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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
四章
42/73

花火 一

「直ちゃん、兄ちゃん! 早ぅ行こうやぁ」



 緑深い夏山を、長い石段が山頂へと続いている。

 さわさわと広がる葉擦れの音に紛れ、甲高い蝉時雨が降り注いでいた。

 地元から高速に乗り換えて数時間。

 直たちは、晴真が予見した神社へやって来ていた。



「孝ー あんまり離れるなよー あと、足元なー 落ちたら洒落にならんのやじゃけん」



 前を行く孝介は、両手に浮子星と八景を掴まえ、どんどん上へ昇ってゆく。

 二人は背の低い孝介に合わせて腰をかがめ、のたのたと階段に足をかけていた。

 それを追いかける直と尋巳は、後ろでぜいぜいとへたっている嶋を振り返っては、足を止める。

 大丈夫かと言う尋巳の呼びかけに、肩で息をしている嶋は手で先に行けと合図する。

 まだ二十代の身空で、ああも体力無しなのは如何(いかが)なものか。

 直たちは肩を竦め合って、再び孝介の後を追った。




 *



 今朝の練習に、直は欠席せずに参加した。

 その時に前日の無断欠席を尋巳に()び、どうしても元の舞をやめたくないことを再度訴えた。

 浮子星はハラハラと心配していたし、八景も息をつめて尋巳の言葉を待っていた。

 けれど当の尋巳は直の直訴を聞き遂げると、『そうか』と一言だけ言って、あっさり頷いてしまった。

 きっと反対されると身構えていた直たちは、その対応に拍子抜けした。


 そうかとは、了解したということで良いいのだろうか。

 直の願う通り、元の舞をやらせてもらえるということだろうか。

 ひょっこりとして顔を見合わせ合う三人をよそに、当の尋巳は腕を組むとにやりと口の端を上げてみせた。



『構成考え直すなんぞ面倒せんで済んで、良かったわ』と。



 *




「――――なぁ、ホンマにいいん」



 尋巳と連れ立って階段を上る直は、汗を(ぬぐ)いながら呟く。

 なにが、と前を向いたまま尋巳は返してきた。



「お神楽の事…… ウチの我儘(わがまま)、聞いてもらろうて」



 舞の上達を約束した時、昨晩の海での出来事を話した。

 海中で練習すれば、技の入りを恐れなくて済む分、慣れるのも完成も、早くなるかもしれないと。

 一緒に家の前の海に潜った尋巳も、水の中での動きに納得していたようだった。

 今後はまだ上達していない後半を海で慣らし、できるだけ早く陸でもできるように努めていく。

 だが、本番までに納得のいく出来まで仕上がる確証はない。

 自分で頼み込んでいながら、直まだ迷いが捨てきれずにいた。

 しかし、尋巳は相変わらずの面持ちで前を向いたまま、服の(えり)をはためかせて言った。



「別に俺はなんも構わん。 本番で失敗しても、恥かくだけじゃしな。 そもそも、練習で完成しとっても、本番で失敗しない(しくらん)保証はないじゃろうが」



 それに、お前がちゃんとそうしたい()うたら、元のまんまでもええ思っとったし。

 尋巳の言葉に、直はひっそりと驚く。

 従兄(あに)がそんなふうに考えていたなんて。


 失敗を必要以上に恐れていたのは、自分だけだったのだ。

 尋巳は、(そろ)いの完成度にそれほどこだわっていない。

 むしろ今の言い方は、恥をかくことにだって寛容だ。

 直は、口を(つぐ)んで足元の階段を見つめた。


 出来ないことで自分を追い詰めていたのは、自分だけだった。

 情けないなあという思いが湧き上がってくるのと同時に、自分の未熟さを従兄(あに)に許されたような気がして、直はおかしな顔をして笑った。


 先を行く、八景の背を見つめる。

 押し殺そうとした自分を、引き出してくれた言葉。

 そんなことをするなと叱ってくれたこと。

 そのお陰で、直は今こうして晴れやかな気持ちでいられるのだ。


 孝介に話しかけられていた八景が、ふと直の視線に気づく。

 あの晩と同じ、一本線の目に映るのが嬉しくて、直は弾むような思いで手を振った。

 何故かすぐさま顔を逸らされたせいで手は振り返してもらえなかったが、直は満足して腕を下ろす。




「尋兄ぃ、あんな――――」



 今なら傍に誰もいない。

 直は晴真の夢見について、尋巳に話した。

 

 晴真の夢について。

 しばらく前から見始めていること。

 そのために桜の事を言い当ててみせたこと。

 自分以外には話さないことを約束させたこと。

 直はすべて洗いざらい話して聞かせた。

 前を行く三人にも、背後の嶋にも聞こえないよう低く潜める直の声を、尋巳は黙って聞いてる。

 初めて聞かされた時の直のように驚いてみせるのか、黙っていたのを責められるか。

 話しながら様子を(うかが)っていた直はだんだん口籠っていった。

 結局尋巳は、舞の直訴を聞いていた時のように平然としたまま、そうかと言うだけだった。




「何か隠しとるんは分かっとったが…… 白い毛に紫の目ぇした猿の夢か。 アイツだけ、ゆうんがなぁ」


「…………晴も、気にしてた。 自分が神使さんの生まれ変わりやないかって」


「ま、そうなるわな」




 生まれ変わりの肝は、万病の薬。

 そんなものを自分が抱えていることに対する、漠然とした不安。

 きっと複雑であろう晴真の胸中を思い、直は息を吐いた。

 そんな従妹(いもうと)の様子を横目で見て、尋巳はとにかく、と続ける。



「俺とお前以外には黙っとくゆうんで、しばらくはええんやないか。 秘密にしとっても、調べるんに支障ないじゃろし。 その方が晴真も落ち着くやろ」


「うん」

 


 直は短く答えると、階段の先を見遣った。

 石段は途切れ、頂上がもうすぐそこまで迫っていた。





***





「わぁ~ 大きい~」


 見上げるほどの大木を振り仰ぎ、孝介が感嘆の声を上げる。

 傍にある説明文によれば、桜は樹齢千二百年。

 近くに寄るほどに、その高さにまた圧倒された。

 年を重ねて太く膨れた幹は古めかしくうねり、複雑に伸びる枝葉は天を支えているかのように広く高く伸びている。

 春の見頃の時期になれば、それは見事な咲き姿なのだろう。

 根付いている小高い丘を囲む柵の外から、直たちは感心したように滴る緑に魅入っていた。



「――――で、石や。 桜の近くにあったゆう話やったが、」



 言いかけて、尋巳は面倒くさそうに腰に手をやる。

 桜の近くの岩、それを探せばいいのだろうが、




「どれなんよ、コレ」



 直は途方に暮れて桜の背後を眺めた。

 桜の裏は山のなだらかな斜面が続いており、それを整えるように、長い石垣が数段積み上げられている。

 その整然と積まれた石垣の群れに、いくつ石が使用されてるのだろう。

 直たちは斜面を前にして、呆然と立ち尽くした。


「どう思う?」

「どうもこうも、一個一個調べるしかないやろ」


 そうなるよねー

 嶋の間延びした声に、全員が内心同調する。

 とにかく、眺めていても始まらない。

 尋巳の号令で、手分けして石垣を調べることになった。

 岩は多くが苔生(こけむ)し、合間から雑草が伸び出でている。

 それらを無残に(むし)り取るわけにもいかず、一つ一つを丁寧に観察していくしかなかった。

 夏の陽射しがじりじりと背中を焼く中、直たちは辛抱強く石垣に向き合っていく。

 そうして調べ始めて四十分もたったころ、



「見つけた! 見つけたよー」



 下の方の垣を見ていた孝介が声を上げた。

 持ち場を離れ全員集合すると、孝介の指さす先の一枚の岩肌に、見慣れた紋様が刻まれている。



「やっぱりこん中やったか」


こっち(・・・)が裏になってなくて良かったよ」



 全員が汗をたらして安堵する。

 ここまで来て読み取り不可能なんてことになっては、今までの苦労が水の泡だ。

 幸いにも紋様のある岩は苔が少量生えているだけで、そのままでも読み取り可能である。

 表面の汚れを払うと、嶋がデジカメで写真を撮った。



「これで次に行けるな!」



 孝介が嬉しそうに伸びをして、全員を見回す。

 横にいた浮子星がその頭を撫でてやると、思いついたという表情を浮かべて、手を叩いた。



「そうじゃ! 尋等ぁは明日も『がっこう』は休みなんじゃろう? 晴真に解読してもらったら、早速次の調査に出てみんか」


「それがねぇ……」



 浮子星の提案へ、それもそうだと頷く中。

 嶋だけが一人、申し訳なさそうな顔つきで手を上げる。



「順調に行ってるとこ申し訳ないんだけれど、」





***





 紙の束を叩きながら、晴真は言った。



「趣味の研究やりすぎて仕事ため込んで余裕なくなるて、社会人としてどうなん?」



 仏間の座卓の上には、複数の紙類。

 それの端で何事かを白紙に書きつけながら、晴真が呆れたように頬杖をつく。



「そんなふうに言わんの。 仕事なんやし、忙しいんは仕方ないわ」



 (そば)で作業を見守っている直が(たしな)めると、寝転がっていた尋巳が「奴はプランクトン(嫁)が本業で、教師が副業や」と茶々を入れる。

 部屋には三人だけ。

 (ふすま)を締め切って閉じこもっていた。



 昨日の調査終わり。

 趣味の調査と直たちの手伝いで自分の仕事が(とどこお)っていることを白状した嶋は、日曜日の予定には参加できないと打ち明けてきた。

 嶋の運転を頼りにしている直たちは、嶋が不参加では移動に事欠く。

 公共交通と言う手もあったが、金銭的な事を考えると無理に今動かずとも、嶋を待った方が得策と判断したのだ。

 今週には直たちも夏休みに入る。

 行動に移す機会はもっと増えるだろう。



「はい、書けたよ」



 ペンを置いた晴真が、一枚の紙を差し出す。

 それを受け取り、直と尋巳は文章へ目を走らせた。



「「にし、はて、やまやま……」」




『にし はて やまやま はじめ いだく くに

 おおやしろ より ひ いつつ

 みこ いちぞく ひきい かわ くだる

 やま すて うみ めざす』




 三つ目の紋様、次へのヒントだ。

 しかし、今回は曖昧な表現が多い。




「『にし』は西として、西の果て、の、山々? ちょっと待ってよ…… これどこから見て西の果て? 一気に県の西側まで飛ぶん?」


「『はじめ』も、どっからはじめか要領得んな。 『おおやしろ』はまた神社か」


「『おおやしろ』から五日で昨日の桜までやろ? 距離から考えると、そのまま県の東方面のどこかちゃうん……」


「いきなり『みこ いちぞく』なぁ。 今までの道中は、連れがおったゆうことか」




 二人が訳文を睨み意味を解そうと苦心していると、じっと様子を窺っていた晴真が貸してっと身を乗り出してきた。

 直の手から取り上げた紙を座卓において、「いい?」と文へ指を滑らせていく。



「西はの果ては、日本の真ん中から見て西。 やから、中国山地の山、その初めの山ん中にある国」



 乱雑に広がっていた用紙の中から、旧国名の載る地図を取り出す。



「その一番大きい社から五日で、桜のところまで。 お供に巫女の一族を連れて川を下った、――――あとはそのまま、『山を捨てて海を目指した』」



 晴真の広げた地図を見遣り、尋巳は県北を領地とする一つの国名に丸を付ける。



「国は、旧名のか。 この範囲で『おおやしろ』ゆうたら、」



 『おおやしろ』、つまりその国で最も規模の大きい社とすると。



「一宮や。 晴、」



 神社のことは、本家の十八番。

 話を振られた晴真は、地図の一点を印した。



三馬坂(みまさか)の国、一宮『仲山(なかやま)神社』、ここで間違いないと思う」



 桜の位置から北へ山を分け入った先、県北の都市に、三つ目の目的地はあった。

 次へのヒントが分かり、直はほっと息を吐く。



「それにしてもよう分かったな、訳文の意味。 特に最初のとこなんか」



 確信のある口振りだったことを思い返し、直は晴真を見た。

 晴真はそれを受けてふふんと鼻を鳴らし、「夢や夢」と腕を組んだ。



「前みたいに刻んでるとこ見た時に、神使さんの頭ん中のことも、ちょっと読み取れたんや」



 夢は情景を見るだけではなく、時折、乗り移っている神使の思考も頭の中に流れ込んで切るのだという。

 なるほど、それならば断定的な物言いにも頷ける。



「あれ? てことは…… もしかしてウチ等、前回の調査に行かんでもよかった?」


「…………」



 不意に気が付いた点に、直は首を捻った。

 晴真は黙り込んで視線を泳がせている。

 なあ、なあ、と晴真を揺さぶるが、なされるがままで返事はない。

 不毛なやり取りを続ける二人の前で、訳した用紙がはらりと床に落ちるのだった。




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