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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
四章
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満月の海 五

 どう話そうか。

 足元のフナムシを追い立てながら、直は月を見上げた。




「なぁ…… おかしいなって、思うことなかった? ウチがこんなギリギリになるまで完成せん演目を練習しょうること」





 分不相応な演技に挑んでいた理由。

 それに、どうしてもとしがみついていたこと。



「ホンマは、元々今年の神楽はウチじゃなくて、親戚の、尋兄より六つ上の兄ちゃんが、尋兄と組んでやるはずやったんや」



 今年度の右座、本来のそれは、直の役目ではなかった。

 直には血縁の近いのから遠いのまで、親戚が多い。

 直たちくらいの世代は他にいないが、上と下には若者や幼子が多くいる。

 座に選ばれるのは十五から二十五前後の若衆。

 中でも、天津弥彦だった地元で就職していたその兄に、尋巳はよく懐いていた。

 気の合う若手の二人が十二年ぶりの神楽を舞うということで、年の初めから親戚中が本番の神事を待ち遠しんでいた。



「その兄ちゃんも尋兄に負けず劣らず体力自慢でな。 舞の構成も二人に合わせて、大分難しいもんになっとった」



 夏に向けて十分な期間を見積もって、二人の座は練習を重ねていた。

 けれど春先。

 その親戚の兄が、急な転勤で地元を離れることになった。

 転勤先は遠く、祭には出られない。

 神社では急遽(きゅうきょ)、代理の座を立てることになった。



「で、選ばれたんが、丁度いい年回りのウチやったわけ。 夏っちゃんは体力的に無理()うて辞退した」



 演者が変わって、当然舞の構成も変更する必要ができた。

 女だてらに腕に覚えがあるとはいえ、四月から練習を始める直に、元々の演技では時間も能力も足りないと皆が思っていたからだ。

 しかし、それに当の直が強く異を唱えた。



「ちゃんと練習する。 絶対に完成させるから、元の構成をそのまんま引き継ぐ()うてて、ウチが駄々こねたんや」



 勿論、宮司の伯父や両親までもがそれは無理だと反対した。

 しかし、直も譲らない。

 話が進まなくなる中、唯一尋巳だけが、やれるだけやればいいと頷いてくれた。



 眉を(ひそ)めて「難しい演目にこだわったのは……」と八景が呟くのに、直は「嫌やったんやろうな」と返す。




「自分のせいで、尋兄の頑張りが駄目になること」




 元々の演技は、それは勇ましく、見事だった。

 それを完成させるまでを傍で見ていた直には、自分の為にそれが損なわれるのが許せなかった。

 尋巳には元のまま、そのままの演技をしてもらいたかった。


 それに。


 それに、あんなに楽しみにしていた二人の間に、突然割って入ったような形になった自分が、邪魔者のような気がしていたのは確かだ。

 あのまま、気の合う二人のまま、今年の神楽を見ることが出来ればよかったのにと惜しんでもいた。

 でもそれは、もう無理な話だ。

 だからせめて、参加できなかった兄の代役になれるよう、尋巳の足手まといにはなりたくなかった。


 けれど、それももう遅い。

 直は外れた兄の代わりにはなれなかった。

 尋巳の演技を完成させてやることもできなくなった。

 ぎゅうと、直は掴んでいる腕を握りしめる。

 自分の中で浮かんでは消える言葉が、ひどく痛かった。




「お前は…… まだ、前の演目に未練があるのか」


 

 問いかけには、答えない。

 けれど、その沈黙が肯定に代わる。

 確かに直はまだ、どうしても、元の演技に未練がある。

 でも、もう諦めなければならない。

 明日からは、ちゃんと、完成された演技を目指すために。

 それは寂しいことだけれど――――






「じゃあ、諦めるな」





 突然突き付けられた声に、直はひゅっと息を詰めた。



「諦めるのがそんなに苦しいなら、最後までやりたいと、はっきりそう言え」




 頬を張るような強い声に、呼吸を忘れる。

 ひくりと喉を鳴らして見上げた八景が、眉を吊り上げて直を(にら)()えていた。




「何言って、」



 

 流れる雲が、月を隠す。

 八景の顔に影が落ちた。

 どんな顔をしているのか知れぬまま、青年の声は続ける。




「自分が思っていることを、自分の中で諦めて、切り捨ててしまうなと言ってるんだ。 やめたくないならその通り、思うことを尋巳に伝えろ」



 声は苛立っているようにも聞こえた。

 何をそんなに怒っているのか分からず、直は狼狽(うろた)えて身を引く。

 

 そんな、そんな事、


「だ、駄目に決まっとるやん、そんなん」




 辛うじて零した弱音を、青年は「駄目なもんか」と叩いて落とす。

 その物言いに痛みを覚え、直は苦しげに顔を歪めた。



「駄、目やろ。 もし…… もし、完成までいかんで、本番迷惑かけたらどうするんっ そんな訳にいかんやろう?」



 迷惑だけは、もうこれ以上、かけたくない。

 そんなふうに思いつめた直の思いに、気色ばんだ様子で八景は身を乗り出す。



「お前は……ッ お前はどうして、そうやって何でも飲み込もうとするんだ。 尋巳が神楽を変えると言った時も、本当は嫌だと言いたかったんだろう? どうしてそんなふうに自分の中で想いを殺そうとするッ」



 どうして自分で自分を分かりづらくするんだ。

 何故か八景自身が悔しげに、そう声を振り絞る。


 分かりづらい、言うようにしろ。

 大分前に尋巳に言われた言葉が脳裏に過る。


 だって、迷惑をかけたい訳じゃない。

 そうしたいと思った自分は、誰かに無理をかけることになる。

 それは一番『いや』だったから、二番目の『いや』だは飲み込んだのに。

 それは間違いだったのだろうか。




「困らせとうないって、思ったらいかんゆうん……?」



 寄る辺ない気持ちにかられて、直は弱弱しく呟いた。

 その声音に、八景ははっと身を引く。

 それから少し苦しそうに顔を歪めて、頭を落とした。



「違う、いけないわけじゃない。 間違ってるわけじゃない。 でも、」


 でも、





「あんなに努力していたお前自身が、自分の努力を蔑ろにするような事を言うな」


「!」





 

 声を荒げて悪かった。

 もどかしげに言って、八景は直の目を覗き込む。



「迷惑をかけろと、無責任なことをいうつもりはない。 我慢を知っている、お前も正しい。 でも、当人のお前がやっていて納得できないなら、それは違うと俺は思う」



 完成するということは、完璧であるとは違う。



「お前が望むなら、無様でも、やるだけやった全てを披露すればいい」


 


 いつの間にか、海は満ち時を迎え、さざめく波音が二人を包んでいる。



「尋巳にもう一度直訴してみろ。 ――――それが難しいなら、俺も一緒に行ってやる」


「一緒にって…… どっちにしろアンタとウチ、離れれんやん」


 気が抜けたように言い返すと、八景はむっと口噤み、それもそうかと真面目な顔で頷いた。

 それもそうかって……

 直はぼんやりと繰り返す。

 そうしてだんだん八景の反応が可笑しくなって、情けない顔のまま、くしゃりと笑った。

 そう。

 一緒に行ってくれるの。

 アンタは、この未練を許してくれるの。




「そっか、」


 そっか。



 雲の合間から、月が顔を出す。

 辺りが再び月明かりに照らされ、夜に浮かび上がる拳を、直はそっと解いた。




「…………約束、したけんな」


 言うと同時に八景の手を取り、直は勢いよく立ち上がった。


 引っ張っり上げられた八景は、慌てたように「おい!」と声を上げて立ち上がる。

 焦る様子を見て、直はしてやったりと口の端を引き上げて笑った。

 

 けれど、勢いがつき過ぎて体が後ろへ傾ぐ。

 支えも無く倒れ込みながら、目の前で瞠目している八景の姿に、既視感を覚えた。

 前もこんな感じに落ちていったな。

 そんなふうに一人、思い出して、





 バシャーンっ





 水飛沫を上げ、二人は海に飲み込まれる。

 衝撃に目を(つむ)っていた直は、海中でぱっと目を見開いた。

 上へ。

 海面へ出なければ。

 そう、水をかいた時。



「(あれ、)」



 もがいていた体を止める。


 何故か、海水が目が()みない。

 それに――――




 ぷはぁっ!




 直は浮き上がって海面へ飛び出した。

 同時に、八景が海の上へ顔を出す。

 大丈夫か、と水をかき分け寄ってくる八景に腕を掴まれ、ぼんやりとその顔を見た。



「なんか、海ん中、よう見える」



 どうして。

 直が首を捻れば、「ああ、それは」と八景は直の胸元に目をやった。

 そこには、空色の勾玉がある。



それ(・・)で俺たちと通じているからだ。 海の中が、俺たちが過ごすのと同じように感じるはずだ」



 自分たちが、陸に適応できたのと同じように。

 「言ってなかったか?」と、八景は首を捻る。

 そんな話は、してこなかったはずだ。

 直はぱちりと(まばた)きした。



「ウチも、海ん中で息ができるゆうこと……?」


「そうだな」



 八景は素の顔で肯定する。

 海の中でも平気になる?

 髪から(したた)る水滴が、水面に落ちる。


 ぱしぱしと目を瞬かせたかと思うと、不意に直は沖へと向かって水を蹴った。

 足がつかなくなるほどの深さへやってくると、一思いに水中へ潜る。

 閉じていた目を開けると、周囲は仄かな明るさに包まれ、水面の紋様が砂の上にゆるゆると踊っていた。

 これほど鮮明に見えるとは。

 直はがぼっと口の中の空気を吐きだした。

 口内に流れ込んでくる海水に、(のど)が圧迫される。

 けれどそれも一瞬のことで、瞬きの後には、肺が正常に息を喉へ押し返していた。


 もしかしたら。

 思いついた直は水底に降り、砂の上で跳ねた。

 体が、水の抵抗に包まれている感覚。

 しかし、記憶にある重たさよりも軽い、水流がするんと体表を滑っていくような。

 初めての感触に身を任せ、真っ直ぐに何もない砂地を見遣った。

 追って来た八景を制して、直は体を構える。



 挑むのは、一番難しい大技。



 ゆらゆらと拍子どり、ぐっと柔らかい土壌を踏み込んだ。

 助走から大きく飛びあり、体をくねらせる。

 水の抵抗が、まるでスローモーションのように自分の動きを体感させた。

 思い描いた通りの一瞬。

 浮遊の合間に、ゆらめく満月が瞳を捉えた。



 ――――とす



 粒子の細かい底砂が、直のつま先を優しく受け止める。

 直は呆然とした面持ちで両手を見た。

 そこにあるはずの透明な水の流れが、直にできなかった『技』を手助けしてくれた事を知る。


 この満たされた空間でなら、何か掴めそうな。

 そんな気がした。


 揺らめく海面を振り仰ぐ。

 しんしん、しんしんと、月光が降り注いでいた。


 あんなに真っ暗だと思っていた海の中が、こんなに明るいなんて。


 泣きそうに顔を歪め、


 八景。


 直は青年の名を、初めて呼んだ。

 一連の姿を見つめていた青年は、海を震わせる柔らかな声に、一本線の両目を見開いた。




 きっとできる、そんな根拠のない思いが満ちてくるのを、直は感じていた。

 そうして、




「ありがとうな」




 波間に射し込む月明かりに照らされて、淡く、淡く、微笑むのだった。


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