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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
三章
35/73

変化 三

 そのあとすぐ、二人は山を下った。


 車に戻るまでの間、二人は何となく黙っていた。

 歩きづらい山道も、西日に光る道路も、無言で歩き続ける。

 足音だけの沈黙は長かったが、それも嫌なものではなかった。

 来る時までの居心地の悪い空気は欠片も無く、どこか晴れ晴れとした距離感であったと思う。

 まるで互いに傍に居ることを許し合ったような、そんな空気。 


 なんだか胸のつっかえが取れたような気がして、直はただ黙々と車を目指し歩き続けた。

 最初の駐車場にたどり着くと、既に尋巳たちがそこで待っていた。

 撮って来た写真を全員で確認し、確かに見覚えのある紋様だと結論づける。

 これで目的は達したという嶋の合図を締めに、一行は目的地を後にするのだった。




***




「おかえり! あった? 紋様見つかった?」


 家にたどり着くと、車の音を聞きつけたのか、玄関から孝介が飛びだしてきた。

 はしゃぐ体を抱きとめて、「あったよ」と答えると、ぱっと顔を輝かせた孝介に手を引かれる。



「あんな、僕も見せたいもんがあるん! こっち!」



 小走りで家へと戻る後に続くと、居間には文都甲が座っていた。

 その目の前には、座卓に置かれたバケツがある。

 バケツの中には、水が張られているようだった。


「見ててな?」


 文都甲と示し合わせるように笑い合った孝介は、バケツの前に膝をつき、直を見た。

 何だろう?

 向かいに同じく膝をついた直は、水面を覗き込む。

 水からは磯の香りがした。

 海水らしい。

 孝介は勿体ぶるように拳を握ると、ゆっくりと指を広げて海水に掌を付けた。



「?」



 小さな手の下で、水面がわずかに揺れる。

 しかし、いつまで経っても揺れは収まらない。

 直が訝しんで身を乗り出すと、同時に波紋がぼこぼこと沸騰するように変わった。

 その波が一層激しくなったかと思うと、突然何かが水面から飛び出してきた。



「わっ」



 飛び散る水飛沫(しぶき)に顔を(かば)う。

 すがめた目が一瞬、持ち上げた腕の向こうのきらめきを(とら)えた。



 水面から飛びだしたもの。

 それは水で形作られた、一匹の魚だった。



 空中でゆったりと身をくねらせた魚は、そのままぽちゃんとバケツの中飛び込んで消えた。

 いや。

 見えづらいだけで、不可思議に光を反射する鱗が、水の中で揺らめいている。

 直は呆気にとれて、孝介を見た。

 孝介は嬉しくってたまらないというふうに、にんまりと笑う。



「文都甲さんがかけてくれた術! ちょこっとだけやけど、海の水、好きなふうにできるんやで!」



 確か最初の紋様を見つけた日。

 勾玉を欲しがった孝介の為に、文都甲は術を使った。

 どうやらあれは、小規模ながら、海水を操れる力を発生させるものらしい。



「最初は上手く操れませんでしたから、あれから練習したんですよ、孝介君」



 一部始終を見守っていた文都甲は、優しく笑って言った。



「どう? (すご)ない? びっくりやろ?」



 はしゃぐように身を乗り出した孝介は、反応を強請るように言い重ねる。

 直はその勢いに押されつつも、うんうんと頷いてやった。



「うん、すごい。 なんてゆうか、綺麗な魚さんやな」



 直が()めると、孝介はまたにんまりと笑う。

 そこへ尋巳たちが戻ってきて、二人の様子におやっと眉を上下させた。



「なんや、もうできるようになったんか、魚のヤツ」



 尋巳の孝介の力を知っているらしい口振りに、今度は直が首を傾げた。



「尋兄ぃ、知ってたん? 文都甲さんの術の事」


「そりゃ、確認くらいするわ。 物騒なもんやったら、すぐ消させなおえんやろうが」



 まあ、害のなさそうなもんだったがな。

 そう言い置いて台所の方へ消える背中を見送り、直は目を瞬かせた。


 確かに年長者として、弟たちの身の安全を確認するのは重要なことかもしれない。

 尋巳はちゃんと、そのことを考えて実行しているのだ。

 そんなことまで考えの及ばなかった自分を唐突に自覚して、直はしばし呆然とした。

 自分の弟の事なのに、考えもしなかったなんて。

 紋様の調査で頭がいっぱいになっていたとはいえ――――。

 直は眉を(ひそ)めて(うつむ)いた。


 もし孝介に扱いかねる力だったら、どうした。

 文都甲を信用していないわけではないが、弟の身に危険が及んだら。


 ぐるぐると回る思考の合間に、完成していない神楽舞のことまで思い返され、直は心中で自分を責める。

 至らない。

 まだまだ自分は、あの従兄(あに)に劣ることばかりだ。

 さっきまでの晴れやかな気持ちが(しぼ)んでゆくようで、直はぎゅっと服の(すそ)を握る。 


 それを不思議そうに見ていた孝介が「直ちゃん」と呼びかけるのに、直はぱっと顔を上げた。

 不思議そうな顔つきにはっとして、あははと咄嗟に笑う。



「ごめん、ごめん、何でもない。 さ、もう夕飯の時間やけん、準備せんと。 他にできたら、また見せてな」



 満足げな孝介の頭を撫でると、直は尋巳を追って台所へ入ろうとした。

 その時、玄関の扉が開く音がして、祖父の尋ノ介が人を呼ぶ声が聞こえてくる。



「はーい、――――あ、直ちゃん、お帰り~ よかったら、ちょっとおじいちゃんの方、見てきてくれん?」


 

 手を拭きながら暖簾(のれん)をくぐってて来た夏子に言われ、直は分かったと玄関に向かう。

 廊下に出ると、上がり(かまち)で長靴を脱ぐ、祖父の背中が見えた。



「爺ちゃん、なに? なんか()るん?」



 直がそう言って近づくと、尋ノ介は「ん」と短く答えて、発泡スチロールのトレーを差し出してきた。

 咄嗟(とっさ)に、ぱっと受け取る。

 何だろうか。

 受けとって、かけられていたアルミホイルを開けてみる。

 蓋の下からは、ぷうんと生ものの匂い。



「げっ」



 中身を見て、()()った。

 トレーに無造作に並べられていたもの。

 

 それは、開いたマダコの刺身だった。


 直は顔を引き()らせる。

 一瞬、頭の中をいろんな考えがめぐった。

 多分、これは今日の祖父の釣果で、直たち孫連中への祖父の土産だ。

 夕飯のおかずを減らせる分、ありがたいことはありがたいのだが。

 八景と、目の前の刺身が、交互に脳裏に過る――――どうしよう。



「なんなら。 ()かなんだか」



 ぶっきらぼうに聞く尋ノ介に、直はあわてて首を横に振った。

 嫌いなわけない、ちゃんと、もちろん、好物だ。

 孫の反応に満足したのか、尋ノ介はヤッケを脱ぎながら廊下へと上がって来た。



「あ、これ、爺ちゃんも食べるん?」



 横を通り抜けていく祖父に問うと、自分はもう()うたと答えられた。 

 風呂の方へ消える尋ノ介を見送って、直は玄関先で立ち尽くす。



「えー…… どうしよ…… これ」



 トレーの蛸を見て、ぽつりとこぼす。

 今までだって、潮守たちは魚介類の総菜を口にはしてきた。

 けれど、これほどまでにあからさまなモノ(・・)を、出したことは無い。

 これを夕飯の机に上げて良いものか、悩ましく(うな)っていると、



「どうした?」


「わっ!」



 背後からの声に、直は飛び上がって驚いた。

 危うくトレーを取り落としそうになる。

 わたわたとホイルの蓋を被せ直し顔を上げると、目の前には八景の顔があった。

 


「び、くったぁ~ どうしたん?」


「それはこっちの言い分だ。 こんな所で突っ立って、何をしている」



 尋巳の服のまま、いつもの癖で腕を組む八景に、直は口ごもりながらトレーを体の影に庇う。

 それを訝しげに見ると、八景は首を伸ばしてトレーを目で追ってきた。



「なんだ? 何を隠してる」


「い、いや? なんでもない、なんでも」


「その様でか。 隠してないで見せてみろ」


「い、いや、これは……「直ちゃん~ おじいちゃんがさっき、タコ持って帰ってくれたってゆうてたんや、け、ど……」



 …………


 誤魔化そうとする言葉が、(むな)しく消える。

 風呂に行った尋ノ介の洗濯物を受けっとって出てきたのだろう。

 廊下に顔を見せた夏子の伸びのいい声が、尻すぼみに小さくなってゆく。


「「「…………」」」


 暫し三人の間に沈黙が降り、直は冷汗をたらりと垂らした。

 何とも気まずい沈黙である。

 何か言わなければ、そう、直が思い詰めた途端、



「――――なんだ、夕餉(ゆうげ)か。 何を思い悩んでいるのかと思えば」



 案じて損をした。

 最初に沈黙を破った八景が、呆れたようにトレーと直を見下ろした。

 アルミホイルは取れかけて、中の刺身は見えてしまっている。

 けれど、それを見ても気にした様子もない口振りに、直はしどろもどろになりながら言った。



「いや、ほら、だって、な?」



 自分でもどう弁明すればよいのやら。

 以前から魚介類を食べる潮守たちを見てきていたとはいえ、これを目の前にして潮守たちが、八景が、どう思うのか。

 その心の内を案じずにはいられなかったのだ。

 しかし、そんな直の心配をつまらなそうにして八景は一笑に()した。



「何度も言うが、そやつ(・・・)と俺とでは、成り立ちが違う。 俺たちも里で海の幸を口にするし、感謝はすれど、罪悪にかられることはない」


「でも、」



 なおも言い継ごうとする直を、八景は目線で止めた。



「そんなことで一々悩まなくていい。 俺は気にしない」


「……そう」



 当人が言うのなら、気にしすぎるのも野暮というものだろう。

 直は拍子抜けしたように肩の力を抜いた。

 そんな二人をじっと見ていた夏子が、ふと首を傾げる。



「ねぇ…… なんか二人、雰囲気変わった?」



 唇に指先を当てながら、夏子が直と八景を交互に見る。

 その探るような視線に、二人は顔を見合わせた。



「「…………」」



 変わった? そうだろうか。

 変わったこと、そんなものは、よく分からない。

 けれど、



「そんなことないよ。 いっつも通り(・・・・・・)やで」



 自然に視線を外し合い、直は夏子に向かってあどけなく答えた。

 そんな二人を、夏子はおやっと見つめる。


「そう?」


「うん、そう」 


 なお不思議そうな視線を寄こす夏子に、直はその肩をとって、台所へと背中を押していった。



「ほら、もう夕飯の準備せな。 遅ぉなってしまうで」



 肩越しに、八景を見る。

 人外の青年はそれに目で答えた。

 それが少し、楽しくて。

 直は小さく微笑みながら、台所へと向かうのだった。


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