変化 一
廃寺の裏手には、まだ道が続いていた。
先の見えない坂道を、直は黙々と進んでいく。
「貴様ぁ……」
途中、背後から、地を這うような声が発せられた。
八景だ。
埃と落ち葉と蜘蛛の巣まみれになった八景は、最高に凶悪な顔で直を睨みつけてた。
「…………」
目線が泳ぐ。
先ほどの廃寺で、床下を隅々まで探し回った直。
それを追いかける羽目になった八景は、結果、散々な目にあった。
頭を床板にこすりつけては埃に目をやられ、手元を落ち葉にとられては支柱に額を打ち付け、挙句には見たこともない虫共の歓迎を受けて、情けない悲鳴を上げる始末。
それら諸々の結果が、あの機嫌なのである。
「…………あー、」
流石に振り回しすぎたか、と前を進みながら直は頬をかいた。
結局、床下にそれらしい岩は見つからなかった。
あったのは崩れた瓦と、腐った木片と、虫の死骸ぐらいのもの。
つまりは、空振りだ。
直としては、『無い』ことを確認できただけで収穫だったが……
八景としては、はいそうですかと済ませられなかったようである。
直は頭の埃を払い、後ろを振り返った。
「ごめんて。 その…… ちょっと先走り過ぎたわ」
折角素直に謝ったのに、八景は「ちょっとだぁ?!」と益々顔を凶悪にする。
「きっさま、ちゃんと心得ているんだろうなっ 俺とお前はそう長く離れておれんのだぞ!」
それをこちらを無視して好き勝手!
怒り心頭で文句を垂れる相方に、直はげんなりして耳を塞ぐ。
確かに、離れられないのを分かっていて先走り過ぎたのは自分が悪いと思う。
だが、正直今は紋様の探索に集中していたいのが本音だ。
手伝う気も無い八景の相手をするのも億劫なのである。
どこか尋巳を彷彿とさせる態度で直は手を振り、八景の言葉を遮った。
「はいはい、分かった分かった。 もう無理に動き回らんから――――」
それくらいにしてくれ。
そう言いかけた時、突然道が開けて、またしても平坦な土地に出た。
「!」
土地は開けていて、廃寺の辺りと同じく、沢山の枯れ葉が積み重なっていた。
周囲を囲む木の間からは柔らかな木漏れ陽が降り注いで、しんとしている。
目につく人工物は特にない。
ただし、
「――――石や」
その岩は、平地縁に斜めになるように生えていた。
岩を確認した途端、直は駆けだしていた。
勿論、八景がついて来る音もちゃんと聞きながら、できる限りスピードを押さえて、である。
楕円に近いその石は、見えている部分が六十センチほど。
表面は長期間の風雨に晒され、風化が進んでいた。
「(これや、きっとこれ)」
直感に近い思いを抱き、直は石へ飛びついた。
落ち葉の中に膝をついて石の表面を撫でまわすが、線が刻まれたような凹みはどこにも無い。
そんな。
確信と焦燥が綯い交ぜになりながら、直は岩を見下ろす。
その時ふと思い当たって岩の裏側、崖側の方を覗き込んだ。
「! あった……」
「いきなり離れるなと、何度言えば分かるんだ!」
見覚えのある、紋様だった。
「あ、おい!」
駆けつけてきた八景が制止するのも構わず、直は崖に生えていた木に背を預けて、斜め正面から紋様を眺めた。
するっと彫りをなぞる―――― 同じものだ。
確かにあった。
自然と頬が緩む。
これを持ち帰れば、きっと次につながる。
直はその確信に突き動かされるまま、スマホを取り出して数枚の写真を撮った。
写真を確認する。
写りは確かだ。
「よっしゃ、」
これでいい。
そう安心していると、
「いつまでそんなところに居るつもりだ! 早く戻れっ」
八景が焦ったように声をかけてきた。
直が離れるのが心配なのか、地面の縁ぎりぎりでもどかしげに見下ろしてくる。
しかし直は写真の方に夢中で、それどころではない。
「分かっとる、そんに急かさんでよ。 今ちょっと、」
忙しいから。
そう言いかけた直に、八景は苛立って言葉を遮ってきた。
「いいや、分かってない。 貴様さっきから、人の話も聞かずに突っ走ってばかりだろうが!」
荒げられた声にびっくりして、直は八景を見る。
八景は、ひどく真面目な怒り顔をして直を睨んでいた。
その真剣な表情に、直は狼狽えて、しどろもどろになる。
「あ、いや、それは…… そうやけど、でも、」
「でももなにもあるか! 少しは自分の勝手を自覚しろ!!」
「いや、だから、ごめんて。 紋様が気になってたから…… もう見つけたし、」
「さっきから俺がどれだけ引きずり回されていると思ってる! 今俺たちは離れられないんだ、それが分かっているのか?!」
「そりゃ、勿論、だから、」
「分かっていてその振る舞いか! 勝手も大概にしろよッ」
「そ、ちょっとまっ…… 人の話し、」
「どうしてそんなふうに勝手なんだ! 周りを顧みないッ お前等のせいで、」
「まっ、」
「クソ……ッ 腹の立つ! だから嫌だったんだ! こんな陸者風情と一緒にいるだなんて!!」
「――――だぁもう、しつこい!!」
堪りかねて、直は叫んだ。
「『陸は、陸は』って、アンタそればっかりか! 結局何が気に入らんゆうんよッ」
及び腰だった姿勢を伸ばし、苛立ったように声を荒げる。
弁明に耳を貸そうともせず、どうしてそんなに怒り散らすのか。
それに、今までずっと、八景が苛立ちと一緒に口にしていた言葉――――『陸者』。
またそれを持ち出すのか。
なにがそんなに許せないんだと、訳が分からなくて。
だから、それを問いただす言葉が口をついて出たのは無意識にだった。
喧嘩なら買ってやる。
そう息巻いて平地に戻ろうとした時、
――――バキッ
「「!?」」
鈍い音と共に掴んでいた枝が手元から折れ、直はずるっと体が傾いだのが分かった。
逆の手にはスマホ。
瞬時に木が掴めななくて、そのまま。
視界から、驚いた八景の顔がフェードアウトしてゆく。
体が傾ぐ。
踏ん張っていた足が滑る――――おちる。
ふわっという浮遊感に包まれた。
首にかかっていた勾玉が視界に浮かび上がる。
おちる、――――落ちるッ
視界の先で、瞠目した八景と目が合う。
咄嗟のことだからか、離れては我が身に危害が及ぶからか。
八景が、半袖の腕を直に伸ばす。
その手が、浮き上がった勾玉を掴んだ。
カッ
突如勾玉がきらめき、ぼひゅんと白煙が巻き起こる。
煙の勢いに押され、直は顔の目で腕を交差させた。
迫る煙に目を瞑ったのと、柔らかな何かに包まれたのは同時だった。
「っ?」
直はゆっくり閉じていた目を開く。
浮遊感が消えていた。
投げ出された痛みはない。
体は………… 何かが触れている。
首を巡らせ、直は自分を包むものを見た。
「あ……」
砂色の肌。
濃い色の装束。
一本筋の目。
吸盤の並ぶ腕が、蜘蛛の巣のように四方八方の木々を掴んでいる。
着ていた尋巳の服は影もなく、最初に見た時の異国風な衣装が肌に触れる。
「阿呆か貴様っ こんな所で気を抜くな!」
蛸だ。
大蛸に変じた八景が、肌を赤黒く変色させながら直を全身で受け止めていた。
「あ、」
真近にある八景の顔に、直は固まる。
言うべき言葉が思い浮かばずに、口は半開いたままの状態。
するとカッカと腹を立てていた八景が、その様子にはっとしたように身動ぎした。
近い距離感に気が付いたらしく、動揺して目を逸らす。
それからぐっと口を噤んだかと思うと、ゆっくりと直の体を平地へと戻した。
「あの、」
地に足がついた直は我に返り、勢い口を開く。
しかし、「ありがとう、」そう言いかける前に、勾玉に手を伸ばした八景は、自分でまた姿を変じてしまった。
ボンッ
「!」
白煙が再び湧き上がる。
それが消えると、尋巳の服を着た青年が、そこに立っていた。
沈黙が落ちる。
「ありがと…… 助かった」
触れ難い空気をこじ開けるように、直は礼を言った。
しかし八景は、直の謝意を聞いても何も言わず、難しい顔をして視線を逸らしたままだ。
その心の内で、一体何を葛藤しているのだろうか。
何も返事をする様子もない相方をじっと見つめた直は、もう一度口を開いた。
「――――なあ。 アンタ、『陸は、陸は』言うけど、結局人間の何が気に入らんの。 何が気に入らんで、そんにツンケンするん」
「…………」
きっと、肝を手に入れ損なった苛立ちだけではない。
事あるごとに八景は『陸者』をきつく責め立てていた。
だから、執拗に『陸』を毛嫌いする理由があるのだろうと、口には出さないだけで、直はなんとはなしに察していた。
きっと今が、そのタイミングだ。
この潮守が、自分たちとの間に一本引いている拒絶の線の、その理由を問うタイミング。
直は八景の様子を窺いつつ、待った。
「――――陸者は好かん、それだけだ」
「だからなんで」
ぶっきらぼうに吐き捨てる言葉にも、じっと辛抱強く受け応える。
先を促す姿勢を崩さない直に、八景は苦い顔をして拳を握った。
目がゆらぐ。
ああ、来るかな、そう察した直は、さらに畳みかけた。
「理由もなしに嫌い嫌いて、小さい子供やないんやけん。 言いたいことがあるんなら、ちゃんといい」
一歩、今まで触れてこなかった場所へ踏み込む。
線を越えたのが琴線に触れたのか。
八景は怒気を露わにして、きっと直を睨みつけた。
「俺がお前等を嫌う『理由』を知らんという口で、よくそんなことが……ッ」
強い語気で睨みつけてくる目に、直は無防備にさらされる。
それに一歩も引かず、直は真正面から受けてたった。
全部聞いてしまうつもりでいた。
いい加減、この潮守との間に腫れ物を抱えていることに辟易していたから。
八景はそれまでの葛藤を取っ払ったように、言葉を吐き出し始めた。
「知らんというなら教えてやるッ ――――俺の一族は、代々竜宮で官職に身を置いている。 こちらで官職といえば、竜宮の民と神職である凪の橋渡しをし、竜宮の警護を行い、治政の維持に努めるものだ」
陸で言う、公職のようなモノに身を置いているらしい八景。
その役目は竜宮の治政の維持だけではなく、大洋全体の見回りも重要な役目としてあるらしい。
人の手の届かぬ海を守り、生き物の命の廻りを見守る事。
それを務めとする八景は、しかしと声を押し殺す。
「しかし、ここ百余年。 海は異様な様相を呈している」
日に幾隻きもの船が行き交い、行きついた先で里の異なる水を吐き出し、生き物の廻りを乱す。
海底には朽ちることのないクズの山。
北の果て、南の果てでは海洋の異変も甚だしく、変わりなく続いていた海原の流れに、大きな変化が起こっていると。
海を取り巻いているらしい状況を、歯噛みしながら並び立てる。
それが許せないと、八景は叫んだ。
「俺はそれこそ幼生の頃から、その様を目の当たりにしてきた。 状況は一向に改善されない。 俺たちの里である海が、無残に荒らされていくばかりだ」
年寄りから伝え聞く海の変化に。
それを止められない自分に。
知らぬ顔をして頭上を行き交う陸者に。
憤りは日々募り、やがて怒りとなって八景の腹の底に溜まっていった。
陸は自分たちが海にもたらしているものの何たるかを理解していない。
奪うだけ、打ち捨てるだけ、好き勝手に荒らすだけ。
許せない。
悔しい。
けれどそれ以上に悔しかったのは、荒む海を前にして、何の力もない自分だった。
「分かるか!? どんなに守ろうと尽くしても、悪くなっていくばかりの自分の里を見続けなければならない者の気持ちが?! 全部、お前たちのせいだ! お前達陸者の、身勝手のせいだ!」
吼える声に、直はひどい痛みを耐えるように手を握った。
責められている事、それ以上に、なぜか八景の苦しげな様子がつらかった。
布ずれの音もしない静寂の中、だからと、八景は最後に振り絞る。
「だからっ 陸が、俺は嫌いだ」
陸も、
「お前も…… 人間も」
――――嫌いだ




