花火 三
突然かけられた声に、二人はびくりと肩を揺らした。
どこから聞いていたのだろう。
二人のすぐ傍に、文都甲が一人、所在なさげに立っていた。
晴真に気を取られていて、近づいてきていたのに気が付かなかった。
直はたらりと汗を一筋垂らし、近づいてくる文都甲を見る。
すると、文都甲はごめんなさい、耳に入ってしまって、と申し訳なさそうに詫びてきた。
「あの、」
「すみません、聞かれたくありませんでしたか」
「いえ、」
どこから聞いてましたかとは聞けず、隣にいいですかと言う文都甲に、直と晴真はそっと横へ移動する。
文都甲は頭を下げると、空いたところへすとんと腰を落ち着けた。
「『はなび』は、とても綺麗ですね。 夏子さんのおかげで、好いものを見ることができました」
「……それは良かったです。 まだありますけど」
どうですか?
残っていた花火を差し出したが、文都甲はそれに首を振って、二人に向きなおった。
「突然ですけれど、私も話をして構いませんか? 晴真君の話を聞いて、話したくなってしまいまして……」
穏やかな物言いに、二人は顔を見合わせる。
そんな二人を文都甲はじっと待つ。
直は晴真を気遣って一瞬迷ったが、当の晴真がどうぞと先を勧めた。
文都甲はありがとうございますと頭を下げると、「つまらない話だと思うので、良ければ聞き流して下さいな」そう言って居ずまいを正した。
「以前申しました、竜宮京での私は、『凪』という職に就いています。 凪とは水緒ノ杜に仕える神職の事です。 水緒ノ杜は、こちらでいう神社のようなモノ。 凪は、晴真君のお父さんと同じような立場ですね」
直と晴真は、顔を見合わせる。
文都甲は何を話したいのだろう。
そんな二人を尻目に、文都甲は続ける。
凪の中には簡素だが階級がある。
四つに分かれた職を統括する者、さらにその上に全体を統べる長。
「年を経るごとに階級は相応しい者へ移ろいます。 その中でも私は、将来凪の長となることが約束されている『長見習い』なのです」
「『長見習い』……?」
直の呟きに、文都甲はなにか陰のある顔で頷く。
「長になれる者は、生まれた時から決まっています。 決まった紋が現れる赤子です」
そう言って、文都甲は襟元をはだけさせ、隠れていた首元を晒した。
白い肌に鎖骨の浮くそこには、深緑の首飾りのような紋様が刻まれていた。
「私は、生まれた時から凪の長を務めることは決まっている子供でした」
晴真君と一緒です。
白い肌に目を奪われながら、晴真はぐっと息を呑む。
文都甲はゆらりと笑い、はだけた襟を正した。
そうして動揺した面持ちで視線を逸らす晴真に向き合い、そっと訊ねた。
「…………先ほど晴真君は、こんな生まれに等なりたくなかったと仰っていましたね。 では、もし叶うなら、晴真君はどんな風にありたかったですか? 家に縛られた立場ではなく、他に、どのような在り方を、」
望んでいるのか。
優しい問いかけに、晴真はおずおずと顔を上げる。
なんでもいい、好きなようにと促すような微笑みに、晴真は一時押し黙ったかと思うと、そろりそろり口を開いた。
「俺は…… できるんなら、普通の奴みたいに………… なんの決めつけられもないふうに、なってみたかった。 端っから何かに決められとるんなんか、窮屈、やから」
名前でなく、『神社の子』と呼ばれない。
自分の振る舞いが『神社の子』として品定めされない。
そんな立場。
「私もです。 一緒。 生まれる前から用意されていた責を手放して…… そう、浮子星のような、自由気ままな生き方をしてみたかった」
文都甲は語る。
浮子星は元々、親のない、孤児だった。
それが長ずるにつれ芸に才を発揮し、拾ってもらっていた芸事屋で一番の役者になるまでになったのだという。
文都甲の目から見て、浮子星は好きな道を行き、日々を力強く生きているように思えたらしい。
好んだことに邁進し、輝いているように見えたと。
「けれど、彼を羨ましがった私に、浮子星は言ったんです」
自分は、『自由』なわけではないんだ、と。
『確かに元々、自分は何にも持っていなかった。 柵のない、流されていくだけの身の上だった』
『けれど楽芸屋に入り、家族のような仲間ができて。 それを守るために、ここの若頭という役目に収まった』
『大切なものと共にあるために、自身を久々螺屋に縛ることを選んだのだ』
そう言って、誇らしげに笑って見せた。
「それを聞いて、思ったのです。 柵は、生きていれば、いつの間にか出来ているモノなのだと。 各々にとって、それが遅いか早いかだけ」
己を羨ましいと言った文都甲に、浮子星は問うた。
お前が柵と呼ぶそれは、本当に厭わしいものなのかと。
そして、それは違った。
「押し付けられたりしなければ…… 私は最初から、水緒ノ杜の同輩や長様たちのことを、好いているのだと。 そう思い起こされました」
目を閉じていた文都甲が、そっと瞼を開けて晴真を見る。
慎重に、晴真君は、と問いかける。
「このお社のこと。 お勤めになっている父君のこと。 血縁である直さんや尋巳さん、夏子さん、孝介君のこと。 ――――お嫌いですか?」
貴方を縛る、『神社』に関わる者は全て、厭わしく思いますか、と。
言われた晴真は、驚いた様子で目を見開いた。
「そこにある想いが強いほど、悪く転べばひどい嫌悪となる。 けれどそれは、同じだけ、手放せぬ慈しみでもあるということ」
苦しく思う裏側に、貴方は何を思っていますか?
静かな問いかけに、晴真はじっと聞き入っている。
直は息を詰めて縮こまった背を見守った。
やがて微かに動いた晴真は、小さく答えた。
「嫌いや、ない。 嫌いなんかや、無いんです…… でも、」
でも、
「――――でも、生まれた時から定められた者には選ぶ機会がないだけ、私たちは他と比べると損なのかもしれませんね」
言葉の続きを押し止めるように、文都甲は晴真の頭を撫でる。
「私も、ソレは不満だなぁと思いますよ」
少し悲しげな声に、晴真はゆっくり文都甲を見上げた。
白皙の麗人はその視線を真正面から受け止めて微笑む。
晴真はその笑みを見つめ続けたかと思いと、ぎゅっと口を結んで、頭上の文都甲の手を取った。
「…………おれ、俺、もうちょっと花火、やってきます」
白い手を割れ物を扱うようにして文都甲の膝へ戻すと、晴真は尋巳たちが騒ぐ輪の中へ駆けて行く。
文都甲は戻された手をもう一方で包み込みながら、じっとその背中を見送った。
そうして晴真が輪に加わる様子を見届けると、ふうと息を吐いて頭を振った。
「要らぬ世話を焼きましたね。 晴真君を不快にしてしまったやもしれません」
「いえ! そんな…… たぶん、それは―――」
違うと思います。
直は見ていた。
立ち上がった時、一瞬とらえた晴真の横顔。
寂しい手を、誰かに取ってもらえたような、そんな表情だった。
あの表情は、きっと。
直のフォローに文都甲はふっと笑って、ついと前を向いた。
「晴真君にはああ話しましたけれど、決められた立場といものは、悪い事ばかりではないのです。 与えられる物も沢山ある。 人目から見れば、羨望を抱かれる場合もあるでしょう。 厭わしいなど、分不相応な思いなのかもしれません」
ぼんやりと一点を見つめる目を、直は見守る。
「けれど、そう言う事ではないのですよね。 どうして自分だけという澱のような思いは、一度捕まれば、自分だけではどうしても抜け出せない。 だから、誰にも理解してもらえない思いは、きっとそれでも、誰かに掬ってもらえて初めて、向き合うことが出来る。 私が、浮子星や八景に、そうしてもらったように」
自分ではごちゃごちゃになってしまってかき混ぜるだけのもの。
それも、自分以外の者に泥を拭ってもらえて、ようく見定めることが出来るのだ。
そう言って、文都甲は小さく笑った。
自分だけでは前に進めなくとも、ある日誰かが掴みあげてくれる日が来るのだと。
「文都甲さん、」
直は咄嗟に名を呼んでいた。
そこへ、
「姉ちゃん、文都甲さんっ はい、線香花火! 最後のやで!」
細い紙の束を掴んだ孝介が、嬉しそうに駆け寄って来た。
孝介は二人に二本ずつ花火を握らせると、尋巳たちの方へ戻っていく。
それを見送った文都甲は、これはまた変わった『はなび』ですねと、一本を手に取って蝋燭へ近づけた。
固まっていた直は同じように火をつけながら、呟く。
「文都甲さんは、もう、その、」
向き合えているのか、自分の柵に。
踏み込んだ問だったろうか、直はおずおずと火に照らされた顔を見つめる。
けれど文都甲は前を向いたまま、散り始めた火花に見入って言った。
「知ったんです。 歴代の凪の長が何を思い、役目を継いできたか。 次代へ受け継ぐときに託してきた想い。 私は、それを愛おしく思えた。 だからもういいと、考えられるようになったんです」
それが本心だと、美しい横顔は言う。
「そう思えるまで辛抱できたのも、いつも傍にいてくれた友人たちのおかげです」
艶めく頬が、儚く微笑む。
弾ける火花に照らされた横顔は、勿論美しい。
けれど言葉にした想いが、きっと本心からのものだから。
穏やかに微笑む様は尚一層美しいのだろうと、直は思った。
「……何を顔寄せ合って密談しているんだ、お前達」
「ひっ、ぅわ!? ――――びっくったぁ」
突然の後ろからの声に、直は肩を揺らした。
おかげて線香の火が垂れ堕ちてしまい、半眼になって後ろを振り返る。
「何? 花火落ちてしもうたやん」
視線の先には八景が胡乱げして立っていた、
組んだ腕の上から、青年はジト目で二人を交互に見る。
「別に…… 随分親しげだと思っただけだ」
「なんやそれ」
変に含みのある言い方だ。
そっぽを向いてしまった八景に首を捻りながら、直は最後の一本に火をつける。
そんな二人を袖の先から眺め、文都甲は可笑しそうに笑った。
「ふふ、八景も隅に置けませんね。 そんなに心配しなくても、間に割っては入るなんて無粋なことは致しませんよ」
「なっ 阿呆か!」
「??」
慌てて文都甲の口を塞ごうとする八景に、直は訝しげに目を細める。
文都甲は楽しそうに八景を躱すと、持っていた線香花火を一本差し出した。
「はい、もう最後ですよ」
細い紙先を、ゆっくりと蝋燭の橙にさらす。
しゅっと発火した線の先を揺らさないように、屈んだ目の前に止める。
縮れていく先端がやがて花開き、松葉が散り、柳のように流れた後。
末期の菊が燃え上がる様を、息詰めて見守った。
「綺麗ですね」
「…………はい」
火の玉が、か細く火花を放つ。
その儚さを指先で優しく留めながら、直は静かに頷いた。
虫の音が響く夜は、灯と共にゆっくりと更けていくのだった。




