表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
四章
40/73

満月の海 四

 雨の中を八景と共に帰ったこの日。

 結局夕方の練習に、直は顔を出せなかった。


 練習しなければと自分を追い立ててはみたものの、どうしても尋巳の前に立つ気力が起きなかったのだ。

 家へ近づくほど雨で濡れた足取りは重くなり、自分の暗い心の内と重なった。


 夕食時、練習までに戻らなかったことに、尋巳は何も言わなかった。

 その代わり、食事の間一度も目を合わさず、直接声もかけてこなかった。

 人を介する程度には話しはしても、神楽のことは、一言も口にしない。

 無視されているわけではなかった。

 しかしそれは、()れ物を扱うようなモノだと知れて、直は内心ひどく心苦しかった。


 尋巳は逃げ出した直を責めてはいない。

 責めてはいないが、期待している訳でもないのだろう。

 やめたいならそれでもいいと言われているようで、自分の無責任を思い知らされた様な気がした。

 このまま家に居続ければ夕食後の練習の時間がやってくる。

 無責任を思い知っても、今稽古場に足を向ける気には、どうしてもなれなかった。


 だから夕飯の片づけを手伝った直は、その最中に黙って家を抜け出した。

 勿論、持ち出しても気づかれない使わなくなったビーチバックに、蛸にした八景を詰め込んで。

 誰もいない廊下に引き込んだ八景は、泡を食って(わめ)こうとした。

 それに慌てた直は、急いでその口を塞ぐと、無理矢理勾玉でそ八景を変化させた。

 いきなり変身させられた八景は当然声を荒げようとしたが、四の五の言わせずビーチバックに押し込め、急いで玄関を飛び出した。


 騒ぐ八景の声が家の者に届かなくなるまで、直は夜の道を駆けた。

 街灯の少ない海沿いの道を走り続け、とうとう走れなくなると、荒く息を吐きながらゆっくりと歩き始める。

 時折ライトをつけた車が脇を走り去っていく中、直は黙々と暗闇を進んだ。

 そうしてしばらく歩いたころ、しびれを切らしたのか、八景が背中で暴れ始めた。



「おい…… おい! 返事しろ! こんな夜更けに一人で、どこに行くつもりだっ」



 ぎゅっと入り口を閉じているせいで、八景はバタバタとバックの中で騒ぐ。

 直は最初こそ無視を決め込んでいたが、ついに諦めて口を開いた。



「……あんまり騒がんでよ。 それに一人ちゃうし。 アンタ居るやろ」



 そんに歩かん、ちょっとそこまでや。

 ぶっきらぼうに言い捨てる直の声に、八景はまた大人しくなる。

 けれど随分歩いても立ち止まる様子はなく、八景は再び不機嫌そうに口を挟んできた。



「おい、大分家から離れただろ」


「……」


「……」



 沈黙する二人の横を、車が通り過ぎる。



「一体どこへ向かってるんだ! 連れて行くなら、行先ぐらい言ったらどうなん「海や」



 八景の叫びを遮って、直は先を見遣った。


 暗い道の先に、波が打ち寄せている。



「――――もう着くわ」





***





「おい、危ないぞっ」


「何度も来とるからへーき」




 県道を降りた直は、もう人の姿が見えないのを確認して、ビーチバックの(ひも)を解いた。

 八景はようやく自分のいる場所を確認できるようになって、辺りをぐるりと見回す。

 遠くに人家の明かりが見えるそこは、広い砂浜だった。

 足跡のない砂の上を、スニーカーの足がサクサクと音を立てて進む。


 浜の西端には、岩肌の目立つ山が海に突き出ていた。

 海に飛び出たその山(すそ)を、直は岩を乗り越えながら岬へと向かってゆく。

 潮が引いているせいで海中の岩肌が水面に顔を出しており、容易に歩くことが出来る。

 とうとう山の先端にたどり着いた直は、突先に立つ岩に登りつき、その上へと腰を下ろした。



「こんな所…… 一体何しに来たんだお前は」



 バックから()い出した八景は、直の肩でぼやく。

 直はそれを掴みあげると、



「月、()にきただけ」



 そう言って、横にもう一つある岩へ八景を乗せた。

 今日の月は満月。

 天の灯は正円を形どり、東の空に静かに浮かんでいる。



「……それだけか?」


「悪い?」


「悪いも何も、それなら家からでも見えただろう。 なんでわざわざこんな夜中にでてきたんだ」



 八景の指摘はもっともだが、直は何も答えず勾玉を握った。

 煙に包まれた八景は、目を丸くして人の姿で現れる。

 家では駄目な事。

 一人になりたかったこと。

 それを一々説明するのは面倒だった。




「――――尋巳か?」


野暮(やぼ)い。 一々聞くな」



 ぴしゃりと()ねつけると、八景は「何かお前、態度が違っていないか?」と声を落とす。


 まだ昇ったばかりの月は明るく、岩肌に預けた体を煌々(こうこう)と照らす。

 浸食された表面に手をつき、直は首を落として揺らめく水面を見つめた。

 波は穏やかだった。

 ビロードの布がそよ風が揺蕩(たゆた)うように、底の見えない水面はわずかに上下して揺れている。

 海に落ちた月光が、波のなめらかな動きに(もてあそ)ばれながら、真っ直ぐに直へと続く光の道を作っていた。

 道を行く車の音も、ここからでは遠い。

 とぷりとぷりと岩に砕ける波音だけが、黙り込んだ二人の間にあった。



「なぁ、もういいだろう。 年頃の娘が、こんな夜()けに出歩くもんじゃない。 月の明るいうちに早く帰れ」


「――――足、フナムシ上がっりょるで」



 しかつめらしく説教しようとする八景の衣を指さしてやると、そこを這い上ろうとする小さいのが一匹。

 八景は「わぁ!」と情けなく叫んで足をバタつかせる。

 それを尻目に、直は海を覗き込んだ。

 しんとした水底は月夜の明かりを吸い込んで、夜闇よりも濃い。

 引き込まれそうな暗い塊に、直はじっと見入った。

 そうしていると、なにか胸の内に溜まった澱がその奥へ(さら)われていくような気がして、ほんの少し、気が楽になる。




 昨晩打ち明けられた、夢見の事。

 動揺する晴真を(なだ)めすかし、決して他言はしないと約束してその日は別れた。

 神使の生まれ変わりだとされる兄弟たちの中で、唯一不思議な力を見せる晴真。

 自分が生まれ変わりかもしれないと恐れていたあの子の背を、直は(さす)ってやることしかできなかった。

 

 兄弟のうち、直にだけ打ち明けてくれたのに。

 結局まともな力になってやれずじまいで、自分の無能さが嫌になる。


 


 舞のこともそうだ。

 一族の子供のうち、直を選んで任せてくれたのに、その任もまともにこなせない。

 それどころか、練習すら放り出してこんな所で(うずく)っている。


 どうしてこんなにも上手くできないのだろう。

 どうしてこんなにも中途半端なのだろう。


 直には今、まともに人に向けられる顔が無かった。

 だから誰もいない場所を求めて、夜更けに家を飛び出したのだ。


 こんなふうに自己嫌悪に(まみ)れた自分、誰にも見せられなかった。

 直は足を抱き寄せ、小さく丸まる。

 もうどうでもいい、そう投げやりに思う。

 目指していた目標は変えられてしまう。

 これ以上の努力する余地は、無くなってしまった。

 自分のせいで取り上げられてしまった。

 あとは失敗しないだけの演技を果たすだけ。


 直は、天津弥彦を任せられた日から自分にのしかかっていたモノが、うっすらと消えていくような気がしていた。

 その重みはいつも一緒に在って、神楽の練習に(はげ)む直を()き立ててもいた。

 その影に心がざわつくことも、勿論あった。

 けれど、こうして身が軽くなってみると、消えてしまった重みの喪失感に途方に暮れてしまう。

 今ならよくわかる。

 あれは尋巳たち、周囲の者が寄せてくれる期待だった。

 直は、それに応えたかった。

 それなのに。



「(情けなぁ……)」



 降り注ぐ月光が、夜に全身を浮たたせる。

 今だけは、暗い夜が恋しかった。

 深い闇の中に直を隠して、自分にすら見えなくしてくれればいいと思った。

 広げていた手を握りしめ、こくりと首を落とす。

 もう、ここからどこに行くのも億劫(おっくう)だ。

 立ち上がることも。

 家に帰ることさえ――――







「…………言いたいことがあるのなら、好きに言えばいいだろう」



「!」


 

「こうゆうとき、黙り込んでいて解決するものなぞ、何もないぞ」







 声は静かだった。

 背中にぶつかってくるそれに、直は肩越しに後ろを振り返える。

 いつもなら、きゅうと釣り上げっている赤い(まなじり)

 それが今は、真っ直ぐな色を(たた)えて、直を見ていた。

 

 直はじっと、一本線の目を睨みつけた。

 そこに、何かを責める意思は見つけられない。

 青年の意図が何なのか知り得ず、直は再び(ひざ)を抱えた。




「放っといて。 …………どうせ()うても、どうにもならん」


「そんなのは聞いてから判断すればいい」


「……――――何も話したくない()うたら?」


「それは、その気分を優先するか、迷いを脱することを優先するか。 お前の本心によるな」


「…………」



 あくまで直の思いに(ゆだ)ねるらしい口振りに、ぎゅっと体を固くする。

 自分の思い?

 どうしたいか?

 それを口にしてどうなる。

 言ってどうにかなるのか? ――――分からない。

 しかし、そんな直の葛藤をよそに、八景は言葉を重ねてくる。




「思い悩むな。 どうせ、ここには俺しかいない。 言いたいようにしてみろ」


「…………アンタに()うたって仕方ないわ」


「だが、独り抱え込むよりは、ずっといいはずだ。 別に、聞いて偉そうに講釈垂れるつもりもない。 俺だってそこまで朴念仁なつもりはないからな。 それに、」




 お前が先に言ったんだ、『言いたいことがあるんなら、ちゃんと言え』。


 最初の調査の日、目的の岩の前で直自身が言い放った言葉だ。

 とんだブーメランに、直はうっと押し黙る。

 確かに言った、言いはした。

 けれど、いざ自分の身に返ってくると、言葉の通り素直になるのはなかなか難しいことだと思い知る。

 直は、岩についた手を見下ろす。

 だって、もう遅いのに。

 どうでもいいとさえ、思うのに。

 この胸の中の固まりを吐き出したところで、何も変わらないのに。

 それなのに――――

 


「どう思っていようが、」



 思考を止める声に、(くも)っていた視界が明瞭になる。

 頭の中を流れ去っていくだけの言葉が消えて、直はゆっくりと顔を上げた。

 白い月光に照らされた八景が、直を見ている。



「次の日は来る。 ならその前に、腹の中にある鬱屈(うっくつ)なぞ、全部吐きだしてしまうが良策だろうよ。 別にお前がここで何を言い捨てようが、他の誰にも、何も、言うもんか」


「…………」


「だから…… 気にせず、話せばいい」



 慣れないことを言っているみたいに、八景の声はぎこちない。

 直は顔を上げて、首を捻った。

 これは、慰められているのだろうか。

 八景はそれっきり何も言わない。

 けれど、他所(よそ)を向いているくせ、目だけはちらちらとこちらを気にしていて。

 直はふっと苦笑を漏らした。

 顔を逸らしていた八景は、笑い声を聞いて「なんだ」と怖い顔をしてみせる。

 だがそれを気に留めず、ふふっと頬を緩めて直は前に向きなおった。

 笑ったら、少し気が晴れたような気がする。

 胸元で揺れる勾玉を片手で覆って、すっと息を吸い込んだ。



「……じゃあ遠慮のう、話さしてもらうけど」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ