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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
五章
54/73

惑いの森 二

 一触即発の状況は続いていた。


 小柄な猿でも、大群となればすさまじい圧迫感を感じる。

 その全てが敵意を込めて、上からこちらを睨んでいるのだ。




「っ……」




 じり、じりっと、直と尋巳は後退した。


 防衛本能が離れろ、距離を取れと警鐘を鳴らしている。

 しかし、下がったところで隠れる場所などありはしない。

 飛び出した(くぼ)地は、流れる小川の他に何もないのだ、

 武器もなく無防備なまま、二人は野生のサルたちの目前に(さら)されている。

 直は険しい顔のまま、従兄(あに)の服を掴んだ。




「尋兄……ッ このままやと、」



 二人共、食い殺されてしまう。

 そんな恐ろしい予見に身震いする。

 一刻も早く、この状況から脱したい。

 そんな思いにかられ、直は返事のない尋巳の服を再度強く掴んだ――――ところが、



「待て、様子がおかしい」



 自分たちを囲む猿の群れを睨み据えたまま、尋巳が低い声で制してきた。

 様子がおかしい?

 猿たちの凶暴さは、先ほどから何ら変わったところはない。

 一体どこに違和感があるのだろうと(いぶか)しんだところで、八景が眉を顰めながら言った。



「どうしたんだ? 奴等、何故、襲ってこない」


「あ……」



 流石に直も気が付いた。

 辺りを囲む猿たちは、獲物がこんな開けたところで無防備に縮こまっているのに、全く襲いかかろうとしてこない。

 むしろ、この開けた土地を避けているかのように、窪地ギリギリの枝の上で、じっとこちらを見下ろしているだけだ。



 ぐるりと木々に集う猿たちを見渡し、直は困惑した。

 何故猿たちは追い(すが)り、攻撃することをやめたのだろう。

 どうして、逃げ場のない獲物を襲おうとしない?

 害意は無くなったのだろうか。

 いや、あの攻撃的な顔つき、そんなはずはない。

 

 もしや、攻撃したくてもできない、近寄ることができないのだろうか。

 

 だとすれば、それは一体なぜ……

 混乱した頭で考えようとしたその時、





 

『おやめなさい』


「「!」」




 

 凜と、澄み渡るような声だった。

 空気に浸透する響きに、威嚇を続けていた猿たちが一斉に口を(つぐ)む。

 音が止み、唐突に森に静けさが戻ってくる。

 辺りを包む、小川の水音。

 猿たちの一様な挙動はいっそ異様な光景で、直と尋巳は驚いてぐるぐると頭上を見渡した。

 すると、群の中でも一際大きな個体が、()えるように口火を切った。





『なぜ止める。 ここは神聖な土地。 余所者の人間風情が足を踏み入れて良いはずがない』


「なっ」




 喋った!

 人のように言葉を操る姿に、直は目を(みは)る。

 異形の者が人と同じ言葉を話すのは八景たちで慣れていたつもりだったが、やはり驚くものは驚く。

 しかも、声は(のど)から発せられるような物理的な響きを伴っていない。

 まるで頭に直接語りかけられているような、経験したことのない感覚がするのだ。


 憎々しげな大きな個体の叫びに呼応するように、他の猿たちも口々に吼え始めた。




『そうだ、ここは我らの土地』


『我らの縄張り』


『卑しい人の侵入など、許せるものか』


『愚かな人間など、食い殺してしまうが良いのだ』




 ひどい敵意だ。

 糾弾するような声が、雨のように降り注ぐ。

 直と尋巳は、身を寄せ合って憎しみに燃える数多の目を見上げた。

 このままでは殺される。

 身に迫る危険が背筋を這いあがったが、





『いいえ、いけません』





 再度、あの澄んだ声が脳内に響いた。

 この声は、一体誰なんだ。


 出所を探して直が周囲を見回すと、



「!」



 窪地の中央。

 何もないと思っていたそこに、小川に囲われた一つの小さな(やしろ)が立っていた。

 周囲には幾本もの菖蒲(あやめ)の花が咲き乱れ、木製の社は無垢の木目が分かるほど真新しく、しんとした静けさを纏って佇んでいる。


 あれは並一通りのものではない。


 そう、瞬間的に分かった。

 走りながら感じたのは畏敬の念。

 その正体は、あの社だと。

 そして直が目を奪われたのは、社だけではなかった。

 社へ続く小さな階段の前、若草の茂るそこに、声の主はすっと背を伸ばしていた(・・)




 それは陽に美しくきらめく、白毛の猿だった。





『お控えなさい。 ここは我等の土地などではない。 ここは山神様の土地。 それを血で、それも清らかな子供の血で穢すことなど、あってはなりません』




 (たお)やかな声の主は、『彼女』だった。

 『彼女』の否定に、また猿たちは一斉に声を上げるのをやめる。

 一番威勢の良かった巨躯の猿までもが、忌々しげにではあるが吼えるのをやめていた。

 身を竦ませるような威嚇が止み、直たちは警戒しつつも白い猿に向きなおる。

 経緯を見ていれば、『彼女』だけは話が通じそうだと思ったからだ。

 膝をついたまま見つめてくる二人に向かって、白毛の猿はゆっくりと近づいてきた。




『群れの者がとんだ無礼を致しました。 どうかお許しください』




 距離を置いて立ち止まった『彼女』は、粛々と頭を下げて二人に詫びた。

 『彼女』は、近くで見るほどに美しい猿だった。

 しかもその瞳は、紫水晶のような澄んだ紫色をしている。



「(白い毛に紫の目…… 晴真の夢の、神使様と同じ)」



 その目で見つめられるとなんだか頭がぼやけてくるようで、直は熱に浮かされたようになりながら問いかけた。




「…………あなたは、何者ですか?」


『私はこの一団の巫女です』


「み、こ……?」


『はい』




 あなた方からは、古い同族の気配がします。

 鼻をひくつかせる仕草をして、『彼女』は直の傷を負った腕に目を止めた。

 その目が一瞬痛みを堪えるように歪み、そっと直の方に近寄ってくる。



『私の一族が危害を加えたのですね。 申し訳ありません』



 そう言って、『彼女』は直の腕に顔を近づけた。

 噛みつかれるのだろうかと一瞬直は体を引きかけたが、その前に紫の目に浮かぶ涙に気がつき、動きを止めた。

 みるみる内に大粒の雫となった涙は、ポロポロと直の怪我した傷口に零れ落ちてゆく。

 雫が傷を覆ったかと思うと、



「! 傷が……」



 弾けるような温もりと共に、涙に覆われた傷口が塞がり始める。

 驚きに息を呑んでいる間にすっかり傷は消え失せ、直は呆然と腕を眺めた。



「あ、ありがとう、ございます」


『身内の粗相を詫びたまでです。 互いに突然の出会いとはいえ、分別のない行いでした』



 柔らかな物腰からは、聡明な知性が窺い知れる。

 直たちは張りつめさせていた警戒を解いて、『彼女』の前に居ずまいを正した。

 自分たちが求めていた問いを投げかけるなら『彼女』だ。

 そう直感する。

 だが、どう訪ねたものかと躊躇(ちゅうちょ)した直の横で、真剣な表情を浮かべた尋巳が口を開いた。




「いきなり現れたというなら、非はこちらにもあります。 驚かせて申し訳ありませんでした。 ところで不躾ではありますが、貴女にお聞きしたいことがあります。 …………構いませんか?」


「ええ、私に答えられる事なら、何なりと」



 こちらの非礼の償いに。

 (しと)やかに答える『彼女』に、尋巳はほっと息を吐いて続けた。



「俺と(こいつ)は、ある猿を追っている途中、いきなりここに飛ばされました。 その猿は、貴女のように白い毛で紫の目で並の猿より大きな体格をしていたそうです。 貴女は、その大猿に心当たりはありませんか?」


『そうですね…… 紫の目を持つ猿は、この群れの他には私は聞いたことがありません。 その紫の目をした者は、我等の同輩でしょう。 そして、長い年月の内で群れを遠く離れた者など、一頭しか居りません。 あなた方は、()の『猛君(たけるきみ)』に縁ある方々ですね』




 『彼女』の断言に、四人は目を見合わせる。

 繋がった?

 探していた神使の影が、確かな形を持って現れたような気がした。



「俺たちの探している大猿が貴女のいう『猛君』だとすると、『猛君』が穢れを負ってこの土地を離れたというのは本当のことですか?」



 だとしたら、教えて下さい。

 どうして神使は穢れを纏ったのか。

 どうしてこの地を去ったのか。

 それを求めて、自分たちはここに来たのだ。




『無礼ぞ! 我らが姫に、人間風情が!』


『おやめなさい』




 巨躯の猿が叫ぶのを、『彼女』がまた咎める。

 尋巳の問いかけを聞いていた『彼女』は、一度目を瞑ったかと思うと、意を決したように四人を見つめた。



『そうですね。 ここへ貴方方が導かれたのも、定め事。 では私はこの一族の巫女として、己の為すべきを為しましょう』



 あなた方が追って来たお方は、確かに私共の一族の出。

 それは貴方方の気配からも分かります。

 『彼女』の語りに、直たちは固唾(かたず)を呑んで耳をそばだたせた。

 きっとこれが、自分たちがたどり着くべき過去なのだ。

 やっと、やっと、謎めく神使の姿に触れられる。


 『彼女』は語り始めた。





『遠い昔、まだ我ら一族が人里近くの山で暮らしていた頃の事。 一族には体毛白色の、一匹の大猿が居りました』


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