちゃる」
従兄の威勢に、直は膝の上で両手を握った。
どうか、どうか、できるだけ早く竜宮へ。
全てが手遅れになる前に。
その時、ふと船頭に座っている八景がこちらを見ているのに気が付いた。
いつから見ていたのだろうか、直がじっと見返すと、
『スマン』
激しい波音の中、そう口が動くのが見えた。
直はその言葉の意味するところを考え、一瞬その顔を見つめる。
そうしてふっと泣きそうに笑い、首を振った。
八景が謝ったのは、きっと自分の友が直の家族を危機に陥らせたからだ。
そしてこの非常時に、力になれない自分を責めたから。
けれど、それは違うと思った。
だって八景は結局、直たちの為に危険を冒すことを決断してくれた。
それだけで十分だと、自分は思うから。
直の仕草に瞠目し、八景はばっと顔を伏せる。
それを不思議に思いつつ、直は船の進む先を見た。
夜の闇はもうそこに迫っている。
必ず助ける。
縋り所の無い願いとは違う、確かな決意で、直は再び手を握った。
***
暗い空に、星が瞬いている。
目的の半島を迂回し、たどり着いたのは、半島から少し離れた島の海上だった。
「仮に出られても、確実に京の近くに出るとは限らない。 だから、これをつけていく」
そう言って八景が取り出したのは、八景の師・瑚亡の住処に行く時つけた、長い布のついた紐である。
「これは? 何か意味があるの?」
嶋が布を持って珍しそうに聞く。
そう言えは、以前これをつけた時は、その理由を聞かなかった。
二本しかないからと、浮子星と尋巳に小さくなるよう伝えると、八景は直に紐を結びながら教えてくれた。
これは、海に住む潮守でも行くことが難しいところへ行くための術具なのだという。
これをつけていれば、ある一定の害のある環境下でも普通に動き回ることが出来るのだと。
「え、じゃあ、浪師の居ったとこって、なんか危ないところやったん?」
直が驚いて聞くと、八景はああと頷いて、気が付かなかったのか? と返した。
あそこは岩が丸くなって出来ていただろう、と。
「え、それって海底火山帯?」
頓狂な嶋の声に、直は首を傾げる。
「先生、分かるんですか?」
「丸っこい滑らかな岩と言えば、火山帯の溶岩だよ。 桧原さん、海底火山の岩を見てきたの?」
なんて羨ましい。
羨望溢れる嶋の目に見つめられるが、当の直はぞっとする。
「え…… ということは、ウチ、相当危ないとこ居ったん?」
うん、と大きく首を振る嶋と八景。
「まぁ、浪師の庵は活動のほとんどない場所だがな」
「それでも、熱や火山の有害物質で、生身では近寄れないでしょ。 その『浪師』って人、そんなとこに住むなんて相当変人だぇ」
のんびりとした嶋の言葉尻を「おい」と遮って、小魚姿の尋巳が船の床で跳ねた。
話している間に浮子星と同様、小さなハリセンボンに姿を変えていたらしい。
直が尋巳、八景が浮子星を拾い上げ、首にかけていたビニール製のポシェットに入れる。
道に入った時にはぐれぬよう、嶋が貸してくれたものだ。
「おい。 道に入るんは、直やなくて俺じゃおえんのか?」
道に入る二人はあらかじめ、八景が自分と直だと指定していた。
それが不服なのか、尋巳は八景に再度問いただす。
しかし、八景は左右に首を振って自分と直を指した。
「道を抜けるのに頼りになるのは、俺たちの目だ。 浮子星とお前では出口は探せない。 …………中は激流だが、しっかり辺りを見て、異界の裂け目を探してくれ」
八景の指示に、嶋が「中ってそんなに危ないの? この布じゃ防げないくらい?」と言って術具の紐を指し示した。
それに、八景は首を振って説明する。
「中の激流は、流力の流れだ。 流力によって成り立つこの術具では防げない。 それに流力が強いものほど、中では長く居られない」
流力の能力が強いということは、流力に親和性が高いと言う事。
そんな特性の者が流力の嵐の中に放り出されれば、流れの乱れを直接受け、最悪命を落としかねない。
だからこの道を通るは、流力の弱い官職の者に限られるのだと。
「裂け目はすぐわかる。 必ず他より異質に見えるから、……と、磐座の諸兄は言っていた」
特に竜宮の近くの裂け目は、京の中心にあった光・『出琉』に照らされ、それと確認できるはずだと。
「何か曖昧やなぁ」
「そう思うのは俺も同じだ。 本来道に慣れるには数年、数人の年長の者と一緒に道を通る訓練をするが、今回は無謀にも、なんの知識も経験もない者の二人だけで道を抜けようとしているんだ。 危険だということは重々承知しておいてくれ」
この夜の海に潜れば、その底にはすぐ、道の裂け目が開いている。
中に入ったら決して手を離さないように、握った両手を縄で硬く縛った。
船縁に立ち、大きく深呼吸する。
振り返って頷く嶋に同じように返し、操縦先の祖父を見た。
「爺ちゃん、ありがと。 行ってきます」
「…………ちゃんと、戻ってこいよ」
ぼそりと呟かれた声に、大きく頷いて返す。
勾玉を握る。
自分と八景、二人を潮守の姿に。
音とともに白煙に包まれ、久しぶりに見る自分の蛸の肌。
服は、以前竜宮に行ったときに八景にもらった、下女の装いだ。
「いいか、行くぞ」
船灯に照らされる海面を見つめ、八景が合図した。
それに言葉では答えず、握った手をぎゅっと握り返す。
同時に船縁を蹴り、そして海へ。
水飛沫と共に、肌を撫でる海水の感触。
そのまま、静かに深く深く、水底へ沈む。
と、急に早い海流に巻かれ、流れの先を見遣った。
「!」
暗い海底に、光る穴が開いている。
あれが『海嘯の道』か。
八景を振り返る。
頷き、手が強く握られた。
いよいよだ。
流れに逆らわず、穴に飲み込まれる。
強い光に包まれ、視界が白く塗りつぶされて、――――そして。
***
『海嘯の道』。
そこは嵐の海よりもひどい、まるで龍が荒れ狂っているような闇の世界だった。
流力の海に放り出された二人は、まさに奔流に飲まれた木の葉も同然。
龍の咆哮のような轟音に包まれ、流れに玩ばれていた。
「(! 息がっ 苦し……)」
直は、ぐるぐると臓腑をかき混ぜられるようなひどい感覚に、夢中で喘いだ。
呼吸がまともにできない。
体を取り巻く流力の嵐のせいで、体内の力の流れに不和が起こっていたのだ。
それを知らず、パニックになりながら辺りを見回した。
激しい流れに、目が痛い。
顔を覆った腕の合間から何とかつないだ手の先を見ると、流れにもみくちゃにされる八景の姿。
けれど、それだけ。
この空間には、他に目につくものなど何もなかった。
周囲は闇一色。
上も下も、右も左も分かりはしない。
「(出口ッ…… どこ?!)」
辺りを見回そうと首を振ろうにも、流れに阻まれてろくに身動きが取れない。
このままでは流されるまま、異界の果てに押しやられてしまう。
体が自由にならないなか、直は流れに逆らわんともがいた。
駄目だ。
直たちが異界に流れれば。
そうなれば、ここへ永遠に閉じ込められるだけではない。
竜宮にはたどり着けず、連れ去られた三人を救えなくなるのだ。
それだけは――――
「(いやや……!)」
声も無く叫んだ時。
背後から伸びてきた吸盤の腕が、ぐるりと直を包み込んだ。
「(! 八景?)」
顔を上げれば。すぐそこに一本線の目。
八景が、直を抱え込んで空間を睨んでいた。
顔を痛そうに歪めながら、何もない闇を見つめていた。
決して諦念に囚われないという横顔で、両目を見開いて。
「(ああ、)」
直は泣きそうになりながら嘆息した。
そうだ、こんな所で諦めて堪るか。
必ず竜宮に辿り着くのだ、そうして。
「(夏ちゃん、考、――――晴!)」
三人を、救い出す。
両目を見開いた。
出口を探せ、必ずここを出る。
流力のせいで反吐を吐きそうなほど荒れ狂う腹をくくって、深い闇に光を探した。
流れは決して止まない。
嬲られ、縦横無尽に回り続ける視界を、懸命に目で探す。
光、光、光。
あの日竜宮を遠く、八景と見た、柔らかな二つの光。
「!」
一瞬。
闇が薄れた残像を捉えた。
どこだ、どこ!
回る視界を、焦点なく眺める。
かかれ、かかれ、かかれッ
その時。
「(――――あった!!)」
「八景ぇ!」
闇に浮かぶ、淡い光の裂け目。
叫んだ声は、水に響くようにぼんやりと広がり、すぐ流れに攫われた。
けれど強く絡み合う腕を引いた合図に、八景が直の指し示す方を見る。
「行くぞ!」
八景が、力強く流れの中を泳ぐ。
直も全力で流れを蹴り続けた。
少しずつ光に近づく。
「「!」」
突然、流れが変わった。
強い力が、二人を光の狭間へ運ぶ。
裂け目に吸い込まれている。
吸い込まれながら。
流れに飲まれながら、直は闇に何かがぼんやりと浮かび上がったのを見た。
それは鱗のような模様で、流力の嵐の中を、咆哮を上げながら過ぎ去ってゆく。
びりびりと鼓膜を震わせるその声を聞きながら、直は鱗の主を呆然と見つめた。
「(あれは、)」
りゅう、
呟きは流れに乗って消えていく。
そして入った時と同じく、光が溢れ……




